海の風と雲と1-5
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そのころ川名少尉と大河原少年はふたりだけの夜明けを迎えていた。
南海の夜空に煌めく星屑が次第にその光を減じて、いつしか東の空がしらみかけている。ほてった肌を撫であげるように吹きわたる潮風が冷たく心地よい。足指から足首へ、ふたりの絡まった足もとを漣がやさしく洗う。肌にちりばめた微細な宝石のように光る砂だけを身にまとったふたりは、なんどめかの深い口づけを交わす。
シロアジサシの囀る声が聞こえる。嘴のつけねが綺麗なブルーの真っ白な天使みたいな小鳥たちが、この地獄の島に戻ってきたのだ。少年の舌先が執拗に少尉の舌先を追う。少尉は口中にあふれる少年の唾液を飲む。少年の潤んだ黒い眸が少尉の目の奥を覗きこむ。そこに何を見つけようというのか? やさしい虚無だろうか? おそろしい愛だろうか?
緯度にすればちょうど奄美大島あたりに当たるこの島も、真冬に浜辺を吹きわたる風はさすがに冷たく寒い。肌に一糸まとわぬ裸のふたりは互いのぬくもりを求めて身体を重ねあう。あとしばらく待てば、水平線上に太陽が顔をのぞかせ、北太平洋の孤島、この旭日島にも夜明けが訪れ、このまま砂浜に寝そべっていれば、やがて太陽の光線が濡れたふたりの身体を心地よく温めてくれる、と分かってはいても、正午までこのまま砂浜に寝そべっていることは、ふたりには許されていない。誰にも許されてはいない。それどころか、午前六時には総員点呼がある。それまでに、この隠れ浜を脱け出て、丘の茂みで軍装を身につけ、司令部前広場に駆けつけねばならない。
ふたりに残されたあとわずかばかりの青い闇の時間を惜しむかのように、少年と少尉は身体の位置を入れ替えて、互いの分身をつかんで口に含む。砂まじりの潮の味がするそのものを、口いっぱいにほおばりながら、おのれの唾液を舌先に絡めて丹念に洗う。やがて硬く怒張して青臭さを放つそのものを、どれほど長いあいだ、ふたりは愛しげに吸いあっていたのだろう。不意に少尉がぷっと噴きだして思わずそいつから手を離すと、少年も同じ思いに駆られたのか、ぷっと吹きだすなり、砂浜に身体を丸めて笑い転げる。少尉は砂地に大の字になって大声で笑う。まったくこんなに大きな声で笑ったのは久しぶりのことだった。内地でもこんなには笑わなかった。
《まったくあれは酷かった》と、少年を見やると、少年も《あれはひどかった》と、まだ笑いの宿る目顔で告げる。ふたりは立ちあがり、身体についた砂を払い落とすと、白んできた空と青みがかった大海原を背に、丘の茂みに一目散に駆けていった。
十二月十日、部隊が再編されたおりに、島に残置されることになった独立零戦隊八機の指揮を任された川名弘人少尉は、特別の感情を抱かなかった。ただ、広大無辺な銀河宇宙の意識と一体となって、《もう殺さなくてもいい、もう殺されなくてもいいのだよ》と、おのれの魂の根に、やさしく囁きかけてくる声が脳中を過ぎったばかりであった。「旭日島」を中心に半径千キロ以内が哨戒圏であったが、現実的には日々変えはしたが、特定方位の七百五十キロ圏内を二式大艇二機と鹵獲・修理・整備したカタリナ飛行艇一機で、五百キロ圏内を艦爆三、艦攻三、零戦八の十四機で、二百五十キロ圏内を水戦十五機で、分担・交替で哨戒するほかはなかった。いまさらのように呆れたことに、東西南北どちらにどこまで飛んでも、海また海で、見えるものは大空と大海原ばかり、島影ひとつ見当たらなかった。それでも朝と夕べで、空、海、雲はまったく異なる表情を見せたし、風の色さえも違ってくるのだった。
「風の匂いもその日その日で違うのだよ」と、川名少尉は大河原少年に話して聞かせたことだった。「運がよければ、鯨の潮吹きが見られるし……一度、みごとに大きな潮吹きのなかを愛機で潜ってやったら、臭いのなんのって……」
予想される米軍の反攻・奪回作戦に備えて、まず滑走路の復旧が、陸兵・海兵千五百人の三交替・昼夜兼行の突貫工事でなされたのであった。その間、飛行士と整備兵とはそれぞれの愛機の整備・手入れのほかに、破損した米機を集めて飛べる飛行機を作りあげるのに忙しかった。なかでも米戦九機は、飛行士・整備兵一同の苦心の結果、戦闘能力のアップさえ図られたのであった。そして予備機として活躍、「旭日ワイルド隊」と称し、適性有りと判定された少年整備兵にはこの「旭日ワイルド隊」に限って、飛行隊へ即日入隊の道が開けた。川名少尉以下の零戦隊員全員が、非番の日には、このワイルド機のテストパイロットに狩りだされ、ついで少年整備兵たちの飛行訓練の教官を勤めさせられたのであった。なかでも大河原少年がいちばん熱心であった。いまでは「旭日ワイルド隊」の飛行副隊長格は彼である。
また、ミッドウェイ島米軍守備隊が残した遺留品のなかで、旭日島守備隊一同を最も熱狂させたもののひとつに、スポーツ用具がある。滑走路の復旧、全島の要塞化工事と、連日の肉体の酷使に、宿舎に帰れば、倒れこんで寝るだけの隊員たちのなかにも、野球のバットやミットを抱いて眠る者たちがいる。いつの日か、全島挙げての陸海軍対抗野球試合を夢見ているのだった。バスケットボールは通信隊が、バレーボールは給食班が持っていったが、ワイルド隊少年整備兵はサッカーボールを見つけて、隠れ浜に隠しておいた。崖と岩礁に囲まれたここだけは黒い砂地で、腕ならぬ足技を磨いて、零戦隊チームを打ち負かしてやろうというのだった。
ホイットマンの『草の葉』詩集と、メルヴィルの『白鯨』ほか、ペーパーバック数冊を見つけた川名少尉は、それだけで有頂天となった。シロアジサシの営巣地はできるだけそっとしておくことになった。あの烈しい戦闘後、数日を経ずして、奇蹟的にも還ってくる数羽の白い天使たちが確認されたからである。それだけが平和の証しと思えたのであった。
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十二月十二日午前六時、アメリカ機動部隊の壊滅とミッドウェイ、ウェーキ(「旭日」「大鳥」)両島の占領・確保を踏まえて「ハワイ方面第一および第二遊撃部隊はすみやかに合同し、ジョンストン島を攻略せよ」との山本五十六の暗号電が両部隊旗艦宛に入電した。
旭日島=大鳥島=ジョンストン島=オアフ島を菱形にむすぶ戦略的に重要な海域の最南端にジョンストン島は位置している。
これを受けて第一遊撃部隊は一路南下、第二遊撃部隊は一路東進して十五日夕刻にジョンストン島北方七百五十キロの洋上でぶじ合同を果たし、「ジョンストン島攻略部隊」を結成した(旗艦戦艦「伊勢」「日向」、軽空母「鳳翔」「瑞鳳」、軽巡「川内」「夕張」、駆逐艦十四、水上機母艦四、輸送船八、陸戦隊八百四十二名・陸軍三千六百九十九名の陣容である)。なお、ジョンストン島は米潜基地となっている模様との追加電が入ったために駆逐艦、水戦主力の対潜警戒がいっそう厳になされた。
十六日払暁を期してジョンストン島北三百七十キロの洋上から独立零戦隊八機、艦戦三十機、艦爆十二機、艦攻十二機、水戦十五機の計七十七機による全力出撃の奇襲攻撃が敢行された。艦隊の上空直掩は残る独立零戦隊八機、水戦十五機と艦戦予備機六機の計三十一機だけとなった(甲板積載の独立零戦隊八機ずつをそれぞれ旭日島と大鳥島に残置してきてしまったことがほんとうに悔やまれたが、両島の守備に不可欠な戦力とあれば、それは致し方のないことではあった)。
前日夕刻、カタリナ米哨戒飛行艇による触接を艦隊は受けていたから、実際には強襲となったが、零戦の航続距離の長さをまだ充分に認識していなかった現地米軍司令部の立ち上がりは遅く、せっかくの基地航空戦力と潜水艦部隊は、日本軍に紙一重の差で後れを取ってしまった。
ジョンストン島まであと二百キロの洋上で、まだ明けやらぬ薄青い闇の海上に、北へ向けて浮上航行中の米潜艦隊を攻撃隊末尾左端の一水戦が発見したのは、まったくの偶然であった。僥倖と言わねばならない。即座に落とされた照明弾のまばゆい光のなかを急速潜航にかかった米潜隊六隻であったが、いち早くこれに気づいて反転した艦爆三機と水戦六機の好餌となって二隻が轟沈、あと一隻は戦闘不能に陥ってしまった。残る三隻は水戦の機銃弾を浴びながら、暗い海中に姿を晦ましてしまった。
投弾を終えた艦爆三機と残弾残り少なの水戦六機は、むろん直ちにそれぞれの母艦に帰投した。爆弾の再装填・給弾・給油ののちに主戦場に取って返すためである。しかし、艦爆一機と水戦二機は被弾損傷著しく、結局、今回の攻撃には参加できなかった。
いまや零戦三十八機、艦爆九機、艦攻十二機、水戦九機となった攻撃隊は高度三千メートルを飛ぶ艦攻隊十二機の上空五百メートルに零戦六機、下方五百メートルに水戦九機を直衛として配し、高度四千メートルを飛ぶ艦爆隊九機の上空五百メートルに零戦六機が直衛として占位して、残りの零戦二十六機は制空隊となって高度五千メートルで先行した。
東の水平線に太陽が顔を覗かせたときには攻撃隊は島の上空域にさしかかっていた。島の上空にはさすがに敵ワイルドキャット四十二機が待ち構えていたけれども、基地滑走路では大型爆撃機への爆弾搭載・出撃準備の真っ最中だった。たちまち敵戦と制空隊零戦の激しい空中戦が始まったが零戦の奮闘ぶりは凄まじく、一機二機と被弾・炎上、あるいは被弾して白煙を吐きながら避退してゆく機を見れば、ほとんどが米軍機である。
それでも零戦との格闘戦を擦りぬけた米戦が、爆撃態勢に入った艦攻と艦爆めがけて殺到してくる。そうはさせじとあいだに立ちふさがる直掩零戦と直掩水戦、ここでも激しい空中戦となった。初めはフロート付の水戦を舐めてかかった米戦だったが、その運動性能のよさに舌を捲くことになった。水戦独特の回避運動に戸惑ううちに、手痛い反撃を喰らったりした。
その間に艦攻は対空砲の弾幕をついて滑走路上の敵爆撃機めがけて、水平爆撃で陸用爆弾を投下、艦爆は四千メートルの高空から急降下爆撃を敢行した。やっと爆弾を搭載しおえたばかりの大型爆撃機が直撃を受けて大爆発し、つぎつぎと誘爆していった。こうして敵爆撃機のあらかたは地上で撃破されてしまった。
やがて米戦を駆逐した制空隊零戦が激しい対空砲火をものともせずに、飛行場の構築物や残存機、対空砲座めがけて地上銃撃に移った。そのころには艦攻と艦爆隊は直掩の零戦・水戦に護られて帰艦の途に就いていた。敵大型爆撃機十七機を地上撃破、敵戦三十機あまりを撃墜破の大戦果であった(終わってみれば、味方も手痛い損害を蒙っていた。零戦の損失九、損傷十七、艦攻の損失七、損傷五、艦爆の損失四、損傷三、水戦の損失四、損傷五)。
帰途半ばの洋上で、これから攻撃に向かう味方の小編隊とすれちがった。さきほど反転して米潜隊を撃破して帰艦、爆弾の再装填・給弾・給油をすませた艦爆二機と水戦四機、それに艦隊の上空直掩の任を解かれて着艦・給油、再度発艦した独立零戦隊八機の計十四機であった。
この小編隊は、零戦八機が敵の小休止に乗じてジョンストン島上空を制圧にかかるや、米潜基地の殲滅に集中して、水戦四機が対空銃砲座を機銃掃射するなか、艦爆二機が米潜基地司令部の建物と停泊修理中の米潜一隻を爆撃した。やがて零戦四機も加わって地上の機銃座を撃破、露出した米潜弾薬庫の魚雷を銃撃、大爆発させた。それを潮にこの小編隊はいち早く帰投した。それでも全機被弾していた。時に十二時三十分。
午後一時三十分にはジョンストン島の北北東二百キロの洋上から零戦三十三機、艦爆八機、艦攻九機、水戦十二機の第二次攻撃隊六十二機が発艦した。島の上空を制圧した攻撃隊は飛行場、海岸砲台、対空砲台、機銃座、弾薬集積所、燃料貯蔵庫の爆撃、機銃掃射に集中した。島は焔と黒煙に覆われたが、米軍がなおどの程度の兵力を温存しているかは不明であった。
十六日午後八時、闇夜の大海原のなかになお黒ぐろと、そして赤黒くひっそりと蟠っているジョンストン島、空爆名残りの熾きにも似た焔と黒煙がまだ島のあちらこちらに纏わりついている。
突如、大輪の光の環が四つ、島の隅々までを照らしだした。「伊勢」「日向」の水偵二機ずつが吊るす吊光弾であった。俄然、主砲が火を噴き、二戦艦からの主砲弾が島じゅうを耕すかのように降りそそぐ。その距離一万八千メートル、沿岸砲の射程外である。たまらず射程外から撃ちかえす沿岸砲をすかさず潰してゆく。このときの上陸戦の模様を、負傷した海兵水島郁夫と陸兵渡会卓は、こもごも次のように語った――
午後十時、「川内」「夕張」がそれぞれ駆逐艦四隻をしたがえて逆時計まわりに島を周回しながら距離を狭め、距離七千五百メートルを切ってから、この二水雷戦隊は艦砲射撃を開始した。その頃には九千メートルまで接近した二戦艦の副砲も射撃に加わった。朝・昼の爆撃には漏れた弾薬集積所や燃料貯蔵庫も被弾して爆発炎上、大火災を生じた。警戒していた敵の残存潜水艦・哨戒艇・魚雷艇からの反撃はまだない。
島まで五十キロに近づいた「鳳翔」「瑞鳳」および水上機母艦四隻は、駆逐艦四隻に四方を護られて待機しているという。残り二隻の駆逐艦に率いられて、輸送船八隻が八千メートルの距離まで進出してきた。
午前零時、いっせいに各艦船の舷側にジャコブ=縄梯子が垂らされ、陸戦隊員が小舟艇に乗り移り、海岸に殺到する。上陸第一陣の陸戦隊八百四十二名だった。暗夜に独特のエンジン音がこだまする。いま、輸送船から離れた中型舟艇三十一艘には軽装備の陸軍兵士千六百九十九名――私、陸軍二等兵渡会卓はこの中の一人だった――が分乗している。これが第二陣だ。いま、輸送船から大型舟艇にゆっくりと移乗中の陸軍二個大隊の残り本隊二千人と弾薬・重装備、これが第三陣だ。
深夜の大気と大海原を揺るがせて大小無数の上陸用舟艇のエンジン音が轟く。上陸援護の駆逐艦の銃砲弾が渚の砂ごと、敵銃座を吹き飛ばしてゆく。そんななかでも敵は理性的な計算しつくされた機銃の火線網をなおも維持している。つぎつぎと波打ち際に斃れ、伏す、海兵、陸兵。浜辺での激闘三時間に及んだ。
浜から奥まったやや小高い場所にようやくいくつか橋頭堡を築く陸兵第三陣。このときだった、眩い投光器の光とともに轟音を発しながら異様な戦車五、六台が現れたのは。
高く掲げられた肉厚幅広の鋼鉄のブレード。たちまち蹂躙される築いたばかりの橋頭堡。旭日島や大鳥島での悪夢の再来かと思われた。
なにしろ、ブルドーザーというものを見たことがなかったのだ、当時の私たち日本兵は、いや、大半の日本人は。しかしいくら運転席の周囲を防弾鉄板で囲ってあっても所詮、ブルドーザーは巨大な土木機械のひとつに過ぎない。背後や側面の防御力はなきに等しい。支援の敵兵を一掃してみれば、数発の手榴弾の投擲でたちまちつぎつぎに擱坐してしまった。
互いに支援する合理的な縦深陣地から、米兵は稠密な弾幕をなおも張ったけれども、やがて山砲、迫撃砲、速射砲と、砲数にまさり、兵力にまさる日本軍が次第に相手を圧倒してきた。均衡が破れて突撃と白兵戦が相次ぐと、この島では米軍の戦線瓦解は、意外と早かった。防空壕、待避壕、連絡壕はあっても、さしたる地下陣地を構築してあったわけではなかった。
手榴弾を投げこみ、山砲を撃ちこむと、思わぬ方向の隠れた出入り口から、白旗を掲げて三々五々、米兵が投降を始めた。不覚にも私、渡会卓陸軍二等兵は、この最終局面で流れ弾で左肩に負傷してしまった。米軍の組織的な抵抗が止んだのはそれから程なくのことだった。
明けて十二月十八日、直ちに部隊が再編されて「南亀島守備隊」が結成され、この日からジョンストン島は「南亀島」と呼ばれるようになった。若干の零戦、艦爆、艦攻、水戦が島に残置された。陸戦隊五十名・陸軍将兵二千四百四十三名は、日没後に再び乗船、午後十時に出撃した。まともに眠れるのは、二日ぶりのことだった。けれども私、水島郁夫三等水兵は、ひりつく傷痕を潮風にいたぶられながら、輸送船団七隻の最後尾「三日月丸」船尾の機銃座に独り就いていた。
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川名少尉と大河原少年が久しぶりにふたりだけの夜をもてたのは、十二月十三日のことだった。消灯後、少尉と少年は設営されたばかりの基地を抜け出した。というか、少年に先導されて、少尉は基地を脱け出た。司令部も守備隊宿舎も寝静まっていたが、少し離れた飛行場では滑走路の修復工事が、はや最終段階に入ったとはいえ、煌々と照らす照明のもと、夜を徹して行われていた。
要所要所に立つ哨兵や歩哨の目をかわして、ひそかに海岸近くの丘と呼ぶにはあまりに低くて貧相な丘までたどり着けたのは、まったく大河原少年のおかげだった。ほかの整備兵の大方が母艦「鳳翔」からカッターに乗って上陸したのに対して、少年は川名少尉が操縦する零戦の腹に潜りこんで空路、この旭日島に着陸した。少年はこのことをひどく感謝していたから、一刻も早くそのお礼を果たそうと、少尉の手を曳かんばかりであった。
上陸後まだ三日と経っていないというのに、少年は島の地形を実によく諳んじていた。陸のわずかな起伏を利用したり、米兵の掘った塹壕跡を抜けたりして、ふたりはほとんど姿を晒さずにこの丘に到着した。それどころか、少年は途中、シロアジサシの巣さえ見つけて、産みたての卵を一つずつ啜ってふたりは賞味したのだった。それまでも角ごとの物陰で、潮風とタバコの味のする接吻を繰り返してきたふたりだったが、それからは野鳥の卵の味まで、接吻に加わったのだった。
丘の茂みにたどり着くと、ボタンを外す指先ももどかしく、ふたりは互いの軍装を脱がしあって裸になった。茂みの外は大海原のうえに降るような星屑の明かりに満ちていた。少年のほっそりした肩にも少尉の太い首筋にも北太平洋の星屑が光を投げかけていた。しばらくふたりは互いの裸身を眺めていた。人間の肉体がこんなにも美しいのに、いま初めて気がついたかのように。
ふたりの分身はそれぞれ夜空に向けて屹立していた。まず少年が跪いて、少尉のものを口に含んだ。ついで少尉が跪いて少年のものを口に含んだ。そのころにはふたりの分身は痛いくらいに硬くなって夜空を睨んでいた。ふたりの股間を青い夜風が吹き抜け、睾丸を撫でていった。並んで夜の海原に映る星影を眺めながら、少尉が少年の背に回って、ふたりは肩越しに長い接吻をした。その間、逸る少尉の棹が少年の背や腰を小突いては、少年の腰や尻に疼きを伝えていた。
少尉は少年の背後に跪くと、尻肉を両手で分けて、現れた若い菊座に接吻した。その苦い味に誘われたかのように、舌先が菊座に分け入る。少年はたまらず腹ばおうとする。その尻を高く掲げて、少尉はいっきに半ばまで貫いた。少年の硬いものを右手に掴んで九分どおり貫く。そこで少尉は意外な行動にでた。緩やかにおのれのものを引き抜くと、少年を立たせて、おのれの背後に回らせ、みずからは這い蹲って尻を高く掲げた。
無言のうちに少年は、少尉の稀有の贈り物を諒解していた。少尉の尻を割って臆病な菊座を島の夜風に晒すと、おのれの屹立するものの頭をあてがい、睾丸を両手で握り締めながら、いっきに貫いた。少尉は頭のてっぺんまで突き抜けるような激痛と同時に、これまでに経験したことのない快感に襲われた。少年はなおも少尉の睾丸を握り締めたまま、血に塗れたおのれの一物をゆっくりと出し入れした。
「こうしてぼくは少尉の処女を奪い、今夜、男になった」と、呟いて、少年はふと妙な気がした。あんなにも頑なに少尉の誘惑を拒み通してきたのに、波飛沫のかかる「鳳翔」舷側のカッターわきの狭苦しい物陰で、ズボンをずり落としただけの惨めな格好で、脅える菊座を少尉に捧げてしまったのはなぜなのだろう? 苦しむ少尉を見ていられなかったのだろうか? あの夜、ぼくはおのれの処女性を喪失した。異性愛しか知らぬ戦友の多くは処女のまま、死んでゆくというのに。
この世代の少年少女に特有のやさしさと残酷さをこめて、少年はおのれの太く節くれだった逸物を、少尉の血まみれの菊座から自在に出入りさせた。ひとたび突き入れると、こいつの行く先には無の闇だけが広がり、こいつは迷子にも似て途方に暮れてしまう。少尉の腰の天井に内側から突き当てたと感じた瞬間、少年は射精していた。長い、長い射精であった。いつしか、少尉は声にならぬ嗚咽を漏らしていた。それからまた、ふたりは身体を入れ替えて、こんどは少尉が少年の背後に回った。
その熱く火照った、痛いまでに張りつめた太く震える肉棒をおのれのうちに迎え入れると、少年はそこを中心に宇宙が砕けてゆくのが分かった。もはやこの島には、この地上にはふたりの愛しか存在しなかった。少尉が少年の身体のなかで果てたのは、それからどのくらい経ってのことだったろう? 長い長い時間が過ぎていた。はや、夜も白みかけている。
ふたりは向きあって寝そべり、身体を交差させ、少年が少尉の上になって互いのものを口に含んだ。唾液で相手のものを清めようとしたのだった。そのものには相手の腹腔最深部のにおいが染みついていた。愛はすべてを可能にする。する? 「くはっ」と、少尉が仰け反ると、「くはっはっ」と、少年も仰け反った。たまらずふたりは一糸まとわぬ姿のまま薄青い闇の海岸目ざして駆け降りた。隠れ浜沖の冷たい海で海豚のように泳ぎながら、ふたりは口中を海水で漱いでは、鯨のように潮を吹いて、また潜った。それからここだけは黒砂のささやかな浜に上がり、互いの身体の温もりを求めてまた愛しあうのだった。
長い抱擁にも飽きると、白みゆく星空のもと、心地よい潮風に吹かれながら、裸の膝を抱いて、少尉はバクーニンやクロポトキンなど心やさしく過激な革命家たちの話を、黒い眸を輝かせて聴きいる少年に話して聞かせるのだった。むろん、惜しくも惨殺されてしまった先輩同志、大杉栄の話は欠かせなかった。
43
ついに合同の日は来た。
ハワイ攻略部隊「陸奥」の艦橋脇ラッタルに身体を預けたまま、梶木中尉はまえをゆく「長門」のはるか前方の洋上に眼を凝らした。
この日の前日、十二月九日、山本五十六率いる日本機動部隊は、第一回ハワイ沖海空戦で、ハルゼー率いるアメリカ機動部隊を完膚なきまでに撃破している。
早朝に飛来し、いまも艦隊の上空を周回している新たな直掩零戦十数機を見ても、日本海軍の完勝は充分に納得できる。彼らは「龍驤」の飛行甲板に三々五々着艦し、交替で燃料補給を済ますなりまた飛びたって日没近くまで、それぞれの母艦には帰投せずに攻略部隊艦船の直掩に加わってくれるのだという。
海戦の直後にわが機動部隊にそれだけの余裕が生まれたのだから、ハワイ方面の制空権はわがほうが掌握していると信じられる。零戦の小編隊が「陸奥」上空を掠めるたびに、水兵たちに混じって、梶木中尉も戦闘帽を打ち振らずにはいられなかった。
正午近くにはるか東方洋上に、機動部隊各艦の煙突から立ち昇る黒煙が低く棚引くのが確認でき、ついで「翔鶴」もしくは「瑞鶴」のものらしき艦橋が見てとれた。
眩い陽光の下、肉眼でも各艦を判別できるくらいに二つの艦隊が近づいたころには、午後一時を少し回っていた。
制式空母六隻を中心に堅固な輪形陣を組む機動部隊のなかには、しかし高速戦艦は三隻だけで、なぜか「比叡」の姿が見当たらなかった。
戦艦部隊はただちに再編され、「長門」「陸奥」「霧島」「金剛」「榛名」の五艦に、軽巡「神通」、駆逐艦八隻がつく陣容となった。これで輸送船団、陸軍三個師の護衛任務からは完全に解放されたわけだが、今夕からの敵海岸重砲との砲撃戦、殲滅戦が重苦しく控えていた。
「長門」「陸奥」の下士官・古参兵の間にも、行方不明者が出た。厳しく緘口令が敷かれて、極秘に捜索が開始された。
輸送船団十八隻に、機動部隊の高速輸送船七隻が合同し、「龍驤」、水上機母艦二隻、駆逐艦四隻が護衛に当たった。
この日も、航空隊によるオアフ島攻撃が、早朝から数次にわたって実施された。
それゆえ、オアフ島は前夜の二度目のすさまじい艦砲射撃に加えて、開戦三日目には終日、空からの激しい攻撃に晒されたことになる。
敵迎撃機は島内各飛行場から数機ずつ十数機がしぶとく上空に舞い上がるものの、圧倒的な零戦の空戦力に押されて、見るべき戦果も挙げないうちに、片端から撃墜されてゆく。第三次攻撃に際しては全島挙げて、たった数機が舞い上がってきたに過ぎない。それでも夕刻に至っても、なお迎撃を試みる敵二、三機を見た。米軍の闘志だけはさすがと言うべきか。
午後五時、風波の強まるなかを、赤い夕陽に見送られて「阿武隈」を先頭に「陽炎」ほか駆逐艦十一隻の水雷戦隊が先発し、「神通」を先頭に護衛の駆逐艦八隻をしたがえた「長門」「陸奥」「霧島」「金剛」「榛名」の戦艦群が単縦陣をなしてこれに続いた。
途中、黄昏迫るカウアイ海峡ではキラウエア灯台が早くも海原に投げかける光芒を右手はるかに望みながら海峡を一路南下していると、またもやオアフ島の島陰から米高速魚雷艇七、八隻が姿を現し、先行する水雷戦隊と後続する戦艦部隊のあいだのわずかな空隙二千メートルに乗じて戦艦群に突っかけてきたが、戦艦の主砲弾を見舞うまでもなく「神通」と護衛の駆逐艦四隻が弾幕を張ると、被弾炎上した二隻を薄闇の漂う海上に残して、島陰目ざして遁走してしまった。
左舷の砲戦に気を取られていた「長門」「陸奥」の両戦艦は、右舷方向から艦首・艦尾を擦過した四本の雷跡に肝を冷やした。右舷側の駆逐艦四隻が盛んに投下する爆雷の轟くなか、夕闇の立ちこめる海原を艦隊は次第に緊張を高めながら速度を上げてなおも進んだ。
あとは何事もなく真珠湾沖に達すると、一列横隊となった水雷戦隊は距離二万メートルから突撃を開始した。「阿武隈」を中心にして緩い逆Ⅴ字型の鶴翼の陣に変わりながら真珠湾口に迫った。
五機の水偵が吊るす吊光弾に明るく浮かび上がったパールハーバーに、「長門」「陸奥」「霧島」「金剛」「榛名」の戦艦群は単縦陣のまま、東進しながら距離二万一千メートルで全主砲を斉射した。百雷の一時に落つるが如しとは言うけれどもこの夜、真珠湾で米兵たちが体験した恐怖はそんなものではなかった。轟音とともに大地が抉り取られ、鋼鉄やコンクリもろとも戦車や人体が宙高く吹き上げられた。「長門」「陸奥」主砲弾の威力は「金剛」「榛名」級とは格段の差があったのである。負傷して捕虜となったニック・スミス軍曹は、そのときの模様を次のように証言した――
敵戦艦部隊は新来の大型戦艦二隻を先頭に、わが海岸重砲の射程ぎりぎりの外を東進しながら、撃ってきた。あと三千メートルも近寄ってくれたなら正確な反撃が期せられただろうが、敵はあたかもそのことを百も承知であるかのように、依然として距離二万一千メートルをキープしながら斉射してくる。かと言って、いま発見したばかりの距離一万八千メートルあたりを突進してくる敵水雷戦隊に、いまさら目標を据え変えるわけにもいかない。そんなことをしている間に、こちらが敵大型戦艦の艦砲にやられてしまう。突進してくる敵水雷戦隊は、生き残った味方沿岸砲台に対処してもらうほかはない。
敵戦艦めがけて俄然、火蓋を切ったわが海岸重砲だったが、これは結果的にはせっかくこれまで隠忍、秘匿してきた自砲の所在を敵艦隊に告げたようなもので、たちまち戦艦五艦の主砲弾がおれたちの重砲座一帯に集中して飛来してきた。おれはその一瞬後には吹き飛ばされて、気を失ってしまったから、そのあとみながどうなったかは知らない。
分厚いコンクリート層に掩蔽されたさしもの敵海岸重砲も、徹甲弾の直撃を二発、三発と喰らうとついに露出して、ようやく「長門」「陸奥」を挟叉する至近弾を得た瞬間、飛来した巨弾の直撃を受けて爆発、地下の弾薬庫も誘爆、ぱくりと地表が裂けて、あたかも巨神が灼熱した巨大な楔を打ち込んだかのように、巨大なV字型の裂け目から紅蓮の焔と黒煙が噴出した。
それは人間の非道な振舞いに、オアフ島が悲鳴をあげて身を捩りながら、天に復讐を求めているかのようであった。
厄介な海岸重砲をやっとのことで始末すると、戦艦群は距離一万七千まで接近、折から突入中の水雷戦隊に弾幕を張る敵の残存沿岸砲台に照準をあわせ、主砲弾の集中打を浴びせて次々に撃破していった。
水雷戦隊は距離八五百から主砲の射撃を開始、五千五百で取り舵いっぱい、右舷砲戦を実施しながらさらに三千五百メートルまで海岸に肉薄した。むろんこのときには副砲を始め高角砲、機関砲、機銃に至るまで砲戦に加わっている。
真珠湾東端に達した戦艦群は取り舵いっぱい、反転して八千五百メートルまで海岸線に接近、主砲、副砲を間断なく斉射した。パールハーバー正面では高角砲、機関砲も右舷砲戦に加わっていた。「神通」を先頭に護衛の駆逐艦八隻はこの砲戦中も戦艦群の両脇を固める陣形を崩していない。敵潜や魚雷艇の反撃を警戒してのことだった。午前二時には長かったこの二航過の艦砲射撃を終了し、真珠湾沖五十キロの南方洋上に避退した。
この間、水雷戦隊はいち早くカウアイ海峡に取って返し、哨戒および、いよいよ南下を始めた機動部隊と輸送船団のエスコート任務に専念した。
午前四時、「陽炎」ほか五隻の駆逐艦も護衛にくわわった機動部隊が、真珠湾沖五十キロの洋上で戦艦部隊と合同、戦艦群は各艦二機の水偵をカタパルト射出し、機動部隊はすかさず甲板積載の零戦隊の発進態勢に入った。独立零戦隊が発進し終わると、ついで艦戦・艦爆・艦攻連合の第一次攻撃隊、踵を接して第二次攻撃隊と続々と発艦していった。
午前六時には「阿武隈」ほか駆逐艦六隻に先導されて、輸送船団とその護衛艦隊が真珠湾沖三十キロの洋上に到着し、他の部隊との最終的な合同を果たした(艦首を大破しニイハウ島に避退していた「比叡」も応急修理後の補強工事をおえて、護衛任務を解かれた「浦波」と共にこのとき戦線に復帰した)。
ただちに戦艦部隊が前面に出て上陸準備射撃を開始した。
時に七時十五分。日の出まえの東方の空は早や白んでいた。
真珠湾の海岸線への距離七千五百メートルで西進しながら右舷砲戦をつづける戦艦群は、先頭から「比叡」「霧島」「長門」「陸奥」「金剛」「榛名」の順だった。このときの「比叡」の艦砲射撃ぶりは凄まじく、赤く焼けた全砲身も焼け落ちよとばかりに斉射をつづけた。先日の一番艦脱落の汚名を晴らさんものと、全艦火の玉になっていたのだった。
「阿武隈」率いる駆逐艦十二隻の水雷戦隊および「神通」率いる駆逐艦八隻は、海岸線への距離三千五百メートルで、西進して右舷砲戦をつづけるかたわら適宜、速度を落として左舷からつぎつぎに小型舟艇を海面に下ろし、便乗していた陸戦隊員を降ろしていた。その数四十艘、五艘ずつ八箇所の上陸地点に向かう千百二十五名、これが上陸先遣隊第一波だった。
そのころすでに六隻の戦艦も海岸線への距離五千五百メートルで西進して右舷砲戦をつづけるかたわら適宜、速度を落として左舷からつぎつぎに中型舟艇を海面に下ろし、便乗していた陸戦隊員を降ろしていた。その数四十五艘、五艘ずつ九箇所の上陸地点に向かう二千二百五十名、これが上陸先遣隊第二波だった。一波、二波合わせて三千三百七十五名の陸戦隊員が、十七箇所の上陸地点にほぼ同時に向かった。
44
十二月十一日未明、各空母の飛行甲板を飛びたった独立零戦隊百十機は全機が陸用小型爆弾三個を搭載し、上陸支援の地上攻撃を行った。戦艦の水偵十二機が低空でいっせいに点した吊光弾の眩い光に地上の米兵たちが戸惑うなかを、暁闇の空の高みから無数の零戦が降ってきて、小砲台や機銃座に爆弾を投下するなり、舞いあがり反転、こんどは機銃掃射をしてきた。米軍も照明弾を打ちあげ、探照灯の光芒が交錯する高空の闇に対空砲火の弾幕を張った。
日本軍の上陸阻止に必死の米軍は、凄まじい艦砲射撃をおえた敵戦艦群が南の洋上に消えるやいなや、この日も夜を徹して波打ち際に障害物を設置したり、新たな機銃座による縦深陣地を構築したりするのに忙しかった。そこを零戦隊に不意打ちされてさらに出血を強いられてしまった。東の空が白みかけ、頭上の闇が濃紺の空に変わるころ、こんどは艦戦・艦爆・艦攻連合の大編隊が飛来した。
じっさい連合艦隊でこの日、不測の事態に備えて待機にまわったのは「赤城」「龍驤」の艦載機だけだった。あとはみな大挙、飛来したのである。第一次攻撃隊が南方洋上に去って、ものの三十分と経たぬうちに、第二次攻撃隊が飛来した。この延べ二回にわたる戦・爆・攻連合の大編隊による攻撃でオアフ島全島、米軍の地上の動きはまったく麻痺してしまった。空爆による大被害を確認する間もなく七時十五分、またも地軸を揺るがす艦砲射撃が始まった。
連日にわたる深夜の艦砲射撃も昨夜あたりからいちだんと凄みを増してきたし、夜明け前からの三回にわたる大空襲、それにまたもや艦砲射撃。
《今日は何かが違う!》
ジュゼッペ少年兵は蛸壺の底にたまった海水に濡れた尻を浮かせて、前方に広がる薄い闇に眼を凝らした。
着弾ごとに大地が揺らぎ、掘り拡げたばかりの砂の壁が崩れて、自分はこのまま尻を濡らしたまま、湿った砂に埋もれてしまうのではあるまいかと、蛸壺の底にしゃがみこんで震えていると、大地の震動ばかりか、頭上の大気も逆巻いて、ばさばさと大きすぎるヘルメットのうえに砂の塊が落ちてくるのだった。
《だいたい、ジャップはこんな何もない砂浜まで、なんで砲爆撃してくるんだ?》
《そうか、おれたちがいる!》
ふたたび腰を伸ばして、眼前の薄闇に眼を凝らす。
見えるのは黒い海ばかりだ。いや、水平線近くに濃紺の空を背景に、おれたちを砲撃している敵艦のシルエットが黒ぐろと、今朝ははっきり見える。いま発射の閃光が煌めいたあの大きな船影は戦艦だろう、五、六隻はいる。もっと間近から撃ってくるのは駆逐艦か? ずいぶんたくさんいる、二十隻以上はいるだろう。
《やばい!》
水飛沫をあげて蛸壺の底に尻を落とすのと、横殴りの爆風が頭上を掠めて、轟音がし、砂礫が降りかかってくるのが同時だった。生き埋めにもならず、三度目はこわごわとメットと砂地のあいだに目だけ覗かせて、やや明るさを増した濃い碧の海に眼を凝らす。
《いた!》
闇の底から浮かび出たかのように、ジャップの上陸用舟艇五、六艘が眼前七、八百メートルに迫っている。やっとこの銃で、挨拶できる相手のおでましだ。蛸壺の側壁に立てかけたままだったM1ガーランドを取り直し、砂を払い落とす。銃を構えて数秒経つと、膝ががくがくして、肩や腕もこわばってくる。これでは撃てない、武者震いだろうか?
《ジャップめ!》
《連中は、軍服ごと歯で喰いちぎって、生き肝を啜るんだって!》
《ハッハ!》
やっと勇気が出てきた。もう砲弾の音は聞こえない。妙に気だるい敵舟艇の機関音だけが迫ってくる。
《渚に最初の一歩を踏み出した、最初の日本兵を撃ち倒してやろう》
45
空母、水上機母艦、輸送船などに便乗していた陸戦隊員七千五百名が、上陸部隊第一陣として、中型上陸用舟艇百五十艘に分乗して海岸線に向かったのは午前七時三十分のことだった。
先発した同じく陸戦隊の先遣隊一波・二波、三千三百七十五名が確保しつつある上陸地点十七箇所を拠点化して、さらに内陸部へ推進することをその目的としていた。
オアフ島南面の海岸線十七箇所に広く分散上陸した先遣隊は、一箇所につき百五十ないし二百名の小兵力で、さしたる抵抗も受けずに上陸、一応、拠点を確保した隊もあれば、上陸以前から小口径砲、機銃の集中連打を浴び、半減した隊員で上陸は果たしたものの三方から有力な敵軍に圧迫されて、波打ち際で全滅に瀕している小隊も少なくなかった。絶え間ない空襲や艦砲射撃をもってしても、こうした小隊を救うことは不可能に思われた。
そこへ第一陣の陸戦隊が危機に瀕した小隊両側面の敵の背後に強行上陸し、前面の敵を押し返しつつ、側面の敵を痛打し、その間に小隊背後の波打ち際に別の一隊が上陸して、疲弊した小隊を収容した例も多かった。
真珠湾口両側とその西に沿岸砲台の並ぶ半ば要塞化した一帯は避けて上陸したものの、ホノルル空港前面の海岸線に上陸した第一陣の損耗は激しく、敵弾の飛び交う渚に浅い蛸壺を掘って先遣隊ともども全滅を待つありさまに陥った。
海岸近くまで進出した駆逐艦の必死の援護射撃と零戦の捨て身の対地攻撃があっても、昼まではもつまいと思われた。
特筆すべきは「上陸地点で敵の有力な反撃に遭遇したならば、その場で持久せよ」との長官命令が厳守されて、着剣しての突撃や切込みが一切行われなかったことだ。
いままでどこに潜んでいたのか、米軍の極端に豊富な弾量の銃砲撃に射すくめられて、残弾わずかで身動きならず歯がみをする小隊長、下士官が少なくなかったが、突撃していたならば、全滅する小隊が続出して、第一陣は遠からず海岸から追い落とされてしまっていたことだろう。
新庄博陸軍少尉の乗った輸送船が、僚船四隻とともにワイキキビーチ沖に姿を現したのは、午前八時少しまえのことだった。
陸軍の精鋭一万六千名、これが上陸部隊第二陣右翼だった。
同僚四、五名とともに甲板に上った新庄少尉は、眼前に展開される戦闘の大規模さに正直、圧倒されてしまった。腹に響く戦艦主砲の発射音、ホノルル空港上空を飛び交う零戦、米軍の撃ちあげる対空銃砲弾の弾幕、そして目のまえワイキキの浜では、米軍守備隊と海軍陸戦隊の死闘がくり広げられていた。
船上からみると、二、三の突出箇所はあるものの、陸戦隊は波打ち際に貼りつかされているように見える。漫然と眺めていられる場合ではなかった。すでに下船準備は始められている。大型上陸用舟艇、大発が両舷側から下ろされ、続々と陸軍将兵が乗り込む。
新庄少尉は直属小隊の兵、下士官とともに左舷側、二艘目の大発に乗り込んだ。制海・制空権は日本海軍が保持しているものの、ここまで飛びくる敵弾も皆無ではない、どころか至近弾に大発は大揺れし、少尉は兵もろとも飛沫を頭上から浴びた。
少尉の乗った大発は僚舟七艘とともに一路、陸戦隊が突出した拠点を目ざしたが、それがなかなか着かない。大発が激しく上下動し、左右に揺れるのは太平洋の荒波のせいばかりではない。海面の到るところに着弾する至近弾が盛大な水柱を何本も立てて、そのたびに大発が揺れに揺れるのだった。
《これは海岸に無事着けるかどうかは、まったくの運まかせだな》
そう、覚悟のまなこを閉じたいところだった。が、末端ではあれ、指揮官ともなればそうはゆかない。現にあれは曲射砲弾か、一発の敵弾がまえをゆく大発の艇尾を直撃し、操舵兵もろとも宙天高く吹き上げた。兵の大半は海中に投げ出され、助けを求めている。血潮の広がる波間に沈んでゆく兵も多い。
この艇内では脅えるのが普通の反応であろうに、目に見えて脅えている兵はいない。二、三のうわずった兵に古参の兵が何事か告げている。下士官は波飛沫の前方を睨みつけている。まったく連中の肚の坐り具合にはいつも助けられることだ。本艇は進撃途上だから、海中の同胞は帰りの空舟に救い上げてもらうほかはない。何時間にも感じられた二十数分間であった。
「どすん」という衝撃とともに大発が砂地に着底した。飛びくる弾雨のなかを身をかがめて、目前の狭いがやや長い段差の陰に突進すると、陸戦隊員が何事もないかのように銜えタバコで歩き回っている。すかされた思いのしたことだった。探し当てた生き残り海軍少尉は重傷で、状況を把握しているのは一下士官兵だけだった。こちらの質問に答えるかわりにやつは、転がっていた鉄兜を銃剣の先にひょいと載せて段差の砂地のうえに覗かせた。
「ヒュン!」
短い命中音とともに五、六メートルも海側に弾き飛ばされた鉄兜を、従兵の川上が拾ってきた。見ると、前縁の真上、真ん中を「スコーン」と撃ち抜かれている。即死もいいところだ。
結局、兵が弾雨の波打ち際を、四人がかりでせっかく運び込んだ九二式重機関銃だが、この段差のうえにいま据えつけることは諦めざるをえなかった。かわりに擲弾筒九基を段差の陰に並べて、三段構えで連続発射させることにした。
その間に佐竹軍曹率いる一隊三十名と、吉田伍長率いる一隊三十名とが左右に分かれて適宜、突進・匍匐して正面の敵の側面に回りこむ。当然、回りこんだ先にもその正面となる敵の新たな銃座が奥に控えていることは充分に予測できた。それゆえ軽機を携えた兵五名と擲弾筒を携えた兵三名ずつを両隊に追加した。
しばらく思案ののち、この段差の上辺に一箇所、敵に悟られぬように、重機を据えられるだけのスペースを刳り貫くことにした。銃身だけが地上に露出していればよい。兵二名が交互に砂地を刳り貫いた。擲弾の最初の三発が発射されると同時に佐竹隊と吉田隊は左右に飛び出し、重機は据えつけるなり、「てえ!」と命じた。狙いは二の次、まずこちらの重機の銃口が火を噴くことこそ肝要なのだ。
やがて重機の正確な弾着が敵の機銃座を脅かし圧迫した。早や擲弾は尽きかけていたが折りよく左右から、おれの目論見よりはやや手前過ぎたが、ほぼ同時に九九式軽機関銃の小気味よい連射音が聞こえてきた。おれは銃手の尻を叩いて二人がかりで重機を地表に据えなおさせ、窪みには代わりに銃手を上げて狙いをつけさせた。
これが敵の目を惹いたのか、それともおれの命令の仕方が早すぎたのか、あるいはその両方か、せっかくの腕のいい銃手が好位置からまだ一発も放たぬまに、眉間を打ち抜かれて、段差の陰に転げ落ちてきた。
咄嗟に代わろうとして窪みに両手をかけたおれの足を引っ張って、上官たるおれを引き摺り落とすなり、従兵の川上操六が銃把に取りついた。
《乱暴なやつだ。こいつがおれについている限り、この戦ではおれは死なぬかもしれない。なるほど生き残ったならば、おれには国内で果たさねばならない責務がある。だがそれは川上も同じことなのだ。一少尉と一従兵としていまここ異郷の渚で果てるのか、それとも第六戦闘団の同志としてふたりとも国内戦で山岳地に斃れるのか、選ぶのは敵弾であって、おれたちの意思ではない》
段差の陰左手に閃光がひらめくなり重い爆風が襲ってきた。
鈍い発射音を聞いたようにも思う。砂地に顔を伏せながら新庄少尉は臍を噛んだ――しまった! ここに長居しすぎたのだ。敵の迫撃砲弾だ。兵五、六名が仰け反って倒れている。「ポム、ポム」敵はなおも撃ってくる。こちらの重機がやられるまえに……兵十五名をつけて石森伍長を段差直下の左端にやった。
おれは残った兵八名を引き連れて段差直下の右端に蹲る。「ぎらり」無銘の古刀を抜き放った――櫂扇の太刀の流れを汲むという、こいつは蔵から無断で失敬してきたやつだ。神官の叔父貴が気づいたころにはおれは輸送船に揺られていた。代わりに置いてきた安物の軍刀を投げだして地団太を踏んでいる叔父貴の姿が目に浮かぶ。
「かち、かち」兵たちも着剣した。おれは抜き身の古刀〈櫂扇〉を右肩に引っ担ぐなり、砂地を蹴って駆けだした。ぱらぱらと兵が散開してついてくる。
「突撃ィ!」「突っこめぇ!」左手で石森伍長が喉を嗄らしている。兵数名が伍長を追い越して走る。「どっどっどっ」重機はまだ健在だ。川上従兵が撃ちまくる。
「たったったっ」前方左右から佐竹隊と吉田隊の軽機も快調に撃っている。彼らの両脇からも銃剣をかざした兵が湧きだした。
敵弾が走るおれの前後左右に集中する。何かを飛び越した。とたんに立ち上がった米兵と鉢合わせした。気合いもろとも真っ向から切り下ろす。返り血を浴びながら放った抜き胴が二人目の米兵に鮮やかに決まって腸がこぼれ出す。三人目の米兵のトミーガンを右腕ごと切り払う。
兵たちが追いついてきた。浮き足だった米兵五、六人を走りこんできた勢いのまま難なく刺し殺し、両手をあげた米兵三、四人を勢いのついた銃尾で殴り倒している。
おれは塹壕のなかで片膝をつき、少し吐いた。なにしろあんなに早く走ったことも人を斬ったことも初めてなのだ。夕闇迫る朝鮮の河原で悪辣な日本の密偵一人をやむをえず切り捨てたことを除けば。
あんなにおれたちを苦しめた敵の機銃座を吉田隊が手榴弾を投げこんで呆気なく始末した。迫撃砲隊は佐竹隊が駆逐した。石森隊が付近の残兵を掃蕩している。おれはわれに返って、塹壕のふちに立ってアメリカタバコを一服した。みなにも投げてやる。陽は直上からおれを貫く。佐竹軍曹、吉田伍長が寄ってくる。
無言で捜すおれの眼が、ぎらつく陽射しのもと、重機を抱えた兵四名を連れて砂浜をこちらに歩いてくる川上従兵を捉えた。
《無事だったのだ》全身が熱くなった。おれはこのとき、戦友愛とも同志愛ともちがう、別の愛で結ばれる二人をはっきりと予感した。
46
オアフ島南岸西部のバーバーズポイントからエワビーチまで、小型爆弾を抱えた零戦が十キロ足らずの海岸線上空を飛び交い、銃爆撃をくり返すなかを上陸部隊第二陣左翼、陸軍の精鋭一万七千名は午前八時三十分、米海軍エワ航空基地の正面に敵前上陸を開始した。
ここはすでに海軍陸戦隊の先遣隊数班が全滅の危機に瀕し、後続の陸戦隊つまり上陸部隊の第一陣も苦戦しているところだった。
危険を顧みず渚に接近した護衛駆逐艦二隻の銃砲撃による支援も受けて、陸軍将兵は陸続と上陸し、陸戦隊前面の難敵を次々に撃破していった。
エワ航空基地の占領も間近と思われた午前十時四十五分、突如、米軍戦車七十五輌が現れ、次いで残存砲兵隊の支援も受けた米兵八千五百人の反撃が開始されると、一挙に形勢が逆転した。
いち早く基地の一角に突入していた陸軍の小隊は、多大な犠牲を出しながら基地外に押し戻されてしまった。その一角から、陸戦隊の確保する海岸線まで、敵戦車隊の蹂躙するところとなった。折から上陸、重火器を揚陸中の第三陣の一部隊も大混乱に陥った。
このとき「加賀」「蒼龍」「瑞鶴」の艦爆隊七十二機が飛来し、米戦車隊に襲いかかった。小火器主体の日本兵には最大の脅威と映る米戦車隊も、上空から見れば平地を這う泥亀の群れにすぎない。
「加賀」艦爆隊の一斉の急降下爆撃で、たちまち米戦車十輌近くが被爆、大破炎上もしくは擱坐した。大敵の出現に慌てて反転、退却にかかる米戦車十数輌が、各個に急降下した「蒼龍」隊の恰好の餌食となった。「瑞鶴」隊に残されていたのは、逃走中の米戦車十数輌を各個撃破することだけだった。
むろん、直衛の艦戦四十五機も地上攻撃に加わった。投弾、戦果を確認し終えると、各艦爆隊はそれぞれの母艦にあっさりと帰投していったが、零戦は残弾を費消し終えるまで戦場を去ろうとはしなかった。
これらの艦爆隊は艦攻隊と共に、頑強な抵抗を続けるダイヤモンドヘッド要塞を再度爆撃の途上、米戦車隊出現の一報を受けて急遽、攻撃目標を変更、飛来したものだった。艦攻隊はそのまま要塞爆撃を実施した。ダイヤモンドヘッドの美しい稜線は度重なる艦砲射撃と爆撃にすでに醜く変容していたけれど、それでも激しい対空砲火の弾幕が撃ち上がってきた。
他方、同じ一報を受けて急遽出撃した「飛龍」「翔鶴」の艦爆隊四十八機がこちらの戦線に飛来したころには、すでに敵戦車の姿はなかった。そこで彼らは反攻に出た米歩兵部隊後方に急降下爆撃を加えた。前方は日米両軍の兵が入り乱れていて、目標が定めづらかったから。
「あの米戦車隊がこんなにもわが艦爆の攻撃に脆いなんて! もともと戦車は飛行機の敵ではないにしても」と、塹壕で首を竦めて佐竹軍曹が溜め息をつく。「在ハワイの戦車隊が組織的な対空戦闘の戦備、訓練をおろそかにしていたためだろうか?」
「もっともわがほうには、そういう重戦車隊そのものが存在しないじゃないか。ノモンハンの敗戦からいったい何を学んだのだろう、陸軍の首脳は?」と、石森伍長がしゃがみながら、言葉を引き取る。「何も学びはしなかった。生き残った現場指揮官に詰め腹を切らせて、真相の糊塗に終始したから、参謀は無謀な作戦立案による敗戦の責任を免れ、作戦室は温存され、戦略の抜本的な見直しはなされず、失敗をくり返してはそれを糊塗し、ために多くの兵が無駄に死んでいった」
「重戦車は開発・配備されなかったし、兵站の軽視は今大戦まで持ち越されてしまった」と、吉田伍長が戦闘の合い間に訪れた束の間の小休止と会話を締めくくる。「そうしたなかで、下士官と兵だけが、飢餓と病気に曝されながら旧態依然たる武器でよく戦い抜いてきた、それが日本陸軍だった……」
おれは黙ってタバコを燻らし続けていた。
上空に零戦がまだ舞っているころ、散発的ながら最前列の米兵は敵陣に手薄な箇所を見つけては自動小銃を乱射しつつ突進し、白兵戦を挑んできた。付近の日本兵は銃剣突撃でこれに応じ、たちまちあちらこちらで乱戦となった。
これを機に日本軍は一斉に突撃し、後退する米軍を追って正午過ぎには米海軍エワ航空基地一帯を完全に制圧、占領した。重火器を揚陸し終えた上陸第三陣左翼の陸兵一万名も順次到着、布陣し、マカキロ・シティ付近に集結中の米軍に対して直ちに全野砲・重砲の砲撃を開始した。
陽はすでに宙天高く昇り、上陸部隊の第三陣右翼一万一千名がワイキキビーチに上陸を完了したころには、日米両軍の血潮に赤く染まった白砂の浜に、その黒ぐろとした無数の染みに、両軍兵士の残した冷たい骸のうえに、太陽の光線があまさず容赦なく降りそそいでいた。
上陸の第一陣、第二陣との激烈な戦闘で時を稼いだこの方面の米軍主力は、交戦中の小部隊はそのままに、すでにホノルル前面とダイヤモンドヘッド前面に後退して、俄か造りの浅い塹壕の後方に縦深の機銃座を配し、地形や建物や樹木を利用して巧みに隠蔽した野砲、迫撃砲、速射砲、戦車砲を連ねて、そこからは一歩も退かぬ決死の構えだった。
これを制圧するのに、どれほどの犠牲を払わねばならぬのかは未知数だった。なおそのうえにパールハーバー死守の構えの米海軍と海兵隊三万の後方には、米陸軍の本軍四万が息を潜めて控えており、なんとも不気味な存在だった。いくら制海権・制空権はわがほうにありとは言っても陸上戦で勝たなければ占領はおぼつかず、占領に失敗すれば上陸軍は海に追い落とされるばかりだった。
黙々と前方数百メートルに進出する第三陣の兵士たちを、新庄少尉は虚脱した面持ちでタバコをくゆらしながら眺めていた。
第一陣生き残りの陸戦隊員たちも同じように虚脱した表情で、おれたち第二陣を迎えていたっけ。
おれたちの必死の援護のもと、なお敵弾の飛びくるなかでまず山砲、速射砲、迫撃砲、次いで野砲、重砲を据えた第三陣の砲兵隊は、敵機銃座と迫撃砲の縦深陣地を有効な集中砲火でつぎつぎに沈黙させていった。
海岸線から奥行き数百メートルにわたる一帯をようやく確保できたわがほうは、被害の大きかった第二陣と甚大な損害を蒙った第一陣を急遽、再編した。この再編中も独立零戦隊の支援のもと、第三陣の歩兵部隊は、緩慢に後退しつづける敵と激しく交戦していた。
再編後の小休止に乾パンのかけらを水筒の水で流しこんでいると、艦砲射撃がまた開始された。ホノルル前面とダイヤモンドヘッド前面に集中して「比叡」「霧島」」の主砲弾が落下する。
そのあたり一帯に米軍の移動可能な重火器が展開していることが、水偵の偵察結果ばかりでなく数次にわたる陸軍斥候隊の報告からも確認されたからだ。
同様にしてパールハーバー周辺には「長門」「陸奥」の主砲弾、第三陣左翼の前面には「金剛」「榛名」の主砲弾が降りそそいだ。戦艦部隊はこの日までに艦隊決戦用の徹甲弾以外の主砲弾はあらかた撃ちつくしていた。今日は使用可能な残弾のすべてを撃ちつくす勢いだった。
このとき地軸を揺るがす大振動、大爆発が起き、新庄少尉は塹壕内に転げこんだ。
頭上をあらゆる種類の銃砲弾が飛び交っている。まるで花火大会三日分の花火をいちどきに爆発させたような騒ぎだ。「長門」か「陸奥」の主砲弾が米軍主要弾薬庫のひとつを捉えたのだった。誘爆につぐ誘爆で、紺碧の空に巨大な黒雲が湧きあがっている。
「わー」という潮騒にも似た喊声が聞こえる。第三陣の一部がすかさず突撃に転じたのだ。再編成った第二陣、第一陣もまなしに進撃を開始する。
ホノルル、ダイヤモンドヘッド、パールハーバー、エワビーチの一部を除いて、日本軍は夕刻までに、海岸線から二、三千メートルの一帯を制圧した。一部は海岸道路はおろか幹線道路H1を越えて五、六キロ先まで進出している。
降るような星屑のもと、潮風に頬を撫でられながらおれはアメリカタバコをたてつづけにふかした。キャメル、ラッキーストライク、手巻きのゴールデン・ヴァージニア、まったく米軍タバコは格別だ、しかし夥しい骸を清め、死臭を薄めるほどの煙を出すタバコなど、どこにもあろうはずがなかった。
川上従兵が捕虜の少年兵を連れてきた。両手をまえで縛られ、口もとを腫らしている。衛兵に殴られでもしたのだろう。蛸壺の底に無疵で気を失っているのを操六が見つけたのだという。米語で話しかけてもまったく口を利かない。認識票をみる。ジュゼッペ?
「ウゼッペ、セイ・イタリアーノ?」(イタリア系か?)
頼みもせぬのに娼婦の蘭子がつれづれに教えてくれたイタリア語を試してみる。
「トロッポ・ジョーヴァネ・セイ」(若すぎるなおまえ)
「ファック……カプート、ムッソリーニ、ヒットラー」
不意に少年が米語ともイタリア語ともつかぬ言葉でまくしたて始めた。
「カプート、トージョウ!」(東条、くたばれ!)
血の混じった唾を少年がぺっと吐いた。
「デテスト・トージョウ・ヒットラー・エ・ムッソリーニ」(東条、ヒットラー、ムッソリーニ、おれはみな嫌いだね)
おれはニヤッと笑ってゆっくりと言ってやった。目を剥く少年に、さらに囁いた。
「シンチェラメンテ・ソン・モルト・アミーコ・ア・サッコ・エ・ヴァンゼッティ」(心から、サッコとヴァンゼッティを敬愛しているよ、このおれは)
眼を瞠ったまま無言の少年を、川上従兵に連れ去らせた。おれは少年の両手のいましめを解かせもしなかった。無表情で眠たげな挙動のうちに潜む少年の機敏さと無鉄砲を察知し、おのれの安全のためにではなく、少年の身の安全のためにそうしたのだったが、
《なぜ、非力な少年相手に、半可通な外国語でいまさら本音を漏らす?》
と、帝国陸軍の末端将校たるおのれ自身の喉もとにこみ上げる自己嫌悪の塊りを、バーボンとともに飲み下さずにはおられなかった。まったく米軍はウイスキーも極上だ。
「タチェーレ・エ・ノストラ・ヴィルトゥ」(沈黙はわれらの力だ)
少年の呟いた去りぎわの捨て台詞がいまさらのように甦ってくる。
「マトゥリタ・エ・トゥット」(成熟こそすべてさ)
と、切り返すおれの言葉は外の闇に呑みこまれてしまった。
上陸第一夜は到底、それだけではすまなかった。
目を閉じた直後、実際には二時間ほども眠っただろうか、天地を揺るがす地響きと轟音でおれは飛び起きた。
「戦車だ!」
「敵襲!」
「夜襲!」
あちらこちらであがる叫び声よりも、敵弾の雨のほうが早かった。
小口径の砲弾まで降ってくる。八十五輌の戦車隊を先頭に八千五百人あまりの米軍が反撃に押し寄せたのだった。
夜間の接近戦では、敵兵に行き渡った自動小銃の乱射のほうが有利だった。ばたばたと倒れる日本兵。敵戦車はおれたちの後方、渚まで驀進していった。地面に伏せ、朝方までは敵軍のものだった塹壕、蛸壺に飛びこんでしぶとく抵抗する日本兵。おれは抜き身の古刀〈櫂扇〉を片手に、拳銃を撃ちまくった。
俄か造りの日本軍陣地をさんざんに荒らし回ると、五十輌以上の敵戦車が擱座もせずに引き揚げていった。あとに残された米兵の死体は二千五百を上回った。わが軍は一夜にして千五百人以上が死傷した。これが悪夢のような上陸第一日の締めくくりとなった。
47
上陸二日目の朝が来た。
予期に反して、あるいは半ば危惧したとおりに全戦線にわたって、膠着してしまった。日本軍はオアフ島南岸に主力が二手に分かれて上陸し、十二月十二日、右翼は海岸道路を制圧し、一部は幹線道路H1を越えて五、六キロ先まで進出している。左翼は米海軍エワ航空基地一帯を完全に制圧、占領した。が、そこまでだった。
明け方飛来した独立零戦隊四十四機は米軍の集結地付近を銃爆撃して還っていったけれど、うち八機は早くもエワ基地に着陸し、米軍のハイオクを満タンにして還った。
ここの航空燃料は一部焼失したものの備蓄分がまだまだ豊富にあるので、弾薬・小型陸用爆弾が輸送船から陸揚げされ次第、わがほうの基地として使用可能だった。整備兵が上陸すれば、米軍の遺棄資材のうち、転用可能なものも増えることだろう。
しかし前線が間近であるから、離着陸時や燃料補給時に迫撃砲でも撃ちこまれたらたまらない。そこでこの日の八機の偵察的行動となったのだった。実際、基地周辺を威力偵察に出した一隊が、いままさに迫撃砲を発射しようとしている米軍の小隊と遭遇、激しい銃撃戦のすえ、追い払っている。
動きは南海岸の東西両端から起きた。
東端カワイホア岬の付け根のハナウマ湾に上陸した最右翼の陸兵一千が岬を横断して、ハワイカイに上陸した部隊一千と合流、夜を徹して海岸道路七二号線沿いを交戦しながら西進、途中、窮地に陥っていた上陸第一陣の陸戦隊および先遣隊をもいくつか収容して、マウナルア湾側からカハラ付近に進出、陸海五千の兵力をもって、ダイヤモンドヘッド東麓に展開した。
これでワイキキに上陸した主力のうち、西麓に展開した六千の陸兵とで、ダイヤモンドヘッド要塞を包囲することが可能となった。第三陣の残りの兵五千は第二陣の兵四千とでホノルルの包囲をはかり、幹線道路H1沿いに交戦をまじえながら西進、陸兵二千はホノルルとダイヤモンドヘッドの連絡を完全に断ち切るためにマノア川沿いに上流域へと深く進出した。第二陣右翼の本隊八千五百は米地上軍との決戦に備えてワイキキの浜辺から五キロほど内陸に入った一帯に布陣した。
キラキラと耀く水面のマノア川を遡ると、両側にはまだ青い実をたわわにつけた無人のパイナップル畑が目路の限り広がり、ときおり雲雀が啼くばかりの静けさだった。
小休止のとき、黄色く熟れたパイナップル五、六個を目敏く兵が見つけてもいできた。さっそく水上上等兵が牛蒡剣を引き抜いて芯を刳り貫くと、八つに断ち割ってみなに分けた。「築地〈鮨文〉で板前だったこともあるんでさ」と、当人が言うだけあって見事な捌きぶりだった。パイナップルなど生まれて初めて食する兵も多かった。これに刺身でもあればと思うそばから、別の兵がいつの間にどこでどうやって獲ったのやら、鱒に似た二、三十センチはある川魚五、六尾を、水上の眼前に突きつけた。あっというまに捌かれた刺身をみなで一切れづつ堪能したことだった。
途端に銃声、一発。小休止は吹っ飛んでしまった。散開して発砲地点に迫ったが、人っ子ひとりいなかった。敵兵か、このあたりの農民か、一発撃つなり逃げ出した、逃げ足の速いやつだった。両側面に索敵の斥候隊二十名ずつを先行させてはあったのだが、むろんそれだけでは不十分だったのだ。
《前夜までの地獄の戦闘を生き抜いた兵たちが、いまここで身体中にしこった緊張の塊を些かなりともほごすのは無理もなかったが、指揮官たるこのおれまでがそれに同調してよいわけはない》
と、新庄少尉は臍を噛んだ。歴戦の下士官たちはとっくに鬼の表情を取り戻し、戦闘隊形をとった兵たちが進軍を開始した。緑あふれる南国の楽園も、いまは夥しい血の流れる戦場だった。川岸近くの闇のなかには、その夜も夥しい蛍たちが乱舞していたっけ。
南海岸の西端カラエロアの北側、つまり西海岸南端には独立零戦隊の掩護下、「陽炎」ほか五隻の水雷戦隊駆逐艦が海岸に急速接近、ニイハウ島から急遽便乗してきた陸戦隊五百名を敵前上陸させた。少数ながら新手の強行上陸はこの方面の米軍守備隊にとっては脅威だった。いつ後続の大部隊が上陸してくるやも知れなかったから。
せっかく敵先遣隊を海岸線に釘づけにしてきたのに背後を取られて逆包囲されるのを恐れて、米軍守備隊は交戦を継続しながら内陸部へ向けて緩慢な後退を開始した。
こうしてニイハウ島からの陸戦隊は激戦の末に、苦戦続きで疲弊しきった先遣隊を辛くも収容し、味方主力と合同すべく東進を開始した。
このとき飛来した艦爆・艦攻・艦戦連合百機あまりが、米軍主力に対して、猛烈な対地攻撃を実施した。時を同じくして上陸部隊主力は、野砲・重砲の砲兵隊掩護のもと、敵陣地を虱潰しにしながら、内陸部へ向けて緩慢な前進を開始した。兵力にまさる米軍主力も連日の空襲と艦砲射撃に多大の出血を強いられて、いまは日本陸軍の野砲・重砲、そして山砲にも圧迫されて、じりじりと内陸部への後退を余儀なくされた。
中央平野部では南海岸から十数キロも内陸へ進攻した日本軍も、背後にパールハーバーとダイヤモンドヘッドという敵の二大根拠地を取り残し、前面に優勢な米軍主力と対峙して、一挙に決戦に持ち込むだけの体力も無謀さも持ち合わせていなかった。
東西に走るH1幹線道路沿いの北側に堅固な対戦車壕を構築して、野砲・重砲および山砲・迫撃砲の陣地を整え、夥しい機銃座を配置して、不本意ながらひとまず持久戦のかたちをとるほかはなかった。
砲撃戦の合い間にたまたま顔を合せた米軍のカーンとメイヤーの両中隊長が泥まみれの顔で談笑していた――
「ひとまず、内陸中央のワヒアワ湖沼地帯に集結して、バスでも釣りながら軍を再編して、上陸日本軍の疲弊を待てばいいのさ」
「艦砲射撃と空爆の脅威さえ取り除かれるならば、東西両側のクーラウとワイアナエの山岳地帯に逃げ込んだ友軍をも糾合して、いつでも反撃の態勢をとることが出来る」
「パールハーバーとダイヤモンドヘッド、それにホノルルを取り残したことがジャップの命取りとなって、狭い逆Y字型の地帯に展開した日本軍は、命からがらオアフの海岸線から追い落とされることになるだろう」
「ただし、それまでパールハーバーとダイヤモンドヘッドがもてば、の話だが」
そんなことはパールハーバーとダイヤモンドヘッドを包囲した日本陸海軍も百も承知だった。北方の前線が膠着すると、休む間もなくパールハーバーとダイヤモンドヘッド要塞への猛攻を開始した。
こんどばかりは犠牲の大きい銃剣突撃も辞さなかった。独立零戦隊の一部は占領したばかりの米軍の各基地に飛来、常駐して、そこから対地攻撃をくり返した。ここを先途とばかり、両敵地に砲弾と爆弾の雨が降りそそいだ。
上陸三日目の十二月十三日正午過ぎに、まずダイヤモンドヘッド要塞が陥落した。
山麓に展開していた山砲・野砲・重砲はすかさず砲口の向きを変えて、周辺の米軍陣地を痛撃した。そればかりか山頂直下に使用可能な状態のまま残っていた海岸砲一門を発見した日本陸軍は苦心の末に砲身の向きを変えて、眼下に望むホノルル市街にワイキキの浜越しに遠慮会釈なしに砲撃を開始した。
皮肉なことにホノルル市民はアメリカ軍の大砲から発射されたアメリカ軍の砲弾に脅え、殺傷される羽目に陥った。それまで日本海軍は無辜の市民の犠牲を嫌って、市街への艦砲射撃を控えてきたからである。
翌朝、ホノルル港沖に姿を現した「陸奥」が無言の圧力を加えると、白旗を掲げたホノルル市長ほか市議七名がランチで来艦し、海軍に降伏を申し出た。
交渉の全権を任された「陸奥」艦長小暮は鷹揚にも、虫のよいホノルル市長ほかの申し出を諾ってしまった。つまり同市は「降伏はするが日本陸軍の入場は断る。抵抗はしないが協力も致しかねる」というのだった。
「市内に潜伏した米兵は市境で日本軍による武装解除のうえ、北方への脱出を認める」という付帯条項さえ付いていた。
事の次第の事後報告を受けた連合艦隊司令長官山本五十六は、冷や汗を浮かべた小暮艦長を前に、ひと笑いすると、「それでよかろう」とだけ述べた。
彼の関心事はすでに他のところにあった。いまだ有力空母一、二を有する米本土太平洋艦隊の動向が問題だった。それにわが艦隊の補給の問題もある。いずれも焦眉の急だった。
主として海からの攻撃を想定した防備がなされてきたパールハーバーは、背後の陸地から総攻撃を受けると、意外に脆かった。さらに一昼夜にわたる激戦の末に、無条件降伏をした。
護るべきホノルル市が前日すでに降伏してしまったことが、アメリカ軍の戦意に微妙に影響したのかも知れない。上陸五日目、一九四一年十二月十五日朝のことだった。
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アメリカ太平洋艦隊のもともとの根拠地サンディエゴにいた空母「サラトガ」・重巡一・軽巡二・駆逐艦七は、猛将ハルゼーの要請におされた決定がなされて、十二月八日夕刻、ただちに母港から出撃していた。
途中、出港直後から日本潜水艦群による執拗な監視ないし追尾を断続的に受けたが、高速にものをいわせて振り切り、ひたすら主戦場へと急行した。しかしオアフ島へまだ二万七百五十キロもの海域にある九日の夕べ、空母「レキシントン」「エンタープライズ」の二隻とも轟沈という悲報に接した。あまつさえ他の艦艇も悉く撃ち沈められるという、信じられないような惨敗ぶりであった。海将スプルーアンスは困惑した。
《このままパールハーバーへ直行したとて、とうてい勝利は望めない。さりとてここでおめおめ引き返すわけにもゆかない。オアフ島を見殺しにはできぬのだ。しかし本艦『サラトガ』まで失うようなことがあってはならない。一撃離脱の機会を窺うほかはない》
出撃三日目の朝には、スプルーアンスの肚は決まっていた。そこへ日本軍、オアフ島上陸の知らせだった。予期していたこととはいえ、その衝撃は大きかった。巡洋艦艦長時代に母港として長年親しんできたパールハーバーなのだ。
日頃の冷静さに似合わず、艦隊を叱咤してさらに速度を上げた。十二月十五日早朝にはハワイ島北東四百五十キロの海域に達したスプルーアンス艦隊は、そこから索敵機を飛ばした。ハワイ島ヒロ、カイルア、ワイメア――日本軍の連日にわたる空爆にもしぶとく生き残った各航空基地との連携を強めて、日本機動部隊に当たろうとしていた。
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そのころ山口多聞率いる二航艦「飛龍」「蒼龍」および五航艦「瑞鶴」と水雷戦隊から成るハワイ島攻撃部隊は、ひそかにハワイ島真西三百キロの海域に迫っていた。ここからはオアフ島も真北に三百キロのほぼ同距離にある。山本長官の坐乗する旗艦「翔鶴」ほかの機動部隊が遊弋する主たる海域として選んでも不思議はないあたりではあった。
それより早く明け方の青い闇をついて「飛龍」「蒼龍」「瑞鶴」の飛行甲板を発進した独立零戦隊百八十機は、照明弾の投下を合図に午前五時半、ハワイ島の各敵基地に殺到した。うち九十機は制空隊、残り九十機は小型陸用爆弾三発を抱えた対地攻撃機だった。
未明のカイルア上空に敵機の姿はなく、敵飛行場にはまさに出撃準備中と思しき戦闘機と爆撃機が並んで、うち数機はなお給油中だった。激しい対空砲火のなか、対地攻撃零戦がただちに急降下爆撃を敢行し、制空零戦は離陸にかかる敵機、対空砲陣地、対空機銃座をくり返し銃撃した。二台の給油車に数弾が命中すると爆発炎上し、飛行場は火の海となった。
ヒロ、ワイメア両基地でもほぼ似たような戦闘経過となった。
「ハワイ島の各基地が交戦中!」との報に一時間遅れで接したスプルーアンスは急遽、ドーントレス四機からなる索敵急襲隊三隊を編成し、
「間に合うならば引き揚げ途中の敵機を密かに追尾し、敵艦隊の所在を突き止めて一報せよ、運に恵まれたなら一発喰らわしてやれ、帰艦するには及ばない、ハワイ島の基地に帰投できる燃料のある限り、索敵を続行せよ!」
と、命じて直ちに発艦させた。
基地応援にワイルドキャット十二機を送りこみ、艦隊上空直掩に十二機を上げるのももどかしく、スプルーアンスは全艦隊をハワイ島めざして急進撃させた。
山口多聞は「飛龍」艦橋を掠めて落下した敵至近弾によって、敵艦隊の存在を知ることになった。艦橋を掠めて飛び去った敵機は紛れもなく艦載機だった。敵空母が近くに潜んでいるに違いない。敵索敵爆撃機の撃墜を報じる無線が上空直掩の零戦から次々に入った。敵機がわが艦隊の所在を母艦に告げる無線も傍受した。
すでに第一次攻撃隊百二機、艦戦三十三・艦爆三十六・艦攻三十三はハワイ島攻撃に飛び立っている。未明の大規模な準備攻撃を終了、帰投した独立零戦隊を収容中のことだった。
敵艦隊の所在は皆目つかめない。
ひとしきり頭を抱えた山口多聞はここで前代未聞の手を打った。無事帰還した零戦百六十四機に新たに十六機を加えて再び百八十機とし、給弾・給油し、増槽を抱えさせると、一機につき二度ずつ違えて三百六十度、全方位索敵に向かわせた。
「敵編隊と遭遇したらその方位・距離を無線、できるかぎり味方機の集合を待って増槽を落として空戦。敵空母を発見したらその方位・距離を無線、できるかぎり味方機の集合を待って増槽を落とし、敵直掩隊と空戦、さらに敵空母を機銃掃射、撹乱せよ!」
午前八時二十分、いち早く山口艦隊の所在を把握したスプルーアンスはワイルドキャット十六・ドーントレス二十四・デヴァステーター二十四の全力出撃を命じ、全機発艦後に真東に向けて避退を開始した。攻撃隊には、
「敵空母攻撃の終了後、被弾機および残燃料の乏しい機は、ハワイ島の基地に着陸せよ」
と、命じてあった。未明からの交戦状況から推して、ハワイ島の航空戦力はあまり期待できそうになかった。
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午前九時を少し回ったころ、ラハイナ泊地の北東七十キロの洋上で、索敵零戦一機が米攻撃編隊と遭遇した。即座に増槽を落とし、急上昇しながら全オープンで敵編隊と遭遇の無線を発した。
敵発見と同時に増槽を捨てたのは、空戦時の本能がなせる業だった。与えられた命令がどうであれ、空戦域では一拍の遅れが命取りとなる。じじつ、敵ワイルドキャット四がすかさず迫ってきた。一回、二回、急旋回して敵の急迫を逃れる。無線を聞きつけた近くの零戦が四機、五機とこの空域に突っ込んできた。彼らも無線傍受と同時に増槽を捨て、急行してきてくれたのだった。
味方機を遠くに確認、背面宙返りをして、背後に迫った敵一番機の射線をかわし、背面飛行のまま敵二番機に十四ミリ機銃弾を叩きこむ。プロペラが吹き飛び、エンジン部から紅蓮の焔を発した敵機を尻目に、海面近くまでいっきに急降下する。波飛沫が風防にかかる。
機をたて直し、上昇に移りながら上空を見やると、急場に間に合った味方機四機が敵三機と激しい巴戦を演じていた。その先では敵の編隊六十機ほどが悠然とわが艦隊に向けて飛びつづけており、その周囲に味方機が次第に群がりつつあった。残弾はまだたっぷりとある。気をとり直し、敵編隊の急追尾にかかった。
《足のおそい鈍重なデヴァステーターの一機、二機なりとも、喰らってやらねば》
結局、この時点で正反対の方向に飛び続けていた索敵零戦も機首を転じて、まだ増槽の燃料にもゆとりがあったから、他機と較べれば遅れがちとはいえ、母艦と敵編隊を結ぶ直線上の推定会合点めざして集結しつつあった。
五月雨式にだったが敵編隊に空戦を強いた零戦は合わせて八十四機。残り九十六機は母艦と敵編隊を結ぶ直線の延長線を中心線として左右四十五度に開いた扇形の海面に、敵艦隊を求めてなおも索敵を続行した。
この扇形の最右端を飛行し続けた零戦一機が雲間から、眼下に東方に避退を続ける敵艦隊を発見したのは一種、僥倖に近かった。
海また海の朝日に煌めく海面に眼を瞬かせながら、生欠伸を噛み殺し、敵編隊との空戦に参じなかったことを半ば後悔しつつ、眠気を催した眼を無理にも瞠ったそのとき、右目の片隅に、白波を蹴立てて東航する敵駆逐艦を捉えた。その右手奥にも何かいる。雲間隠れに緩やかに右旋回しながら、なおも観察を続ける零戦パイロットの眼が、やがて大型空母一隻を捉えた。
「敵空母一発見、ハワイ島ヒロ東北東百八十キロ、東進中! 重巡一、駆逐艦三、四……」
と、報告する口許がわずかに歪んで、小刻みに震えている。声も上ずっていたかも知れない。
無線を傍受した敵直掩機五、六機が迫ってくる。増槽を捨てるなり、間近の雲のなかに飛びこむ。三十六計逃ぐるにしかず、だ。
三つ、四つ、漂う雲を縫って雲間に顔を出すと、無線を聞きつけて飛来した零戦と敵機が、紺碧の大空せましと空中戦を演じている。激しい対空砲火に、眼下を見下ろすと、ちょうど真下に、大型空母がジグザグ航行を開始していた。
《ならば、おれは敵空母に一番槍だ》
とばかり逆落としに急降下し、背面状態のまま眼前に迫る敵空母艦橋を十四ミリ機銃四で猛射した。
このときの掃射で幕僚一名が重傷、スプルーアンスほか二名が軽傷を負った。短い掃射のあと海面近くで機首をたて直す零戦を、さすがに「サラトガ」乗り組みの機銃員は見逃さなかった。
エンジン部近くに被弾した零戦は白煙を上げながら荒海に不時着水し、そのとき全速で航過した駆逐艦の横波をもろに喰らって、転覆、裏返しになってもまだ浮いている零戦の左翼銃の銃身に海中から生白い手が伸びて、やがて零戦パイロットが這い上がってきた。
海水に洗われる愛機の胴体上に大の字になって、黒髭だらけのこの男は大胆にもまどろむかのように、眩い大空を見上げていた。こうしていると、空戦の模様がよく見えるのかも知れない。
もともと少数の米直掩機は寡勢ながらよく善戦したが、五機、六機と次々に飛来する零戦に、初めこそ優勢だったものの、次第に押し捲られて、やがて一機も見えなくなった。
制空権を握った零戦隊九十機余りが空母、重巡、軽巡、駆逐艦相手に、機銃掃射の波状攻撃を仕掛ける。機銃弾だけだから艦体にはさして異状はないものの、艦橋の乗組員や機銃員には相当の被害が出ている模様だった。
男は、米艦隊が零戦相手の対空戦中は見向きもされなかったが、零戦が残弾を撃ち尽した機から次々に引き揚げにかかって、ひとしきり戦闘が途絶えると、いかにも米軍パイロット救助のついでにとばかりに駆逐艦が寄ってきて、無雑作に間近に投げ落とされたロープつき浮き輪に身体を潜らせて引き上げられ、この男も艦上の人となった。
零戦パイロットでは捕虜第一号となったこの男は氏名・年齢を告げるのと引き換えに、傍らの米兵から貰ったキャメル一本を美味そうに燻らせていたが、そのせっかくの一本もしまいまで吸い終わらぬ間に、折から襲来した第二次攻撃隊艦爆の直撃弾を喰らってその米駆逐艦があえなく沈没すると、またも波間に漂うひととなってしまった。
とうとう浮遊物にすがって波まかせに漂う漂流の身となり、翌朝、付近の海域まで偵察進出した「陽炎」に、敵味方一緒くたに拾い上げられたときには、さすがに憔悴しきっていた。乗組みの一色少尉と艦橋脇の舷側でばったり顔を遇わせたときには、熊のような身体を震わせて泣いたが、傍目にはなに、旧知の間柄で、命拾いした感激から醒めれば、久闊を叙すのだろうくらいに見えなくもなかった。
放胆な激情家で、不意に襲われた同志愛に不覚にも落涙したこの男こそ、何を隠そう、アナーキスト秘密結社員の端くれ、第五戦闘団長山際三郎その人だった。
ラベル: 現代

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