海の風と雲と1-4
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「青紙」召集の便船もようやく第七便を数えて、便船の運航それ自体は閉塞社会の現状に小さな風穴を開けるほどの力しかないものの、一九三八年十二月、赤道へと向かう迷惑顔の内南洋行おんぼろ貨客船「天狼丸」船底の三等船客の顔ぶれを見るにつけ、
「もう七、八年は前に、魚雷は無理でも、せめて前大戦生き残りの機雷なりともに触雷して、この襤褸船もろとも木っ端微塵になってくれていたなら、どんなにか日本およびアジアの民衆のためになってくれただろうか!」
と、狭い船内キッチンで玉葱をせっせと微塵切りにしながらコックの松井が慨嘆すれば、その俎板を叩く包丁の音を伴奏に、コック見習の坂東少年が皿を洗いながら諳んじる声変りしたての声がキッチン内に木魂する。
「甘粕正彦、河本大作、石原莞爾、板垣征四郎、岸信介、鮎川義介、辻政信、服部卓四郎、牟田口廉也、石井四郎、内藤良一、松井磐根、朝霞宮鳩彦、正力松太郎、頭山満、内山良平、笹川良一、児玉誉志夫ほか六十余名!」
「やつらが『青紙』に応召するまえに、召集原因となった事を起こすまえに、こうして内南洋送りになっていたならば、結局、本人のためにも、日本や世界の歴史のためにも、どんなにか良かったことだろう!」と、またコックが嘆く。
「河本大作は張作霖を爆殺した犯人! 石原莞爾、板垣征四郎は満州事変の首謀者! 松井磐根と朝霞宮鳩彦は南京大虐殺の主犯格! 石井四郎は七三一部隊・細菌戦の親玉だ! 辻政信はノモンハンからガダルカナルまで、作戦指導に当たって害毒を垂れ流した、あのお調子者参謀じゃないか! 牟田口廉也はインパール作戦の司令官、あの鬼畜牟田口だぞ! 牟田口の場合、この便船に乗ることで、インパールの愚は避けられたのだから、幸運な男さ! 頭山以下四名は日本の大衆、結局はアジアの大衆をもミスリードした堕落した右翼だな!」と、見習とはいえ、予知能力もある坂東少年がお浚いする。
真夜中の午前零時、独り甘粕正彦だけがおんぼろ貨客船「天狼丸」後甲板に呼び出された。
「甘粕正彦、おまえはアナーキスト大杉栄、伊藤野枝、甥の宗一(まだ六歳)を惨殺した罪で、これより処刑される」
南洋のけだるい夜気を切り裂くように、葉子の凛とした声が甘粕の耳朶を打った。同時に太いロープが甘粕の首に巻かれた。両足首に巻かれた細いロープが左右に力いっぱい引かれると、甘粕の身体は宙にわずかに浮き、大きく波打った。両腕は背中で固く縛られていたから、酸素を求めて踊り狂う甘粕の身体が天にむけて人の字形に静かになるのに、なお数分を要した。それでも途中、苦痛をあまり長引かせないように、反り返る甘粕の腹のうえに葉子が腰を下ろさねばならなかったほどに、それは長い数分間であった。
索具を外し、ロープを解いて、股間が盛りあがってそこを中心に染みの広がる甘粕の四肢をコックの松井とコック見習の坂東少年の二人で持って、弾みをつけて夜の南の海に投げこむ。甘粕が船上に残したものは、黒い染みと異臭だけだった。あとは南の海の鱶が食べてくれる。
やがて南の星空のもと、後甲板には誰もいなくなった。
石井四郎の場合にはそんな手間もかけなかった。
二日後の深夜、両腕を後ろ手に固く縛ったロープの他端を舳先に繋いで、そのまま海中に投げ込んだ。明け方までに何度かくぐもった叫び声を聞いたという者もあったが、他の乗客たちの眠りを妨げるほどのものではなかった。朝日のなかロープを引き上げてみると、固く縛られた両手首だけが、鱶に喰い千切られた痕も生々しく、蒼白く変色して上がってきた。合掌したその手は、石井が人類に対して犯した罪を詫びているかのようであった。
苦労してロープを解くと、コックの松井が無造作にその両手も南海の鱶にくれてやってしまったことだった。
警視庁内に在っては、大杉栄ほか無政府主義者らを執拗に弾圧し、後日、当時の仲間と語らって読売新聞社をのっとった正力松太郎は、三日後の深夜、手桶一つを載せた朽ちかけたボートにただ独り乗せられた。
曳き綱を解かれた小舟は見る間に小さくなっていったけれども、絶え間なく浸水する舟底から海水を汲みあげては捨てる松太郎の黒い影が、いつまでも南海の波間に認められたことだった。
岸信介の場合には、さらに手を抜いた処刑ぶりだった。
五日後の深夜、後甲板に呼び出すと、艫縁に後ろ向きに立たせて、その背中を葉子がトンと衝いたのだった。
「あっ」と、ひと声を残して手足をばたつかせながら、長顎の岸はそのまま暗い南の海に呑まれて、行方知れずとなった。
天空には、彼女のその行為を肯うかのように、大犬座の首星がひときわ冷たい耀きを増したことだった。
14
戦端を開くにはいたらなかったものの、最初に敵機に銃火を浴びせたのはやはりウェーキ攻略部隊の艦船だった。
「如月」乗組森田三等水兵から一連の談を聴こう――
あれは前日のことだった。
ウェーキ目指して一路東進を続ける艦隊の上空に、雲間から飛来した敵大型哨戒機カタリナが執拗に接近・追尾を繰返した。上空が一時低い雲に覆われ、スコールにさえ見舞われたのを幸い、艦隊は南南東に変針した。しかし一時間も経たたぬまに同じ機がまた上空に現れた。たまりかねた司令が最寄りの「如月」に撃墜を命じた。艦長命令で対空機銃群の指揮を執ったのは竹山少尉。全機銃が哨戒機の鼻先に三斉射浴びせて弾幕を張ると、大型機にしては見事な横滑りを決めて敵機はいち早く遁走した。そして二度と現れなかった。
艦隊は何事もなかったかのように東南東に進路を取り、やがてまた真東の進路に戻った。そして今夜、ウェーキ島まであと三百七十キロの暗夜の海上で、全艦隊は極度の緊張状態にあった。このとき真珠湾への奇襲成功を伝える暗号電文が飛び込んできた。
「夕張」を先頭に、おれたち水雷戦隊は直ちに急進撃を開始し、「日向」も第三戦速で後を追ってきた。深夜の三時、ウェーキ島は目の前に黒ぐろと蟠っていた。水偵二機を艦尾カタパルトから射出した「日向」は主砲の仰角を大きく取ったまま距離二万千メートルで逆時計回りに島を周回し始めた。これより先、真一文字に島に急接近したおれたちは距離七千五百メートルでやはり逆時計回りに島を周回し始めた。島は寝静まっている。まるで無人島みたいだ。不気味に沈黙の時が流れる。
突然、大輪の目映い光の華が島の真上に二つも咲いた。二機の水偵の吊るす吊光弾だった。同時に「日向」の主砲十二門が交互に斉射を開始した。たちまち島は紅蓮の炎に包まれて阿鼻叫喚の巷と化した。宿舎ごと兵が宙を舞い、地面に叩きつけられた。滑走路に巨弾が殺到して列線に待機していた新鋭の戦闘機は悉く吹き飛ばされるか炎上した。距離七千五百メートルまで接近して副砲も射撃を開始した。その頃おれたちの「如月」を含め、「夕張」率いる九隻の駆逐艦はとっくに距離二千八百メートルまで島に肉薄して砲撃をくり返していたが、それまで沈黙を守ってきた敵の沿岸砲台が突如、火を噴いた。
不運にも砲台の直前を通過中の二番艦「疾風」に敵の砲火が集中して大破、堪らず、沖へ避退するかに思えた「疾風」が取り舵いっぱい、敵の更なる銃砲火を一身に惹きつけながら海岸陣地正面に突入していった。直撃弾を二発、三発と喰らった「疾風」は浜に乗り上げること叶わず、海岸線目前の七百メートル手前で舳先から海底に沈んでいった。
しかし、お蔭で三番艦の本艦「如月」以下八隻は辛うじて沖合い五千メートルの洋上に避退することを得た。小破した「夕張」も程なく合流してきた。
このとき「日向」の主砲がようやく敵の沿岸砲台を捉えて三斉射で吹き飛ばした。「日向」はなおも接近して全火力で敵の海岸陣地を一つずつ潰しにかかる。「日向」めがけて敵の魚雷艇七、八隻が突撃してきたが、これらはいずれも味方駆逐艦が探照灯を照射、直接照準で砲撃、撃破した。敵砲台の壊滅した海岸線に水雷戦隊が改めて接近し、銃砲撃を加える。
このあと「如月」は単艦で「疾風」の沈没現場に突出し、浮遊物に縋って洋上を漂っていた「疾風」乗組員五十余名を救出できたのは、実にこの時の事だ。しかし「疾風」の沈没寸前に二艘のカッターに移乗し得た陸戦隊四十数名は弾雨のなか敵前上陸を強行し、全員壮烈な戦死を遂げてしまった。重傷を負った「疾風」艦長、副長以下数名は戦死傷者もろとも艦と運命を共にしたとのことだった。
おれか? このおれは軽傷を負い、今は当直を外されている。
15
東の空が白みはじめた。
薄青い闇を衝いて「瑞鳳」を飛びたった独立零戦隊十六機は、四機編隊を組んで進撃、高度二千三百メートルで、パチンコ形の珊瑚礁ウェーキを大きく一周、四方から島に殺到した。小編隊の一番機、四番機はそれぞれ癖のある猛者ぞろいだが、二番機、三番機は訓練の成績こそ抜群だけれど、実戦の経験はない。
以下は第四飛行小隊一番機痘痕面の石井飛曹が帰艦後にみなに語ったことである――
おれはダイブに入った瞬間、厭な気がした。
右目の端で後ろ上空にピカリと光る点を捕らえた。次の瞬間、考える間もなく機をバンクさせて背面宙返り、急上昇に転じた。さすがに四番機の黒田はすかさずおれを追って急上昇してきた。二番機石川、三番機窪田は一拍も二拍も遅れて上昇してくる。
上空の黒い点が豆粒ほどにもなってぐんぐん近づいてきた。敵だ! 島の上空四千五百メートル以上で、雲の上にでも待ち伏せていたに違いない。五、六機はいる。いきなり激しい巴戦に巻きこまれた。
結局、敵機・敵機・おれ・敵機・黒田機・敵機・敵機・石川機・敵機・窪田機の順で互いに敵の背後を取ろうと大空に円を描いていた。まず黒田機が敵機を屠るなり横滑りして離脱、背後の脅威がひとまず消えたおれが一機、追い縋ってもう一機を撃墜。たちまち三機を撃墜されて動揺する敵機に、落着きを取り戻した石川機が訓練どおりに銃撃を浴びせ、一機を初撃墜、横滑りして逃れるおれに豊富な銃弾を浴びせ続けた最後の敵機を、横合いから黒田機が撃ち落した。何とか助かった。残念なことに、この間、窪田機は初陣で敵に喰われてしまった。高度二千で小編隊を立て直そうとするおれに四番機が摺り寄ってきて黒田が「ニッ」と白い歯を見せた。
それにしても凄まじい対空砲火だった。紅蓮の炎と黒煙がのたうちまわる地表の到るところから敵は撃ち上げてくる。やがて西空に艦攻十一機、艦爆十二機の編隊が現れた。艦戦十機は艦爆連合の左右に貼りついて直掩の構えだ。
艦攻隊はウェーキの小要塞に水平爆撃を集中し、艦爆隊は要塞や飛行場周辺の防空陣地や燃料貯蔵庫、弾薬庫などを急降下爆撃した。爆撃を終了した艦攻、艦爆、全弾を費消した艦戦が次々に帰投してゆく。
さておれたちも戻るとするかと、敵飛行場に最後の一瞥をくれたおれの眼が釘づけになった。見下ろせば穴だらけの硝煙たなびく滑走路をよたよたと敵戦闘機が離陸しようとしているじゃないか! バンクもせずにいきなりダイブした。つねに眼の端でおれを捉えてやまない黒田機がすかさず続いてダイブする。上昇に転じる矢先の敵機におれが残弾を叩きこむ。エンジンから火を噴いた敵機は海中に突っこんだ。離陸頭を黒田機に撃ち竦められた敵機が地面に激突した。やっと機体を立て直して上空に戻れば、あたりにはわが飛行小隊のほかに機影はない。そこで、おれは小編隊を組む間ももどかしく一路帰投したんだ。
夕食後、石井飛曹からせしめたポケット・ウィスキーをちびりちびりと舐めながら、小男の黒田飛曹が、短くその日の話を締めくくった――
その後しばらくして、クエゼリン環礁から飛来した中攻の爆撃編隊がウェーキ島上空に姿を現したけれど、迎撃に飛び立つ敵機はもはや一機もなかった。心ゆくまで要塞と飛行場を爆撃した中攻隊が帰還の途に就く頃には、空に撃ちあがる対空砲火の轟きもなぜか虚しく響き渡るのだった。その虚しい轟きに覆いかぶさるかのように「日向」の艦砲射撃が再開された。
正午を少し回った頃、全水戦が艦隊と船団の上空を周回して哨戒に当たるなか、おれたち独立零戦隊が「瑞鳳」の飛行甲板を再び飛び立ち、ウェーキ島に向かった。今度はみな腹に小型爆弾四個を抱えている。海岸線にさしかかる頃、先頭の小編隊がいきなりパラパラと爆弾を渚に捨てて空戦に突入した。敵機二機が迎撃してきたのだった。艦攻、艦爆、艦戦の順で、第二次攻撃隊主力も飛来する。被弾機多数に及んだが、攻撃終了後、全機無事帰還した。今朝方、人の好い窪田は戦死しちまったけれど、見てのとおり、憎まれ者のこのおれはぴんぴんしている、以上。
敵前上陸の時が迫っている。今、夜半か、それとも明日、未明か。
16
どんな惨劇にも終わりはある。
夕暮れの訪れとともに日本軍機がまたもや来襲する惧れは次第に遠のいていった。
いまアメリカ太平洋艦隊の重巡一、軽巡二、駆逐艦七が主力戦艦部隊の墓場と化したパールハーバーの港外へ静かに出ようとしている。いずれも小、中破の痕も生々しく無疵の艦はない。奇跡的に無疵だった駆逐艦九隻はいまも港内奥深くに身を潜めて、明日未明までに湾外に脱出するチャンスを窺っている。ばらばらの空母部隊の合流地点に馳せ参じてエスコートしてこようというのだ。
それでは手負いのこの重巡部隊はいったい何をしようとしているのか、避退するでもなく空母と合流するでもなく? これより先、午後三時頃、被弾して単機、帰投する零戦を雲間隠れに追尾していた偵察機から貴重な一報が届いた。
「件の艦戦はひたすら真北に飛び続けている」
その先に母艦が潜むと見てまず間違いあるまい。それまでに集まった他の情報もみなそのことを裏づけている。なお確認のために飛ばした哨戒機のうち、真北へ向かった二機だけがいまに至るも音信不通だった。アメリカ海軍に災厄を齎した日本の機動部隊はいまだにパールハーバーの真北数百キロの海域を遊弋しているに違いない。
ならば敵わぬまでも敵機動部隊に夜戦を挑んで一矢を報いてやりたい。ふつふつと滾る闘志を胸に秘めての米重巡部隊の出撃であった。重巡「ニューオーリンズ」の艦橋には試用中の初歩的なレーダーが据えつけてあった。これを試すよい機会かも知れない。
真南に向かって出港した艦隊が湾外十数キロの地点にさしかかったときのことだった。
夕闇の迫る海原で先頭の敵軽巡がやおら面舵を切ってつづいて重巡も面舵を切るのを、真珠湾沖に潜んで監視を続けていた伊号潜二隻は見落とさなかった。この二隻の大型潜水艦はほんらいなら真珠湾奇襲攻撃用の特殊潜航艇をここまで運ぶ任務を担わされていた五艦のうちの二隻であった。それを、
「パナマ運河攻撃の際なら考えぬでもないが」
と、にべもなく山本五十六が拒絶してくれた。根っからの潜水艦乗りである艦長竹内は、不出来な兵器を若者の命で補おうという、そんな発想や内地の風潮そのものに我慢ならなかった。
《碌な戦果も期待できない魚雷に毛の生えた豆潜水艇に、帰投もままならぬ出撃を命ずるなどは作戦の邪道だ。戦好きのどこかの宮様なぞは糞くらえ!》
だから不評な山本のこの決定にはひそかに感謝していた。他の潜水艦がみなアメリカ西海岸沖での困難な通商破壊戦に駆りだされているそのときに、
「真珠湾沖に潜んで、出港してくる太平洋艦隊の残存部隊を撃滅せよ」
と、伊号潜ほんらいの使命に適う命令を僚艦と共に受けたこともありがたかった。
「艦首一番、二番、三番、四番管、発射用意!」
重巡「ニューオーリンズ」の左舷艦腹を潜望鏡の視野いっぱいに捉えた竹内艦長の低い声が響く。
「てえっ!」
四本の酸素魚雷が、海面に水脈を曳くでもなくするすると重巡の横っ腹に吸いこまれてゆく。
「ぐぐわーん」
瞬間、重い衝撃が潜水艦の外殻を襲った。二本が命中。「ニューオーリンズ」は真っ二つに折れて、みるみる沈んでゆく。轟沈だ!
僚艦の伊二二が放射状に放った酸素魚雷は、最初の一発が敵三番艦の軽巡「デトロイト」の鼻先を通過、二発目が横っ腹に命中して、これは瞬時に轟沈。三発目は波間に消えたが、四発目が敵四番艦の駆逐艦の鼻先を捉え、大破。同艦はゆるゆると停止した。残った敵駆逐艦六隻は魚雷の航過した線を逆にたどって転舵。潜水艦めがけて殺到した。
しかし二隻の潜水艦は魚雷発射と同時に左右に分かれて急速潜航。深度八十ないし九十メートルで停止、息を潜めていた。海中深く潜む二隻の潜水艦の千五百メートルも手前から爆雷投下とソナー探査をくり返しつつ近づいてきた駆逐艦群は、それでも索敵範囲を拡げすぎたと思ったのか、互いに収束しつつ爆雷投下を早めに切り上げ、沈没艦乗組員の救難に当っていた一番艦の軽巡のまわりに集まって、乗組員総数に比して数は驚くほど少なかったが波間にまだ浮かぶ生存者の救出に全力を尽くした。
やがて宵闇たちこめる外海での投光器の下での困難な救難活動にも見切りをつけた敵は軽巡を先頭に駆逐艦六隻がつづく水雷戦隊を形づくって、カウアイ海峡めざして進撃していった。
あとにたった一隻残された舳先を大破した駆逐艦が最後の救難活動も切り上げて、六、七ノットの低速で真珠湾口に向けて避退していく。これを傷ついた獲物を追う猟犬にも似て二隻の潜水艦が二方向から、潜望鏡深度のまま、静かに追尾していた。湾口までくると、竹内艦長の艦は停止したが、僚艦のほうはなおも追尾の手を緩めず、敵艦が港口にさしかかったところで近い間合いで通常魚雷を放ち、仕留めてしまった。
港口での撃沈船は敵の入出港を妨げるから、作戦目的に合致する。それでも竹内艦長はおのれが撃沈命令をだす羽目に到らなくてほっとしていた。いずれにしても真珠湾沖に日本潜水艦が待ち受けていることは、すでに敵に知られてしまったのだ。
やがて僚艦が戻ってくると、二隻の潜水艦は湾口の左右にわかれて監視を続けることにした。同士討ちを避けるために互いの艦首をハの字型に向けることにした、それが幸いした。
夜九時ちょうど、大海原は闇に閉ざされていた。
パールハーバーだけが不眠の溶鉱炉を抱えこんだかのように赤黒く、やけに明るい。破壊された重油タンクの重油が流れだし、港内に拡がって、いまだ燻ぶりつづけていた漂流物から引火したのだった。炎は瞬く間に港内西半分の艦船に燃え移ったばかりか、そもそもの源の重油タンクにまで走って爆発炎上し、両隣のタンクの誘爆を誘った。艦船に燃え移った炎はじゅうぶんな消し手のない艦から先に弾薬、砲弾にとりついて、凄まじい誘爆を惹き起こした。まるで一年分の花火が一挙に爆発したみたいな騒ぎだった。
被害はホノルル市外にまで及んで、空襲と砲撃に脅える市民の不安に、日本軍上陸のうわさが拍車をかけるありさまであった。
港内奥深くに潜んでいた無疵の駆逐艦九隻にしても、間近に炎が迫ってみれば到底、明日未明まで脱出のチャンスを待って無為に待機をつづけていられる状況ではなかった。炎に追い立てられるように抜錨し、一列縦隊となって出港した。とりあえずの目的地はジョンストン環礁、途中のどこかで空母部隊と合流できる手筈になっていた。
二隻の伊号潜は先頭の駆逐艦が湾外へ出てくるのを注意深く観察していた。そして殿の九番艦が湾口にさしかかったとき、左右からそれぞれ四本の酸素魚雷を大きく放射状に発射した。櫛歯のように互いに斜めに交差する高速魚雷の射線は、アメリカ艦隊にとって、地獄の罠となった。すべての艦が命中弾に見舞われたわけではなかったが、かわりに一艦で二本の魚雷を引き受けることになった不運そのものの艦も出た。
即ち、一番艦、艦尾すれすれに走り去る雷跡に度胆を抜かれた。二番艦は左舷後方から艦首を、右舷後方から艦尾を雷撃され、瞬時に轟沈した。三番艦は艦体中央に魚雷を喰らい、真っ二つに折れて轟沈。四番艦は右舷方向からの雷撃を艦首の首一つの差でかわしたかに思えた一瞬後に、左舷方向からの魚雷に艦尾を吹き飛ばされて尻から海中に没した。五番艦は奇蹟的にまたも無疵であった。六番艦は舳先を大破、出たばかりの湾内への避退を余儀なくされた。七番艦はこれも艦中央に被雷、あっさりと沈没してしまった。
一番艦と五番艦、それに殿の八、九番艦はいずれも無事であったけれど、パニックに襲われて、すぐには反撃することも、僚艦乗組員の救難に当たることもできなかった。四隻沈没、一隻大破で、五隻が失われたとしても残る四隻で、敵潜水艦二隻をじゅうぶんに制圧しえたのに、彼らは五、六隻の敵潜水艦群に包囲されていると誤解したのだった。
こうして四隻の米駆逐艦は最大戦速で戦場を離脱、南の海へと掻き消えてしまった。こうなると、大破、低速で港内へ向けて避退中の敵艦の処分を、こんどは竹内艦長の艦が引き受けざるを得なかった。竹内は通常魚雷一本で、手早く始末したことだった。
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これより先、黄昏迫るカウアイ海峡では、大戦初の水雷戦隊同士の日米戦が戦われようとしていた。
海峡を北上する米艦隊は軽巡「セントルイス」に率いられた駆逐艦六の単縦陣。明け方から反復された日本海軍機の空襲で手負いのうえに先刻、真珠湾沖で伊号潜の雷撃によって主力の重巡「ニューオーリンズ」・軽巡「デトロイト」・駆逐艦一を一挙に撃ち減らされたばかりの戦力の半減した、勝利の目算の立たぬ、いわば猪武者艦隊である。むしろ反転し、港内に温存した無疵の九隻の駆逐艦と合同して、さらに空母部隊との合流をめざすのが、合理的判断というものであったろう。ヤンキー魂が目前の悲劇に暴発したというしかあるまい。
対する日本艦隊は「阿武隈」を先頭に、左翼に「陽炎」「不知火」「霰」「霞」など駆逐艦六、右翼にも「谷風」「磯風」「浦風」「浜風」など駆逐艦六が、それぞれ単縦陣をなして、キラウエア灯台が早くも海原に投げかける光を右手はるかに望みながら、海峡を一路南下していた。
同じ海峡を日米ともにオアフ島寄りの海域を第三戦速で反航していたわけだけれど、米艦隊と比べれば日本艦隊のほうがカウアイ島寄りであった。つまり、夕陽を背にしていた。
日米双方とも、敵艦の発見はほぼ同時であった。しかし米艦隊はどうしたわけか、夕陽を背にした日本艦隊が自軍と同じ軽巡一、駆逐艦六の編成であると誤認し、互角の戦いが展開できると踏んだ。確かに、最初の局面は七対七の戦いであった。両艦隊とも敵艦隊発見と同時にただちに転針、互いに急接近して、距離七千五百で、擦れ違うかたちで砲撃戦を開始した。
「阿武隈」の主砲弾がまず敵軽巡「セントルイス」を挟叉して、次いで艦橋をぶち抜いた。この時点で早くもいくさの大局は決まったといってよい。米艦隊の主砲弾が「阿武隈」一艦に集中したために、至近弾のあげる無数の水柱に一瞬、隠れた「阿武隈」だったが、水煙の幕を脱けでて見れば小破、小火災を生じただけで、その力戦奮闘ぶりにいささかの衰えもない。したがう駆逐艦六隻は単縦陣を乱さずに、主砲の斉射をくり返す。
これに対して米艦隊は「セントルイス」艦橋に浴びた直撃弾で、即席の司令を兼ねた艦長が戦死、その指揮系統に乱れが生じて、しばらくは各艦が各個に戦わざるをえなかった。こうして両軍はひとしきり砲撃の応酬ののち距離四千で、互いに艦首を正面の敵艦に向け、両艦隊の本領である水雷戦に突入した。
距離三千を切ったところで日本軍は一斉に酸素魚雷を発射、まだこちらの魚雷が目標に到達しないうちに、米軍も逐次、普通魚雷を発射してきた。次の瞬間、日本軍の酸素魚雷が米艦に命中、たちまち「セントルイス」と駆逐艦三が轟沈した。米軍の魚雷は射程距離が短いうえに、そのときは狙いも甘く、せっかく「阿武隈」の艦首に命中した一本でさえ、不発弾というありさまであった。それでも魚雷一発が「不知火」に命中、「不知火」は大破沈没した。残る米艦三と日本艦六は互いに砲と機関砲と機銃まで撃ちあいながら擦れ違ったが、すでにこのときには米艦はいずれの艦も火災を生じていた。
そして擦れ違った先、前方四千五百メートルに米艦が見たものは、左舷を晒した単縦陣のまま、全艦の主砲の砲口をぴたりとこちらに向けた「谷風」「磯風」「浦風」など新手の日本駆逐艦六隻であった。主砲弾の正確な挟叉、ついで直撃弾を複数浴びて、たちまち残る三艦も沈没していった。こうして初の日米水雷戦は、日本艦隊の圧倒的勝利に終わった。
ふたたび単縦陣を組みなおしつつある左翼の駆逐艦「陽炎」の舷側で、一色少尉は呆けたように暗い海原を見つめていた。二十五ミリ機銃の赤く焼けついた銃身の熱気が潮風に乗って、頬を撫であげる。胸から腹にかけて浴びた血潮は黒ずんで、早くもごわごわとした感触を肌に伝えてくる。血まみれの両腕を小刻みの震えが駆けぬける。
米艦と擦れちがう直前のことだった。飛び交う銃砲弾の中、左舷で機銃座の指揮に当たっていた一色少尉は左脇腹に重い衝撃を受けて重心を崩した。咄嗟に抱え込んだそれが何か、彼にはしばらく分からなかった。屈みこんでよく見ると、吉沢少年兵の生首だった。吉沢の持ち場の機銃座には血溜まりの中に彼の下半身だけがある。胸も、腹も、両腕もどこにもなかった。
《吉沢!》声にならぬ泣き声をあげて、一色少尉は生首を抱きしめた。
「ばか、戦闘中だ!」
少尉は張り倒された。鬼の水雷長だった。「ニッ」と笑った次の瞬間、当の水雷長が少尉の胸に倒れこんできた。
「ナ、わかったろ?」
それが鬼の水雷長の最期の言葉だった。水雷長の厚い胸に大きな穴があいて、血が噴きだしていた。その場に水雷長を横たえ、吉沢の生首を水雷長の左腋の下に、しっかと、抱えこませた。敵の銃弾が防盾の鉄を叩く。
一色少尉は吉沢の下半身をわきへずらすと、機銃の銃把をかるく握り、肩の力を抜いて、全身で敵を狙う。ひと呼吸おくと、まさに敵艦が擦れ違うところだった。火焔を背景に、甲板上の敵兵の動きが手に取るように分かる。胸を狙った少尉の機銃弾が、米兵の首をつぎつぎに撃ち飛ばしていった。艦と艦とが完全に擦れ違いおわるまでに、米艦の甲板には、五、六体の首なし死体が転がっていた。
《吉沢よ、おれは阿修羅の形相をしているかい?》
擦りぬけた先に敵艦はなく、果てしない大海原が星空のもとに広がっていた。むろん、吉沢少年兵の答えはなかった。
いつしか一色少尉は、星空の下に広がるウクライナの草原を見晴るかしていた。
あの果てしない地平線のどこから白軍の騎馬隊が湧き出してくるのか? 一台ごとに機関銃を載せたアナーキスト農民軍の馬車隊は各地を転戦、反革命の白軍に対する勝利を積み重ねてきた。
一色ことアリョーシャ少年は想うのだった――
ロシア移民の孤児だったこのおれを拾ってくれたマフノ、いまはおれの背後で馬車の荷台に仁王立ちになって、指揮に声を嗄らしている、このマフノと一緒なら、おれはモスクワへだって攻め入って、赤軍とも戦う。そうして緑軍の、おれたち農民軍の手で、アナーキスト革命を達成するのだ。おれはマフノの恋の虜だ。
「少尉!」
と、誰かがおれの肩を揺すっている。瞼を開くと、黒い眸がまぢかにこちらを見入っている。もう一人の少年兵、池間三等水兵だ。
「おれは眠っていたのか?」
「いえ、一、二分のことでしたが、あんまり少尉がじっとしてらっしゃるので」
「そういえば、きさまも吉沢と親しかったな?」
「はい」と、答える少年兵の黒い眸にみるみる大粒の涙が湧きでる。
「夜が明けたら、水葬にできるかと……」あとが言葉にならない。
「鬼の水雷長と一緒にか?」
「はい」
ふたりとも無言で、暗い水平線に眼を凝らす。
夜明けはまだ遠い。
ここはおれたちの死に場所ではない。
故郷では骨が軋むまで働きとおしても、一向に暮らしの楽にならない父と母。小作はむろん、村の百姓たちはみな、町に住む不在地主と肥料商人に、借金で首根っこを押さえつけられているからだ。国へ還ったなら、おれはやつらを一掃するために、結社第三戦闘団の仲間とともに闘う。そのためにこそおれは死ねるのだ。
まず、不在地主とその手先、それに強欲な肥料商人を殺し、裁判で小作人に不利な判決を下した冷血な裁判官と検察官を殺す。事なかれ主義の県知事と警察署長も殺す。そしてこれが単なる殺人ではなく、不公正な社会を正すための処刑であって、社会正義を求める農民運動の序章に過ぎないことを明らかにする。そのためにこそおれは死ねるのだ。
なんの栄光もなく、農民革命の礎を築くために。
18
「比叡」の艦橋では、そのころ、一部の幕僚のあいだに、むしろ焦燥感さえ生まれていた。「うーん、朝方からの航空部隊の大戦果、伊号潜の奮闘に次ぐ水雷戦隊の勝利と来た。これじゃあ、いったいわれわれ戦艦の主砲に敵艦相手の活躍の場があるんだろうか?」
逆に二、三の者は危惧していた。
「いかに高速戦艦とはいえ、敵海域に、しかも海峡に入るのに、たった二隻ずつの駆逐艦で脇を固めただけでは、まさに無謀ではあるまいか?」
他方、「比叡」艦内では、前代未聞の不祥事が生じていた。戦闘をまえに、下士官二名、古参兵一名が行方不明になったのだった。密かに捜索が開始される。
闇に閉ざされたカウアイ海峡に潜望鏡がひとつ上がった。ミッドウェイ島からの帰途、開戦を知った米潜「パーゴ」である。この海峡に待ち伏せた読みがぴたりと当たった。距離八百で艦首の魚雷四本を放射状に発射するなり、急速潜航、カウアイ島方面へ避退した。駆逐艦のスクリュー音が迫ってきたからである。
四本の魚雷は、二本目が「比叡」の鼻先を掠め、三本目が艦腹に命中した。しかし何事も起こらない。またしても不発弾であった(「比叡」はその主砲を発射するまえに、緒戦においては万事大まかであったアメリカ海軍に救われた形だった。この後も、米軍に不発魚雷の多いことは厳重に秘匿された)。爆雷投下を続ける右舷の駆逐艦二隻を現場に残したまま、戦艦部隊は増速して、なおも南下を続けた。
するとこんどは、オアフ島の島影から、数隻の魚雷艇が、この艦隊を追尾して、殿の「榛名」めざして突進してきた。左舷前方をゆく護衛の駆逐艦はまだ気がつかない。これには「榛名」の副砲が落ち着いて対処した。探照灯を照射して、直接照準の三斉射で三隻を撃破すると、あとの艇は魚雷も放たずに闇のなかへ消えてしまった。
これより先の午後八時、軽巡「阿武隈」を先頭に水雷戦隊はカウアイ島の南岸沿いに西進し、「阿武隈」の水偵が吊るす吊光弾に照らしだされた軍民兼用の飛行場や港湾施設を砲撃、破壊して、コロア、ハナペペ、マナの港町を砲撃で脅かし、ニイハウ島西岸に回りこむと、この島唯一の港町ブウワイの前面に展開して、威嚇程度の砲撃を加えた。
次いで「阿武隈」と、「陽炎」を含む左翼の駆逐艦五隻が警戒するなか、右翼の六隻の駆逐艦が海岸に接近、便乗していた陸戦隊三百名を上陸させ、港を確保するや、こんどは右翼の駆逐艦が警戒を交替し、残り三百七十五名の本隊の上陸を援護した。
個人所有のこの小さな島ニイハウは二百平方キロほどで、人口も二百五十人あまり、被弾した艦載機の避難飛行場に絶好の平坦地があった。
事実、今朝方、被弾した零戦一機が不時着していたが、日系島民に匿われていた搭乗員を無事保護できたし、「陽炎」に回収されたこのパイロットは翌日、母艦「蒼龍」に帰還して、戦線に復帰している。
防御施設と離着陸が可能な簡易滑走路一本の造成が六百人ほどの陸戦隊員の手で早速始まった。残りの陸戦隊員七十人ほどが島の要所要所に散らばって警戒に当たった。島の所有者ロビンソン家の屋敷が臨時の陸戦隊司令部となった。
接収した食糧貯蔵庫を早速、全島民に開放して大盤振る舞いをしたから、ハワイ語は一向に分からぬものの、貧しい島民の間で若い陸戦隊員の人気は沸騰した。夜を徹しての突貫工事の手助けをしてくれる者もいれば、島で採れた果物を笑いながら差し入れてくれる娘たちもいた。
こうしてニイハウ島はハワイ方面で日本海軍に占領された最初の島となった。
19
深夜零時、四機の水偵が吊るす吊光弾に明るく浮び上がったパールハーバーに、沖一万七千メートルを東進する「比叡」「霧島」「金剛」「榛名」から主砲弾が撃ちこまれた。大破、小中破、あるいは沈座して残った米戦艦はもろくもこの一撃で壊滅してしまった。
もちろん仔細に記せば、瀕死の米戦艦から反撃がなかったわけではなく、斉射が不能な艦からも個別の主砲からの反撃があった。一時は二番艦「霧島」に至近弾が集中して、巨大な水柱に「霧島」の艦影がすっぽりと蔽われ、みな肝を冷やしたのだった。死傷者も出た。「霧島」乗組みの兵頭大尉は頭部に軽傷を負った。ほかに不可解な事態まで生じていた。士官一名、下士官二名が戦闘中に行方知れずとなったのだった。
けれども日本の四戦艦が三回、四回と、斉射を重ねると、もはや米戦艦で港内に浮かんでいる艦は一艦もなかった。巻添えとなった他の艦船も多かった。次いで副砲も加わって、他の艦船、防御施設、港湾施設への艦砲射撃を開始した。
たまりかねた沿岸砲台が射程外から反撃の火蓋を切ると一転、四戦艦の全主砲が砲台つぶしに集中した。発砲の際の火焔からその所在を曝した沿岸砲台は、この時点で壊滅したといってよかった。ふたたび港内の艦船への砲撃に集中する。早くも主な艦船は轟沈するか大破、炎上していった。
さらに次の段階、飛行場、港湾施設、弾薬庫、原油貯蔵タンクの一部への艦砲射撃に移ろうとしたその刹那、それまで満を持していた――あるいは別の場所に設けられた目標観測所が空爆で損傷したために、目標に照準を合わせるのに思いのほか手間取った――米軍の海岸重砲が咆哮した。たちまち旗艦「比叡」は正確な着弾に挟叉された。ただちに面舵いっぱい、即時回頭、即避退を急ぎつつ僚艦にも「そうせい」の信号を送った「比叡」であったが、次の一弾が菊の紋章もろとも艦首をこそげ落とし、別の一弾が艦尾付近への至近弾となって、巨大な水柱を噴きあげ一時、舵の自由を奪った。このとき「比叡」は四十数名の戦死傷者を出している。
各個に避退運動に入った「霧島」「金剛」「榛名」の周囲へも至近弾が降りそそぎ、死傷者が続出した。ともかく湾の沖五十キロまで避退し、陣形を整えた。艦首を大破した「比叡」はそれでも航行・戦闘に大きな支障はなかったが、護衛に駆逐艦一をつけて、この夜、陸戦隊が占領したばかりのニイハウ島沖へ回航し、待機させることに決した。負傷した司令と幕僚は「比叡」に留まった。その後の捜索にもかかわらず、下士官二名、古参兵一名の行方は杳として知れなかった。
こうしてニイハウ島の平和な島民たちは、見慣れぬご馳走を異国の陸戦隊員たちとともに堪能した一夜が明けてみれば、被弾した日本の艦載機が一機また一機と避難着陸するばかりか、目のまえの沖に鼻欠けの巨大な戦艦が停泊しているのを見て、びっくり仰天したのだった。さらに沖に、一隻の小型艦が、警戒のためか、遊弋しているのも不気味だった。
「比叡」を見送った戦艦部隊の指揮は「霧島」の艦長三川が執ることに決した。残りの戦力は戦艦三に、駆逐艦三。これでは、
「一航過の砲撃で足らなければ反転、再航過して再度、パールハーバー一帯を砲撃する」
どころではなかった。
迂闊なことに、海軍では米軍の海岸重砲の所在をしかと確認できていなかった。
パールハーバー正面ばかりではなく、オアフ島のどこにあるかもしれなかった。少なくとも戦略上の重要地点には設置してあると考えるべきだろう。そんな海岸重砲に戦艦の主砲が対抗できなければ、上陸はできない。
「金剛」「榛名」級の主砲で対抗できなくても「長門」「陸奥」級の主砲ならば充分に対抗できる。対抗はできるが、犠牲は大きかろう。彼らは知らなかった。
山本五十六は始めから、戦艦部隊はこの一戦で使い捨てにする肚だった。だから翌年一月半ばまで待てば、「大和」がこの戦線に加わって海岸重砲など、その所在さえ特定すれば、重砲の射程外から長大な「大和」の主砲で瞬時に粉砕できると分かっていても、来月半ばまで待つ気は山本にはさらさらなかったのである。
時間は非情に流れる。要はわが身を曝して、敵重砲の所在を確かめておくことだ。「霧島」艦長三川は決断した。
「戦艦部隊は真珠湾沖を避けてナナクリ、ワイアルア、カフク岬へと、オアフ島の南西海岸から北西海岸に沿ってふたたび北上しつつ、要所要所に艦砲射撃を加えて、敵重砲の反撃があるかどうかを確かめてゆく。その間、敵飛行基地は徹底的に叩く。未明までには機動部隊との合同地点、真珠湾の真北五百キロに近づくものとする」
やがて合同予定の水雷戦隊が近づいてきたが、その接近ぶりは暗夜とはいえ実に慎重であった。短い暗号電で互いに了承済みにもかかわらず、発光信号を繰り返すばかりでなかなか近づいてこない。かえって疑念が生じそうになった頃ようやく合同して来た。
水雷戦隊が味方の戦艦部隊との夜間の合同に慎重なのにはわけがある。ここへ来るまでに、回航途中の「比叡」と擦れ違ったけれど、念入りに発光信号をくり返したにもかかわらず、主砲の砲身を向けられた。まったく手負いの戦艦ほど厄介なものはない。疑心暗鬼なうえに気が立っている。向こうは「ただの間違い」というかも知れないが、その間にこちらが轟沈では、たまったものではない。
早くも深夜も三時を回りそうだった。うかうかしていると夜が明けてしまう。
「阿武隈」を旗艦とする水雷戦隊は戦艦部隊との合同もそこそこに、ふたたび左右に袂を分かって、その俊足を活かして、ただし真珠湾だけは避けてオアフ島の南東海岸づたいにモロカイ島とのあいだの狭い海峡、カイウイ海峡を抜けて、こんどはオアフ島の北東海岸づたいにカイルア、カネオヘ、カハナと、砲撃を加えつつ未明までにカフク岬に至るや、面舵いっぱい一路、北上して、オアフ島の真北五百キロの洋上を遊弋中の機動部隊との合同をはかる。
敵飛行場への砲撃を主眼としたが、駆逐艦主砲の射程に捉えるためには海岸に接近せざるをえず、
「そうなると海岸重砲はおろか、ただの沿岸砲台でも駆逐艦にとっては脅威だし、味方の一艦でも損じれば、砲台相手にどんな戦果を上げても引き合わない」
と、「陽炎」艦長のぼやくこと頻りだ。狭い海峡の出入り口に敵潜でも潜んでいれば、えらく厄介だ。いずれ、魚雷艇群との最後の一戦くらいは行く手に控えていそうだった。
20
第一期個人主義時代は能動型の人物の活動に、また一般の人々の能動性の発達に、もっとも都合よき時代であった。そしてその時代の個人主義者中には、能動性のはなはだ強烈な、少数の無政府主義者がはいっていた。彼等は、幾度かの失敗にもめげず、幾度かのつらき教訓にもこりず、ひたすらにその理想の憧憬と成功の信仰とを追うて勇敢なる叛逆的闘争を続けて行った。バクーニンのごとき、またあらゆる点においてその後継者とも言い得べきマラテスタのごとき、実にその好典型である。 大杉栄
一九四一年十二月、日本全土がハワイ沖海空戦の大勝利にまだ沸き返っていたころ、そして十日にはマレー沖海戦の捷報がいち早く号外となって巷に飛び交っていたが、それはまず、歴史的に観ればきわめて隠微なかたちで表面化した。たとえば、それは天皇による恒例の大赦のかたちで現れた。
「全政治犯を即刻釈放。重罪の一般囚もその罪一等を減ずるだと、こいつはよかった!」
朝刊を炬燵のうえに抛りだした晃一が、両手を頭の後ろに組んで、そのまま仰向けにごろんと寝そべって天井を睨んだ。
「だけど、但し政治犯の未だ罪の確定せざる者、未決囚は直ちに釈放せねばならない、ってのはどういうこと?」
と、紙面と睨めっこで、牧子が口を尖らす。
「誰もかも引っ張りすぎたから、この際みんな吐き出すってことか?」
「ばかね、予防拘引された無実の人たちが戻って来るっていう、大事なことじゃない!」
と、台所から、これは民子の珍しく華やいだ声。
戦勝の浮薄な喜びに沸く大衆と、身内や同志が自由の身に戻され死刑を免れて深い喜びに浸る民衆と、二つの流れが社会の深層で混ざりあい始めた。
翌、十一日には、治安維持法を廃止するとの勅令が唐突に発せられ、翌々日の十二日には、言論の自由が表明され、検閲が全面的に禁止となったし、その明くる日の十三日には、特高警察と憲兵隊が解体されて、嬉しさに人びとがなおも半信半疑で戸惑うなか、特高の人員は一般警察に即日配置替え、憲兵隊の兵員は陸軍の補充部隊に即日編成替えされた。
この間、こうした矢継ぎ早の施策に多少なりとも異議を唱えた者には、漏れずに「青紙」が送り届けられて、みな内南洋送りとなった。
それまでにも宮内省、内務省、陸軍省、海軍省の親独派には「青紙」が送りつけられて、内南洋送りの実績は積みあがりつつあったけれど、国内治安維持の強硬派に向けて「青紙」が大量に送りつけられだしたのはこのころからだった。
好戦的な論陣を張る学者、教育者、宗教者、法曹人、財界人はもちろん、報道・出版関係者も例外ではなかった。言論の自由も、こと「青紙」には及ばなかった。
陸軍の皇道派はむろんのこと、統制派からも強硬な反発が起こった。
「『青紙』発送主は天皇裕仁その人とはうすうす知れたけれども、南京大虐殺にも自ら関与したほどに好戦的な昭和天皇が、俄かにこんなにも正反対な一連の方策を採るとは、到底考えられない!」
と、低い天井に向けて晃一が呟く。
「晃ちゃん、そんな施策を天皇に示唆した君側の奸は断乎断つ、とばかり早速、宮内省のある大物を陸軍皇道派の一少佐が切りつけてみれば」と、丸い目をさらに丸くして伸子が言う。「斬られた本人も、切りつけた軍人も吃驚したことに、その日の午後には両人宛に『青紙』が届けられていたんですって!」
「さらに信じ難いことに、このころ皇居内で、昭和天皇毒殺未遂事件が起こった!」
「なるほど歴史的に観れば、歴代天皇の中で毒殺された者は決して稀ではないし、毒殺と、それに対抗するノウハウも天皇家には培われてきたわ」
民子は少しも驚いたふうではない。竜次に贈るマフラーを編む手を片時も休めはしない。
「ともあれその一件以降、宮内大臣を始め侍従以下、宮内省の役人にごっそりと『青紙』が送りつけられて、何れもその日のうちに内南洋送りとなったから、お濠の中は今も戦々兢々としているんだ!」
「さらに奇怪なことには、おんぼろ船に乗船間際にさる侍従が漏らしたことに、天皇裕仁の中には、世間一般の知る裕仁以外に好戦的なヒロヒト、および博愛主義者のヒロトトが棲み、今はそのヒロトトが発現している時期なんですって!」
と、蜜柑の皮を剥くなり、ひと房晃一の口に押し込んで、牧子は自分もひと房口にする。
「む、甘いね、この蜜柑。それにしても、この天皇多重人格説は言うも聞くも恐ろしく、つい漏らした侍従も、聞いた者も、その場で真っ青になったそうじゃないか?」
「そして陸軍統制派からの反撃がついに来た。『青紙』発送主が天皇裕仁その人ならば、これに手をつけることはおさおさできない。けれどもその発行元であると突き止めた宮内省内部の闇の一部局を潰すことはできる」髭を剃りながら、竜次が言う。「そんな魂胆で闇の部局の首魁とその腹心と目される十数人にまず『赤紙』を送りつけてみた。すると呆れたことに全員が郷里の役所に出頭して晴れ晴れと応召してしまった!」
「次いで次の一手におよぶ間も有らばこそ、間髪を措かずに当該の『赤紙』を発行したと思しき陸軍省の部局および広く関連者全員に『青紙』が送りつけられたのよ」編みかけのマフラーを炬燵において、ずらしたカーテンの隙間から民子が外を窺う。「その数、二百通あまり。この二百余名が即日、内南洋送りとなると、ついにさしもの統制派も兜を脱がずにはおられなかったわけね」
「そして『青紙』×『赤紙』合戦は一応『青紙』の勝ちに決着したけれども、それだけではすまなかった」
「天皇直属の時の大本営・海軍軍令部総長永野修身と陸軍参謀総長杉山元、それに統制派の親玉、当の東条英機の三名に、『青紙』がついに送りつけられたんでしょう?」
「勝ち戦の緒戦の大事なこのときに、時の宰相を島流しにするとは何たることかと、例によって東条は烈火のごとくに怒ったけれども、一旦折れると意外に脆い常の性格がこのときも出て、永野、杉山ともども従容として内南洋行おんぼろ貨客船の三等船客となってしまったんだ!」
時に一九四一年十二月十五日。この翌日には「大和」が就役する。
21
開戦二日目の朝が早くも明け染めようとしていた。「飛龍」の冷えこむ艦橋で山口多聞はひとり苛立っていた――敵空母の所在が把めない。昨夕、空襲の余燼未だ冷めやらぬ飛行場に着陸しようとした敵艦載機数機を味方の水偵が確認している。哀れなことにこれらの敵機は敵基地側から日本機と誤認されて盛大な対空砲火の中、何れも撃墜されるか不時着してしまった。足の短い敵艦載機の航続範囲のどこかで敵空母が遊弋しながら戦機を窺っていることは間違いない。
真珠湾攻撃の続行は一航艦「赤城」「加賀」に任され、すでに第一次攻撃隊が飛び立っている。わが二航艦「飛龍」「蒼龍」そして五航艦「翔鶴」「瑞鶴」は敵空母発見に備えて待機中だ。飛行甲板では艦戦・艦爆・艦攻が一斉に暖機運転も終えて翼を揃え、あとは飛び立つばかりだ。
《おれが敵なら、こういうときをこそ狙って攻撃を仕掛けるのだが》
いまは索敵に専念する外はない。重巡搭載の残存水偵全十一機による索敵に加えて控えの四空母から艦攻を三機ずつ十二機、艦爆も三機ずつ十二機、索敵に当たらせている。
《必ずや敵空母を発見するだろうが、それがいつになるかが問題だ》
機動部隊は開戦二日目の未明には、またもオアフ島真北二百五十キロの海域に進出してきていた。
真珠湾攻撃続行の任は、一にこの一航艦、南雲忠一に託された――但し「敵空母発見の際には形振り構わず直ちに空母を攻撃せよ」との厳命を山本五十六から受けていた。暗号指令解読文中にこの異例の表現「形振り構わず」を見出して南雲は「は、はあーん」と山本の真意を諒解した。普通なら「全力を尽くして」とあるべきところだ。
《瑣末に拘泥するな》との山本の肉声を首筋に浴びた思いがした。つまり、
「艦攻が陸用爆弾登載中であろうとそのまま、艦爆に艦戦の護衛がなかろうとそのまま、直ちに敵空母に向かわせろ」
というのだ。
護衛なしの艦攻・艦爆の多くは撃墜されてしまうだろうし、たとえ飛行甲板を直撃しても陸用爆弾では空母は沈まない。
「それでも敵空母の戦闘能力を最初の一撃で奪うことが肝要だ」
と、山本は主張している、のではない、厳命しているのだ。
気のすすまぬ思いは残るが仕方がない、命令は命令だ。山口多聞ならば「南雲の完璧主義」と笑うだろうが、おれは部下が可愛いだけなのだ。無駄死にだけはさせたくない。それも山本五十六には先刻、見透かされていたわけだ。
それでも南雲忠一の心の片隅にはそんな羽目にならぬことを祈る思いが残った。真珠湾攻撃第一日目の大戦果は大戦果として、未帰還機・損傷機にも思いを致さねばなるまい。それだけの死者・負傷者が出たのだから。
「開戦二日目の損耗がこれを上回らねばよいが」
と、懸念される。
「赤城」「加賀」の飛行甲板をまだ暗いうちに、いち早く飛び立った零戦二十機は、とうに一航艦の上空直掩の機位に就いている。次いで飛び立った四十機はオアフ島上空の制空隊。残りの二十機はみな小型爆弾を抱えた対地攻撃零戦だ。
当初は反対したのだが、甲板積載方式を併用し、彼らを載せただけで、これだけ戦力に余力が生じた。独立零戦隊は寄せ集めの搭乗員の資質にやや問題ありとはするものの、昨日来の戦果を見れば、空戦の技量だけは抜群なのに間違いはない。南雲の口許が思わず綻ぶ――彼もそうした荒くれを嫌いではなかった。
いまは暖機充分の艦戦三十機、その前には艦爆・艦攻それぞれ十五機が陸用爆弾を抱えて整然と並び、轟音の中、翼端を震わせている。若者たちの武者震いを見るにも似て艦橋からのこの光景が南雲は一番好きだった――これが本来の第一次攻撃隊の姿だ。
間なしに飛行甲板に降りたち、飛び立つ列機を見送りながら壇上から軍帽を打ち振ることになる。ふたたび艦に戻らぬ機のあることを想えば、これも欠かすことのできない儀式だった。
控えの四空母「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」の独立零戦隊は機動部隊の上空、高度千二百、二千五百、三千七百メートルにそれぞれ二十機ずつ、計六十機が直掩に当たっていた。
さらに五千ないし六千メートルの高空をも十数機が緩やかに周回していた。残りの三十六機が制空隊、あとの三十四機が対地攻撃機として、オアフ島攻撃の応援を命じられたけれど、各飛行隊長からは、
「敵空母発見の報に接したなら、直ちに敵空母に向かえ、残弾・燃料の乏しい機は帰艦して弾薬・燃料を急速補給ののち母艦の直掩に当たれ」
と、命じられていた。
緊迫する戦況のなか、「赤城」の下士官一名が艦内で行方不明となった。他の空母でも、将校一名を含む下士官数名が行方知れずになっている。この降って湧いた不祥事に、何れの艦内でも、密かに捜索が開始された。
22
アメリカの大型空母「レキシントン」と「エンタープライズ」の二隻はそのころ、オアフ島南西三百五十キロの洋上にあった――それぞれミッドウェイ島とウェーキ島に新型戦闘機三十機を輸送しおえてハワイへの帰途、母港への奇襲攻撃を知った。
急遽、ジョンストン環礁の北東七百五十キロ地点で合同し、それからオアフ島めざして急行してきたのである。随伴艦は双方合わせても軽巡二、駆逐艦七と、いたって身軽であった。
「レキシントン」の薄暗い作戦室でつい先ほどまでスタンドの眩い光の下、海図と睨めっこをしていた獅子鼻のハルゼー司令と腹の突き出たヒューイ艦長がパイプに火を点けて紫煙を吐き出す。
「それにパールハーバーを脱出してきた駆逐艦四隻が、あと数時間ほどで加わります。サンディエゴにいた空母『サラトガ』、重巡一、軽巡二、駆逐艦七を呼びだしましたが、とてもこの一戦には、間に合いそうにありません。単独航行中だった重巡『ミネアポリス』は明日にもわれわれと合同することでしょう」
「母港が大変な目にあっているからと昨晩、航続距離ぎりぎりのところから無理して送り込んだ加勢の爆撃機、戦闘機はなんと味方の対空砲火で散々な目にあう始末だ。空襲の延べ機数からすると、日本軍はこのハワイ攻撃に制式空母のすべて、全六隻、それに軽空母四、五隻以上を投入しているらしい」
苦慮のあまり、ハルゼーの声はしわがれていた。
「正面からぶつかったら、とうてい勝てる相手にも思えません」
と、ヒューイ艦長。
「いや、よく考えてみると、こちらにも分がないわけではないぞ。まず、敵は太平洋の西の果てからやってきた、遠来の来寇軍だ。対するわれわれにとって、このハワイ海域はホームグラウンドみたいなものだ。地の利がある。
同じ空母同士でも一艦あたりの積載機数はこちらのほうが多い。艦内積載オンリーの敵空母三とわが空母二で、戦力は互角だ。
オアフ島は各基地が健在であれば優に空母四、五隻以上の戦力を発揮できたのだが、敵の奇襲とその後の強襲で、壊滅状態にある。それでもまだ空母一隻半くらいの、あるいはせめて中破した空母くらいの戦力はあると見てよかろう。しかもわが艦載機はオアフの基地を避難飛行場として活用できる。オアフだけではない。少し離れているが、ハワイ島にも基地はある。これなどは空母二隻分の戦力にも匹敵しよう」
「そうですね、そのうえ現在サンディエゴから急行しつつある空母『サラトガ』は、わが控えの空母となるでしょう。これらの戦力を糾合すれば、わがほうは空母六隻半には匹敵しましょう。
たとえ敵空母三隻とこちらの空母二隻が空海戦で刺し違えたとしても、残存したわがほうの艦載機はオアフの基地に収容され、母艦を撃沈された敵の艦載機は、健在な他艦に収容された幸運な少数を除いて、海に落ちるほかはないわけです」
「これでこの一戦には勝ったようなものだ。オアフ島を母艦としたわが艦載機と控えの空母が共同して、敵残存空母に当たる。そのときも同じことが起こる。
母艦を沈められたら、わがほうの艦載機はどこであれオアフ島の基地に着陸すればよいだけのことだが、母艦を沈められた敵艦載機はそのときこそ、みな海中に没さざるを得ないのだ!」ハルゼーの頬に赤みが差してきた。「われわれはパールハーバーの真南二百ないし三百キロの洋上を遊弋し、オアフ島を盾のようにして、まず敵に軽くジャブを当てる作戦に出るべきだ」
夜明けとともに急降下爆撃隊二飛行小隊ずつを、それぞれの母艦から出撃させた。
「これら全十六機の爆撃機の主たる任務は、何よりもまず敵機動部隊の発見だから、高度五千メートル以上を維持しつつナナクリの沖百キロ地点で北西から北東まで九十度にわたる互いに六度ずつ開いた十六本の索敵線に沿って散開し、二百キロ先まで海上を索敵する。
敵機動部隊を発見したら、まずその位置を報告、次いで敵空母の飛行甲板に爆弾一発を昨日の奇襲への挨拶代わりにお見舞いして、あとは一目散に逃げ帰る。すでに燃料切れも間近だから、オアフ島の最寄りの基地に着陸するものとする」
索敵奇襲のヒットエンドラン作戦だった。すでに午前八時半、索敵爆撃機からはまだなんの報告もない。
「昨夜来の敵戦艦による艦砲射撃で壊滅的な打撃を受けた」
「そのうえ、いままた敵機の空襲が前日に変わらぬ激しさで再開された」
パールハーバーの海軍基地からは、悲鳴にも似た途切れ途切れの通信ばかりだ。それでも昨夜は土壇場で、
「海岸重砲が敵戦艦一を直撃大破し、至近弾でその他の数艦を中、小破して、撃退! ようやく一矢を報いた!」
という。
《これで敵の上陸はひとまず遠のいた。その大破したという敵戦艦はまだ沈没していないのならどこに? 他の損傷艦は? 鈍足の敵上陸部隊はどこにいる?》食指が動く。《が、いけない。敵空母を、刺し違えてでも半減させることこそ、おれたちの使命だ。それにしても遅い! 報告はまだか!》
八本目の索敵線上を飛ぶジョウジ機から敵機動部隊発見の第一報が入った。
《ジャップめ、やはり真北に潜んでいやがったのか。それもナナクリの先二百二十キロとは!》
「敵空母は二、あっ、四、いや六」途端に通信が途絶えた。
《どうやら撃墜されたらしい。初弾を敵に見舞う暇もなかったのか。急いで間合いを詰めなくては……》
次いで九番機のファカスブッシュから、
「敵空母の尻に、爆弾を一発お見舞いした」
「そいつは、痛いところを狙ったものだ。よくやった!」
だが、こちらの激励の声が届くまえに通信は途絶えた。
《もはや、戦場を遠く離れた洋上を、のうのうと遊弋している場合じゃない》
全艦隊は全速で北上を開始した。すると途端に一番機ブルーノーツから、
「帰投の途中、ニイハウ島の島影に潜む敵戦艦を発見。そいつは鼻欠けのデカイやつだったが、艦橋近くに一発お見舞いしてやった」
「でかした」
《だが、主敵は、そちらじゃない》
「警報! 左舷百二十度。敵機!」
「撃ち落せ!」対空砲が鳴り響く。
《直掩機は何をしていたのだ? どうやら偵察機らしい。敵水偵が雲間隠れにこちらを追尾していたらしい》
「敵機の暗号無線を傍受、わが艦隊位置を報告した模様」
《遅い!》
「敵機撃墜! 他に、敵機なし」
《遅い!》
「これで敵味方双方とも相手の位置を確認してしまったわけだ、ヒューイ艦長。もはや第二次の集中索敵を命じている余裕も、その必要もない!」
ナナクリ真南七十キロ地点でハルゼーは、急降下爆撃機ドーントレス六十四機、雷撃機デヴァステーター二十四機、直衛戦闘機ワイルドキャット四十機の出撃を命じた。全機発艦後に艦隊直掩のワイルドキャットをもう四十機、上空に上げた。
「これでこちらの空母は空っぽだ。空っぽの空母など敵に喰われたところで、痛くも痒くもない!」
「そうですとも敵襲来機をできるだけ惹きつけて、全機撃ち落してやることこそが肝要です。ですが万一、損傷を受けた味方空母が大破ならラハイナ泊地のどこかに潜み、小中破ならやや遠いがハワイ島まで退いて再起を図ることも考えられます」
「ならば予備機だけは温存しておくか?」
艦隊はいま、一旦避退して南下した後、真東に転針して、ちょうどパールハーバーの沖百キロを全速で通過中であった。
《いや、やはりとうてい予備機を残しておけるような状況ではない――暗い予感が米艦隊司令ハルゼーの胸底を衝きあげる――これから遭遇する戦闘はそんな生易しいものであろうはずがない!》
ためらいをようやく振り捨てて、ハルゼーは文字通りの全力出撃を命じた。残機のすべて、直衛ワイルドキャット二十機、ドーントレス二十八機、デヴァステーター十二機。最後の雷撃機が艦を離れるのを見送った米艦隊司令は肩を落として、避退、南下を命じた。
23
「赤城」「加賀」の飛行甲板をまだ暗いうちに飛びたった四十機の独立零戦隊は、高度四千五百メートルを保って飛行を続けていた。
まもなく眼下にオアフ島の海岸線が黒ぐろと見えてくる頃だった。空の青みがいちだんと増してきた。
前日の激闘の疲れがまだ肩と首筋に残り、頭の芯も重い。母艦「加賀」上空の周回をおえて一連、二連、試射したときにさえ指先の感覚がいつもと違った。
しかし〈眼〉だけは冴え冴えと前方、高度六千メートルの空域と高度三千メートルの空域を中心に、どこに焦点を絞るでもなく、間断なく見張っている。まるで〈眼〉だけが意思を持って、おのれを主張しているかのようだ。
その空の一画が崩れて赤い火線がぐんぐん迫ってくるとき、おのれが危ういことを〈眼〉だけが承知しているみたいなのだ。
以下の叙述はその〈眼〉が語ったものだ。〈眼〉が一人称「おれ」で語るのはいささか不具合が過ぎるというものだが――
墨色の海に太陽の最初の光線がさっと走るのをおれは見た。見る間にそこから両側へと色彩の海が広がってゆき、東の果てから眩く白く光るもの、直視してはならぬものがおのれに降りそそがれるのをおれは感じた。おれはその直視してはならぬものを真っ向から直視する誘惑をたち切るかのように前方、右手下方を見た。すると高度三千五百メートルあたりの空域にぽつん、ぽつんと黒い点が湧き出した。見る間に数と大きさを増すその点を「ひい、ふう、みい、十二、ひい、ふう、みい、二十四、ひい、ふう、みい、三十六」とまで数えたとき、次の「ひい、ふう、みい、十二」機が仲間から割れて降下しだした。その降下して行く先の海上を見やると、太いウェーキを曳く蚕豆大の戦艦三、少し離れてその前と左右に細いウェーキを曳く小豆大の駆逐艦三が白波を蹴たてて北上していた。
こちらも「加賀」独立零戦隊の八機が仲間から割れて降下してゆく。おれも当然、列機三を率いて降下してゆく。明け方、オアフ島方面から飛来する編隊は敵編隊だ。その敵編隊が襲撃の構えを見せつつある海上のあの艦隊は味方艦隊に違いない。敵編隊がドーントレスならダイブする寸前までに射程内に捉えないと間に合わない。距離三千メートルでおれたちは猛烈にダイブした。三千メートルの距離を縮めるのに千メートル降下するというのは感覚的には垂直降下とほとんど変らない。本当の垂直降下というのは背面降下してやるものだからだ。
眼下の敵機のうち小粒な四機が弾けるようにバンクして左右に飛びだした。あれは戦闘機ワイルドキャットだ、構っている暇はない。次いで四機がこちらから見ればまるで緩降下するように降下してゆく。あれは雷撃機デヴァステーターだ、後回しだ。おれたち十二機はひと塊となってダイブ寸前の敵ドーントレス、四機編隊のど真ん中を、いや、おれたち十二機の十四ミリ機銃の火線四十八本が収束してひと束となってぶち当たり、四つの大きな火焔となったもののど真ん中を一瞬のうちに突き抜け、もう千メートルも降下しながら四方に割れて、ようやく反転上昇することを得た。
そんなおれたちの周囲に「ポン、ポン」と白い雲の華が咲く。味方艦隊の対空砲火だ。懲りずにおれたち四機は降下中の敵デヴァステーター四機を追う。そんなおれたちを尻目にあとの八機は上空に取り残された観のある敵戦四に背面上昇で迫る。そんな味方機の周りにまだ「ポン、ポン」と白い雲の華が咲く。おれたち四機は敵デヴァステーター四機を包み込む対空砲火の弾幕も構わずにそれぞれが、魚雷を抱えた敵一機の白い下腹を狙って上昇擦れ違いざまに、機首と翼から四本の紅い火線を注ぎこむ。
「魚雷に命中、爆発して、共倒れになることは考えなかったのか?」だって? そりゃあ、考えはしたが、すでに撃ち出した後のことで、次の瞬間、敵機と擦れ違ったときには本当に怖かった。おれたちが高度三千五百メートルの上空に舞い戻ったときには早や敵戦四機は影も形もなかった。落下傘が二つ三つ低空を寂しげに漂っていた。
おれたち十二機は何事もなかったかのように編隊を組み直すと、四千五百メートルの高度を維持すべく上昇を続ける。前方数千メートルの空域で、味方零戦本隊三十六機と敵爆撃本隊三十六機とのさしもの激しい空戦もようやく最終段階に入ったらしい――残った敵戦一、二機と味方三、四機が巴戦を演じている。眼下には二十数個の落下傘の白い華が咲いて、緑の大海原の上を潮風に乗って吹き流されてゆく。そこだけが平和なその眺めに、郷愁にも似た限りない羨望を覚えているおのれにふと気がついておれは慄然とした。
やがておれたち十二機は弾痕痕も生々しい機体の多い本隊と合流し、何事もなかったかのようにオアフ島の海岸線を越えた。あれがオアフ全島の各基地から掻き集めた敵の残存空戦力のすべてだったのだろう。戦・爆・雷と数こそ揃えてはいたけれど、搭乗員の技量のばらつきはいかんともしがたく、みすみすおれたちに喰われてしまった。もっともおれたちに後続する対地攻撃零戦隊四十八機とあのまま同高度で出くわしたならば、彼らにもいくらか分はあったことだろう。
おれたちは本来の任務のオアフ島上空の制圧に専念し、高度六千メートルで待ち構えていたかなり凄腕の敵戦二機相手に肝を冷やし、後手に回って今ごろ離陸上昇してくる敵四、五機はあっさりと撃ち落とすと、後はすることもなかった。やや遅れて現着したわが方の攻撃機が高度三千メートルから、撃ちあがる対空砲火の火線に乗るかのように、ダイブするのを見届けて、おれたちは地表近くに舞い降りた。
対空陣地へ小型爆弾を投下後、下腹を見せて反転急上昇するわが攻撃機を狙う付近の敵の銃座におれたちは正確な機銃掃射を加えた。こうして全弾を撃ち尽くすとおれたちは脇目も振らずに母艦めざして帰投した。制空・対地攻撃の任務は控えの四空母「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」から飛来した応援の独立零戦隊の連中に滞りなく引き継がれていた。
途中の洋上で戦・爆・攻連合のオアフ島第一次攻撃隊と擦れ違った。艦攻隊には水平爆撃で敵の海岸重砲を潰すという新たな任務がつけ加わったそうだ。母艦上空に辿り着くと、第二次攻撃隊の発艦がようやく終了するところだった。
着艦の順番待ちで「加賀」のまわりを四、五周もしたろうか。やっと着艦、機が停止したところで古靴から足を抜くにも似て、疲労と安堵感に包まれて愛機から飛行甲板に降り立った。朦朧とした意識のまま上長に報告、艦橋下の鉄扉を潜り、ラッタルを滑り降り、迷路みたいな回廊を渡り、またラッタルを滑り降りてやっとおれたち独立飛行隊の塒にたどり着く。
身体は死んだみたいに眠っているのに、瞼の裏が赤々と燃えあがって〈眼〉である「おれ」だけはあと僅か二、三時間の貴重な眠りを貪ることができない。おれの同僚であるいくつもの〈眼〉たちが塒に犇き、艦内に満ち満ちて、艦外に溢れ出し、艦隊を覆い、太平洋を埋め尽くし、大気圏を溢れ出て白熱し、地球もろとも凝縮してどんどん白熱して何千万度もの高温を発し、どんどん凝縮してビー玉ほどの大きさの核となり、そのくせ重量だけは地球を遥かに越えて何時しかわれわれの太陽の数億倍の重量を有するに至り、ついに大爆発した。
「おれ」である〈眼〉は無限の宇宙の果てに高速で拡がりゆく無数の塵の一つとなり、ついに安住の地を見出したかのように広大無辺な銀河宇宙の意識と一体となって、
「もう殺さなくてもいい、もう殺されなくてもいいのだよ」
と、おのれの魂の根に優しく囁きかけてくるのであった。
24
そのころ内南洋へ向かうおんぼろ貨客船「天狼丸」の後甲板に、四肢をロープでぴんと引っ張られて、仰向けの大の字に浅く宙吊りになった男がいた。中天に懸かった赤い月が皓々と男の禿げあがった額を照らしだしていた。
「東条英機、おまえを易々と処刑したりはすまい。おまえは三日三晩をここでこうして過ごし、あとは歴史の証人となるがよい!」
凛とした葉子の声が南洋のけだるい夜気を切り裂いた。見れば葉子は一糸纏わぬ全裸ながら、薄刃のナイフを口に銜えていた。英機と葉子のほか、後甲板に人影はなかった。英機の丸眼鏡を弾き飛ばした薄刃の刃先が腕時計、ベルトを裂いて落とし、上着、ズボンを切り落とした。
月光に浮かびあがった下着姿の哀れな男に、葉子は無言のままなおも仮借なくナイフを振るう。ものの五分と経たたぬまに東条英機は一糸纏わぬ生まれたままの姿となった。薄刃の刃先が男のものの先端に軽く触れると、不本意なことにそのものはみるまに怒張した。屹立するそのものを、南の海の夜風が嬲るみたいに吹き過ぎてゆく。
すでに、葉子の姿はない。
「これは葉子隊長からの贈り物だ!」
可憐な小さい白い花をつけた一茎の野薔薇を、いつのまに近寄ったのか、コックの松井が東条の眼前に突きつける。くるくるっと手早く、その茨を東条のそのものにきつく捲きつける。硬い棘の数は東条の歳の数ほどもあったであろうか。皮膚に深く食い入った棘の根もとに、たちまちいくつも血の玉が浮かびでる。さらに屹立の度を増したそのものの浅黒く浮きあがった血管づたいに血は流れ、縮みあがった袋の先から雫となって落ち、甲板を黒ぐろと濡らした。それは菊座からも流れ落ちる血と合わさって、甲板に小さな血溜まりを作っていった。おのれの仕事に入念なコックの松井が野薔薇の茎の先端を東条の菊座に深ぶかと刺しこんでいったのだった。さらに、
「これはアジアの民衆からの贈り物」と、一重、
「これは日本の民衆からの贈り物」と、二重、
「これはおれからの贈り物」と、三重に、
赤い小さな実をつけた野茨を、ふたたび現れたコックが東条の縮みあがった袋と、通常の三倍大ほどにも異常勃起したそのものの根もとにきつく捲きつけた。念の入ったことに、その野茨の尖った茎の切り口も、すでに血まみれの菊座深く突き入れてしまった。
《腐刑にも似たこのざまで三日三晩を生き抜いたあと、果たして東条は何を書くのだろうか? 司馬遷ならぬ東条のこと、『史記』ほどのものは遺せまいが……》
東条の衣裳合切を一まとめに丸めて月明かりの波間に投げ捨てた松井コックは、いかにもさばさばとした表情で船内の調理室に消えた。十七個目の目玉焼きでも作っておくつもりなのだろう。
そのころ月明かりの洩れこむ狭い浴槽に凭れて葉子はタバコを燻らせていた。「如月」に乗って行ってしまった竹山少尉とのことはすでに遠い思い出となっていた。いま闘いの実質を担っているのは、間違いなく葉子たちであった。
それにしても、密偵を「天狼丸」の乗客に紛れこませて結社の実態を探らせようとした奈々の兄、七郎はやはり放ってはおけなかった。密偵は三日と措かずに南海の鱶の餌となったけれど、われわれの先を越して陸軍大尉佐々木七郎を殺したのは、やはり〈柳〉だったのだろうか?
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「敵空母二、発見! ナナクリ、南南東百キロを北上中。空母二、軽巡二、駆逐艦七」
待望の第一報を齎したのは「利根」を発した水偵三号機であった。惜しくも暗号無電の打電中に敵戦闘機に撃墜されたものと思われる。山本五十六は直ちに全機の出撃を命じ、続報を待った。控えの四空母、いまや敵空母殲滅の主役となった四空母、二航艦「飛龍」「蒼龍」、五航艦「翔鶴」「瑞鶴」の飛行甲板からは直ちに続々と、艦戦・艦爆・艦攻が飛びたち、母艦上空を周回ののち大編隊を整えて悠然と南の空へ消えてゆく。満を持した精鋭の艦戦六十機・艦爆三十機・艦攻水平爆撃隊十五機・艦攻雷撃隊十五機――これが米空母に対して山本の放った第一次攻撃隊百二十機であった。時に十二月九日午前八時五十分。
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これより先、オアフ島攻撃続行を担当し、機動部隊前面左翼に布陣する一航艦旗艦「赤城」の艦上では、ちょっとした変事への対応に追われていた。
「加賀」の上空、高度四千五百メートルの雲間から顔を覗かせた敵偵察爆撃機が「機動部隊発見!」を報じ、次の瞬間には「加賀」直衛機に撃ち落とされるのを望見していた「赤城」艦橋へ、艦尾から鈍い衝撃が襲った。別の一機がこちらは無線報告の間も惜しんでいきなり高空からダイブ、「赤城」の尻を狙ったのだった。
そのたった一発の至近弾は幸い、舵付近をわずかに外れていたので、一時変調を来たした舵もまもなく復調した。しかし巨大な水柱が立ち昇り、重軽傷者十数名を出し、艦載機三機が損傷を受けた。「赤城」直掩機は翼を翻して逃れようとする敵爆撃機にどこまでも追いすがり、ついに撃ち落としている。
米二空母発見の一報に接した南雲忠一は、折からオアフ島の海岸線を越えつつあった第二次攻撃隊に対して、
「オアフ攻撃を即刻中止、ただちに米空母攻撃に向かえ!」
と指令した。こうして一航艦の「赤城」「加賀」攻撃隊、艦戦三十機の直衛する艦爆十五・艦攻水平爆撃隊十五の三十機が、他に先んじて、陸用爆弾をもって、米二空母を襲う最初の日本機となった。
次いで南雲は帰還したばかりの独立零戦隊二十機(七機喪失、九機損傷)への弾薬・燃料の急速補給を命じ、
「発進可能機から直ちに発艦、機動部隊上空を直衛せよ!」
と、命じた。
米艦載機の来襲が迫っていると感じたこと、事前の山本の強い示唆、そして何よりもつい今しがた米側の急降下爆撃により「赤城」の艦尾に至近弾を浴びたこと、これらが相俟って日頃やや鈍重、完璧主義の南雲にその後も臨機応変、機敏かつ適切な指揮を執らせることになった。常日頃の南雲のままであったなら、一大惨事を招きかねないところだ。まさに間一髪で、凡将南雲が幸運の女神の後ろ髪を掴んだのだった。
急速補給をおえた独立零戦隊四十機は逐次発艦、母艦の上空六千メートルに集合し、この高空に十二機が留まり、あとは高度四千五百メートルに二十機、三千メートルに八機が機位をとった。やがて第一次オアフ島攻撃隊が三々五々帰艦してくると南雲は艦爆・艦攻への給油、給弾は一切行わず、直ちに艦内へ格納させるに止めた。弾薬庫の大扉も閉めさせた。魚雷・爆弾の再装填そして発艦は敵襲前には間に合わないと見たのだ。
艦戦だけは飛行甲板に留めおき、給弾・給油・応急修理が済み次第、発艦させて母艦の直掩に当たらせた。
切迫した戦機を読みとった二航艦の山口多聞は、「飛龍」「蒼龍」の第二次攻撃隊は艦戦三十機、艦爆三十機のみとし、直ちに発艦させると残り三十機の艦戦すべてを上空の直掩に充てた。
山本は五航艦「翔鶴」「瑞鶴」の第二次攻撃隊も二航艦と同様の編成とし、残りの艦戦に対しても、同様の命令を発した。
やがてオアフ島攻撃の応援隊として出していた独立零戦隊六十六機(四機喪失、十七機損傷)が三々五々帰還すると、給弾・給油・応急修理のうえ、機動部隊の正面から南へ五十キロ、高度四千五百メートルあたりの空域を制圧しておくように命じた。
山本はさらにそのうちの「瑞鶴」隊十六機を二手に分ってそれぞれに、機動部隊と合同すべく北上中の戦艦部隊と水雷戦隊の上空直掩を命じ、急行させた。
索敵に出していた艦攻・艦爆各一から、相次いで敵空母の最新位置を知らせる報告があった。
「敵空母二は、真珠湾南東百二十キロの海上を全速で南下中」
山本は直ちに全攻撃機をそちらへ向かわせた。
オアフ島の北二百五十キロの海域を遊弋する機動部隊の上空には、こうして高度六千メートルから八百メートルに至るまで、総数実に百三十四機の零戦が警戒態勢を敷き、さらに機動部隊の正面から南へ五十キロ、高度四千五百メートルの空域にも五十機の零戦が警戒線を敷いていた。
そして戦艦部隊と水雷戦隊の上空直掩を命じられた零戦、それぞれ八機が現場に急行しつつあった。六隻のわが空母の飛行甲板上には正しく一機の機影も見当たらなかった。
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いまは早やオアフ島カフク岬を下に見て、なおも北上をつづける米空母艦載機百二十八機はついさきほど美しい母港パールハーバー一帯の惨状をはじめて目のあたりにして、こみあげる怒りに翼も震えだすばかりだった。岬を過ぎて北へ七十数キロも飛んだころ、眼下の洋上に真っ白く太い航跡三本、細い航跡三本がまっすぐ北へと伸びているのを見出した。それらの航跡をたどった三百以上の眼が戦艦三・駆逐艦三を発見するのに、ものの数秒とかからなかった。
《目標は、あくまで敵空母。だが、こんな獲物を見逃すのは、あまりにも惜しい》
編隊末尾についていたデヴァステーター八機がバンクして分かれて、洋上の敵戦艦を狙いだしたときにも、誰も責める気にはなれなかった。
《愛する母港パールハーバーを艦砲射撃した敵戦艦には、なんとしても返礼せずばなるまい!》
ワイルドキャット四十機、ドーントレス六十四機、それにいまは十六機に減じたデヴァステーターで、あとは編隊を崩さずに高度三千七百メートルで、さらに北へ向けて飛びつづけた。
しばらくするとこんどは右手洋上に、北上する別の艦隊が望見できた。仔細に見ると、軽巡らしき一艦を先頭に駆逐艦十一が逆V字型をなして軽快、綺麗な進撃ぶりであったけれども、これが味方艦隊であるはずもなく、敵だとしても大敵をまえに水雷戦隊ごときにかかずらわる暇はなく、やはり編隊をいささかも乱さずに北進をつづけた。
さて、先ほど本隊と分かれて戦艦部隊上空三千メートルに達した米デヴァステーター八機は盛んに撃ちあげてくる対空砲弾を尻目に、ぱっと左右四機ずつに分かれて雷撃態勢をとった。眼下の敵艦隊は駆逐艦一を先頭に戦艦三が縦隊をなし、両わきに駆逐艦一が随伴していた。「霧島」「金剛」「榛名」の戦艦部隊である。
米デヴァステーターが日本戦艦の上空で左右に分かれたころ、真北の空にぽつんと黒い一点が染みだして見る見る大きくなり、やがて八つの黒点が見分けられるようになり、紺碧の空をバックにぐんぐん大きくなって戦闘機が八機だと知れた。
そのときにはデヴァステーターは緩やかに旋回して向き直り、戦艦の縦隊を縦軸とすれば左右対称に距離八千五百メートル、高度二千八百メートルで雷撃姿勢をとり、急速な降下に移ろうとしていた。
このとき零戦八機は「霧島」の手前五千メートル、高度はまだ四千メートルもあった。
《間に合うのか?》忽ちバンクして左右に分かれるなり、四機ずつがデヴァステーターに向かってというよりはむしろ「霧島」の両舷側に向かって猛烈なダイブを敢行した。
高空から轟音を轟かせてこちらめがけて降ってくる《敵機!》に、本能的にその下腹に銃口を向けた機銃員たちの目を翼の鮮やかに赤い日の丸マークが射すくめなかったならば、とっくに無数の機銃弾がその機の下腹に吸いこまれていったことだろう。
「霧島」ばかりではない、「金剛」「榛名」の機銃員たちもおのれめがけて轟音のなかを降ってくる《敵機!》の赤丸マークに両目を射すくめられて「味方機だ!」と叫ぶのも忘れて銃把を握ったまま、立ち尽くしていた。なかには引き鉄に指をかけたまま顔を歪ませ、小刻みに震えている者もいた。そんな彼らの耳に上官の命令はまったく入り込む余地さえなかった。
そんな彼らを「はっ」と現実に立ち返らせたのは早くも距離千メートルを切って、百メートル以下の低空から機銃掃射を開始したデヴァステーターの銃弾が防盾を叩きつける衝撃だった。銃口を向け変えた機銃員たちの送りだす紅い火線がデヴァステーターを包みこむ、そのときだった。零戦の射弾がデヴァステーターを貫いて、魚雷もろとも紅蓮の炎の塊が炸裂した。爆風が舷側まで押し寄せる、そのなかを零戦が鮮やかに反転急上昇した。
叫びとも悲鳴ともつかぬ歓喜の怒号が大艦を揺るがせた。人びとがうちふる掌の先の空を見れば、左右に四機ずつの零戦が抜けるような青空のなか、翼を振っているばかりだった。
悪夢のような米デヴァステーターの姿はどこにもなかったし、パラシュート一つ咲いてはいなかった。いずれもとっくに搭乗員と魚雷もろとも四散して海中に没していた。それが勇敢な雷撃機の宿命的な最期であった。零戦さえいなければ、あるいは零戦が間に合いさえしなければ、いまごろ海底に呑まれてゆくのは四散した彼らではなく、いま歓呼の声をあげている戦艦の水兵たちの筈であった。まさに紙一重の差でこんなにも容易く人間の運命が逆転してしまう。それこそが忌まわしい戦争というものの本質なのであろうか?
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途中、わかれて水雷戦隊の直掩にむかった零戦八機のたどった運命は、戦艦部隊の直掩にむかった零戦八機の運命とは、まったく別のものになった。
高度四千五百メートルで、ひたすら南へ驀進する彼らの眼下に、果てしなく広がる青海原。以下はその零戦パイロットが母艦に生還後、ひそかに顔見知りの同志にやや絵画的に語った、事の顛末である――
《ひょっとして見落として行き過ぎてしまったのでは?》
そんな疑念が何度目かに意識の表層に浮び上がった頃、零戦隊の先頭を行くおれの左眼の端が、白波を蹴たてて進みくる逆八の字形の艦隊を捉えた。
《あの楔形の尖りが「阿武隈」だろう》
と、思う矢先、左手前方、高度三千八百メートルの空域に夥しい黒点がふつふつと湧き上がり、それが敵の大編隊であることは間違いなく、彼らが水雷戦隊を襲うのであれば到底護り切れない。それどころか水雷戦隊が全滅する前におれたち八機の零戦は何度全滅したところで追いつくものか、と慄然としたのだった。
《どうせ全滅するものならば、しばらく様子を見てやれ》
と、腹を据えたのが良かったか。敵の大編隊は当然、水雷戦隊をとっくに発見しただろうにまるで何事でもないとばかりに些かも進路を変えずに北上して行く。
《ひょっとしておれたち零戦隊のことも当然とっくに発見していながら、弱敵と侮って無視して空母攻撃に向かうのか?》
憤りが胸元にせり上がり、落ち着くために何度目かの息を吐いた。
《敵が真っ直ぐにわが空母群に殺到するのなら、断じてそうはさせられぬ。敵をこのまま行かせれば、必ずやわがほうの少なくとも空母一隻は太平洋の波間に沈むこととなろう》
左前方、距離八千五百メートル、彼我の高度差七百メートルの空域を敵の大編隊百二十機ほどが悠然と北上を続けて行く。わが水雷戦隊はそのさらに左方九千メートルの洋上を、黒い死神の大きな影がおのれの背後から脇を掠めて追い抜いて行くのも知らぬ顔で、依然として軽快に北進して来る。
四十機余りの敵ワイルドキャット、あるいはその一部が急反転してこちらを襲って来る気配は相変わらずない。
《ならば》とこちらは緩やかに左旋回して高度を下げながら、敵編隊と水雷戦隊を見守る。いま一度、水雷戦隊の後方を確認して、彼らに今のところ新たな別の脅威が迫っていないことを確かめる。ようやく覚悟が固まった。
《おれ一人の責任で、わが独立零戦隊八機は、これより敵編隊の背後後方より追従、一機でも多くの敵機を道連れに冥途へ飛びたつことにする》
おれは「ススッ」とただ一機、編隊の前に飛び出し、風防を僅かに開けて右手を突き出し、敵編隊の後尾を示してから、一本指を突き立てて、海驢が水を潜りまた顔を覗かせるような曲線を描いて見せた。みなはたちどころに諒解してくれた。同じ思いの戦友同士に言葉は要らない。
吹きこむ強風に白マフラーが強くはためく。列機七機が白い一本棒となってついて来る。風防を閉める。敵後方、下から接近する。距離千七百メートル、彼我の高度差九百メートル、距離九百メートル、高度差五百メートル、後方死角に入りながら、敵大編隊をじっくりと観察する。さすがの大編隊にも後尾にはやや遅れ気味な小編隊がある。デヴァステーター十六機の小編隊だ。こいつを喰らうことにする。
おれたち零戦八機は紺碧の大空を這う白い水蛇にも似てデヴァステーター編隊にそっと忍び寄る。おれは最後尾の重い魚雷を抱えた一機に忍び寄り、そいつの肥えた白い下腹にパッパッパッと短く三連射、紅い火線を送り込む。堪らず敵機はついに燃料タンクから紅蓮の炎を噴き出す、それを確認するなり、背面宙返りを打って離脱する。二番機はその一つ前のデヴァステーターを喰らって背面宙返り、離脱しておれに続く。三番機はそのまた一つ前の機を啄ばんで背面宙返り、離脱して二番機に続く。こうしておれたち八機の零戦は敵大編隊の最後尾で大空に縦に時計回りの大きな円を描きつつ敵デヴァステーターを落として行く。敵を八機まで撃ち減らして九機目に喰らいつこうとしたとき、さすがに僚機の異変に気がついた残りのデヴァステーターは算を乱して急上昇あるいは急降下した。その間、三十秒と経ってはいなかった。
敵戦は四十機、何れもが前方上空でドーントレス六十四機を直衛する機位で飛行していたのだが、われわれに気がつくと左右両端の八機がたちまち左右に割れて急旋回、中央のあと八機は背面宙返りして迫って来た。おれは短くダイブして爆撃編隊の腹の下、右端に潜り込んだ。続いておれの左隣に列機の二番機、その左隣に三番機と左端の八番機までみな横一列に爆撃編隊六十四機の腹の下に潜り込んだ。そうして敵編隊と同速、同航しながらバタフライ泳法の要領で波打つように飛行し、息継ぎ時の機首の上がる瞬間に爆撃機の下腹めがけて機銃を撃ちまくった。こうすると敵戦は上からは味方爆撃機が邪魔になって撃てないし、下から撃つと零戦もろとも味方爆撃機をも撃ち抜くかたちになって、これも撃てない。敵戦が困り果てている間におれたちはどんどん撃ちまくった。さしもの頑丈な敵ドーントレスに損傷機が続出した。
ようやく敵戦の中でも利口なやつらはおれたちの後ろに回り込んで直射し出した。おれたち零戦八機は堪らず、上下のうねりに加えて、左右にくねりだし、その度ごとに爆撃機の両翼の付け根を下から撃ち抜いてやった。今度は敵爆撃機が堪らず大概は急上昇して逃れたが、中には本性違わず急降下するやつが出る。おれたちはすかさずそんな莫迦なドーントレスの腹にくっついていち早く急降下した。するとおれたちを追い詰めるかに見えた真後ろの敵戦群の弾幕が敵爆撃機の胴体を包んだ。こうして敵ドーントレス数機が撃墜された。おれたち零戦は敵爆撃機には十数機に損傷を与えただけだった。こんなことは敵側の戦闘詳報にも記載されないだろうが、事実だった。
次いでおれたちは海面近くまで千メートル余りをまっ逆さまにダイブした。おれたちは波飛沫を浴びながら辛うじて反転急上昇したが、しつこく追って来た敵戦二、三機は海中に文字通りダイブした。続く乱戦のなかで、敵戦数機を撃墜したが、零戦も三機まで撃墜されてしまった。残る味方は全機被弾している。気がつけばもうおれたちを追って来る敵機はいない。敵の大編隊は数少ないデヴァステーターを更に半分に撃ち減らされ、ドーントレス十数機に手痛い損傷を蒙り、ワイルドキャットも含めて被撃墜機、自滅機、同士討ち機、十数機に及んだにも拘らず、遥か高空を依然として悠然と北上を続けている。
おれは虚しさを覚えると同時に今更のように生命が惜しくなった。なおその上におれには傷ついた列機を無事、母艦に連れ帰るという重い義務さえあった。残弾、燃料ともに残り少な、損傷甚だしい四機を引き連れておれは南下していた。
しばらくするとわが水雷戦隊の雄姿がまた見えて来た。翼の日の丸がよく見えるように軽くバンクしながらゆっくりと接近する。低空でこの小艦隊の周りを二回、三回と飛行すると、甲板で帽子を打ち振る水兵たちの懐かしい顔までよく見えて、さらには彼ら小艦艇も烈しい戦闘に手酷く損傷しているさまがよく見て取れて、おれの冷え切った胸にまで何か熱いものがこみあげてきた。
ふと気がつくと、いちばん損傷の著しかった三番機が編隊を外れて、最寄りの駆逐艦のそばまでよたよたと飛ぶと、呆気なく着水した。半ば浸水して波間に浮かぶ零戦の上に立ちあがった西田搭乗員の操縦服が朱に染まっている。どうやら負傷までしているらしい。近くまで飛んで、救助してくれた駆逐艦の艦首に眼を凝らし、艦名を読みとる――「陽炎」。
その舷側で一色少尉が拳を固めて突き出し、同志だけに分かる秘密の敬礼をこちらに投げかけている。おれも機上から万感の思いを込めて拳を固めて突き出し答礼する。
おれの名前は山際三郎、アナーキスト秘密結社員の端くれだ。内地に還れば第五戦闘団を率いて、空から革命を支援する責務がおれにはある。
もっともいまは抗命ゆえに、母艦の飛行甲板上で銃殺される最初の零戦隊員として「汚名」を史上に残すやも知れないが。戦死させてしまった仲間の後を追うと思えば、それでも悔いはない。後は残る列機三機を率いて一路北上、燃料ぎりぎりで迎撃戦直後の懐かしの母艦「瑞鶴」の飛行甲板になんとか降り立ったのだった。
29
戦時のこととて一刻も空白にできぬ首相のポストには、老齢の鈴木貫太郎が急遽、指名された。
この鈴木貫太郎がなかなか愉快な男で、翌日の帝国議会での就任演説で、
「黄色人種を差別する役者崩れの変態総統が支配する国や、大頭大顎の時代錯誤の色気狂いが支配する国と、わが国が同盟を結びつづけることなど、到底ありえない」
と、やってしまった。
日本の真珠湾奇襲攻撃を受けて、去る十一日に、ドイツ、イタリア両国は渋々アメリカに宣戦を布告したばかりだったから、両国大使は卒倒せんばかりに驚いたし、密かに鈴木演説の忠実な訳文を手に入れたヒットラーとムッソリーニは怒りのあまり、その文章の忠実さゆえに訳者を銃殺にしかねなかった。アウシュヴィッツ送りぐらいには平然としたことだろう。
独伊両政府の度重なる取り消し要求にもいっこうに応じず、
「当然のことを言ったまでだ」
と、涼しい顔で突っぱねる貫太郎首相に、三国関係はいっきに険悪化した。
三国同盟の破棄を通り越して、ドイツ、イタリア両国と日本の国交断絶にまで突き進んでしまった。時に十二月二十日。
この鈴木演説に密かに喝采を送った良心的なイタリア人や、数こそ少なかったがドイツ人がいなかったわけではない。そうした人びとは一部日本人との友愛をさらに深めたのであった。
二・二六事件の際に至近距離から受けた四発の銃弾をいまだに体内に宿すこの鈴木貫太郎には、後日の武勇譚さえあった。
帝国議事堂を出て階段の踊り場に立ったところで、激昂した陸軍中佐に真っ向から切りつけられた。一歩さがって間合いを広げた貫太郎は、やおら懐からピストルを取り出すと、二の太刀を左の肩先に受けたのにもめげずに、この凶暴な将校の眉間をただの一発で撃ち抜いた。
その日、馬喰町の銭湯〈大黒湯〉での庶民の会話のなかでは、宰相鈴木は硝煙煙る拳銃の筒先をふうっと吹いて、
「おれの腕も落ちたものだ。胸を狙ったのだが」
と、嘯いたとの尾鰭までついていた。
幸い肩の傷は浅手であった。親英米派、和平派と目される政治家のあいだでは、この日以降、ピストルを懐中に潜ませる者が増えた。まったく政治家ほど時流に敏感な者はいない。もっとも、兇漢をみごと返り討ちにできた例はそう多くはなかったが。
鈴木貫太郎のもう一つの事績を書き落とすことはできない。
中国大陸からの即時一方的撤退を天皇いわゆるヒロトトの勅命で即日実施したのである。統帥権干犯問題をまたぞろ惹起しないように、大本営・海軍軍令部総長と陸軍参謀総長のポストをあえてこの日まで空白にしたままで、戦時の陸海軍を天皇ヒロトトが文字通り直轄していたのは、実にこの一事のためであったといえる。
中国大陸での長年の侵略戦争に倦んだ陸軍将兵は、現地調達のぼろ船まで狩り出して陸続と内地の土を踏み、運のよい部隊は年の瀬から正月にかけて、遅い部隊でも旧正月までには郷里に復員して、安易な勝利に酔う狭い了見の村人たちに戦争の醜い実態を根気よく話して聞かせるのだった。
このころから日本の社会は底辺から着実に変化の兆しを見せてきたといえる。やはり大量の復員兵と釈放された政治犯の結合、そして検閲の廃止と報道・言論の自由が、そうした機運を醸し出したのであった。
30
最初に敵の大編隊を発見したのは、やはり機動部隊から南へ五十キロ、高度四千五百メートルあたりの空域を哨戒していた独立零戦隊五十機だった。
彼我の高度差が七百メートルほどあり、こちらのほうが上空だったから、哨戒線に侵入してくる敵編隊を、余裕をもって観察することができた。近づいてくるにつれて次第に機種も見分けがついてきた。ドーントレス六十一機、直衛ワイルドキャット三十四機、デヴァステーター八機の大編隊だった。敵はまだこちらに気がついていない。哨戒線上に広がっていた列機が集まってくる。敵がこちらに気がつき、敵編隊に動揺が走ったと見えた瞬間、零戦隊は一塊になって拳落としに敵爆撃機めがけてダイブしていた。
以下はそれぞれ「飛龍」「加賀」「赤城」乗組の三飛曹、浅見、依田、田所らの談による――
〔浅見飛曹の談〕敵戦闘機隊がパッと左右に割れる。その割れ目に一塊のまま突っ込むと目の前に敵爆撃隊があった。後部座席の旋回銃が盛んに撃ちあげてくる。六十一本の紅い火線が零戦隊に収束したと見る間に三機の零戦が被弾、爆発炎上した。残り四十七機となった零戦が今は百八十八本となった紅い火線を爆撃機に注ぎこみ続ける。そのまま爆撃隊の真っ只中を突っ切って反転上昇に転じた零戦隊が見上げると、七機の爆撃機が火を噴いて墜ちてゆくところだった。
下へ回りこんで来た敵戦十数機と零戦八機がたちまち烈しい空中戦に入った。残りの零戦三十九機は背面上昇してなおも爆撃機に追い縋り、機銃弾を敵機の下腹に続けざまに撃ち込む。衝突寸前に背面宙返りを打ってまたも背面急上昇、なおも爆撃編隊に追い縋って新たな敵機の下腹に紅い火線を注ぎ込む。敵戦も必死だ。大空のそこかしこで巴戦に縺れこむ。
この戦闘で敵ドーントレス二十七、ワイルドキャット二十、デヴァステーター三、撃墜という大戦果をあげた独立零戦隊は、自らも被撃墜二十七、残るほぼ全機が被弾という大損害を蒙り、残弾・燃料ともに乏しくなったので、それぞれの母艦「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」へ帰投した。
おればかりは燃料に僅かながら余裕があり、自機の損傷も軽微、わが身も軽傷だったので、単機追尾、敵編隊の行方を見届け、艦隊直掩機との空戦が始まってから帰艦した。
こうしてようやく虎口を脱した敵編隊は再び上空からいきなり襲われることを警戒して六千メートルまで徐々に高度を上げた。それでもこの日は比較的雲量が少なかったから機動部隊を発見するのに支障はなかった。しかし戦力的には肝心のドーントレスは三十四機、直衛ワイルドキャットは十三機、デヴァステーターに至っては実に五機までに撃ち減らされていた。機体のそこかしこに被弾している機も多かった。直衛ワイルドキャットは五機が爆撃機の上空三百メートル、八機が爆撃機の下方五百メートルを飛び、デヴァステーターはそのさらに下方三百メートルを飛んでいた。それもほんの数分間のことだった。前方の洋上に機動部隊らしき艦艇群を見出したときには真っ向から、そして下方からも迎撃の戦闘機群がぐんぐん迫ってきた。
〔依田飛曹の談〕敵直衛ワイルドキャットは余すところ五、六機までに撃ち減らされて、いまはおのれ自身の生存を賭けて数倍する零戦と死闘を繰り広げていた。やや離れてデヴァステーター五機が急速に高度を落としつつあった。
おれたち「加賀」隊十二機は迷うことなく、敵ドーントレスの編隊に突進した。爆撃機二十六機の全機銃弾が「加賀」隊十二機に集中する。味方機に被弾機が続出するも構わず、そのままおれたちは気迫をこめた銃弾を敵機の頑丈な胴体に浴びせつつ、敵編隊を突き抜けた。零戦二機が爆発四散し、一機が白煙を吐きながら、緩やかに海面に落下してゆく。と、風防がやっと開いて搭乗員が飛び出し、落下傘が無事開いた。
このとき現れたもう十二機の新手の零戦はいきなり敵爆撃編隊に突っかかろうとはせずに遠巻きに隙を窺うかのようだった。それから四つの小編隊に分かれて遠い間合いから浅く銃撃を加え始めた。なおも敵の弱点を探ろうとしているのか、あるいは何とかして敵の堅固な編隊を崩そうとしているかのようだった。突如、烈しい攻防が始まった。零戦三機ずつの小編隊四つがそれぞれまったく別の野獣四匹であるかのように、予測のつけがたい接近戦を挑んでいった。一機、また一機と、火を噴いて落ちてゆくのは米爆撃機ばかりだった。この零戦十二機が全弾を撃ちつくして敵編隊を解放したときには、依然として頑なに進撃を続ける爆撃機は九機を数えるのみだった。
おれはこのときの戦闘で右踝を撃ち砕かれ、左足一本でなんとか着艦したものの、艦内の手術で右足首を切断されたから、内地に後送されても、良くて教官となって後進の指導に当たるか、普通はただの傷痍軍人となって二十歳の身空で余生を過ごす外はなくなった。
さて、損傷を蒙りながらも頑なに進撃をつづけた先の爆撃機九機はついに機動部隊、日本空母の上空近くまで達した。機体のそこかしこに敵弾を浴びたうえに機銃手あるいは通信員兼爆撃手がすでに戦死を遂げている機もあった。負傷なら負っていない者のほうが少なかった。だから搭乗員はみな眦を決していた。眼下に見える二隻の空母の運命は窮まったかに見えた。アメリカ海軍機のこの若者たちの勇気と不屈の闘志は見上げたものだった。
ただ彼らの不幸は彼らの行く手を阻む者たちが日本海軍屈指の戦闘機乗り、その日のオアフ島第一次攻撃から帰投したばかりの「赤城」「加賀」艦内積載の零戦隊五十機だったことだろう。母艦の上空、高度五千五百メートルの高空から、遥か南の海上で始まった熾烈な空戦が徐々に近づいてくるのを望見していた日本のエースたちは、近づいてくる脅威が彼らの母艦にとって容易ならざるものであることをよく理解していた。
あのドーントレスをたとえ一機でも撃ち漏らせば、ダイブに入ってしまったドーントレスに追いつくことは不可能だ。そしてもし命中弾が飛行甲板で炸裂すれば、おのれが帰艦できなくなるばかりか、母艦の戦闘力が失われてしまう。またさらに悪いことに飛行甲板を貫通した爆弾が母艦の心臓部で爆発などしたら、母艦そのものが失われかねない。
鈍足のデヴァステーターをばかにすることもできない。航空魚雷の破壊力は爆弾一発とは較べものにならないし、被雷すればどんな巨艦でも遅かれ早かれ、沈没の瀬戸際に立たされてしまう。
〔田所飛曹の談〕敵急降下爆撃隊九機は前方上空に迎撃の零戦多数を認めて直ちに反航上昇するかに見えたが、すぐに僅かに右旋回、いきなり急降下に移った。乾坤一擲の爆弾投下を目前に、優勢な迎撃陣と交戦するのを嫌って、絶好のダイブポイントを得ることを断念したわけだ。これに対しておれたち零戦隊は直ちに敵爆撃機の進路めがけて猛烈なダイブを敢行した。対空砲火の弾幕をものともせずに急降下する爆撃機、その爆撃機の進路めがけてダイブする零戦――斜線と垂線の交わった先に生残るのは果たして何れか?
対空砲火の弾幕の中、ドーントレスの後部座席の機銃九銃が轟然と火を噴き、零戦機首の七・七ミリ機銃の細い火線七十八本がそれに応えて、両者が擦れ違う寸前、零戦の二十ミリ翼銃の赤く太い火線七十八本が九機の爆撃機に集束した。瞬間、紅蓮の炎が爆撃隊の間を這ったかに見えた途端にいくつもの爆発が一つに重なった。この爆発をよろよろと抜け出てきた爆撃機一機がある。見ると壊れた搭乗員席には人影一つ無く手足のもげた人形みたいな機体だけがひらひらと海面にむけて落ちていった。
これに気をとられている場合ではなかった。爆撃編隊の後尾外縁に位置して先程の爆発に捲き込まれなかったドーントレス三機が、早くも空母「赤城」直上の絶好のダイブポイントに達して轟音もろとも捨て身のダイブを開始した。あたりを揺るがす対空砲火の弾幕が一段と濃くなる。被弾した翼から木っ端のように金属片が飛び散る。
逆落としに頭上に落下してくる敵ドーントレスを操艦の名人長谷川艦長が艦橋から睨みあげる。操舵のタイミングを測っている。早すぎれば敵に読まれて爆弾投下のタイミングを修正される。遅すぎれば巨艦の舵が利き始めるまでに間に合わない。
「いまだ!」
「面舵、いっぱい」
ようやく舵が利きだして「赤城」は艦首を大きく右へ振る。とたんに爆弾を投下した米機の黒い機影が艦橋の横に細く長い窓いっぱいに大きく被さる。ほぼ同時に左舷ぎりぎりを襲った至近弾のあげた大きな水柱が一瞬後に崩れて、艦橋に盛大な水飛沫を浴びせかけた。反転急上昇する米機の白い下腹を「赤城」舷側の全機銃が放った炎の槍が貫く。一瞬、串刺しにされて空に縫いつけられたかに見えた米機がボッと紅蓮の焔となって海上に四散した。その間にも艦長は命令を発していた。
「取り舵、いっぱい」
しかし今度は間に合わない。今度こそは間に合わなかった。すでに二機目の米機が投下した二発目の爆弾がいま左舷に大きく傾きはじめた飛行甲板なかほどに炸裂し、三機目の米機が投下した爆弾は飛行甲板を貫いて第二層の格納甲板奥で爆発した。艦全体が大きく揺さぶられた。紅蓮の焔が格納甲板上を這い、猛烈な黒煙が充満した。艦爆・艦攻十数機が吹き飛ばされ、大破した。
けれどもこれらの機がいずれも給油済みで爆弾・魚雷を装填済みだったなら、あるいは整備員総出でおおわらわの装填中だったなら、炎上、誘爆に次ぐ誘爆で、到底これだけでは済まず、いまのように総員決死の消火作業で消し止めるどころではなかったろう。沈没は免れなかったに違いない。
搭乗員はおろか整備員たちにも不評だった「収容済み艦爆・艦攻への給油・給弾は不要。ただちに艦内へ格納せよ!」との指令、それに「弾薬庫、扉、閉め!」という南雲忠一の、そのときは司令が発するにしてはあまりに瑣末に過ぎると思えたあの指令が「赤城」を救ったのだった。田所飛曹の証言は続く。
「赤城」に命中弾を見舞ったあの最後の二機は反転上昇に転じたところで、零戦「赤城」隊に囲まれて四方から機銃弾を浴び、北太平洋の空中に文字通り四散してしまった。こうしてアメリカ海軍機の花形、さしものドーントレスの兵たちも、日本空母を眼下に見ながら、その上空に散華したのだった。零戦隊のほうも十七機ほどがエンジンに損傷を受けて白煙を吐きながら帰艦したし、他の機も翼や胴体のそこかしこに被弾していた。なおその上に翼の先端を、そのもげ方かたからして明らかに対空砲火にやられた機さえあった。
おまけに「赤城」隊は帰投してみれば、飛行甲板なかほどに大穴が開き、黒煙が噴きだしていて、応急修理がひと段落するまではとても着艦できる状態ではない。それでも何機かは曲芸的な三点着地を大穴の脇に決めて強引に着艦した。他の機は仕方なく「加賀」や他の四空母に着艦したが、負傷した搭乗員がやっと降りたつや、損傷の激しい機は直ちに海中へ投棄されてしまった。
さて、敵デヴァステーターの阻止に向かった残り十八機の「加賀」隊零戦は、デヴァステーターの進路に対して直角に左右から九機ずつが突進し、敵のデヴァステーター五機を射程に捉えるや、一斉に全機銃弾を浴びせた。敵デヴァステーターは航空魚雷一発を投下することもなく、この時点で壊滅してしまった。
こうして「赤城」と「加賀」は零戦隊の決死の活躍で危うく大破・沈没の難を逃れた。
このおれは、なんと着艦後に、飛行甲板で敵弾の跳弾に、左肘から先を吹き飛ばされてしまった。これではたとえ戦線復帰できても、輸送機ぐらいしか任せてもらえまい。
31
米二空母発見の一報に接した南雲は、折からオアフ島の海岸線を越えつつあった第二次攻撃隊に対して
「オアフ攻撃を即刻中止、直ちに米空母攻撃に向かえ!」
と、指令した。
こうして「赤城」「加賀」攻撃隊が他に先んじて米二空母を襲う最初の日本機となった。
「赤城」「加賀」乗組の両飛曹、諸星と北条は共に被弾・負傷したが、凄まじかった海空戦の模様を淡々と次のように述べている――
南雲司令の直接命令を受けた艦攻水平爆撃隊十五機がまず、四千五百から五千七百に高度を上げ、通報された敵空母位置への最短の航路を採った。
そうするとパールハーバーの真上を通過することになるのだが、攻撃隊指揮官頼少佐は全くそのことを意に介さなかった。次いで艦爆十五機が艦攻隊の後方、六千メートルの高空に翔け昇った。それから艦戦十二機が艦・爆連合の後方、高度六千二百メートルで六機ずつ左右に分かれて両脇を固めた。残る艦戦十八機は依然、四千五百メートルの進撃高度を維持しながら、制空態勢をとった。
米戦九機が日本軍機の大編隊を発見したのはこのときだった。彼らはパールハーバー直上六千五百メートルの高空で虎視眈々と日本機を待ち構えていた。矢のように舞い降りた敵三機が先頭の艦攻飛行小隊に襲いかかった。これにいち早く気がついた右脇の零戦六機が翔けつけたが間に合わなかった。先頭の艦攻は早くも火を噴き、偵察員・爆撃手を兼ねた指揮官頼少佐は即死、機銃手および操縦員は負傷した。残り二機の艦攻も白煙を吐きながら編隊を離脱、爆弾はすでに真珠湾上空に投棄していた。
炎上しながら海面近くまで降下した指揮官機は今度は猛烈な対空射撃を総身に浴びて虚しく真珠湾上空の華と消えた。被弾した艦攻の二番機、三番機は白煙の尾を長く曳きながら、ニイハウ島の避難滑走路へと向かった。これを追う敵戦三機と零戦六機との間でたちまち激しい空中戦が始まった。早々と決着はついたが、この一戦で日本側は艦攻被撃墜一、損傷行方不明二を出し、指揮官頼少佐戦死の手痛い打撃を蒙った。おまけに不意の空中戦に全弾を費消してしまった零戦七機が大事を前に無念の帰艦を余儀なくされた。パールハーバーの真上を通過することを意に介さなかった攻撃隊指揮官と直掩の零戦に聊かの油断も無かったとは言えない。米側としては寄せ集めの九機が挙げた望外の戦果だった。
オアフ島の各基地から残存十七機が迎撃に飛び立ってきたが、これらは大方は成す事無く艦戦制空隊の血祭りに挙げられてしまった。それでも艦爆・艦攻に被撃墜各一が出たうえ、被弾した零戦三機、更に全弾を費消した零戦四機が帰投した。
こうして米二空母をハワイ南方洋上に求める「赤城」「加賀」攻撃隊は艦戦二十二機・艦爆十四機・艦攻水平爆撃機十一機の全四十七機となり、総指揮は戦死した艦攻隊長に代わって艦爆隊長宮路大尉が執った。攻撃をまえに手傷を負った編隊は、エメラルドグリーンの大海原を眼下に、敵を求めてどこまでも南下してゆく。
コバルトブルーの大空の下、西方遥か遠くの洋上に、北上を続ける敵大編隊を視認したのはこのときだった。敵は百三十機以上の大編隊だった。これがわが機動部隊を直撃したなら、大変なことになる。しかし洋上数十キロを隔てて瞬時に擦れ違う相手を阻む手立ては、どちらの側にもなかった。即座に、敵編隊の動きを味方艦隊に通報する。
敵空母はこの先、南方洋上のどこかに必ずいる。艦爆隊長がひとしきり眼下の大海原に眼を凝らした数瞬あとのことだ。一機の艦攻がよたよたと大空をこちらめがけて翔け昇ってきた。機体が損傷していることは明らかだった。無線機も損傷しているらしい。搭乗員も負傷しているに違いない。敵迎撃戦闘機の追撃をようやく振り切ってきた艦攻偵察機だとしたら、燃料も残り少なに違いない。
その艦攻が目の前で緩やかに旋回してバンクするなり南へ飛行した。《われに続け》と、艦爆隊長宮路大尉は傷ついた艦攻の必死のメッセージを正しく諒解した。機速を落としてこのただ一機の艦攻のあとに続く艦爆・艦攻隊を追い越して、制空隊零戦十二機が上昇、進撃してゆく。直衛の艦戦十機はぴたりと艦・攻連合の上空三百メートルに貼りついたままだ。
先導の艦攻偵察機が再び翼を激しくバンクする。雲間に眼を凝らすと、前方直下に敵大型空母二隻が互いに六キロほど隔てて南へと避退中で、その周りをそれぞれ軽巡一と駆逐艦三ないし四が固めている。早や艦攻水平爆撃隊十一機は案内の艦攻を追い越して爆撃態勢に入った。あの艦攻偵察機がその後どうなったのか、誰も知らない。艦攻隊の爆撃後に、敵空母に突入しようとして、被弾、手近の軽巡に体当たり自爆した艦攻一機があったが、おそらくはそれだったのだろう。
艦爆隊十四機は七機ずつの二隊に分かれて、それぞれが敵空母一隻を狙う直上の、絶好のダイブポイントめざして急速上昇した。もうそのときにはあたりの大空は敵味方の戦闘機が乱れ飛ぶ空中戦の真っ盛りで、零戦制空隊十二機に対して八十機余りの敵迎撃ワイルドキャットがそれこそ雲霞のように飛来してきたが、やはりその半ばくらいは目敏く艦爆、艦攻めがけて襲ってきた。これを直掩の艦戦十機が必死に寄せつけまいと戦う。
たちまち撃ち落された四、五機はみな敵機ばかりだ。やはり零戦は強い。いや、見る間にまた七、八機の敵機が火を噴いて落ちてゆく。それでもまだ敵ワイルドキャットのほうがはるかに数が多い。一機また一機と被弾した零戦が白煙を曳きながら、戦線を離脱してゆく。ニイハウ島までたどり着ければ、少なくともパイロットだけは助かるのだが。
その間に艦攻水平爆撃隊十一機は六機と五機の左右に分かれて、被弾機が続出するも少しも編隊を乱さず、激しい対空砲火の弾幕もものともせずに、整然と水平爆撃を実施した。見る間に敵空母二隻の周りの海面に夥しい水柱が立ち、飛行甲板に数本の火柱が立ち昇ったが、それこそ直撃弾だった。
この艦攻隊の挙げた戦果をしかと見定めぬうちに艦爆隊が急降下した。六千メートル近くを一気に降下する猛烈なダイブだった。少しの被弾でも途中でばらばらに分解して可笑しくない速度だった。目の前に突き出してくる紅い槍衾にも似た対空砲火の弾雨のなかを一直線に、敵空母めがけて突入する。最初、蚕豆ほどだった敵空母の飛行甲板がマッチ箱ほどになり、弁当箱から畳ほどにもなって、ついに眼前を覆う、そのとき投弾し、衝突寸前の機体を必死に起こして、上昇に転ずる。
このときほど対空射撃の怖いときはない。事実、たちまち四、五機が敵の機銃にやられて、あるは爆発炎上して火の玉となり、あるは白煙を棚引かせながら海面近くを避退してゆく。そのころ上空ではようやく零戦の優位が歴然としてきて、隅のほうの空域でなおも激しい巴戦を演じている十数機だけが残存敵機のすべてだった。
「レキシントン」及び「エンタープライズ」と思しき敵大型空母二隻は、何れも飛行甲板を大破して紅蓮の焔を噴き上げ、盛大な黒煙の塊を撒き散らしながら、エメラルドグリーンの海原に真っ白いウェーキを彫りこみつつ、のた打ち回っている。
仮に空中戦を生き延びた敵機がいたとしても、最早彼らに着艦可能な飛行甲板は無い。味方艦の近くに不時着水して救い上げて貰うか、遠くオアフ島まで逃げるしかない。数機が北へ逃れようとして零戦によって海面に叩き落された。いまは敵艦隊の上空にあるのは味方機ばかりで激しい対空砲火を尻目に、戦果を確認している。
「敵大型空母二隻、大破炎上中! 軽巡一、中破、小火災。駆逐艦二、小破、小火災」
陸用爆弾の投下を終えた艦攻が早々と対空砲火の射程外に出た。艦爆もそれに続く。空母および随伴艦に執拗な機銃掃射を浴びせていた艦戦もやがて戻ってきた。味方機の損失は艦攻七・艦爆五・艦戦七に及んだ。この時点で被弾著しかった艦攻四・艦爆三・艦戦九が、互いに助け合うように一団となってニイハウ島方面へ避退して行った。後に残った艦爆と艦戦各六機は、出撃時の機数の五分の一となった寂しさは身に染むものの、堂々の小編隊を組んで、真珠湾上空だけは避けてカウアイ島寄りに北上し、全機無事に帰艦した。
32
「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」から飛び立った本来の第一次攻撃隊が、眼下に敵の二空母「レキシントン」および「エンタープライズ」を見出したのは、その日、正午をわずかに回ったころのことだった。
飛行甲板を大破炎上中と伝えられた敵二空母は、いまは名残の白煙をあたりに吐き散らしてはいるものの、飛行甲板に空けられた大穴の大方を急場しのぎの鉄板で覆って一部、ワイルドキャットの発着くらいならば何とかこなせそうなくらいにまで復旧している。まったく米軍の消火・応急措置の素早さには眼を瞠る思いであった。損傷空母から飛び立っていた敵迎撃機が、高空から果敢に日本軍の大編隊に突入してきた。たちまち零戦との空中戦が展開された。
当初、動きづらそうに見えたのは、むしろ日本機のほうだった。圧倒的多数を占める日本艦戦は、たかだか十数機の敵戦に対して、三十数機の零戦が群がって銃火を交えていた。やがて零戦は一撃離脱、あとは後続機に譲るという行動に出た。その間にも敵機は相次いで撃墜され、着実にその数を減らしていった。長く思われたが米軍の迎撃ワイルドキャット全機がこうして撃ち落されるまでに、ものの十数分とかからなかった。この時点では日本機の損失は零戦の被撃墜三、損傷九機であった。
眼下の敵艦隊はなおも白煙を曳く損傷空母二隻を中心にして、軽巡二が左右、両脇を固め、先頭に駆逐艦三、後尾に駆逐艦四を配した円陣を組んで、パルミラ島方面をめざして一路南下、避退中であった。
米艦隊上空の制空権を難なく得た日本軍は、熾烈な対空砲火にもかかわらず落着き払って、まず艦攻爆撃隊十五機が高度千七百メートルで緻密な編隊を組んで、精密な水平爆撃を実施した。瞬間、二空母は巨大な水柱に覆われ、対艦用の大型爆弾一発が「エンタープライズ」を直撃、残る「レキシントン」を至近弾数発が見舞った。直撃弾を喰らって大破浸水した「エンタープライズ」はたちまち行き足が鈍り、傾斜を深めてゆく。
その間に艦攻雷撃隊機十五機が雷撃位置につき、艦爆三十機は急降下爆撃のダイブポイントについた。雷撃三小隊九機は、至近弾を喰らってなお健在の「レキシントン」を狙って、九本の航空魚雷を放った。うち五本が命中、轟沈した。雷撃一小隊三機は、傾斜を深めてゆく「エンタープライズ」に止めを刺した。残る一小隊三機の雷撃機は、単機で軽巡と駆逐艦を狙い、軽巡・駆逐艦各一を撃沈している。
艦爆隊は十五機が空母、六機が軽巡、残る九機が駆逐艦めがけて急降下し、その多くが直撃弾を浴びせた。結果、二十数分後には、海上に残る敵艦は大破・傾斜中の駆逐艦一、小中破の駆逐艦二だけとなった。その残存駆逐艦にも、艦戦が波状的に機銃弾を浴びせている。波間には、大小の浮遊物に取り縋る多数の米兵たち。
こうしてアメリカ太平洋艦隊は事実上、壊滅した。敵駆逐艦が撃ち上げる対空砲火も眼に見えて衰えてきた。戦場の上空で、艦戦五十六・艦爆二十七・艦攻二十五、全百八機が隊伍を組み、帰途に就く。
比較的大きな浮遊物を見つけて這いあがり、降りかかる波飛沫をものともせずに仰向けになって日本艦戦の乱舞する上空を睨み続けていたハルゼー提督は、このときになって初めて無念の涙をはらはらと落としたのだった。しかしこのとき彼はこの十倍もの復讐を心に誓っていた。
33
米英蘭華を始め独伊に至るまで一九四一年十二月に世界中は日本に何度も吃驚させられることになった。
「まず真珠湾の奇襲攻撃があり、次いでハワイ沖海空戦、そしてマレー沖海戦があった」
「それから独裁者東条英機の突然の更迭。独伊との国交断絶、むろん三国同盟は破棄だ」
「そしてだめ押しの中国大陸からの一方的撤退! いったい日本国内では何が起きているんでしょう?」
「聞けば、治安維持法なる天下の悪法が突如、撤廃されて、悪名高い政治警察特高と同じく悪玉の最たる陸軍憲兵隊が解体されたという」
「体制維持派はなぜ、むざむざとなすがまま、いや、なされるがままになっているのかしら? いったい革命でも起きているの? 言論の自由まで表明されて、一切の検閲が廃止されてしまったというじゃない」
「それに大赦だ。お蔭でコムニストやアナキストまで野放し状態だ! 親独伊派や右翼は完全に政府内外から追放され、主だった者は南洋諸島に流刑されたという情報まで入ってくる」
「しかもこうした一連の施策のリーダーシップを執っているのが、どうも大元帥服姿で白馬に跨ったあの好戦的な天皇ヒロヒトらしいのだから、余計に分からなくなるわね」
困惑を極めたのは米英だった。
「これでは日本を全体主義国家の悪の枢軸呼ばわりできなくなる」
「それどころか中国大陸から撤兵し、三国同盟を破棄した以上、目下交戦中という事実を除けば、主たる交戦理由が無くなってしまったじゃない」
「おまけに傀儡国家・満州国ではユダヤ難民を大いに優遇し、国籍まで与えている!」
「われわれは巧妙な実質的入国制限の実施に躍起となっているというのに!」
困惑を極めたのは中華民国だった。
「連合国の一員として軍国日本との単独和平には絶対に応じられない」
「しかし一方的に、しかもこうも急激に撤退されても困るのだ。我々はまだ進撃準備が整っていない。広大なわが中華の権力の空白地帯に、毛沢東の紅軍が進出してしまっては非常に具合が悪いのだ」
困惑を極めたのはスターリン体制下のソ連だった。
「まずヒットラーのドイツを下して西方に衛星諸国を作り、次いでゆっくりと東条の日本を屈服させて極東に進出しようというのに、あの枢軸同盟と東条はいったいどこへ消えてしまったのだ?」
ナチファッショの独伊も困惑を深めていた。
「三国同盟を破棄して国内では一転、民主化の道を歩むかに見える日本は、今は交戦中の米英と急遽、和平して、矛先をわが独伊の枢軸に向けるのではあるまいか?」
「今や米英以上の海軍戦力を誇る日本が連合国側に回ったならば、これは厄介なことになる」
「東方の野蛮国かと思っていたら、黄色い猿め、予想以上に強かだ」
蘭仏もいっそう困惑を深めていた。
「インドネシアやインドシナのわが植民地はいったいどうなるんでしょう?」
「日本が敵国でなくなれば、日本が事実上支配するのを、いったいどうやって妨げられるというのか?」
波紋は拡がった。
34
ハルゼー提督の放った第二次攻撃隊、アメリカ機動部隊残機のすべて(直衛ワイルドキャット二十・ドーントレス二十八・デヴァステーター十二、合わせて六十機)は正午を大きく回ったころ、眼下に日本軍の大型空母二隻を見いだした。山本五十六直率の「翔鶴」と「瑞鶴」だった。目標発見と同時に米編隊は激しい迎撃に見舞われた。
文字どおり四方八方から零戦が殺到してきた。たちまち戦闘機同士の激しい空中戦に直衛米戦は呑みこまれてしまった。どうやら数瞬早く日本機のほうが米編隊を見つけていたらしい。力量の差は明らかだった。つぎつぎと被弾、墜落もしくは離脱してゆくのはほとんど米軍機だった。それにしても数の差は圧倒的で米編隊に数倍する零戦の厚い壁が目のまえに立ちはだかっている。
互角の数であったなら、直衛のワイルドキャットが迎撃機に立ち向っている間に、ドーントレスが突入して数発の直撃弾を空母一、二隻に見舞うことができただろう。それでも数機のドーントレスが、被弾しながらも「翔鶴」直上に到達して熾烈な対空砲火の弾雨のなか、猛烈なダイブを敢行した。零戦の迎撃ぶりも凄まじく、体あたり寸前の二十ミリ機銃の猛射に、四散する機もあれば、被弾、目標を逸する機もあった。
うち、一機が至近弾を投じた直後に、対空射撃を浴びて、「翔鶴」艦橋付近に激突した。この衝突で艦橋内の幕僚数名が重軽傷を負ったが、司令長官山本自身も破片を浴びて、命には別状なかったものの、結局、右目を失明した。以後、山本五十六は右目を黒眼帯で覆い、隻眼の海将として、日米両軍将兵に恐れられることになる。
米デヴァステーターは低空を二空母めがけて肉薄したが、多くは零戦のためになすすべもなく海面に叩きつけられた。わずかに一機の放った航空魚雷が「瑞鶴」の艦尾をかすめて海底に沈んでいった。こうして米機動部隊最後の攻撃隊も、ハワイ北方の海の藻屑と消えた。
駆逐艦が波間から掬い上げた米軍パイロットの捕虜の数は、これまでに実に百数十名に及んだ。味方の損失は「翔鶴」のあの艦橋被害のほかに迎撃零戦の損失十一・損傷二十三。無事着艦できなかった機も搭乗員は負傷していたものの、海上を漂っていたところを五名が駆逐艦に救助された。行方不明者三名は戦死と看做された。
「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」を飛び立った第二次攻撃隊は、午後一時過ぎ、戦場の上空に達した。
わが艦爆・艦戦各六十機の大編隊が眼下に見出したものは、黒ぐろとした重油の海に散らばる夥しい浮遊物とそれに掴まる米水兵たちであり、救助に専念する損傷駆逐艦二隻と、それを遠巻きに周囲を警戒しながら救助に協力している、遅ればせにハワイから合流した駆逐艦四隻のみであった。
米駆逐艦六隻は、いまは救助活動を中断して、高速で避退行動を取りながら、盛んに対空砲火を撃ち上げてくる。これを確認すると、「翔鶴」「瑞鶴」隊(艦戦・艦爆各三十機)はそのまま編隊を崩さずに、高空に留まった。
そして「飛龍」「蒼龍」隊の艦戦・艦爆各三十機は、まず艦戦・艦爆各十八機が米駆逐艦六隻に襲いかかり、次々に撃沈破していった。しぶとい最後の一艦に対して次いで艦爆三機が加勢して、ものの十数分とかからぬうちに全艦を撃沈してしまった。
それを確認するや「翔鶴」「瑞鶴」隊の艦戦・艦爆各三十機はそのまま直ちに現場から取って返して、真珠湾上空に現れ、ただの一航過の銃爆撃を終えるや、まさに通り魔のようにさっと敵軍港の米軍を脅かしてから全機ぶじに帰艦した。
一方、救助されたばかりの駆逐艦の甲板に濡れ鼠の身体を休める暇もなく、その駆逐艦さえも憎い日本軍機に撃沈されて、またも波間に投げ出されたハルゼー提督は、幸い救助活動で降ろされていた数十艘のカッターのうち一艘に拾いあげられて、漂流三日後に、遠くパルミラ島から駆けつけた哨戒艇に、他の生き残りの将兵とともに救い上げられたときには、さしもの強気の猛将も頭髪は真っ白に変わっていたという。白髪鬼ハルゼーの異名はこのとき以来のものである。
米艦隊の最期を見届けると、「飛龍」「蒼龍」隊もやがて編隊を組んで帰途に就いたが、途中いまはない米主力艦隊への合流を急ぐ米重巡「ミネアポリス」を発見、先の攻撃に加わらなかった艦爆九機・艦戦十二機があっさりとこれを屠ってしまった。「飛龍」「蒼龍」隊の艦戦二十七機・艦爆二十三機は無事、母艦に帰投した。
日本軍の完勝に終わったこれが第一回ハワイ沖海空戦であるが、艦載機とその搭乗員たちの犠牲は大きかったし、全体から見れば瑣末なことではあるにしても、両軍の領袖の得失だけを見ると、何度も海に漬かったとはいえハルゼーが頭髪を白髪に転じただけであるのに対して、山本五十六は右目を失っている。これは勝敗を占ううえでは決して日本海軍にとって幸先のよい兆しとはいえまい。
けれども日本の民衆の行く末は、日米両軍の太平洋上における死闘の結果とはまた別のところにある。戦に勝って解決する問題はあまりにも少なかった。遅ればせながら国内に眼を転ずるときが来たようだ。
35
「ねえ、一九四一年十二月八日、ハワイ奇襲攻撃による日米開戦! 以来、こんな短時日に日本の社会が歩んだ〈特異な歴史の階梯〉を、いまさら振り返ってどうするのよ?」
と、牧子が伸びをする。ここは北千住、階下の路地では近所の子供たちが缶蹴りをしている。歓声。
「まあまあ、おさらいと思って我慢して聴いてよ、マレー沖で英戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』を海軍中攻隊があっさりと撃沈してしまったのが十二月十日、その日には恒例の大赦が実施され、全政治犯が即時釈放された!」
愛子が代用コーヒーを啜る。竜次は相変わらず黙ってタバコを燻らしている。
「そうだったかしら? 大赦なんて気がつかなかったわ」
「だめねえ、明くる十一日には治安維持法が廃止され、十二日には言論の自由の表明と検閲の全面的禁止と、目白押しよ! 十三日にはもう特高と憲兵隊が解体されているわ!」
「こら!」路地から自転車のブレーキ音と呶鳴り声。小雪が舞ってきた。
「よくみんな言うことを聞いたわね? 戦時だから?」
「さあ? あまりに矢継ぎ早の変化に、反対勢力は対応の暇がなかっただけのことかも知れないけれど。十五日には永野修身と杉山元、東条英機の三名が退陣して同日、鈴木貫太郎が首相に就任しているでしょう?」
「知ってるわ、そのときの就任演説の余波で、日独伊三国関係は一気に険悪化、二十日には三国同盟の破棄を通り越して、ドイツ、イタリア両国と日本の国交断絶にまで突き進んでしまったのよね」
「この鈴木内閣の下、二十五日から陸軍は中国大陸からの即時一方的撤退を開始したわけ」
「そして十六日と十八日には、朝鮮と台湾の総督府をそれぞれ二年後に廃止し、朝鮮と台湾の独立準備政府にすべての権限を委譲して、五年後には朝鮮と台湾の独立を承認すると発表したんだったな」と、竜次が口を挟む。
「満州国は皇帝巫儀の主導の下、国名を『万衆国』と改め、亡命ユダヤ人を始めあらゆる難民に永住権を認める永世中立国になっちまった!」立ち上がりながら、晃一が言う。
「七三一部隊などは実に、開戦翌日の十二月九日に解体されているんだ!」
こうして太平洋の諸戦域では、陸海軍将兵が多大の犠牲を支払いつつ、緒戦とはいえ連戦連勝を続けているさなかに、内地では政治の嵐が吹き荒れ、中国大陸からの大量の復員兵と大量釈放された政治犯の結合が深まり、旧来の価値観の劇的な転倒が随処に見られて、言論の自由のもと、いわゆる百花斉放の状態となり、社会情勢は、秩序派から見れば、混乱を極めた。
これに苛立つ統制派、皇道派、右翼、資本家の巻き返しが謀られると、それらの黒幕、大物のもとには、決まって「青紙」が舞い込むのだった。そしてみな内南洋送りとなった。
しかし、いくら黒い菊の紋章入りでも、「青紙」一枚だけでは頑冥固陋、あるいは利に敏い人びとは次第に動かなくなった。
ようやく、皇居内に潜伏久しい梨枝隊五十七人のアナーキスト秘密隊員が二人連れの皇宮警察官として、あるいは宮内省職員一名と四人の皇宮警察官として随時、市内に出没する出番が回ってきた。
「青紙」召集に応じようとしない統制派、右翼、資本家、それらの黒幕、大物の潜伏先を突き止めると出向いていって、その場で逮捕・拘引し、即日、内南洋送りにした。往生際悪く抵抗する者は、その場で射殺した。そうして処刑された者の傍らには、その罪状を記した紙片の末尾に必ず黒枠梨の絵のなかに〈梨〉の一文字が署名代わりに遺されていた。
伊号潜に乗組んで出撃していった榊原毅、その青白い俤がふと眼前を過ぎらない日とてなかったけれども、梨枝は闘いのいまに集中することで切なさを封じ込めていた。金子ふみ子の獄中手記『何が私をかうさせたか』が、小林多喜冶の『蟹工船』と並んで、いまや梨枝の密かな愛読書だった。
深夜に実行隊員二十名が遠巻きに警戒するなか、梨枝隊長みずからが率いる秘密隊員十七名が右翼暴力団の秘密アジトを急襲して、一挙に殲滅したこともあった。その場合にも、二人の幹部同志と十七人の平同志は、皇居内にとどまって平生どおりの業務を続けていたから「青紙」発送になんの支障もなかった。
手だれの精鋭ぞろいの葉子隊は、おんぼろ貨客船「天狼丸」の篤実な運用ぶりで「青紙」召集・内南洋送りの実績を梨枝隊とともに着実に積み上げつつあったが、そればかりではなく四人、五人と、手だれを梨枝隊や他の隊の闘争支援に一時派遣することもあった。
やはり、隊独自のブラックリストを作成しており、急襲、小戦闘のすえに標的を拉致してくることもしばしばだった。そんな折にも、味方の犠牲はつねに最小限にとどまっていた。いずれも戦場帰りの葉子隊隊員たちの強みであった。
拉致された標的は洋上裁判にかけられ、有罪が確定すると、手早く洋上処刑された。悪辣な帝国主義者・軍国主義者・敵間諜の死体処理は、相変わらず南海の鱶たちが十全に担ってくれていた。
船名は詳らかにしないが、俊足の小船二、三隻をつねに駆使して、上海の弥生隊との連絡・支援に充て、大連支部経由では、ハルビンの蘭子隊との連絡・支援もこなしていた。民間人の秘密結社員、たとえば〈火の玉小僧〉なども上海、大連との往来に葉子隊の小船を利用している。
36
目のまえに夜目にも赤黒く蟠る裸の島、ミッドウェイ。
昨夜来、まる一昼夜におよぶ主砲の咆哮が途絶えてみれば、あたりは耳の痛くなるような沈黙が領している。赤く焼けた砲身にざぶざぶと海水をかける水兵たちを尻目に、おれたち「伊勢」便乗の陸戦隊員三百名は左舷に十列に並び、さっと振り下ろす曹長の腕を合図に、最前列のおれたち三十名が舷側に垂らしたジャコブ(縄梯子)をいっせいに降りはじめた。銃はともかく背嚢と弾帯がやけに重い。重苦しい気配に見あげると、すぐ真上に、第二列の軍靴の底が迫っていた。
三十名ずつ十艘の上陸用舟艇に分乗して、敵海岸に向かう。満天の星屑のもと、美しく眠る蒼い大海原のなかで、おれたちの向かうミッドウェイ島だけが赤黒くいまも醜い煙を燻らせている。
旗艦の戦艦からばかりではない。「鳳翔」からも二百人、「川内」および九隻の駆逐艦から四百五十人、二隻の水上機母艦から二百五十人、そしてむろん五隻の輸送船からも四百五十人の陸戦隊員が、いま五十艘あまりの小型舟艇に分乗して、四方八方から島を目指している。
上空から眺めれば、水面に浮かぶ赤黒いケーキめがけて無数のゾウリムシが殺到しているのにも似て。海軍陸戦隊千六百五十名、これがミッドウェイ島上陸の第一陣だ。いま輸送船から離れたやや大型の舟艇二十艘には、軽装備の陸軍兵士千名が分乗している。これが第二陣だ。いま輸送船から大型の舟艇にゆっくりと移乗中の陸軍一個大隊の残り本隊二千人と弾薬・重装備、これが第三陣だ。
深夜の大気を揺るがせて大小無数の上陸用舟艇のエンジン音が轟く。敵にはこの音が聞こえないのか? 島は不気味に静まり返っている。はや海岸は目と鼻の先だ。距離七百五十メートルを切った。とたんに「ビュン!」と小銃弾がおれの右耳を掠めた。それが合図だったのか、たちまち猛然たる機銃掃射の嵐だった。首をすくめて腰をさらに屈めるほかにおれたちのできることはない。
「あっ」と叫んで仰け反った笠原三等水兵を抱き起こしてみれば顔の左半分がない。即死だ。ほかにも四、五名の負傷者が出た。無数の銃弾が海面を叩き、舟艇の薄い鉄板を貫通する。敵は速射砲や迫撃砲まで投入してきた。直撃を受けた舟艇は脆くも木っ端微塵となって空中に吹き飛ばされ、海面に叩きつけられた陸戦隊員のなかで四肢の具わっている者、意識のある者は半数に満たない。
至近弾を受けて中大破した舟艇を見捨てて隊員が泳ぎだす。多くは小銃だけは手放していなかったが、それも百メートル、二百メートルと泳ぐうちには身ひとつの丸腰になって、改めて力泳した。ともかくこの銃砲弾の雨をついて、なんとか海岸にたどり着かなくては、助かるすべもない。負傷者は端から丸腰で、弾雨のなかを緩慢な動作で泳ぎだす。重傷者を抱えて泳ぐ軽傷者もある。
このときようやく敵火砲の位置を発射の際の火焔で特定した味方の艦砲射撃が再開された。海岸の一部もろともこそげ落とすような凄まじさだった。なかでも旧型の駆逐艦四隻はおれたちのすぐ後ろまで進出して主砲、副砲、機関砲、増設された対空機銃まで動員して、撃ちまくってくれた。かたわら重傷者の救出にも奔命してくれたのだったが、自らも被弾して負傷者が続出している模様だった。このときほど、おんぼろ艦がありがたかったときはない。
敵弾が一時、駆逐艦に集中して、その間におれたちは海岸間近まで行き着くことができた。全装備で海中に飛び込んだ、すると、なんということだ、足がまだ底に着かない。おまけに海中まで無数の敵弾が追ってくる。
すぐまえにいた宮川二等水兵の腹を銃弾が貫通して、赤い血潮が拡がる。星明りで、しかも海中でなぜ血の赤だけははっきりと見えたのか、いまも分からない。確かに、海中に拡がる生白いはらわたまでも見えたのだ。助ける間もなくおれは海底を蹴って海面に顔を出し、腹いっぱい息をして、弾雨のなか、海岸の方向を確かめ、また沈んだ。そのときにはもう宮川の姿はなかった。おれは海の底を歩きながら、海中で涙を流した。弾を避けようともしなかった。
気がつくとおれは黒い砂浜に突っ伏していた。
前後左右に機銃弾が突き刺さる。あたりに遮蔽物は何もない。弾がおれを避けているとしか思えない。《林純一、十九歳》と、おれは最初に手に触れた貝殻を握りしめて、異国の砂浜におのれの墓名碑を刻みつける。
膝のあたりまで、まだ寄せ波の最後の海水がとっぷりと浸してゆく。海中を棒のように延びてくる、敵弾の槍衾のなか、どれほど長いあいだ歩いてきたのか、分からない。一時間とも二時間とも思われたが、実際には十数分間のことだった。十数歩あるいては、海底を蹴って浮上、息継ぎをする、また歩く。そのくり返しだった。その間にも四人、五人と仲間は撃ち減らされていった。
ようやく背が立つほどのところまでたどり着いてからが、なおきつかった。こんどは空中を飛びくる敵弾に、ずぶ濡れの上半身を晒しながら、できるだけ姿勢を低くして、散開し、波打ち際に殺到せねばならなかった。ようやく乾いた砂地に上半身を投げ出せたときには、近くの仲間は、おれを含めて八名にまで減っていた。少し離れたところにも七、八名。それがおれたち第一陣「伊勢」乗り組み陸戦隊、第一舟艇小隊のすべてだった。
敵の機関銃の火線がつかのま、おれたちを離れて、そのとき背後の砂浜に乗り上げたばかりの舟艇に集中した。確かめるまでもなく、敵の銃座は呆れるほど近くにあった。おれたちは両肘、両膝を使って匍匐前進した。手のひらにざらつく砂を膝裏のまだ濡れた布地にこすりつけて取る。手榴弾を抜き取り、安全ピンを口にくわえる。
このとき、少し離れたところからやはり匍匐前進していた兵四、五名が片膝立ちになって、手榴弾を投げた。その瞬間、彼らは機銃弾に薙ぎ倒されたが、まだ彼らの手榴弾が宙を飛んでいる間に、おれたちは匍匐したまま、大きく右腕を振って、手榴弾を投げ、顔を砂地に圧しつけた。敵兵の絶叫が聞こえたかに思えた刹那、猛烈な爆風が頭上を通り過ぎる。ついでもう一度。こんどはおれたちの投げた手榴弾の爆風だ。
目の前にどさりと何かが落ちた。こわごわ確かめると、敵兵のもげた片腕だった。
《こんなにも大きく、白く、毛深い腕をしているのか、米兵は!》
おれの腿ほどもある。少し頭を擡げると、横合いから機銃弾が飛んでくる。さっき仲間を薙ぎ倒した右奥の機銃座からの火線だ。匍匐して、吹き飛ばしたばかりの敵の機銃座跡にもぐりこむ。この機銃座ひとつ制圧したところで、右奥にも、さらに左のずっと奥にも敵の機銃座があって、稠密な弾幕を張って、日本兵を寄せつけない。
《迫撃砲があればなあ!》
おれは「はっ」とした。いま迫撃砲を使えるのは敵のほうだ。おれは仲間を促して、機銃座の外に這い出て、なおも匍匐前進を開始した。とたんに、「ポン」と音がして、出たばかりの機銃座跡に迫撃砲弾が飛んできた。危ないところだった。匍匐したまま散開して、右奥の機銃座に銃撃を試みる。お返しに凄まじい銃弾の嵐に見舞われた。おれたちはその場に釘づけになってしまった。
永遠に続くかと思われたその膠着状態を、他の小隊の投げた一発の手榴弾が救ってくれた。右奥の機銃座が完全に沈黙し、いまやその火線を他の小隊に向けた左百メートル前方の残った機銃座に向けて、おれたちは這い進んだ。このとき駆逐艦の放った砲弾の一発がその機銃座後方に落ち、浮き足立った米兵数名が立ち上がった。すかさずおれたちはベルクマン二十連発銃もまじえて、必殺の銃弾を送った。きりきり舞いをして倒れ伏す米兵を見ながら、おれたちは腰の牛蒡剣を引き抜いて、小銃に着剣し、一息ついた。
将校や下士官がここに居合わせたなら、すかさず突撃させられていたところだ。前方の機銃座がまだ活きているかどうか、確かめずにそんなことをするのは死にに往くようなものだ。案の定、また敵の機銃が「カタカタ」と小面憎く鳴り出した。他の小隊が喊声を上げて、突撃に移ったのだ。あちらには将校か下士官が居合わせたらしい。軍刀を振りあげて真っ先に駆けていった少尉が蜂の巣になって倒れ、兵四、五名がつづいて倒れた。
《おれたちにどうすることができただろう?》
気がついたときにはおれたちも吶喊して駆けていた。しかしものの五、六歩も宙を駆けると、おれたちは頭から砂地に突っ伏した。その頭上の大気を敵の機銃弾が薙ぎ払ってゆく。
《生きていなくては、勝つことはできない。生きていても、動かなくては勝てない。動けば、死ぬ………》
37
血なまぐさい夜明けだ。どこまでもつづく白い砂浜が薔薇色に染まって見えるのは、いま上がったばかりの太陽が投げかける初々しい酸っぱい光線のせいばかりではない。
足もとを洗う波の泡まで赤く光るのは、眼路の限りまで広大な朝焼けのせいばかりではない。
みなおれたちの流した血だ。はるばる何千キロも海のかなたから運ばれてきて、この浜にいっせいにぶちまけられたおれたち、血ぶくろ、糞ぶくろのまだ生温かい中身だ。おれたちの半ばが斃れて確保したこの海岸線を、黒ぐろとした影の塊となって、すり抜けていった陸軍兵士たち。銃剣だけがきらりきらりと光っていたっけ。突撃する彼らのために援護弾幕を張っているうちに、おれたちの弾は早々と尽きてしまった。それからは鹵獲した米軍の銃器を使用したが、射撃音の違いから、陸軍兵士が包囲されたと錯覚しないように、細心の注意を払わねばならなかった。
深夜からたてつづけの銃砲弾の爆発音に麻痺した耳には、間近に起こる白兵戦の喧騒も、遠い潮騒の音のように聞こえた。陸軍一個大隊の残り二千人と弾薬・重装備が第三陣として、大型舟艇でほぼ無疵で浜に上陸してからは、戦況は一変した。山砲、速射砲、迫撃砲の接射につぐ接射で、つぎつぎと敵の拠点をつぶしていって、戦いは組織的な壊滅戦から掃蕩戦に移るかと思われた。
このとき、異様な地響きがして、眩い投光器の光とともに、敵の戦車五、六台が闇の底から現れた。戦車砲が山砲を吹き飛ばし、機銃が日本兵を薙ぎ倒す。こちらの速射砲の砲弾が正面に命中しても、弾き返されるばかりで、歯が立たない。米軍戦車の行く手の日本軍はいっきに渚まで押し戻されてしまった。
しかし、戦車援護に突出した米兵の数が少なすぎた。百五、六十名が、五、六人ずつひと塊になって押し出してきて、自動小銃を乱射したが、これらはあたり一帯に散開して匍匐した日本兵の格好の標的となった。たちまち撃ち減らされていった。浜まで到達した戦車がUターンしたときには、戦車援護兵の姿は疎らだった。
無敵かと思えた米軍戦車も、側面や背後からの肉薄攻撃には脆かった。速射砲でキャタピラーを断ち切られると、立ち往生したし、工兵用地雷を下腹に貼りつけられて爆破されると、簡単にひっくり返った。戦車援護兵を一掃してからは、擱坐した戦車に飛び乗って、開いたハッチから手榴弾を投げこむ勇敢な兵もいた。大きな犠牲を伴ったが、突出した米軍の夜戦戦車隊の一部はこうして壊滅した。これが夜明けまでつづいた激戦の山場だった。
米軍は圧倒的な日本軍の兵力のまえに島の中央部まで次第に追い詰められていった。夜明けとともに、戦車十数両を先頭に、三百人ほどの米兵が最後の反撃に出た。昨夜の悪夢の再来かと思われた。しかし、早くも飛来した爆装零戦と艦爆の猛攻に、さしもの米軍戦車隊も、やがて壊滅した。
各種砲弾に射すくめられ、包囲された米兵があちらこちらで投降しだしたのは、それから間もなくのことだった。破壊された米軍司令部の跡地に日章旗が掲げられたのは正午を少し回ったころだった。米軍最後の抵抗が止んだのは日没寸前のことだった。どこに潜んでいたものやら翌朝以降も三々五々、米兵の投降がつづいた。
米軍総兵数七百四十六名、戦死者五百四名、捕虜二百三十一名、行方不明者十一名。日本軍総兵数四千六百五十名、戦死者五百三十九名、重傷者百七名。勝ちこそしたが稀にみる激戦だった。明けて十二月十日、直ちに部隊が再編されて陸戦隊七百五十名・陸軍七百五十名で「旭日島守備隊」が結成された。この日からミッドウェイ島は「旭日島」と呼ばれるようになった。
おれも含めて陸戦隊五百二十二名・陸軍千九百四十二名は「ハワイ方面第一遊撃部隊」として同日、日没後に乗船、午後八時に出撃した。「伊勢」「鳳翔」「川内」、駆逐艦七隻、水上機母艦二隻、輸送船四隻の陣容だった。
38
日本内地での治安維持法の廃止、特高および憲兵隊の解体が最も深刻な余波を齎したのは、やはり朝鮮であった。
当然のことに即時独立を求める民衆の運動が鬱勃として起こった。たちまち各地から日本官憲との衝突が伝えられ、大規模な流血沙汰も不可避の、まさに一触即発の事態となった。朝鮮総督府は緊張したが、天皇ヒロトトによって独立運動への一切の干渉を禁じられ、むしろ不逞邦人の取締りを厳にするよう督励された。
開戦八日後の一九四一年十二月十六日には、
「五年後の一九四六年十二月十六日をもって、朝鮮独立を承認する」
との勅令が発せられた。
「朝鮮総督府は二年後の一九四三年十二月十六日をもって廃止され、同日、朝鮮独立準備政府にすべての権限を委譲する。準備政府の設立はすべて朝鮮民衆にゆだねられ、日本人は一切干渉してはならない」とされている。
内地での検閲の廃止、言論の自由、政治犯の釈放は、朝鮮においても即座に実施された。たちまち朝鮮語・日本語・英仏語新聞が雨後の竹の子のように続々と発刊された。朝鮮においては日本人と係わる経済犯・一般囚も即時釈放された。植民地ゆえに有罪とされた朝鮮民衆が多かったから。
「なるほど、邦人の生命財産の保護は大事なことではあるが、それは朝鮮人の生命財産の保護が大事なことと同列である」
と、当然のことが改めて明言された。また、
「朝鮮における公用語は当然、朝鮮語であり、日本語はそれに準ずるもの」
とされ、朝鮮における義務教育は当然、朝鮮語をもってなされることとなった。
「朝鮮語教科書が整うまで、過渡的には日本語教科書の使用もやむなし」とされている。
事態は台湾でもほぼ同様の経過を辿った。
治安維持法の廃止など内地での一連の措置が深刻な余波を齎したのは、満州も同様だったが、満州国の場合にはいささか事情が異なった。
満州国の主権者は表向き皇帝溥儀だったから。しかも圧倒的な軍事力、日本陸軍・関東軍に囲まれていた。対外的には満州国皇帝溥儀の署名一本やりで押し通せるものが、対内的には天皇ヒロトトの連署なしにはいかなる詔勅も有効に機能しなかった。それゆえ溥儀の出した詔勅はいずれも対外・対内むけの二本立てだ。それでも政変の危機は二度、三度と溥儀を襲い、天皇ヒロトトの直接介入なしにはすまなかった。「青紙」の連発だけでは、関東軍の牙城を揺るがすことができないでいる。
以下は、満州国皇帝溥儀が矢継ぎ早に出し、即日実施された詔勅の一部である――
一、満州国は現在の国境を堅持し、その版図を隣接する中国・ソ連・蒙古・朝鮮に広げる如何なる意図も有さない。
一、満州国は永世中立国たることを宣し、自衛のため以外に武力を用いることはない。満州国はその国名を「万衆国」と改め、入国を望むすべての難民・移民に開かれた国となし、「万衆国民」は凡て等しく平等の権利を享受するものとする。
一、万衆国皇帝は統治せず君臨せずただ在るのみであり、五年後の一九四六年十二月二十日からは、詔勅の権能も廃して、諸民族から成る万衆国民の統合の象徴としてのみ存続する。
一、旧満州国旗は黄色は満州民族、赤色は日本民族、青は漢民族、白は蒙古民族、黒は朝鮮民族を表したが、新生「万衆国」旗はその一番広い黄色地にダビデの星を黒く染め抜き、ユダヤ民族ほか他民族との共存を目ざす多民族国家の旗印とする。
言論の自由は保証されたから、たちまち満州語・女真語・中国語・モンゴル語・ロシア語・朝鮮語・ヘブライ語・アラビア語・英仏語・日本語の諸新聞が発刊され、いわゆる百花斉放の状態が現出し、「万衆国」の政界、文化は揺れに揺れた。
天皇裕仁の聖旨を受けた唯一の陸軍部隊、七三一部隊は先に記されたとおり開戦の翌日、一九四一年十二月九日に解体され、兵員は即日、他の実戦部隊に編入された。一部は他部隊への編入後も現地に留まって膨大な収容・実験施設、細菌弾・化学弾の解体・処理に当たった。それに先立って、皇帝溥儀・天皇ヒロトトの勅命を受けた一部隊が、全収容・被実験者いわゆる「丸太」の救出にあたり、全員を釈放、被験者の一般病院での加療、健康回復、損害賠償に努めたことは言うまでもない。
責任者の処罰は、最高責任者である天皇裕仁については不問、現場の最高責任者たる石井四郎、内藤良一などの幹部はすでに、三年前に「青紙」召集の便船・第七便で内南洋に送られてしまっていたから、残りの現場責任者をすべて内南洋送りとし、一般の医療活動に奉仕させるほかはなかった。
こうして大量の生体実験という前代未聞の残虐事件の処理に際して、責任者の処罰に明確さを欠いたことは、将来に禍根を残した。戦時下とはいえ言論の自由は一転、保証されることになったから、中国語・朝鮮語・ロシア語・ヘブライ語・日本語新聞などにおいては、秘密部隊の実態の解明と公表、責任者の処罰を求める論調がなお根強かった。事実こうした活動は水面下でも継続されて、数年を経ずして秘密部隊の実態の解明と公表、責任者の処罰が改めて行われ、内外の注目を集めたのだった。
翻って朝鮮・台湾・万衆国における急激な変化は、戦勝に沸く日本の民心にも微妙な影響を及ぼさずにはおかなかった。
「あの鬼の東条でさえ、せっかく島送りになったというのに、勝っているうちに戦争は止めて欲しいものだ!」と、晃一。
「万衆国はともかく、てっきり日本領とばかり思ってきた朝鮮・台湾がこんなにも矢継ぎ早に独立するのなら、大東亜共栄圏だとか八紘一宇だとか、わけの分からぬお題目に踊らされて、親が子が兄弟が夫が戦場に狩り出されて無理やり人殺しに加担させられた挙句に、虫のように殺されてしまう必要が一体どこにあるのか?」と、栄七。
「この戦争で一体誰が得をするの? 肥え太るのは軍部と結託した財閥ばかりじゃないの!」と、牧子。
「お先棒担ぎの右翼・国粋主義者がみな外地で戦死してくれたなら、この国はどんなにかすっきりすることでしょうに!」と、伸子。
「やつらは相変わらず安全な内地でのさばり返っているわ。純真な若者ばかりが異郷で泥と血と糞に塗れて、いまも死んでゆく!」と、民子。
女子供の目だつ貧相な戦争反対のデモ隊百六、七十名ほどが、戦勝祝賀の提灯行列に挟まれて、皇居周辺に見受けられるようになったのは、早くもこのころからのことだった。
そして霙まじりの雨のなか、この平和を願うデモ隊に棍棒で襲いかかった右翼がその場で検挙されて全員が即日、内南洋送りとなった翌日には、千人規模の平和行進が国内各地で見られ、連日その数を増やしていった。そうして戦勝祝賀の提灯行列には、必ずその数に見合うだけの戦争反対の平和的デモ行進が見られるようになった。
皇居前広場を埋め尽くすこの好戦・厭戦・反戦、三派の入り混じった妙に和気藹々たるデモ風景は、いかにも日本的な光景として、再入国を許可された海外特派員たちの目にも奇異に映じ、写真つきで外国紙に大きく取り上げられてその論調にも影響を及ぼした。
このころから英米でも著しく変わった日本に対してなおも対日戦を継続することを疑問視する記事が目立つようになった。反戦デモが英米でも見られたのだった。たちまち騎馬警官隊に蹴散らされてしまったが。
39
パチンコ形の珊瑚礁ウェーキは全島を覆う黒煙のした、鬼火にも似た赤黒い焔をちらつかせて、深い眠りに身をゆだねた大海原のなかでただひとり目覚めていた。まるでうぶなおれたち日本兵を誘う魔女メドゥーサみたいだった。
重傷を負った陸軍二等兵岡本瓢太郎は、辛くも生き残った上陸戦の模様を、のちに淡々とこう証言している――
海軍陸戦隊千六百五十名が、上陸部隊の第一陣として「日向」「瑞鳳」「夕張」、「如月」ほか七隻の駆逐艦、水上機母艦二隻および輸送船五隻から小型舟艇に移乗、出撃したのは開戦二日目の深夜午前三時を少し回った頃のことだった。
それと踵を接するかのように軽装備の陸軍兵士千人が中型舟艇で第二陣として出撃。おれたちの小隊もこの中に含まれていた。陸軍一個大隊の残り本隊二千人と弾薬・重装備が第三陣として大型舟艇で出撃したのは午前三時半を少し回った頃のことだろう。
海岸の一部もろともこそげ落とすような凄まじさで艦砲射撃が再開され、敵も速射砲、迫撃砲まで繰り出してきて、たちまち銃砲火の応酬の嵐となった。
弾雨の降りそそぐ波間で、小型舟艇は木の葉のように翻弄され、直撃されては木っ端微塵となり、至近弾を浴びては転覆した。陸戦隊に戦死者が続出し、白い渚は夜目にも赤く血に染まった。
第二陣、陸軍のおれたちも苦戦した。敵の互いに連携した機銃座をちりばめた堅固な縦深陣地をまえに、銃剣をきらめかせての得意の突撃もいたずらに戦死者の山を築くばかりだった。第三陣の大隊本隊は足場の悪い波打ち際に山砲、速射砲、迫撃砲をすえて直接照準の乱射を余儀なくされた。それでも艦砲の援護を受け、兵員の数と砲数にまさる日本軍が次第に優勢となった。
悪夢は明け方近くに訪れた。敵の戦車七、八台が闇の底から現れたんだ。戦車砲が山砲を吹き飛ばし、機銃が日本兵を薙ぎ倒す。火炎放射器を装備した戦車まであって海兵・陸兵の別なく焼き殺されてたちまち死屍累々となった。このまま一気に渚まで押し戻されるかと思えたが敵戦車群はUターンして再び闇の底へ消えてしまった。敵戦車援護兵の犠牲が多すぎたからだった。戦車とともに突撃してきた米兵二百人あまりは周囲に伏せたおれたち日本兵の格好の標的となり、戦車がUターンするまでにはその半ばを撃ち減らされ、戦車が闇の底にいち早く消えたときには五十人と生き残ってはいなかった。
夜明けとともに零戦、艦爆、艦攻の順で地上攻撃の友軍機が飛来して、昨夜来の激戦で露出した敵の機銃座、トーチカ、小要塞を虱潰しにしていった。正午前には今日も中攻の編隊がはるばると飛来して頑強な米軍の頭上に爆弾の雨を降らせていった。さしもの米軍戦車隊も艦爆や小型爆弾を吊るした零戦の敵ではなかった。掩蔽壕を出て移動の途中を、零戦や艦爆に次々に仕留められていった。
正午過ぎには地上戦は殲滅戦から掃蕩戦へ移行の兆しを見せ始めてきた。白兵戦をまじえての追撃戦に移ってからのおれたち陸軍兵士の精強さには眼を瞠るものがあったろう。じりじりと後退する敵の戦線を追い越して突出し、かえって苦境に陥る味方の小隊がしばしば見られた。そんな際には友軍の海軍陸戦隊が援護に少なからず働いてくれた。
しかし島内のいたるところに小要塞を築き上げていた米軍の抵抗は頑強だった。二股に分かれた島の付け根あたりの地下要塞まで敵を追い詰めはしたものの、そこで日没となり、総攻撃は明日のひるに持ち越された。翌十日早朝から米軍の地下要塞への集中攻撃が始まり、徹甲弾による艦砲射撃と艦爆の徹甲爆弾による急降下爆撃がくり返された。正午前にはまたも中攻の編隊が飛来して頑強な米軍陣地の頭上に爆弾の雨を降らせていった。
さらに艦砲射撃と艦爆の爆撃が続き、その合間あいまに露出した避難口からおれたちが手榴弾を投げこむと、さしもの米軍守備隊も音を上げて、午後三時過ぎには白旗を掲げた小集団があちらこちらの穴から這いずり出てきた。憔悴しきった顔顔ではあったが、やれるだけのことはやった満足感に一様に眼だけは異様に光らせた捕虜の群れだった。
やっと勝ちこそしたが、稀にみる激戦だった。おれたちの中隊は二十三人が戦死し、五十六人が負傷した。おれもその中の一人だった。火炎放射器を装備した敵戦車にやられたんだ。
明けて十二月十一日、直ちに部隊が再編されて陸戦隊七百三十名・陸軍七百七十名で「大鳥島守備隊」が結成され、この日からウェーキ島は「大鳥島」と呼ばれるようになった。零戦、艦爆、艦攻、水戦若干機が島に残置された。陸戦隊五百三十五名・陸軍将兵千七百五十七名は「ハワイ方面第二遊撃部隊」として同日、日没後に乗船、午後九時に出撃していった。「日向」「瑞鳳」「夕張」、駆逐艦七隻、水上機母艦二隻、輸送船は四隻だったな。
左肩・左腕を負傷し、左顔面を火傷したこのおれは、大鳥島守備隊員として、波打ち際で彼らを見送るほかはなかった。
ん? この程度の怪我では内地に後送される話なんてなかったよ。
ラベル: 現代

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