2008年12月10日水曜日

海の風と雲と1-6

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 東京に拠点をもつ奈々隊と愛子隊もまた、その活動を一気に活発化させていた。

奈々と愛子の両隊は、それぞれ独自の判定基準に基づくブラックリストを作成していて、社会に有害な反動分子を、たとえば軍閥・閥族・華族・貴族院議員・財閥・政治家・検事・裁判官・県知事・警察署長・国粋主義者・高利貸・不在地主・肥料商人・地上げ屋・闇金融業者・暴力団などを慎重に吟味して、最も悪辣な者から優先順位の高い順に、処刑していった。

「これじゃあ、『青紙』が舞い込んで、いち早く内南洋送りとなった者が、一概に不運とは言えないなあ」

「そりゃあ、外地における国家による大規模な人殺し=戦争に対比すべくもないけれど、人を殺すという意味では、これも内地における一種の戦争なのは確かなんだし」

「ただし、死ぬのは戦場となった国々の無辜の女子供ではなく、『赤紙』で招集され送り出されて、異国で人殺しを余儀なくさせられている庶民の兵士たちでもないわ!」

「死ぬのは、熱心な戦争推進者なのに、自分たちだけは特権に護られて内地でぬくぬくと暮らし、戦争特需の利潤を吸い上げながら、口では聖体護持だの滅私奉公だのと抜かす肥え太った輩ばかりよ。そこが違っているわね!」

おおむね処刑は深夜ひそかに行われて、朝方発見された冷たい骸の傍らには、死者の罪状を記した紙片が一枚、そよ風に翻っているのが常だった。文面の末尾には必ず黒い桜花もしくは黒薔薇のフレームに囲まれた〈奈〉あるいは〈愛〉の一文字が添えられていた。

むろん白昼、野外での狙撃や街頭での刺殺による処刑もしばしば行われた。その場合にも必ずどこかにあの〈奈〉もしくは〈愛〉の一文字が添えられた、死者の罪状を記した紙片が一枚ないし数枚発見されるのが常だった。

「これは人類への愛を表明するひとつの形なのかも」

「だけど、検閲がなくなって、好戦的論調から早期の和平を願う論調にいち早く転換したブルジョワ大新聞はむろんのこと、政党結社の自由が認められて、復活した日本共産党機関紙『赤旗』までも、おれたちのそうした裁判なしの処刑〈直接的暴力〉には批判的だよなあ」

「畜生め、口先だけではなく、山岳パルチザン闘争を開始する動きも一部にはあるのに!」

「一般大衆は、外地での国家による人殺し=戦争のためには平気で『万歳!』までして身内の者を送り出すくせに一見、平和な内地で、自宅や妾宅で処刑された死者と一枚の紙片が発見されると、その理由など問わずに、もうそれだけでおぞ気をふるうんだから」

「ただ日々の搾取に喘ぐ下積みの者たちだけが、悪辣な高利貸、強欲な不在地主を襲った突然の死に、ひそかに喝采を送ってくれているわけさ」

「まず手始めにリスト高位者のうち、治安維持法の復活を図る輩から、抹殺していきましょう。それから特高や憲兵隊の復活をもくろむ輩をも一掃して、おまけに軍事クーデターの芽をも摘まねばならないし、やることはいっぱいあるわ」

実行隊員以外のアナーキスト秘密結社員の多くが、奈々隊に協力・支援していた。

恋人雨宮のことを想わぬ日とてなかったが、忘我の折、ともすると奈々の脳裏に甦るのは梶木の毛深い太腿であった。結社内の議論では、梶木の主張により深く共鳴していたことが、あんな過ちの下地を作ってしまったのだろうか?

しかも兄、七郎殺害犯に結びつく手がかりは、依然として攫めなかった。典型的な帝国陸軍軍人ではあったけれど、幼い日に手ずから富田流小太刀の手ほどきを奈々にしてくれたのは、あの七郎兄だった。

七郎暗躍の実態が露見すれば、奈々の採りうる選択の幅は狭まり、苦渋に満ちたものとならざるをえなかっただろうに、七郎の唐突な死が、奈々を窮地から救ったのもまた事実であった。

アナーキスト秘密結社《シリウス》本体の活動は、依然として謎に包まれていたが一時、結社はその貴重な戦力である高度に訓練・組織された戦闘員の半ば、第十五~三十八戦闘団までを割いて、極右〈玄洋社〉〈黒竜会〉の殲滅に当たらざるをえなかった。

それほどに軍・政財界の暗部に食い入った〈黒竜会〉の根を抉り取ることは容易ではなかった。歴史の闇の中で戦われた、この間の熾烈な戦いを仔細に記すならば、優に別の一書となるだろう(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・東京/大阪篇』)。戦闘団の戦いは、それほど激しく苛酷であったにもかかわらず、能う限り一切の痕跡を残さなかった。




「あたしたちはひたすら巷の情報を集めて、窮民の怨嗟の集まる輩が、自隊の作成リストと一致したとき、初めて処刑を決行するよ」と、愛子隊長が言う。「悪辣な高利貸を処刑したときなんか、借用書の束は必ず焼却し、現金はすべて困窮した長屋・借家の家々に投げ込んでおくことね」

「うん、義賊の再来、復活か。わかりやすいおれたちの活動が、庶民の暗黙の支持を集めているのも当然だな」と、古参の山岸同志が膝を掻きながら応ずる。

片時も気の抜けない闘いの合い間に、愛子とて川名との果たさなかった結婚を思わないではなかったけれど、弘人には何かそれを躊躇わせるものがあった。

いま川名少尉が洋上で戦い、おのれが内地で闘うことに、愛子は安らぎに似たものを覚えていた。

アナーキスト各隊の活動が活発になれば、当然、警察以外にもその探索・接近・尾行・張込みを試みる輩が出てくる。特高・憲兵隊崩れ、右翼勢力、公安関係者などである。

各隊が細心の注意を払っていたのは言うまでもないが、それらの輩の拉致・抹殺は影の実行隊一~三が担当していた。それでも手に余る相手には闇の戦闘団(第四十八~五十戦闘団)が出撃するのが常であった。

影の実行隊、闇の戦闘団の存在を知る者は、結社内でもごくわずかに限られていた。むろん七人から成る持ち回りの結社指導部ではみな心得ていたことではあったが。

やがて秘密結社《シリウス》とは関係のないアナーキスト・グループが続々と登場し、思い思いに奸悪な搾取者を襲撃しては、現場にさまざまな意匠を遺していった。いわく、〈牙〉〈大地〉〈虹〉〈風〉〈鯱〉〈鷹〉〈嵐〉など。自らが標的となる意想外の展開に、好戦的資本家たちは動揺を深めていた。




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 朝日に煌めくハワイ島は、上空から見てこそ本当にビッグアイランドだと実感できる。

標高四千百七十メートルの長い楯状火山マウナロア、その真北には標高四千二百五メートルの宇宙に一番近い山マウナケア。マウナロアの東には噴煙棚引く活火山キラウェア――今朝も海に流れこむ真っ赤な溶岩流。

《この神秘の大島のいったいどこに敵が潜むというのか?》

「いた!」

東のヒロ方向に敵の邀撃機七、八機、西のカイルア方向に五、六機、パーカー牧場の北ワイメア方向に十二、三機。

いずれも高高度をとって、日本機の来襲を待ち構えていた手だれの米戦だった。すかさず制空隊艦戦十八機が果敢に立ち向かっていく。残る艦戦十五機は艦攻・艦爆隊直衛の構えを崩さずに飛びつづけている。

 マウナロア山頂をまぢかに眼下に見て通り過ぎたあたりで、攻撃隊は山間を真東に抜けてヒロ攻撃に向かう艦爆十二・艦攻十二・艦戦五の〈東隊〉、マウナケア山を右手に見てパーカー牧場を越えてワイメア攻撃に向かう艦爆十二・艦攻十二・艦戦五の〈北隊〉、フアラライ山手前を左に折れて西海岸のカイルア攻撃に向かう艦爆九・艦攻九・艦戦五の〈西隊〉の三隊に分かれた。

分かれて一、二分もしたろうか、〈西隊〉隊長雨宮機は、不意に右後方上空から銃撃を見舞われた。小野旋回機銃手が必死に応戦する。

機を横滑りさせて火線を逃れた雨宮機の目のまえで、敵機が反転急上昇する。すかさず機首の十四ミリ弾を送るがスピードに乗った敵ワイルドキャットには届かない。制空隊零戦の急追をすり抜けて、艦攻隊を追尾してきた敵機があったのだ。歯がみする雨宮中尉の右目の隅で突如、敵機が紅蓮の焔を噴き出し、錐もみ落下した。直衛の零戦一機が辛うじて間に合ったのだった。

 すでに艦攻隊はフアラライ山麓上空から西海岸に臨み、カイルア基地上空にさしかかっていた。雨宮率いる艦攻九機はまばゆい朝日を背に三機ずつの小編隊三個からなる綺麗な三角形をなして、敵の対空砲弾がまぢかに炸裂するなか、整然と水平爆撃した。その直後に艦爆九機がいっせいにダイブして敵基地にさらなる痛撃を喰らわせる。艦戦五機も地上ちかくに舞い降りて、発進まぎわの敵機と機銃陣地を掃射する。

爆弾を投下しおえた艦攻と艦爆はなおも銃撃を続ける艦戦を尻目に、早くも母艦へと帰投にかかった。雨宮中尉ら第一次攻撃隊が敵空母発見の報に接したのは、すでに前方はるか西方に母艦群を望む、帰艦もまぢかのときのことだった。

敵艦隊をめざす第二次攻撃隊、艦戦三十六、艦爆三十九とすれちがって五分後、母艦上空に達してみれば、魚雷を抱えた艦攻三十機発進の真っ最中だった。「飛龍」「蒼龍」および「瑞鶴」の上空には艦戦七機ずつ、計二十一機の直衛機しかいない。これには万事周到、慎重な雨宮ならずとも一抹の不安を覚えたことだろう。

結局、あとから三々五々帰投してきた零戦の着艦、急速給油・給弾、再発艦をも残燃料を気にしながら待ちに待って、彼ら第一次攻撃隊艦爆・艦攻機が着艦を許されたのは、それから小一時間余り経ってのことだった。




 空母「サラトガ」を発したスプルーアンス艦隊の全力出撃六十四機、ワイルドキャット十六・ドーントレス二十四・デヴァステーター二十四は、日本空母群の虚を衝いて、第一次攻撃隊の帰艦時もしくは第二次攻撃隊の発艦時に殺到し、敵を混乱に陥れて一空母撃沈、あわよくば残る二空母も撃破の一撃離脱をもくろんでいた。

またそうなる可能性が大であった。ここに独立零戦隊の必死の介入がなかったならば。

先に母艦と敵編隊をむすぶ直線上の推定会合点めざして各方位から集結しつつあった索敵零戦八十四機は四機、五機と集まるごとに、五月雨式にではあったが敵編隊に空戦を強いてきた。

個々の空戦時には当然、寡兵である零戦側の支払う犠牲は大きかったが、絶えず空戦を強いられる米攻撃隊も、その対応に貴重な時間を空費せざるをえなかったし、絶えざる出血を免れなかった。

そして零戦隊がわが身をへずって稼ぎ出したこの貴重な時間が、母艦群を避けられぬ窮地から救ったのであった。

米攻撃隊の後尾をゆく雷撃隊を最初に攻撃したのは、敵編隊との遭遇を報じたあの零戦をふくむ五機の零戦であった。米雷撃隊二十四機の左後方上空七百メートルから逆落としに肉迫した零戦五機は、至近距離で十四ミリ機銃の火蓋を切った。またたくまにデヴァステーター三機を撃墜したけれど、敵被弾機もふくめてデヴァステーター二十数機の後部座席旋回銃からの集中射撃を浴びて三機が被弾、うち二機が紅蓮の焔を発して墜落、一機は白煙を吐きながら荒波逆巻く海面に不時着水したが、操縦士は行方不明となった。

残る二機の零戦はなおも追尾をつづけ、反転してきた敵ワイルドキャット五機との空中戦になったけれど、敵三機を撃墜したところで二機とも被弾、一機は錐もみ状態で海中に没し、最後の一機は海面に着水したものの、操縦士はやはり行方不明、波間を漂う帰らぬ人となった。

 この空戦の模様を遠く望見した零戦十一機は、急接近しながら即席の三機編隊一、四機編隊二を組み、三機編隊は敵ワイルドキャット九と、左の四機編隊は敵急降下爆撃隊二十四と、右の四機編隊は敵雷撃隊二十一と激しい空中戦に突入した。

敵戦九との混戦にもちこんだ零戦三は、三倍の敵を引きずりまわし、五機まで撃墜したが、みな被弾し、一機が空中爆発、一機は避退中に撃墜され、残る一機は敵を振り切って不時着水した。

敵急降下爆撃隊に挑んだ零戦四は、編隊を崩さずに集中弾を浴びせてくる敵編隊にてこずり、敵一機を撃墜し、数機に有効弾を浴びせたものの、みな被弾し、残弾を撃ちつくしたところで帰投にかかった。

敵雷撃隊二十一を襲った零戦四は四方から敵編隊を攪乱し、敵七機を撃墜し、あと数機に有効弾を浴びせたが、やがてみな被弾し、残弾を撃ちつくしたところで帰投していった。

こうした模様をさらに遠くから望見しつつ、空戦域に集まりだした零戦各機は手近の機と四機編隊を組みながら接近していった。いずれもまだ増槽はつけたままだった。

「できるかぎり味方機の集合を待って増槽を落として空戦」との、山口の指令がここでようやく活きてきた。味方艦隊上空までにはまだ二百キロ弱あるし、増槽の燃料にも余裕がある。

何も死に急ぐ必要はない。撃ち減らされ被弾機も相当ある模様の敵編隊四十一機、ワイルドキャット四・ドーントレス二十三・デヴァステーター十四を、狼の群れにも似て遠巻きにしながら飛行をつづける零戦の数は増すばかりであった。

結局、零戦五十二機、十三の小編隊が敵を遠巻きにした時点でいっせいに増槽を捨て、戦闘の火蓋が切って落とされた。瞬く間に敵戦四が血祭りにあげられた。敵デヴァステーターはみるみるその数を減らしていった。

やはり手強いのは敵ドーントレス編隊だった。明らかに苦戦に陥り、犠牲機も続出しているのに、いっこうに編隊隊形を崩そうとしない。編隊が崩されたときが最期だと承知しているのだ。この間に残り十六機の零戦も翔けつけてきた。

ついには味方艦隊に向けて飛行をつづける敵編隊は、ドーントレスばかり十二機を残すのみとなった。

ふたたび零戦隊は敵編隊を遠巻きにして飛行をつづけた。残弾が尽きたのだった。被撃墜機十一・被弾機三十一――独立零戦隊が一回の出撃でこれほどの犠牲を払ったことはなかった。しかし、この一連の索敵・邀撃戦で、米攻撃隊のワイルドキャット十六・ドーントレス十二・デヴァステーター二十四を屠り、母艦への最大の脅威を取り除いた功績は大きい。

この海空戦中、最大の功績と称えられるべきものであった。

北太平洋ハワイ島沖の大空に散華した敵味方六十余の若い命の悲劇も知らぬげに、一時の硝煙のあと、大気はますます澄みわたり、太陽は中天高く昇って、目路のかぎり碧の渺渺たる大海原を無慈悲に照りつけていた。

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 米攻撃隊長ラミス少佐は苛ついていた――予測海域に日本機動部隊が見当らない。発見できなければ攻撃隊は全員が無駄死にだ。

すでに直衛ワイルドキャットは全機撃ち落され、雷撃隊も壊滅した。自機を含めて残るドーントレス十二機はいずれも被弾し、パイロットは負傷して、機体が急降下に耐えられるかどうかも分からない。被弾損傷した愛機の爆弾投下装置が正常に働くかどうか、それさえ心もとない。

敵空母を発見次第、爆弾もろとも突っこむ覚悟を、ラミス少佐は決めていた。飛行甲板に激突寸前に、投下ボタンを押して機体を引き起こすかどうかは、とっくに神の御手に委ねていた。しかし発見できなければどうにもならない。

《それにしても五月蝿いジークどもめ!》と、少佐はあたりの空を遠巻きにして飛ぶ零戦七十機弱をねめつけた。

《まるでやつらがおれたちを護衛しているみたいじゃないか。一発も撃ってこないことから、零戦に残弾がないことは分かっていたが、それならなぜさっさと帰投しないのか? なぜ?―少佐は「はっ」とした―さっきいきなり突撃の構えを見せた小編隊は?》

振り返ったラミス少佐の左目の隅が、南方の海上に伸びる白い航跡ひと筋を辛うじて捉えた。すかさず左旋回する。列機も左旋回した。

すると果たせるかな、零戦数機が往く手を妨害するかのように躍りだす。やはり零戦の動きに一瞬、惑わされて、見落としていたのだ。機首の機銃を数連射して、かまわず突進する。

すると、《いた!》

眼下に幾筋もの白い航跡が見え、その先に南方に避退する敵機動部隊をついに捉えた。

執拗に遠巻きに飛んでいた零戦が不意に大きく左右に開いた。眼前には、早くも新手の敵艦戦、数十機。日本の艦隊直掩機が迫ってきていた。

新手の艦戦、数十機は、三機ずつの小編隊が、まるで一機のようになって、ラミス隊の上下、左右、前後を乱舞し、銃撃を加えてきた。七ミリ機銃の細い火線がたちまち米機を包みこむ。パイロットが死傷して編隊から脱落する機がラミス隊に続出した。下方からの銃撃にラミス機はぐらりと揺れた。

苦闘する米急降下爆撃隊に止めを刺したのは、このとき高空から矢のように降ってきた艦戦十数機が近間で放った二十ミリ機銃弾であった。「ああっ!」という間に紅蓮の焔を噴き出し、空中に四散する米機また米機。パラシュートで脱出する間も有らばこそ、さしもの勇猛な爆撃隊も、ここで呆気なく壊滅してしまった。

海は彼らを呑みこみ、何事もなかったかのように、無数の波頭を白じらと煌めかせて、無慈悲な太陽への敵意をふたたび剥き出しにしているばかりだった。




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 そのころ大阪に拠点をもつ圭子隊五十七人は、京阪神を中心に、独自の活動を展開していた。圭子隊長以下隊員みなが熱心な死刑反対論者である圭子隊は、好戦的な大学教授・経済人・在郷軍人・神官・やくざなどを懲らしめるために、独特の様式を編み出していた。

ブラックリストに載せられた優先順位の高い者順に追跡し、待ち伏せしては、その右膝を撃ち砕くのだった。

《愛人五十六が敵空母を求めて血眼のそのときに、おのれは帝国主義者たちの右膝を次々に撃ち砕いている。いま、アナーキズムの実践者はあたしたちだ!》

そのことに圭子はひそかな喜びを覚えさえした。殺されることよりも肉体的な苦痛に、より恐怖を覚える人間が少なからずいることを、承知していたのかも知れない。

関西地区では松葉杖姿で登庁する役人・検事が増えたことだった。とはいえ、むろん圭子隊も、戦闘の場で敵対する者は容赦なく撃ち殺した。その点では、他の隊に引けをとるものではなかった。

圭子隊は九州・中国方面に大挙出動することもあれば、標的を追って、東京に単身出張してくることもあった。

なかでも〈柳〉隊員は(中国人の彼はまるで日本人と変わらなかった、ただ一つ、顔を洗うときに手ではなく、顔を動かすことを除けば)なんと白昼、銀座柳通りの人ごみのなか、軍と結託した青年実業家と擦れ違いざまに、柄も金属製の細身の金鎚を三尺帯から抜き出すやいなや、舶来の高価なズボンに包まれた相手の右膝の皿を真っ二つに打ち割ったことだった。

青年実業家の崩れ伏した柳の木の根元には、むろん一枚の紙片が舞っていた。その罪状を克明に記した文面の末尾には、桂の葉の黒枠に閉じ込められて〈圭〉の一文字が踊っていた。かねてからこの大阪出の青年実業家のあざとい女漁りに密かに眉を顰めていた銀座のマダムたちはこぞって喝采したことだった。

しかし奈々、愛子、圭子の三隊は、翌年三月一日にはそれぞれの処刑活動をぴたりと収束した。

リスト高位者の処刑をあらかた完了したのと、革命前夜の本格的な活動に入るために、雌伏期に入ったのである。

すでに先に述べた〈牙〉〈大地〉〈虹〉〈風〉〈鯱〉〈鷹〉〈嵐〉など、結社外アナーキスト・グループの活躍が、奈々、愛子、圭子三隊の活動を、質量ともに凌駕しつつあった。三隊は内地においてすでに先駆的な役割を全うしたといえる。




けれども、朝鮮人・中国人・台湾人労働者を強制徴用した職場では、この限りではなかった。

徴用制の中枢から現場の会社側手先にいたるまで標的に捉えて、奈々、愛子、圭子三隊の活動は継続していた。

処刑と同時に罪状を克明に記した紙片が多数撒かれた。徴用制そのものが廃止されて関係者が処罰され、朝鮮人・中国人・台湾人労働者に賠償がなされるまでに、実になお半年を要したのであった。

戦争継続の矛盾点がここに集約されていた。いわゆる大東亜戦争なるものの実態が、国内ではここに象徴されていた。ようやくマスコミの眼もこうした事実に注がれるようになって来た。

こうしたなか、日本各地の工場、鉱山、職場にはアナーキスト労働者評議会が組織され、労働者みずからが生産を管理・運営する試みが活発になされて、会社側のロックアウトに抗して、工場・鉱山・職場の占拠・自主運営も各地で多発した。

生活に根ざした改革を進める評議会の多くでは、理由のいかんを問わず、あらゆる政治テロルに反対であった。しかし悪質企業と結託した右翼・暴力団の排除を結社の第十・十二戦闘団が密かに進めていなかったなら、大きな犠牲は避けられないところだった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・国内篇』)。

戦時下とはいえ言論・表現の自由が確保され、平和運動が高揚してみれば、良心的徴兵忌避者・脱走兵も増えざるをえない。徴兵忌避者・脱走兵を匿い、支援する民間組織も続々と生まれた。

「捕えた徴兵忌避者・脱走兵をみだりに銃殺してはならぬ」とするヒロトトの勅命が下ってからは、外地では前線・後方から逃亡する兵士が増えたことだった。敵前逃亡者も必ずしも即座に銃殺に処せられなくなったし、「捕虜となることは恥とは無縁である」と明言された。

緩慢にではあるけれど、戦闘中の兵士たちの意識も徐々に変化しつつあるようであった。検閲の廃止・通信の自由が齎した変化は、日本の軍隊をも、内部から変えようとしていた。

そうして内地では、まず何よりも即時停戦を求める声が圧倒的に強まり、社会運動は熱を帯びていった。

男女同権・普通選挙の即時実施、明治憲法の廃棄と新憲法の制定、農地解放、徴兵制の廃止と、早急になすべき社会的課題は山積していた。なかでも小作争議は、日本全国に多発し、いっこうに進まぬ農地改革に、各地の小作組合はますます尖鋭化していった。

自主的な農地占拠、小作の自作農化の試みも散発的になされたが、政府・地主側との度重なる流血の事態を避けるためには、農地解放・農地改革の法制化が早急に必要であった。結社の第八・十四戦闘団が、政府・地主側の強硬策の出端を捉えて、随処に先制攻撃を加えはしていたのだが、これとて指導部の方針で、公然たる蜂起に結びつくものではなく、徹底さを欠く憾みがあった。




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 スプルーアンス艦隊をめざす第二次攻撃隊、艦戦三十六・艦爆三十九、少し遅れて艦攻三十機が、ひたすら洋上を飛びつづけ、敵艦隊上空に達したのは、正午を少し回ったころのことだった。

被弾して重傷を負い、辛うじて帰艦したものの、内地に後送された艦爆隊の皆川飛曹は重い口を開き、いったん口を開くと、堰を切ったかのように話してくれた――

敵空母の所在については、落下増槽をつけたままの零戦四機が追尾を継続して逐一報告してきたから、迷う筈もなかった。独立零戦隊九十余機のために上空直掩機を悉く撃ち落され、あまつさえくり返し銃撃を受けた、いわば丸裸の敵艦隊は頻繁に転針するものの、概ね東進し、ひたすら避退し続けていた。それでも艦隊上空には予備機を飛ばしたのだろうか、ワイルドキャット八機が直掩の位置についていた、間髪をいれずに襲いかかった制空隊零戦十八機に、やがて何れも撃ち落されてしまったけれど。

上空直掩機を欠く空母「サラトガ」・重巡一・軽巡二・駆逐艦七のスプルーアンス艦隊は、盛んに対空砲火を撃ち上げてはくるものの、おれたち第二次攻撃隊にとっては恰好の獲物にほかならなかった。

零戦三十六機が敵艦の対空砲・機銃陣を撹乱する中、わが艦爆隊は二十四機が「サラトガ」、四機が重巡、二機ずつ四機が軽巡二に、残る七機が単機でそれぞれ駆逐艦七に襲いかかった。

「サラトガ」上空三千メートルで左右二手に分かれた艦爆二十四機は、右舷方向から十二機、左舷方向からも十二機が、互いに衝突するのも辞さない烈しさで、一気に急降下した。

右舷方向から殺到した十二機は、二機が対空砲火の直撃を喰らって爆発四散し、一機が被弾して爆弾投下に失敗したが、おれの機も含めて残る九機で飛行甲板に三発、艦橋付近に二発の直撃弾と四発の至近弾を得た。投下後の急上昇中に二機が被弾、一機が白煙を吐きながら不時着水した。

左舷方向から殺到した十二機は一機が直撃を喰らって四散し、三機が被弾して投下に失敗したが、残る八機で飛行甲板、艦橋と煙突付近にそれぞれ二発の直撃弾と二発の至近弾を得た。投下後の急上昇中に三機が被弾、一機が白煙を吐きながら不時着水した。

合せて六発もの直撃弾を喰らった「サラトガ」は、爆発炎上し、瞬時に戦闘能力を失い、いくつも大爆発をくり返しながら航行不能となって、紅蓮の焔と黒煙を宙天高く噴き上げつつ、海原を漂う灼熱の鉄棺と化した。

重巡を攻撃した艦爆四機は一番砲塔と艦橋付近に直撃弾、至近弾二発を浴びせた。軽巡二を攻撃した艦爆四機は軽巡一を大破炎上、残る一を小破させた。駆逐艦七を攻撃した艦爆七機は駆逐艦一を轟沈、二を大破、残る四艦をも中小破させた。

戦闘の束の間の小休止、その虚を衝くかのように低空を飛来した艦攻三十機が、海面すれすれで航空魚雷三十本を放った。

炎上しながら漂う「サラトガ」を狙った艦攻十五機は魚雷七本を命中させて、敵旗艦空母を一瞬のうちに完全に葬りさった。重巡は右舷に二発、左舷に一発の魚雷を喰らって、轟沈した。炎上中の軽巡一は必死の消火活動の甲斐あって大火災に小康をえた途端、艦尾に魚雷を喰らって敢え無く沈没してしまった。残る軽巡一も必死の回避運動も空しく弾庫近くに命中した航空魚雷一本で誘爆、二つに折れて海底に沈んだ。駆逐艦は、中小破しただけで健在の四艦がまず狙われて、果敢な抵抗も空しくいずれも撃沈されてしまった。

魔の数十分が過ぎ去ってみれば、スプルーアンス艦隊で洋上に残っているのは、大破した駆逐艦二隻だけだった。後で聞けば、スプルーアンス本人も艦爆の攻撃の際に重傷を負い、大火災の最中に移された救命艇の中で落命したという。

低速で避退しながらも救助活動を続ける大破駆逐艦二隻の甲板上には、鎮火し切れない小火災の間に、救助された将兵が重油と黒煙で真っ黒になって犇いていた。海面では、漂う戦死者と浮遊物の間に、救助し切れない負傷者があちらこちらで環になって波任せに漂っていた。

猛攻した日本機の支払った犠牲も大きく、艦攻の被撃墜七、被弾機は二十三を数えた。二機は白煙を吐きながら海面に不時着水した。やがて艦爆二十九・艦攻二十一・艦戦三十一は硝煙漂うこの海空戦の戦場上空を一周して編隊を組み直し、帰投した。被弾機のうち損傷著しいものはどうしても遅れがちとなり、一機また一機と落伍して母艦に無事帰艦したものは艦爆二十七・艦攻十九・艦戦二十九機だった。

着艦後、落命した者八名、重軽傷者四十七名を数えた。収容後に整備兵が点検してみると、着艦時に無疵と思われた機体にも、どこかしらに弾痕が残っていた。勝ちはしたが稀にみる激戦だった。

「おれが負傷したのは、か?」

「ばかな話さ。投弾後さっさと帰投すればよいものを、敵艦隊の最期を見届けようと空域に居残って、沈没間際の敵駆逐艦が放った砲弾の破片を喰らっちまったんだ。

まったく帰艦できたのも、命があったのも、いまだに不思議でならない。帰投中のことは無我夢中で、まるで何も憶えていないのだよ。おまけに旋回銃手の村越友美を戦死させてしまった、このおれは!」

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 敵艦隊発見と同時に急遽、同海域への偵察進出を山口多聞に命じられた「陽炎」以下五隻は、ハワイ島とマウイ島のあいだに横たわるアレヌイハハ海峡を高速で抜けて、十五日深夜、ようやくこの日の戦場に達した。

速度を落とすと、暗い波間のそこかしこから助けを求める声ごえが、幽鬼の声のように聞こえてくる。いっせいに探照灯を照らすと、夥しい浮遊物と重油に塗れて黒ぐろとした海坊主の群れが、波間に浮かび上がった。敵味方いずれとも知れぬ漂流者たちだった。不意にともった眩い明かりに勇気づけられたのか、聴きなれぬ軍歌を歌いだすグループもあった。

低速で抜けながら無人の艇を幾艘かと浮き輪多数を投げ落とす間ももどかしく、五隻の駆逐艦は再び速度を上げて、さらに東北東へ二時間半、索敵航行すると、左端の駆逐艦が照らした探照灯、その光の環のなかに大破し負傷者を満載した米駆逐艦が偶然、浮かび上がった。戦意乏しく低速で辛うじて避退し続けるその艦の付近を照らすと、同様のありさまのもう一艦が浮かび上がった。

高速を活かして「陽炎」ほか三隻が前方に回りこみ、砲口を向けて降伏を勧告したが、応答がないばかりか、停止さえしない。やむなく魚雷発射を命じようとした刹那、大破した米艦の艦橋付近に白旗が翻った。残る一艦もそれに倣った。探照灯の光の環、そのなかにやがて停止した米艦二隻。

「陽炎」から内火艇二艘を発し、敵の艦長以下主だった将校の収容をはかった。ところが乗ってきたのは機関少佐と副長、あとは重傷者ばかりだった。いずれの艦も艦長は戦死していた。

付近に他の敵艦のないことを確かめ、後続の二隻の駆逐艦による米艦二の曳航に目途がつくと、「陽炎」ほか三隻は海戦場にとって返し、いずこからともなく鮫の群がり始めた荒海で、漂流者の救助に明け方まで全力を尽くしたのだった。

むろん戦時のことゆえ日本人パイロットの救出が優先されたのだが、深夜の荒海で黒ぐろとした漂流者を見分けること自体、むりだった。やがて夜明けの光とともに米艦を曳航する二隻の僚艦が現れた。そこで漂流者を満載した日米七隻の駆逐艦は低速で主戦場を抜けようとした。

「瑞鶴」独立零戦隊パイロット山際三郎がはしなくも「陽炎」に救助されて、同志一色と邂逅したのはその折のことだった。

再びアレヌイハハ海峡をこんどは並みの巡航速度よりもやや低速で、西南西に脱け出た水雷戦隊の五隻の駆逐艦は、折から遭遇した鯨の大群に、米潜かと肝を冷やしたり、眼を愉しませたりしながら十七日昼までには原隊に復帰したが、米艦二を曳航する二隻の僚艦はそのままニイハウ島へ向かうこととなった。

救助された日本人パイロット数名はそれぞれの母艦に帰還し、多数の米軍捕虜は「瑞鶴」に収容されたのだった。

これでひとまず第二回ハワイ沖海空戦の決着がついた形となった。山口艦隊は同日夕刻には、ママラ湾沖を遊弋する「翔鶴」「赤城」「加賀」「龍驤」の機動部隊主力と合同した。




57




アメリカ西海岸沖に展開した日本の潜水艦部隊は、北からシアトル、シスコ、ロス、ディエゴ、各方面隊十五隻ずつの六十隻に、遊撃隊十三隻の全七十三隻で、あとははるか南方にパナマ方面分隊七隻、サモア方面分隊八隻が展開するばかり。

これとても、開戦まえの駆け込み急造艦、旧式の予備艦をも動員しての総数で、まさに全力出撃であって、あとはなかった。

あとは通商破壊戦用の量産型小型潜水艦百二十一隻の艦隊が実戦配備につくまでの半年、ないし一年間を待たねばならなかった。

西海岸沖に展開した各方面隊十五隻は五隻ずつの三小隊に分かたれ、小隊の五隻は、

「おおむね単独行動、事に応じて緊密な共同作戦をとるべし」

と、されていた。むろん各小隊、遊撃隊もまじえて方面隊間の連係プレイも想定されてはいた。しかし無事帰投後まで位置報告はおろか戦果の報告すら義務づけられてはおらず、

「各艦は交信を控えて隠密行動に徹し、連合国の商船をひたすら沈めまくれ」

これが、新任の高橋提督が伊号潜の各艦長に訓示した命令だった。十一月三十日までに配置についた各艦は、沿岸航路、国際航路を行き交う商船の観察に努め、独自のスケジュールを練った。

十二月八日の開戦と同時に通商破壊戦の火蓋を切り、開戦三日後には「一隻当り十万総トン撃沈」という過大な目標を、早くもクリアする艦が続出した。

たった三日間で、連合国側の商船七百五十万総トン近くが海の藻屑と消えてしまった。

これにはアメリカ国民は恐慌をきたしたし、アメリカ経済に与えた影響ははるかに大きかった。




西海岸のいくつもの大工場で生産がストップし、石油不足が深刻となった。

パールハーバーの奇襲攻撃で横っ面にパンチを食らったアメリカ国民が、いままた目のまえの海で自国の商船を次つぎに沈められて、強烈なボディブローを喰らった。アメリカ国民は憤激し、その鉾先は敵国となった日本はむろんのこと、無策な自国の大統領と政府、そして無力な自国の軍隊にも向かった。そんな折、

「日本の宣戦布告を、新聞の売り子でさえ開戦二時間まえに知っていたというのに、米政府は、ハワイに最初の爆弾が投下されるまで、自国の軍隊にさえ、その事実を知らせていなかった」

という驚くべき事実が明るみに出て、アメリカ国民の憤激に拍車をかけたのだった。

真相はこうだった――万事そつがなく用意周到な野村駐米大使は、ハワイでの初弾の投下三十分まえの七日午後一時に、ハル米国務長官に宣戦布告の対米覚書を直接手交すべく面談の約束を取り付けていたが、出先で故意に待たされることを恐れて「ニューヨークタイムズ」「ワシントンポスト」「ウォールストリートジャーナル」三紙の記者を、正午に大使館ロビーに呼びつけて、

「きっかり午後一時に開封したまえ」

と、対米覚書の要旨コピーを、出がけに手渡しておいたのだった。

むろん、競争激しい新聞記者のこと、みながみな、そんな約束を守るとは限らない。

事実、WSJ女性記者ジェーンは野村大使の車を見送るなり、脱兎のごとく近くの電話ボックスに走りこみ、デスクに直通のダイヤルを回しながら、厳重な封を頑丈な前歯で喰いちぎり、クラーク編集長が電話口に出るなり要約をそのまま読み上げて、まんまと世紀の特ダネをものにしたのだった。

それゆえ、午後一時を回るころには、午前中の暖かい陽射しが嘘のように冷えこんできたニューヨークの巷に、時ならぬ号外の鈴が鳴り響き、路往く人びとは誰もが、日本の対米英蘭豪宣戦布告という衝撃的な事実を知ったのだった。

一方、野村大使のほうは果たせるかな、米国務省の冷たい廊下で一時間以上も待たされたあげく、やっとハル長官の執務室に招じ入れられたときには、時計の針は午後二時二十分を回っていた。

挨拶を交わすのももどかしく、執務机のうえに叩きつけられるように置かれた分厚い対米覚書の束を見やりもせずに、ハル長官は冷たくのたまわった。

「いま、パールハーバーは日本軍の爆撃を受けている。これは汚い騙まし討ちだ!」

当然、米国務省は手交直後に、この覚書の要旨を、国内はもとより各国駐留の米軍にも通報した。しかし、そのころにはマニラのWSJ子会社の輪転機はフル回転し、日本の宣戦布告の号外を吐き出しつつあった。それゆえ、マッカーサーは例によって、事実をおのれに都合よくいささか誇張して、言ったものだった。

「余はマニラの号外売りよりも遅く、開戦を知った!」




 しかし、開戦四日目に入ると、米西海岸の沿岸航路・国際航路、共に商船の行き来がぱたりと途絶えてしまった。

米政府と米軍が有効な対潜手段を講じないかぎり、米海員組合が出港を拒否したのだった。かわりに対潜哨戒のヴォランティアが輩出し、軍供出の原始的な小型爆雷を積んで、農薬散布用の複葉機までが沿岸を飛びまわる始末だった。

もとより米海軍・海兵隊・沿岸警備隊の哨戒機・哨戒艇は総出動し、かなり有効な対潜哨戒網を構築し始めたし、米海軍は旧式ながらありったけの駆逐艦・砲艦・護衛艦を総動員して、主要航路からの日本潜水艦の締め出しを図ったのであった。

むろん伊号潜もそのことは充分に予期していたから、二、三隻の犠牲を蒙るや、作戦海域をはるか沖に移して戦機を窺うのだった。

するとこんどは空荷のままの老朽大型貨物船が囮となって出没し、船底を魚雷が通過するやいなや転針、爆雷投下を開始し、爆雷搭載の哨戒機を無線で呼び出すのだった。

こうして米商船を雷撃することははるかに難しくなったけれど、むしろこの時点から、本当の意味で、日米による通商破壊戦が開始されたと言ってよいのかも知れない。




58




 春山繁樹大尉の乗組んだ伊一五はこの日までに十七隻、十四万八千総トンの商船を撃沈し、残りの魚雷は高性能であるが装填に手間のかかる酸素魚雷三本を数えるのみとなった。

いつ帰途についてもおかしくない数字である。

どうもおれはこのところ数字だけで物事を考える病にとりつかれてしまったようだ――春山大尉はふと首を振る――戦果、戦果! 十七隻撃沈! この十七隻に、いったい何人の船員が乗組み、何人が死んだのか?

敵船とはいえ、戦闘艦ではない。心の痛むことだ。

二千トン級の潜水艦が十四万八千総トンの敵船を沈める。〈屯効率〉七四だ。

七万トン級の「大和」が倍する敵艦を撃沈する。〈屯効率〉二に過ぎない。

〈屯効率〉一〇〇の潜水艦が百隻稼動すれば、二千万総トンの敵船を沈められる。いやでも戦には勝つだろう。ここにはひとの命などはかかわりがない。数字だけの世界だ。数字だけの世界にひとは住めない。

だが、こんどの戦には数字だけが独り歩きし、数字だけがものをいう部分が確かにあるのだ。これが総力戦というものの実態だろうか? おぞましいことだ。数字がひとを呑みこむのが近代戦というものならば、愛する者のためには、ひとは決して戦をしてはならないのだ。

おれみたいにやや粗雑な頭でも〈屯効率〉などというわけの分からぬ関数を紡ぎだす。これは長年の潜水艦暮らしのせいなのか? それともこの戦のせいなのか? もっと精緻な頭脳が戦にかかわったなら、いったい何を紡ぎだすことか? 空恐ろしい気がする。

おれたちの真の敵は、そうした精緻な頭脳を駆使して、戦争を演出している者たちではないのだろうか?




「考えてもみろ、おれたちアメリカ人にとって本当に奇襲だったのは、パールハーバーじゃないな。パールハーバーが火の海になろうと、多くの人間にとっちゃ、しょせん対岸の火事じゃないか!」

「だが、開戦三日目に、おれやおまえの通う工場が操業を停止、欠かせぬ足である車のガソリンが配給制となるかも知れないなんて、いったい誰が予想したろう?」

「西海岸にだって油田はある。運ぶのには、パイプラインもタンクローリーも鉄道もある」「けれど、シスコやロスへは、大部分をタンカーで運んでいたわけさ。一万トンクラス以上のタンカーで、運航中だったものは、この三日間であらかたジャップに沈められてしまった」

「心配ないって? でも現にひどい地区では十ドル札で頬を張ってもガソリンを売らないスタンドばかりだぞ」

「原油を止められたジャップが大砲をぶっ放したのも、わかる気がするね。おれたちだって売らないやつには、ショットガンくらいぶっ放しかねないからな!」

「原料が入らない。製品を運び出せない。工場が停止したままレイオフにでもなったなら、アーミーでもネイビーでもマリーンでも志願するほかはないな」




春山大尉が物憂く首を振る――どうやら束の間まどろんでしまったらしい、夢まで見て。

しかもこのおれがアメリカの労働者になった夢を見るなんて、よほどこたえているのだ、商船ばかり撃沈することが。

春山大尉の乗った伊一五号は西方への避退を中止し、ふたたびロス方面の作戦海域に入った。敵哨戒機の哨戒圏ぎりぎりのあたりだった。

十二月十二日、開戦五日目にあたるこの朝、冷たい小雨にけぶる鉛色の海と空を潜望鏡ごしに眺めていた小太りの瀬川艦長が「おい、先任」と呼ぶなり、潜望鏡を譲る。

春山が覗きこむと、「いた!」

七、八千トンはあるタンカーばかり、五、六隻、船団を組んでやってくる。だが厄介なことに旧式駆逐艦を先頭に、三、四隻の大型哨戒艇が脇を固めている。ここは見送ったほうが賢明かもしれない。

駆逐艦もだが、哨戒艇ほど潜水艦にとって厄介なものはない。せっかく魚雷を放っても、呆気なく船底を通過してしまうだけなのだ。そのくせ、爆雷は駆逐艦なみに素早く投下してくる。

「あの老い耄れ駆逐艦からやろう。それから一番、二番タンカーだ」

瀬川艦長が決断した。

「距離二〇〇〇……一八〇〇……一七五〇……」

「てえーっ」

すかさず潜望鏡を収めて、おれたちは後も見ずに全速で避退した。

どんどん深度を取りながら脳裡に描く――するすると、真っ白く、美しい雷跡を幽かに後に曳きながら、駆逐艦とタンカーの左舷に吸いこまれてゆく、最後の三本の酸素魚雷。

「ぐあん……ぐぐあん……ぐぐあん……がん……がん……がん」

《ん? 命中、爆発音が、多いぞ! あとの三つは余計だ》

長く思案するまでもなかった。艦長も春山も知らなかったが、僚艦の伊一七が近間からすかさず普通魚雷を放ったのだ。スクリュー音が錯綜する。哨戒艇だ。どんどん遠ざかるおれたちを爆雷の轟きと衝撃波が追いかけてくる。

「が、が、ぐぐぐわあん」

異質の轟きと衝撃波が後方からおれたちを揺さぶったとき、みなは納得せざるを得なかった。伊一七が米哨戒艇に屠られたのだった。

「スクリュー音、近い!」

哨戒艇だ。両舷停止してさらに深度を取る。

「深度七五」

「爆雷!」艦内灯が消えて数瞬の闇の後、赤い非常灯がともる。

「深度八五……爆雷!」強烈な衝撃にバルブが吹き飛び、海水が噴き出す。

「爆雷!」艦は左三度傾き、前傾姿勢のままさらに沈下を続ける。

「爆雷!」

「左舷微速前進!」

「爆雷!」

「停止!」

「深度一一五……爆雷!」

「深度一二五……」

「息が苦しい!」膨大な水圧が艦の外殻の鋼鉄を撓め、軋ませる。

「爆雷!」配管バルブが次々に吹き飛び、高圧の海水が艦内至るところに噴出する。

「艦首魚雷管から廃棄物を射出! 同時に艦首ブロー!」前部タンク内の海水を圧し出して浮力を取り戻す。

「深度一一四……九七……」艦は艦首を擡げて、静かに上昇を続ける。「……八一……」

「両舷微速前進!」

「停止!」

「前進!」

「全速前進!」

「助かった!」間一髪で、いつしか危機を脱していた。




59




 列強諜報機関が鎬を削る国際都市上海で、しかも中国内陸部での長年の侵略戦争に倦んだ陸軍将兵が内地へと陸続と通過、帰還してゆくなかで、弥生隊はまたも難題を押しつけられてしまった。

「早期和平を模索する政府関係の要人を、影ながら実質的に護衛せよ」というのだった。

《いったいアナーキスト秘密結社の実行隊員が、いかなる理由にせよ、政府関係者を護衛するものだろうか?》

 その能力ならば確かにあった。上海の裏社会にぴたりと貼りついて、しかも正体を悟られずに暗躍を続ける弥生隊ならば、いかなる狙撃者・暗殺者も見逃すはずはなかった。

合気道の達人の娘である弥生隊長は、現地入りしてからカンフウの技もめきめきと上達した。隊員みなも流派こそ違え、実戦的な体術の練達者ぞろいだし、射撃の腕前はみな一流だ。何よりも魔都上海での諜報戦を潜り抜けてきた経験と勘の冴えがある。

問題は新たな任務が納得のゆくものかどうかだけだ。敵は早期和平の動きを潰そうとする日本の軍部・諜報機関だという。

「ならば、やろう」と決するまでに実に半日の白熱した議論を要した。

しかし、約束の十二月二十日二十時、黄浦は和平飯店のロビーにそれらしき人物は現れなかった。かわりに「日本の密偵二人があたりをうろついていた」との報告を受けた弥生隊長は、こともなげに言い放った。

「消しておしまい」

 脇で聞いていた逆井幹部同志は密かに舌打ちをした。こういうときは《ほうっておおき》とでも応えるべきときなのだ。なまじ殺せば、かえって敵の警戒心を高めてしまう。

事実、その後数日間、黄浦一帯を日本の密偵五、六人がしきりに徘徊していた。先に姿を消した二人を捜索している模様だったが、死体が発見されれば本隊が乗り込んでくる可能性があった。このことを半ば予期していたのか、報告を受けた弥生隊長の返事はさらに短かった。

「消せ!」

このときから上海を舞台に日本の諜報機関と弥生隊の死闘が開始された。

アジア侵略の暗部を担った諜報機関を、どうやら弥生隊長は始めから標的の一つとして捉えていた節があった。

一時、葉子隊から応援を得た局面があったものの、弥生隊はこの死闘をほぼ独力で乗り切った。弱体化し、お門違いの報復まで試みた日本の諜報機関に、各国諜報機関のさまざまな攻撃が相次ぎ、正月を待たずに上海における日本の諜報機関は、いまだ日本軍の占領下にもかかわらず一旦、壊滅してしまったのだった。むろん、暗闘が一段と激化した局面では、第四十一および四十二戦闘団による大規模な側面・後方支援があった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・上海篇』)。

弥生がいくら振り払おうとしても懐かしい春山大尉の笑顔が眼前に浮かぶのは、そんな苦しい闘いの小休止の折だった。

それはさておき、政府関係の要人が現れなかった十二月二十日の深夜、黄浦場末の秘密アジトをひそかに訪れる者があった。合図の特殊なノックの仕方に、ドアを細めに開けると、〈火の玉小僧〉水田一心が立っていた。

食堂地下の隠し扉を潜ってきた一心を見るなり、弥生隊長は目を細めた。この男があまり好きではなかったのだ。しかし彼の携えてきたものは重要であった。懐から無造作に掴み出して、テーブルの上に抛った。

「なんだそれは?」

「見たとおり、ごく小振りの経文一巻よ」

「ふん」

「軸のなかに、天皇ヒロトトが米大統領に宛てた親書が隠されている」

「それをどうする?」

「おれは明日、これを静安のとある店にある鼻煙壺〈葉愛平〉の中に投げ込む」

「それで?」

「店を張っている日本の密偵四、五名をひそかに排除して欲しい」

「店の名は?」

「〈古玩古〉」

「わかった」

「では、あばよ」と、言う間も惜しげに〈火の玉小僧〉は姿を消していた。




60




 いま艦は満天の星屑の光を浴びながら、舳先を西南西に向けて浮上、充電航走している。

艦橋に降りかかる凍るような波飛沫も冷たい夜風も刺すような星屑の光も、昨日までの激闘の悪夢を完全には拭いさってくれない。

「旭日島で、補給。三日間の休養ののち、再度、作戦海域に戻れ、というわけですか?」と、当直明けの塩島が珍しく問いかけてくる。

「ああ、ミッドウェイ島、改め旭日島に、早くも潜水隊司令部が進出したのか、それとも補給先遣隊が着くのかは、分からないがな」と、春山大尉もタバコに火をつける。「本艦を含め、ロス方面隊三小隊十四隻に、旭日島での補給・再出撃が命じられた模様だ」

「そうですか、果たしてそのうちの何隻と無事、顔を合せることになるんでしょう。すれ違いに終わる艦も多いことでしょうね」

春山大尉は知らなかったけれど、潜水母艦「迅鯨」率いる輸送船三、哨戒艇五の補給先遣隊が、十五日に旭日島へ急遽、立ち寄ることになっていた。この「迅鯨」には潜水艦乗組員の休養・娯楽施設も整っていたが、一昨年の大幅改装の結果、水戦五機までの水上機母艦の機能も兼ね備えていた。

水戦と哨戒艇が警戒するなか、北東太平洋での危険な洋上補給を慌ただしく済ませることを想定していたのだが、旭日島での補給ばかりか、パールハーバー攻略戦の決着次第では、真珠湾に入港して補給作業に当たる可能性も見えてきた。潜水隊司令部のパールハーバーへの推進も早まることとなろう。

もともと伊号潜は、艦隊決戦を想定して建造されていたから、通商破壊戦には向かない面が多々あった。しかし、大型で静粛性には欠けるものの、航続力と凌波性にすぐれ、強力な攻撃力を持っていたから、太平洋において、集中的な用い方次第では、敵の意表を衝く大きな効果が得られる。

その意味では、米西海岸の沿岸航路および主要航路への開戦前夜の全力出撃と開戦後三日間の奮闘は、まさに奇襲の絶大な効果を発揮したといえる。

なにしろ、敵の有効な対潜哨戒網が構築されるまえに、七百五十万総トンもの商船を海底に沈めてしまったのだから。

これでアメリカは事前にまったく予想もしなかった局面に立たされてしまった。

自国の経済面から、たかが日本を相手に戦争の継続が危ぶまれる事態に直面したのである。米大統領は苦境に立たされていた。しかも太平洋の全戦線での敗北は、なおも続くのであった。

小太りの瀬川艦長も、珍しく妙な夢を見た――




「日本は日独伊三国同盟を解消したばかりか、独伊と国交断絶した。中国からは一方的に撤退しつつある。東条は辞職した。これ以上、日本と戦う、どんな理由があるんです、大統領?」と、ファック上院議員が詰め寄る。「日本とは即、休戦すべきです」

「もう、パールハーバーを忘れたのか?」と、ルーズベルト大統領が切り返す。

「ざっくばらんに言って、大統領、あなたはアメリカ国民を、対独戦に引き込みたかった。そのために、日本を追いつめて、真珠湾攻撃に踏み切らせた。

ドイツと戦端を開いて目的を達したからには、もう日本はほっといたらどうです。何も、こんなふうに、二正面作戦で出血を強いられつづけることはない。対日交渉の余地はまだありますね」と、アス上院議員は涼しい顔だ。

「むむむむ、む」と、ルーズベルト大統領。「仮にそうだとしても、挑発に、ただ乗ってくるほど愚かな国か、日本は? 少なくともヤマモトは、のっけに通商破壊戦を挑んできた、それも全力投球でだ。おかげで西海岸側の七百五十万総トンの商船が、開戦三日たらずで壊滅し、石油は高騰し、遠からず戦時統制を余儀なくされる勢いだし、工場はストップ、株は上がったと思ったら、大暴落だ。まさに遠くの戦争(欧州・ハワイ)は買い、近くの戦争(西海岸の通商破壊戦)は売りだ。経済への悪影響はこのほうが大きい。」

「今朝も続落してますよ」と、ファック上院議員が口を尖らして見せる。

「心配ない。週明けには飛行機・空母・高速戦艦の大増産政策を発表する。それに駆逐艦と潜水艦、むろん輸送船もだ。株価は持ち直すだろう」

と、早くも立ち直ってルーズベルト大統領が請け合う。すると一転、ファック上院議員はそわそわしだす。

「どてん買いで、あざとく買い方に鞍がえ、なんてするなよ」と、アス上院議員がファック上院議員に釘を刺す。「またぞろ、インサイダー取引スキャンダルなんてのは、ご免だからな」

「戦線での敗北つづきのこのときに、醜聞でも立てば、とても政権維持は覚つかない。一度でも大きく勝てば、対日交渉再考の余地も出てこようが……それにしても日本潜水艦の跳梁跋扈を何とかしなければ」と、三人とも思案投げ首の様子だ。




《まったく、可笑しな夢を見るものだ》

と、波間に揺れる艦長室の狭苦しいベッドのなかで冷や汗を拭ったところで、瀬川艦長はハッと目が覚めた。あますところあと三日で旭日島に到着する日の昼下がり、仮眠中のことで、艦の総指揮は先任の春山大尉に任せていたときのことだった。




61




 潮風の吹き抜けるアカシアと煉瓦の街、大連港から蘭子はいま戻ったばかりだった。

戦争はあいにく勝ちつづけていた。

内地は政治の嵐と、〈奈〉〈愛〉〈圭〉三隊らの捲き起こす旋風が吹き荒れている。

それは良い。問題は成ったばかりの万衆国の現実だった。

関東軍の圧倒的な軍事力と、満鉄を梃子とする日本の経済力に押し潰されて、皇帝溥儀の独自路線は風前の灯だった。だが、どんなかたちであれ、国家の存続に手を貸すようなまねは、主義者としては出来ない。

日本帝国の軍事と経済の結節点を、標的として、蘭子は狙い撃つことにした。満鉄上層部と関東軍首脳陣、それに諜報機関、これら三者と深く関わる者たちを、抹殺リストの上位からマークした。そして上位者三十名の抹殺をただちに指令した。三人の幹部同志の指揮下で、二十一人の平同志がこれに当たる。

さしあたり、ほかにもなすべきことは山積していた。開戦翌日の九日に解体されたばかりの七三一部隊のうち、積極的に「丸太」の虐殺に関わった者たち、これら人類の敵をどうして赦すことが出来ようか? 七三一部隊関係者抹殺リストの上位から五十名をマークし、「他の実戦部隊への編入時の混乱に乗じて、即刻抹殺せよ」と命じた。別の三人の幹部同志が指揮を執り、二十一人の平同志がこれに当たる。

氷都ハルビンの魔窟の秘密アジトで、芥子入りタバコを燻らしながら、蘭子は想を練った。

隊はほぼ全力出動に近い。残る戦力――幹部同志一人、平同志七人、それに自分の九人――で、いったい何が出来るのか?

最も危険な、難敵に当たるべきだろう。折よく、葉子隊の手だれ五人が助っ人として、大連から分散同行してきていた。これで戦力は十四人だ。

蘭子は即座に決断した。

日本の諜報機関と正面対決することにしたのだった。目障りな日本の密偵五人を始末すると、ハルビンの魔窟の秘密アジトを即刻引き払い、第二アジトに移動した。即日、日本の諜報機関員一名を血祭りに挙げた。同日、夕刻にまた二人、深夜に四人、翌日未明に五人と、相手の反撃態勢の整わぬうちに、致命的な打撃を敵機関中枢に与えていった。

何ひとつ痕跡を残さなかった。諜報員相手に、死の執行人に結びつく手がかりを遺すことなどは、論外だからだった。

だが、数知れぬ修羅場を潜り抜けてきた老練の諜報員、通称〈死に神〉はさすがに手強く、捕捉することも困難で、死闘の過程で思わぬ反撃を喰らって、蘭子自身も軽傷を負ったし、蘭子を庇った猪狩幹部同志は重傷を負ってしまった。幸い、葉子隊から助っ人に参じた五人に怪我はなかった。

むろん、何度となく蘭子隊は危機に陥り、そのたびに第四十三・四十四戦闘団の側面・後方からの支援があった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・大陸篇』)。

治りの遅い傷の手当てをしながら、蘭子は新庄少尉のことを想った。

《すでに戦死しているかも知れない。しかし彼が還ってくれば、国内戦を共に闘うことが出来るのだ》




 満鉄上層部と関東軍首脳陣を狙った三班は、すでに二十六名を処刑していた。

七三一部隊関係者抹殺に当たった他の三班は、早くも四十三名を処刑している。

辛くも処刑を逃れた満鉄の四名と関東軍の七名、計十一名は梨枝・葉子隊合同の「青紙」召集に処刑の寸前に応召して、内南洋に去ってしまった。

逆に「青紙」召集の対象者であったにもかかわらず、蘭子隊によって、渡航寸前に大連で消されてしまった者が、十七名も出た。

現場の者たちは、一方が「してやったり」と溜飲を下げるかと思えば、他方は「出し抜かれた」と憤激した。

確かに、事前の調整がなされてしかるべきだったかも知れないが、到底そんな時間的余裕はなかったし、いずれにしても葉子、蘭子、両隊長はともに気にしてはいなかった。

結果は結果だし、実行隊の《他隊の方針には干渉しない》、が結社の鉄則だったから。

蘭子隊六班による処刑者、計六十九名、それぞれの骸の傍らには、これら奸悪な植民地主義者の罪状を、克明に記した紙片が翻り、その文面の末尾には、署名代わりに、蘭の墨絵のうえに〈蘭〉の一文字が墨痕鮮やか且つ軽やかに踊っていたことだった。

これらの紙片を拾い見たハルビンや大連の人びとは、日本語のわかる同胞から内容を確かめて、木枯らし吹きすさぶ広い街路の薄い夕陽に、久びさの笑顔を漏らしたことだった。




62




 そのころ伊号潜シアトル方面隊十三隻は、北東太平洋海盆に向けて、厳冬の荒海を続々と帰投しつつあった。海盆上の一点で、シアトル補給先遣隊と会合するためである。

最北の作戦海域、東部アリューシャン列島からアラスカの太平洋岸を受け持った小隊五隻は、「一隻当り十万総トン撃沈」の目標をクリアする艦こそさすがにまだなかったものの、この海域で出合った敵の大型船を悉く撃ち沈め、魚雷を使い果たして、戦争景気に沸き立つかに見えたアラスカ経済を一気に沈滞化させた。

美しい森の島クイーンシャーロット諸島からバンクーバー島まで、カナダの太平洋岸を受け持った小隊五隻は、目標をクリアした艦は二隻に止まったが、この海域で出合った敵の大型船を悉く撃ち沈め、カナダ西海岸の経済に冷水を浴びせた。

オリンパス山二千四百二十四メートルを見晴るかすフラタリ岬からブランコ岬までの米西海岸沖を受け持った本隊五隻と遊撃隊三隻は、目標をクリアした艦は早くも六隻に及び、魚雷を撃ち尽して、戦争景気に沸き立つかに見えたアメリカ西海岸のこの地域一帯の経済を一時的にせよ冷え込ませた。

シスコ方面隊十二隻はそのころ、マーレー断裂帯洋上での補給のために、三々五々帰投しつつあった。水戦と哨戒艇が警戒するなか、北東太平洋での危険な洋上補給を慌ただしく済ますことを命じられたのだった。シスコ方面の戦局は重大で寸刻が惜しまれた。

最後の一艦がようやく補給を済ませて再度出撃する段になって、米長距離哨戒飛行艇カタリナ一機が夕陽を浴びて飛来したが、警戒中の水戦三機が執拗に攻撃、ついに撃墜してしまった。しかし米機に発見されて補給位置を通報された以上、この断裂帯上での補給作業はきわめて危険なものとなった。シスコ補給先遣隊は直ちに左一八〇度回頭、占領直後のパールハーバーへと回航した。

シスコ方面隊の開戦後三日間にわたる戦果は、撃沈商船二百万総トンを軽く超え、ほかに米軽巡・米駆逐艦・米潜各一を屠ったうえ、米補給艦三を撃破している。中でも一艦は暮れ方、回航中の「ホーネット」型空母一を望見、追跡したが、惜しくも夕闇降りる波間に見失ってしまった。味方は米駆逐艦と、米哨戒艇、米哨戒機の爆雷攻撃によって、それぞれ一艦ずつが沈められている。

米マスコミは日本潜水艦の撃沈を連日、大々的に報じていたけれど、通商破壊戦の緒戦において日本側が圧倒的な優位に立ってしまったことは、日米両国民にとって自明のことであった。

ロス方面隊の活躍については、春山大尉乗組みの伊一五の項で、先に述べたとおり。ただ、この方面の潜水隊が最大の戦果を挙げた、とだけ付言しておこう。




63




 いままた米太平洋艦隊司令部所在地に返り咲いたサンディエゴは、俄かに召集された新旧、大小の艦で犇いていた(幸か不幸かキンメル大将は開戦二日目にハワイで、日本艦爆による急降下爆撃で戦死を遂げ、従って敗北の責任を問われる不名誉な査問にかけられることもなかった)。新任のニミッツ提督は、まずこれらの艦を整理・統合することから始めねばならなかった。

 そのころディエゴ方面隊十三隻は、モロカイ断裂帯に向けて、茜色差す北太平洋の海原を三々五々帰投しつつあった。断裂上の一点で、ディエゴ補給先遣隊と会合し、危険な洋上補給を慌ただしく済ませるためである。

しかし、この引き揚げ途中、ディエゴ方面隊最後尾の一艦、つまり十三隻目の伊号潜には、送り狼がついていた。

パルミラ島から単艦で母港サンディエゴに帰還途中の米旧型駆逐艦「クッシング」が、夕闇せまるモロカイ断裂帯にさしかかったころ、遥かかなたに反航する伊号潜の特徴あるシルエットを捉えたのだった。伊号潜からは逆光ゆえか、このとき「クッシング」を発見することが出来なかった。

老獪な米駆逐艦艦長マリガンは、咄嗟に右回頭、ついで左回頭して、伊号潜の遥か背後に回った。

《近ごろしきりにサンディエゴ近海に出没して、したい放題の日本潜水艦の片割れに違いない、どのように料理してくれようか》と、マリガン艦長は舌なめずりした。《とはいえ、手早くやらないと、夕闇に紛れて波間に見失いそうだし、残燃料も心もとない》

ここでマリガン艦長は、はたと手を打った。

《残燃料が心もとないのはどうやら、帰投中の伊号潜も同じことなのだ。行く手に補給艦が待ち構えているに違いない。そいつもろとも料理してやるにかぎる》

マリガン艦長の推測どおり、補給地点は行く手まぢかにあった。ただ少し勝手が違ったのは、待ち構えていたのが、ただの補給艦一隻だけではなかったことである。水戦の飛ばぬ夜闇にそなえて、幸いなことに、日本哨戒艇五隻は警戒を強めていた。

夕映えの残滓も消えかかる東の海上に、最後の伊号潜を認め、注視のなか、その遥か後方に続航する不審艦一隻を発見した哨戒艇が間髪をおかず照明弾を打ち上げた。眩い光のなかに日本艦が米駆逐艦を認めるのと、「クッシング」がひときわ大きな潜水母艦「長鯨」の艦影を認めて、まっしぐらに殺到しながら主砲を撃ちだすのがほとんど同時であった。応戦、避退する間もなく「長鯨」は至近弾の噴き上げる水柱に包まれてしまった。

「長鯨」の十四センチ砲四門に加えて、哨戒艇三、付近に浮上中の伊号潜七の各砲が、しきりに直撃弾、至近弾を浴びせまくったが、「長鯨」めがけて発砲しながら突撃してくる「クッシング」を止めるすべはなかった。このとき、最寄りの哨戒艇一隻がわが身を犠牲にして「クッシング」の艦尾付近に突っ込まなかったならば。

激突した哨戒艇「島風」はやがて沈没してしまったが、哨戒艇とはいえ、この初代「島風」は就役当時は最速の駆逐艦であった。衝突された「クッシング」のほうも無事であろうはずがない。艦尾を大破し、衝撃でくるりと右回頭し、急激な浸水に往き足が止まったところに集中砲火を浴びて、火だるまとなりながら千切れた艦尾のほうから海中に没していった。負傷したマリガン艦長は助け出されて、ボートに乗ったところを他の哨戒艇に拿捕され、部下数十名とともに日本海軍の捕虜となった。沈没した「島風」乗組員の多くが素早く救助されたことはいうまでもない。




64




 皇居前広場で、白馬に跨って大元帥服姿で陸海軍兵士を閲兵した。

思えば、あのころが凡庸な昭和天皇の仮面のもとに、猜疑心強く倣岸なヒロヒトが発現した絶頂期であった。

あの日を境にひろひとは――侍医の粒良だけが知っていた――絶えず出血していた。いわゆる下血である。到底たんなる痔疾とは思われず、当時最新の、いまからすればかなり太めの内視鏡をむりやり肛門から押しこんで診た粒良の眼を射たものは、大腸内に巣くう禍々しい珊瑚色のポリープの群れであった。

《これは切除しなければ……しかし玉体に人工肛門とは! ミシンとこうもり傘の手術台の上での出会いよりも唐突で、畏れ多いことだ》

幼少のころからストレス過多のひろひとの人生を間近に知る粒良としては、高名無能な帝大教授陣立会いの下に開腹された挙句、救われもせぬ天皇ひろひとの最期が目に見えて、耐えがたい思いに襲われるのであった。

「もともと草木が慈しまれるのと同じように、ほんらい民百姓に慕われるべき天皇なのに、歴史的にみればまたしても突然変異的に」と、古女房にこぼしてみる。「明治維新からこの方、急速な日本の近代化と資本主義化に奉仕させられているばかりか、絶対主義・軍国主義・官僚主義の走狗と化している。国内の破綻の帳尻を朝鮮・台湾・中国で付けようとした伊藤博文一派の責任は重い。現に、アジアの民衆は日本の侵略・搾取に塗炭の苦しみに喘いでいるじゃないか!」

「だったら個人としての天皇が精神・健康に変調を来たすのはむしろ正常なことね。その意味では伊藤一派の期待に応えて大室寅之助なる若者はよく明治天皇を演じきったといえるんじゃない? なにしろ生来、虚弱怠惰な真帝に倣うどころか、この偽帝は皇居の中庭で陸軍将兵と相撲に打ち興じたんでしょ?」と古女房め、すかさず言ってくれるものだ。

「裕仁、ヒロヒト、ひろひと、皇統二千年の重圧のもとにたまさか発現した無垢でアナーキーな寛人=ヒロトト少年、あの少年の無辜の魂を伸ばしてやりたいと苦心惨憺したおのれの半生はいったいなんだったのか? 少年の飽くなき好奇心に負けて、生物学の原書に紛れこませてアナーキズム文献を幾たび運んだことか!」

「皇族・貴族の子弟が〈革命〉に心惹かれるのは何もいまに始まった話じゃないでしょ?」

「ただ、ヒロトト少年の寄せる関心の深さには、どこか切羽詰まったひたむきなものがあって、それがおれの冷えた心の琴線に強く響いたのだ」

幽愁の思いに屈したまま、平河町の自宅に久方ぶりに帰った粒良であったが、その眼がふと書斎の飾り棚の奥に釘づけになった。

《あれを試してみる時期が来たのかも知れぬ。直径二十センチほどの黒ぐろとした硬い瘤の塊チャーガ、要するに白樺の癌みたいな茸なのだが、万人の万病、ことに癌に効くという》(ロシアの作家ソルジェニーツィンが自らの癌を克服したのも、このチャーガによってであった――『癌病棟』)。

白ロシア出身の駐在武官ステプシ何某が、夫人の病快癒の礼にと、押しつけるように置いていった厳寒の白樺林からの贈り物――

ステプシ夫人の白くほっそりした長く美しい右脚、その膝裏に巣くった肉腫を大きめに切除することは、場数を踏んだ執刀医粒良にとって、さして難しい手術ではなかった。

ただ、血管をとりこんだ肉腫を血管づたいにメスを入れて血管を傷つけずに取り除くのと、再発を防ぐために血管の外壁を薄く削ぐ、その手間がかかっただけのことだった。

「脂肪肉腫ではあるけれど、かなり悪性のもので、神経や血管が犯されて手遅れになれば、右脚を切断するほかなかったし、再発は……、転移すれば命が脅かされ……」

と、術後に他の医師から聞かされて、ステプシ夫人は安堵と感謝の涙を流したことだった。

整形外科と協同した形成外科で二度やり直した皮膚移植の手術も終えて、ようやく迎えた退院の折には、退屈な病院暮らしのつれづれに看護婦の奈々から習い覚えた日本語で、たどたどしさは残るものの、与謝野晶子ばりの短歌を、粒良医師に贈ったことだった。




  肉腫去りて膝裏に咲いた創の花きみ吾が生命救いたまいし

 エレーナ・ステプシ




《ニヒルで凄腕の異邦の青年医師!》

束の間の恋の炎が一瞬、夫人の白い胸に燃えあがったかのようであった。




――厳寒の白樺林からの贈り物。粒良は小刀の鞘を払って、黒い塊を両断し、片方を元の場所に収めると、もう片方をさらに二つに割って、そのまた半分を細かく砕いて、薬研で粉末にした。これを黒麹仕込みの芋焼酎に溶かしこんだ。

ひとくち口に含むとなかなか、いける。何のことはない。出来上がったチャーガ焼酎の薬湯十本のうち一本分は、おのれがその場で飲んでしまった。

日ごろの肩こりが和らぐのを覚えて、これを半月ほども続けると、身体になんの不調も現れないばかりか、高めだった血糖値と血圧が目に見えて下がったし、年来のアレルギー症状はいつしか消えていた。

そこでやっと侍医粒良としては、天皇ひろひとに服用させる決心がついた。その間、ひろひとは人知れず衰弱し続けていた。だが、これをひろひとに毎食前に服用させると、食欲も回復するようであった。

二月後にふたたび、内視鏡をむりやり肛門に押し入れると、ポリープはすっかり消えて、粒良の眼に映ったのは、初々しいピンク色の腸管内壁ばかりであった。

「この腸ならば、二百歳までもちますよ」

粒良がひろひとに請け合ったことだった。




65




 重い波をかきわけて乳色の海をすすむ伊一九艦橋で見張りに立ちながら、ただ耳だけを欹てて、肌にまとわりつく潮まじりの霧に、榊原三等水兵はむしろ心地よさを感じていた。

立哨当番になっていそいそと艦橋ラッタルを駆けあがるのは、潜水艦乗りくらいのものだろう――狭苦しい艦内に淀んだ空気から解放されて、新鮮な大気を肺の底まで吸いこみ、やがておのれを取り巻く大海原の真っ只中で、ただ独りであると感じる。

しかしハッチを開けたとたん、榊原毅はあっけに取られてしまった。

見張りに就こうにも、目のまえの手摺りすら見えない。あたり一面、乳色の世界だった。

ただ艦体にぶちあたる波の衝撃とエンジンの振動から、艦が全速に近い速度をいささかも落としていないことだけはわかる。赤道を越えた南太平洋で、こんな濃霧に出くわすとは想ってもみないことだった。濡れそぼった頬に突き刺すような涼気、これもやはりフンボルト寒流の影響だろうか? 一四二〇年代には鄭和の宝船艦隊の一支隊が、この冷たい海流に乗ってこのあたりまで帆走して来て、向きを変えたのかも知れない。

つい百年ほどまえにはダーウィンの乗組んだビーグル号もこのあたりの海域を航海したのだろうか? 読み止しにしたまま内地に置き忘れてきてしまった『ビーグル号航海記』――あの本を、果たして自分は手ずから梨枝に返すことが出来るだろうか? 憧れにも近い気持ちを抱きつづけていたこのおれに、自ら身体を開いてくれた梨枝。あの一夜の思い出だけを胸に秘めておれは海底に沈むことだろう。ついにおのれの闘う場を得なかった第九戦闘団アナーキストの一戦士として、パナマ湾底に瞑るのだ。




しかしパナマ湾口に潜入する危険を冒すまでもなく、パナマ方面分隊七隻はむしろ獲物の選定に苦労した。

それほどパナマ運河を出入りする商船の数は夥しかった。

とはいえ開戦四日目に入ると、太平洋側ではパナマ運河を出入りする商船がぱたりと途絶えてしまった。無理してパナマ湾を出ても、みすみす日本潜水艦の餌食となることが目に見えていたから。

遥か昔、南太平洋から中国人たちが持ち込んだココ椰子の生い茂るココス島=大鮫の群れ遊ぶマルペロ島=赤道直下のガラパゴス群島を結ぶ、やや扁平だが広大な三角形の海域に移動したパナマ方面分隊七隻は、ここでも撃ち漏らした商船を追跡し、待ち伏せして三十万総トン近くを撃沈破している。パナマ方面への補給先遣隊は、遠路はるばるクリッパートン断裂帯まで進出して、一見のどかな眠気を誘う海原で、そこまで北上してきた分隊相手に、危険な洋上補給を大過なく完了した

他方、内南洋から南西太平洋へ進出したサモア方面分隊八隻は、さらに東へ分かれた小隊三隻がタヒチ島の周辺海域へ、西へ分かれた小隊五隻がフィジー島の周辺海域へと分派されていた。

そして海水のあまりの透明度ゆえに、潜航していても真上の上空からは艦体が丸見えの海域さえある戦い難い南海の戦場で、開戦直後から米豪間の通商破壊戦を活発に展開し、三日間で撃沈した商船は七十万総トンに及んだ。

対潜哨戒策立ち上げの遅れが目立つオーストラリア、ニュージーランド両海軍の虚を衝いて、この両小隊は望外の大戦果を上げたのだった。




66




 強烈な南洋の陽射しのもと、荒波を蹴立ててすすむ「第八京丸」の舳先にどっかと胡坐をかいて、赤銅色の肌に波飛沫を浴びながら、胡麻白頭の秋蔵は憮然とした表情を崩そうともしなかった。

腹が煮えてならなかった――いくら帝国海軍が艦艇不足だからといって、何も捕鯨船まで使って敵の貨物船を追い回さなくても、よかりそうなものだ。

「敵船を見つけ次第、手当たり次第に拿捕・拘引する」というのだから、これではまるで海賊だ。敵とはいえ、相手も同じ船乗りなのに、銃を突きつけて「大人しく言うことを聞けばよし、聞かなければその場で撃ち殺す」のだ。これは鯨を殺すのとはわけが違う。人間相手の戦争だ。戦争なら戦争らしいやり方で、どこかよそでやってくれ。おれの、おれらの「第八京丸」に土足で踏み込んできた軍人ども。

重い重機関銃を抱えた、まだ童顔の兵も混じる陸戦隊員が、秋蔵の脇をすり抜けて、捕鯨砲の後ろの船首と船尾にあっという間に一銃ずつを据えつけた。

これで戦闘準備完了というわけだ。あんなもので敵船を威嚇しようというのか? 船腹に穴でも開けようというのか? あんなものをぶっ放したなら死人、怪我人が続出する。

腕のいい砲手で、すでに何百頭もの鯨を屠ってきた秋蔵だが、鯨一頭一頭の命をおろそかに思ったことは一度もなかった。それがこれを限りに陸に上ろうという五十六歳のいまになって、おのれの船で人殺しの惨劇を目の当たりにしなければならなくなるとは!

 モウビィディック! 〈白鯨〉と人間たちの壮絶な戦いがくり広げられたその同じ海で、いまは人間同士の愚かしい戦がくり広げられようとしている。

「てきせーん」と、見張りマストに貼りついた鉄男が頓狂な潮嗄れ声を張り上げる。

《ふん、鯨と違って、貨物船は海に潜りもしなければ、気まぐれにあちらこちらと泳ぎ回りもしない。ただ一直線におのれの航路を進むだけだ。呼吸のときだけ海面に浮上して、潮を噴き上げたかと思えばまるで別方向の海面に顔を出す鯨と違って、貨物船はばかでかい煙突から四六時中煙を吐き出している。そんなでかい図体ならば、あの鉄男にだって発見は容易だろうて》

そんな秋蔵の思いをよそに、「第八京丸」は面舵いっぱい急回頭、急進撃して、大波が舳先にもろにぶち当たり、みな腰にまわした命綱のロープ一本がなかったなら、陸戦隊員もろとも秋蔵も船外に投げ出されて、泡だつ海にたちまち呑まれてしまったことだろう。

急迫する「第八京丸」と僚船「第九鬼丸」の前方五千メートルに、七、八千トンはある貨物船がくっきりと見えてきた。追いすがる小船二隻を尻目に悠然とおのれの進路を保ちつづけている。さすがの秋蔵も思わず立ち上がらざるをえなかった。

敵大型貨物船の右舷前方に回りこんだ「第八京丸」の対空機銃三銃が、敵の船首付近を一斉に威嚇射撃する。舳先に据えた重機もすかさず射撃を開始する。しかし敵船は停止するどころか速度を上げてしゃにむに離脱しようとする。そればかりか無線室からは

《SOS、メーデー、メーデー、本船は日本の武装キャッチャーボートに襲われている。位置は南緯…東経…》

と、打電の真っ最中であった。困惑した西岡少尉は実効射撃を命じ、対空機銃三の銃弾が敵船の船橋付近に集中し、舳先の重機が舷側から身を乗り出した敵の船員たちを薙ぎ倒す。敵船の左舷船尾から迫る「第九鬼丸」も船員居住区の舷窓めがけて実弾を送りこむ。

《これではいたずらに死傷者が増えるばかりだ》

歯がみした秋蔵が「京丸」の舳先にすっくと仁王立ちになる。左手をさっと上げると、ぴたりと息の合った抜群のタイミングで、船長の松尾が舵輪を左に切る。全速で飛ぶように波間を翔ける「京丸」。

《さて、どこに当ててくれよう?》

捕鯨砲の砲尾に立って、はったと獲物を見据える秋蔵の眼が、海鷲の眼にも似て、黄色く耀く。距離七〇〇…五五〇…三五〇…一七〇…九〇……

巨船の舷側が黒ぐろと眼前にのしかかるように迫ってくる。

《そこだ!》

「タン!」

と、鈍い砲声が轟いて、見事な放物線を描きながら宙を飛ぶ銛。するすると伸びてゆく捕鯨索。息を呑む間もなく、秋蔵の放った銛は巨船の錨穴に吸い込まれていった。

くぐもった爆発音が轟いて錨鎖庫で炸裂した銛が、鉄の鍵爪を突き立てる。

秋蔵が右手を振り上げ、振り下ろす。とたんに衝突寸前の「京丸」が全速後進して、捕鯨索が空中にぴんと張る。ほぼ同時に巨船の反対側で「鬼丸」の放った銛が巨船の左舷船尾の舷窓を突き破って炸裂した。「鬼丸」も全速後進をかけて捕鯨索がぴんと張った。

船首を右へ、船尾を左へ、正反対の方向に強烈に曳く二つの異常な力をいきなり受けた巨船は梃子の原理で、船橋を軸に、右舷に大きく傾きながら右旋回した。貨物を満載した大型輸送船が転覆を免れるためには、操舵手ジェームズが本能的にしたように、咄嗟に面舵を切るほかはなかった。

さすがの巨船も汽笛の悲鳴を長々とあげて、はるかに小振りな日本の二隻のキャッチャーボートに降伏せざるをえなかった。

 巨船の左舷後方で「鬼丸」がすべての銃口を向けて警戒するなか、巨船の横腹にぴたりと横付けした「京丸」の甲板からは射出機でジャコブ・ラダーが打ち出され、西岡少尉以下、十四名の陸戦隊員が、猿のように素早く攀じ登っていった。

《ふん、基礎的な訓練だけはやってきたと見える》

と、京丸の舳先にまたもどっかりと胡坐をかいて、のしかかる黒ぐろとした巨船の舷側を見上げながら呟く秋蔵を尻目に、早くもジャコブを登りつめて敵船の甲板に降りたった陸戦隊員十一名が手早く甲板、船首、船尾、通信室、機関室を制圧する。

一方、西岡少尉以下三名の陸戦隊員は、船橋脇のラッタルを駆け登り、操舵室を占拠した。敵船長に銃口を向ける隊員を制して、西岡少尉が冷ややかに宣した。

「ナウ、ユア・シップ・イズ・アンダー・アワ・インペリアル・ネイヴィズ・コントロール」(いまや貴船はわが帝国海軍の指揮下にある。)

「ワット・ナンセンス!」(そんなたわけたことがあるか!)

「ナンセンス・インナ・センス、バット・ユウ・マスト・オベイ・ミー」(たわけていようがいまいが、貴殿は本官の命に服さねばならない。)

「エニウェイ、ユウ・ハヴ・ガンズ、ビッチ!」(どうせ、筒先を向けているのはおまえらだ、くそっ)

「クール・ダウン・フォア・ユア・メンズ・セイク、キャプテン〈ビッチ〉!」(落着いたほうが、貴殿の部下のためだぞ〈ビッチ〉船長!)

 秋蔵が聞いたら目を丸くするような会話を「ビッチ」船長相手に西岡少尉はしてのけていた。「京丸」の松尾船長が、舵輪に片手を預けたまま、頭上にのしかかる巨船の船首を見上げる。

《船名はULYSSES……ユ・リ・シー・ズ……ウリッセス……オデュッセウス、こいつはのっけから大変な英雄を拿捕してしまったものだ!》

 やがて黄昏の水平線上に、連絡を受けた曳鯨船一隻が現れ、「ビッチ」船長以下五十一名の「ユリシーズ」乗組員――うち十八名が重軽傷を負っていたが、幸いにも死者はいなかった――を移乗させ、代替操船の陸戦隊員八名が「ユリシーズ」号に乗り込むと、曳鯨船は獲物の巨船を曳いて、ふたたび母船のもとへ還っていった。むろん二船の間には太い曳き綱が渡されていたが、代替操船員が大過なく動かしたから、「ユリシーズ」号は自力で航行していった。

それより先、西岡少尉以下十四名の陸戦隊員は「第八京丸」に戻っていた。負傷者一名を含む全員が無事に戻るのを見届けると、秋蔵さえもほっと溜息をついたことだった。「京丸」と「鬼丸」はふたたび新たな獲物を求めて、大海原を駆け巡るのであった。

《二度目は、こうは容易くはゆくまいて》

秋蔵のその思いは、松尾船長も同じだった。




67




 戦線の一時的膠着のつづくハワイ、オアフ島東岸カネオヘ湾沖に、「ハワイ方面遊撃部隊」が突如、姿を現したのは、十二月二十三日未明のことだった。

ジョンストン島、改め南亀島から五日間をかけて航海してきたのである。

水偵五機が吊るす吊光弾の眩い光に浮かび上がった海岸線に、「伊勢」「日向」が主砲弾・副砲弾を釣瓶打ちに撃ちこみ、軽巡「川内」「夕張」、駆逐艦十六隻が海岸線に肉迫すると、主砲・副砲から機関砲・各種機銃にいたるまで一斉に火を噴いた。ミッドウェイ島攻略戦あるいはウェーキ島攻略戦、そしてジョンストン島攻略戦を戦い抜いた歴戦の陸戦隊員五十名・陸軍兵士二千四百四十三名が、奇岩の山裾の狭い浜を北端とするカハルウ周辺の浜辺にいっせいに上陸を開始した。

夜明けの光を待たずに「鳳翔」「瑞鳳」から独立零戦隊の零戦が飛来し、銃爆撃をくり返した。夜明けの光とともに少数ながら艦攻・艦爆・艦戦が全機出撃し、カネオヘの湾岸線からコオラウ山地にいたる内陸部の敵陣地を爆撃、掃射した。水戦隊も上陸部隊に貴重な援護射撃を送った。

カハルウ上陸・占拠を果たした上陸部隊は正午の大休止もそこそこに、陸戦隊員四十八名――そのなかにはあの林純一隊員の童顔も混じっていた――を含む千四十八名が海岸線づたいに南下して、ヘエラを経てカネオヘを目指し、カハルウの拠点防衛に四百三十五名だけを残して、残る千名の陸軍将兵はやや内陸を海岸線と並行して走る八三号線を一路南下してカネオヘを目指した。

遊撃艦隊はカネオヘ湾内にとどまり、飲料水・生鮮食料の補給に努めつつ、四方に睨みを利かせた。上陸部隊の支援のほかに、内陸部の偵察を強化して、敵に大きな動きがあればすかさず叩き、周辺海域を偵察・哨戒することも欠かせなかった。ことに、カイウイ海峡を挟んで隣のモロカイ島と密かに連絡を取ろうとする米兵があとを絶たなかったから、なおさらのことであった。

 一方、先にホノルルとダイヤモンドヘッドの連絡を完全に断ち切るために、マノア川沿いに上流域へと深く進出した陸兵二千のうち七百三十名は、プウウ・コナフアヌル山頂下にもうひとつの川の源流を見つけて、渓流づたいに西進、やがて六一号線に出て、ホノルル北面の陣地に帰還したが、新庄少尉を含む将兵千二百四十五名は源流を渡り、さらにプウウ山麓を時計回りに迂回して、六一号線に出て東進、カイルアとカネオヘ方面の分岐点にいたるや、カネオヘ目指して進撃速度を速め、東海岸に上陸した遊撃部隊との打通を図った。

激戦の末にカネオへ基地と町を占領、合同を果たした遊撃部隊二隊と新庄少尉の部隊、計三千名弱はカネオヘの町に二泊、その間にカネオヘ基地に飛来した独立零戦隊八機が基地に常駐、部隊の進撃を直接支援することになった。

陸戦隊員四十七名と陸兵四百五十九名を基地と町の防衛に残して、新庄少尉を含む陸軍将兵二千五百名は一斉にカイルアの敵基地めざして南下した。圧倒的な兵力でカイルア基地と町を制圧すると、北のマカプ岬方面と南のワイマナロ方面の残敵掃蕩にかかった。

カイルア基地には新たに独立零戦隊十二機が飛来し、基地に常駐して掃討作戦に協力することになった。(カネオヘとカイルアの両基地にはおいおい航空整備兵の一団も到着して、零戦の整備・修理のかたわら基地内外に放置された多数の米軍損傷機を集めて、飛行・作戦に堪えうる機を一機でも多く再生しようと努力した。破損した米軍ワイルドキャット計六十五機を整備兵が集めて作りあげた二十一機にも零戦に準じた塗装を施し、予備機として残敵掃蕩戦に活躍、「東オアフ独立戦隊」と呼称した。)

こうして十二月二十八日の時点で、オアフ島の南三分の一は、ほぼ日本軍の制圧するところとなった。




 十二月十四日にホノルル市の条件付降伏を認めた日本海軍は、同日、陸戦隊三千名を市内に入れ、市議会・市庁・準州議会・警察署・消防署・放送局・新聞社・郵便局・銀行など、主だった施設を占拠・接収した。

とはいえ、すべて平常どおりの業務の継続を許可した。ただし、警察署は武装解除したし、銀行・郵便局は米本国への送金と大口の現金引出しを禁止、日系人・米市民・ハワイ人を問わず、一人一日一回千ドル以下の現金引出しに限って認めた。むろん小切手・軍票を用いての取引決済はこの限りではなかった。

行内にあった現金は海軍がすべて没収し、代わりに軍票をこれに当てた。海軍は没収したばかりの米ドルを気前よく使って、まず艦隊の飲料水と生鮮食料を補給し、ついで前線で戦う陸海軍兵士のために新鮮な糧食を購入し、即日、最前線部隊から順に配布した。公用車・自家用車の類をすべて没収し、これに充てた。

 翌十五日朝には背後の陸地から総攻撃を受けていたパールハーバーが一昼夜にわたる激戦の末に無条件降伏をした。パールシティ、改め「真珠市」は陸軍に任せて、海軍はパールハーバー、改め「真珠港」一帯を占拠・接収、直ちにその港湾機能の復旧に努めた。貯油施設の原油タンクは予期に反して、その大半が健在であった。

同日早くも、沈船夥しく危険極まりない港内に、残燃量乏しい艦から順に、駆逐艦が四囲を警戒しながら三々五々入港し、波止場近くの生き残った重油タンクにありあわせの送油管を接続して、急速給油し、港外に警戒・待機中の艦と交替した。

ただし、最初の四艦だけは引き続き港内にとどまって、残敵米軍による小規模なテロ攻撃に対する警戒を厳にしていた。絶望に駆られた米海兵の自爆テロが四、五件見られたのである。

駆逐艦群が終わると、軽巡・重巡と、夜を徹して給油作業がつづいた。空母群への給油が完了するころには、すでに夜は白みかけていた。戦艦群への給油も完了したのは実に昼過ぎのことだった。最後に高速輸送船七隻への給油を済ませると、その日は終わってしまった。

その間にすべての荷揚げを完了し、新旧各種のレーダー機器や米重戦車の見本を積みこみ、再利用される敵味方飛行機の残骸や屑鉄原料たる戦争廃棄物を満載したハワイ攻略部隊の輸送船十八隻と弾薬運搬船二隻が、燃料を満タンにして母国へと帰還していったのは、十二月十八日夕刻のことだった。護衛には旧型駆逐艦わずか四隻が同行しただけだった。それでも水戦隊の直掩機が連日、オアフ、旭日の両島から出ることになってはいたが。




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 長官山本五十六はママラ湾沖を遊弋する旗艦「翔鶴」から動かなかった。

ただ、南雲忠一を真珠港総督代行として草鹿とともに上陸させ、軍港としての機能再建に当たらせた。「赤城」「加賀」「龍驤」も「翔鶴」に加えて山本直属の空母として、「瑞鶴」は「飛龍」「蒼龍」に加えて山口多聞の指揮下に置いた。

南雲と草鹿のコンビは、俄か造りの真珠港総督府で抜群の働きを発揮した。

まず、海兵を使って基地滑走路を修復したのはむろんだが、航空整備兵の一団を上陸させ、零戦・艦攻・艦爆の整備・修理のかたわら、米基地内外に放置されたままの多数の米軍損傷機を集めさせて飛行・作戦に堪えうる機を一機でも多く再生させた。小中破した各種米軍機、計二百三十六機を整備兵が集めて作りあげた七十五機にも日本機に準じた塗装を施し、予備機として残敵掃蕩戦に活躍させ、「ハワイ独立戦隊」と呼称させた。

ついで、港内に浮かぶ中小破した駆逐艦以下の夥しい米小艦艇を総点検し、わずかな補修で稼動・実戦に耐えうる艦艇から修理に入り、艦隊の予備乗組員を充て、実戦配備して「独立ハワイ艦隊」と呼称した。修理不能の艦艇はただちに地元の解体業者に払い下げられ、屑鉄として再び買い上げることとした。

その間、米軍戦死者の未発見遺体の回収にも意を用い、回収された遺体は米従軍牧師に託して鄭重に埋葬させた。米軽巡・重巡の再稼動、実戦可・不可も慎重に見極めていった。

こうして米太平洋艦隊の残骸のなかから、実に重巡二・軽巡七・駆逐艦二十三・潜水艦二・哨戒艇三十五・魚雷艇十七の「独立ハワイ艦隊」が年内に誕生、ひとまずオアフ島周辺海域の哨戒に威力を発揮し始めた。

しかし大中破して水中に擱坐した旧型米戦艦八艦については、山本の強い意向で、すべて浮揚後、空母に改造せねばならなかった。

「内地に回航する暇はない。すべてオアフ現地の再建工廠でこなせ」と、五十六が言う。「高速空母に改造することは到底無理であろうから、飛行甲板一枚被せただけの、航空機運搬用の低速空母であってもかまわない」

苦慮した挙句、南雲と草鹿はまず、米戦艦の健在な砲塔の撤去から始めた。壊滅した米海岸砲陣地の跡地にこれらの主砲・副砲を据えつけて、他の高角砲・機関砲をも効果的に配置して、港湾防備に少しでも役立てようというわけだった。各種砲弾・爆薬・弾丸だけは、破壊されぬまま遺棄された生き残りの米軍弾薬庫に腐るほどあった。

年の瀬も押し詰まったころ、三交替制の昼夜を分かたぬ突貫工事で、ようやく旧米戦艦一艦に飛行甲板一枚が被されようとしていた。けれども

「浮揚した米戦艦のうち少なくとも一隻は、戦利品として内地に回航せよ」

との指令が軍令部から届いた。これに対し山本は

「仰せのとおり二隻回航するが、突貫工事で二隻とも速成空母に大改装し、明年三月二十日までに、艦載機・補充搭乗員を乗せて、ハワイに再回航されたし」

との、日程的に見てもいささか無理のある強硬な要求を添えて、比較的に損害の軽微な米戦艦二隻を、「独立ハワイ艦隊」の駆逐艦四隻に護衛させて横須賀へ送った。

結局、真珠港で五隻目の速成空母が概成したのは一九四二年三月二十日、内地から艦載機・補充搭乗員を乗せて、先の二隻の速成空母が再回航されてきたのは遅れて四月十五日、速成空母艦隊の編成・実戦配備が成ったのは、さらに遅れて六月十五日のことであった。

こうして旧型米戦艦七隻は日本海軍の改装空母七隻として生まれ変わった。すなわちハワイで苦心の突貫工事のすえに大改装なった「南天」(旧米戦艦「カリフォルニア」)、「東天」(同「メリーランド」)、「青海」(同「オクラホマ」)、「青天」(同「ウエストバージニア」)、「北天」(同「ネヴァダ」)の五艦、それに横須賀から再回航されてきた「北洋」(同「テネシー」)、「南洋」(同「ペンシルバニア」)の二艦である。

大型ながら旧戦艦並みの低速で、攻撃型空母としては使えず、作戦・運用上に制約はあったが、護衛・運搬・中継ぎ空母としては申し分なかった。各艦に新来の零戦四十機、補用八機、計三百三十六機がとりあえず搭載されて、さっそく若手搭乗員たちの錬成・実戦訓練がハワイ沖上空で開始された。




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 こぬか雨けぶる六月のみどりの夜に、裏木戸をほとほとと叩く音がする。

庭下駄をつっかけて出てみれば、チベット密教の修行僧、大柄禿頭の水田一心、別名〈火の玉小僧〉がぬっと入ってきた。

水田の携えてきた極秘情報の大半は、すでに粒良の知るところではあったが、おかげでその虚実に確信がもてたし、弥生隊、蘭子隊の上海、ハルビンにおける暗躍のさまをじかに彼の口から聴くと心が躍るのであった。

いつしか夜も更けて、裏木戸まで送る粒良の腹に、振り向いた水田が右拳を押しつける。ゆっくりと開いた手のひらのなかで琥珀色の玉が、夜明けまえの青い闇のなか、どこからともなく光をあつめて煌めいていた。

「おまえにくれてやる。秘宝とはいえ、おれには無用の品だ」

懐で温まったその琥珀色の玉を粒良に押しつける水田の指先は、口とは裏腹に、いかにも惜しげに未練に揺れていた。

「いったいなんだ、これは?」

「今際のきわの師匠が、おれに託した伝来の秘宝だ。貴人の夢を三度だけ叶えるという」

「ふん、貴人、だと。ならば、俗人のおれにも無用の品だ」

「うわぁ、はっはっは」

頭頂を突き抜けるような笑い声を残して、暁闇の路地に〈火の玉小僧〉は姿を消していた。

あれから三年、琥珀色の玉はかなり小さくなってしまった。

寝酒にしていた琉球泡盛の古酒に、ふと思いついて、煌めく表面をひと筋、薄く削った琥珀色の玉の小片を浮かべてみたのが、そもそもの始まりだった。細かな泡を吹きながら薄片はたちまち溶けて、琥珀色に染まった杯のなかの古酒が、えもいわれぬほのかな香りを新たに発していた。

《いや、じつに旨い》

ただ、それだけのことだった。飲み干したおのれの精神・肉体には何の変化もなかった。夢さえ見なかった。ただ、仄かに心地よい、それだけだった。

思えばこの十有余年、禁裏に巣くう魑魅魍魎を密かに退治することに明け暮れて、五年前からは梨枝と隊員たちの助力があったとはいえ、粒良とて心の休まるときは、片時もなかったのだ。

そこである日、不眠に苦しむ天皇ひろひとに寝酒として薦めてみた。すると陛下はよく眠れるようになったばかりか、日ごろの奸悪な軍国主義者ヒロヒトの発現が抑えられて、やがてすっかり影を潜め、それとは逆にアナーキーな博愛主義者ヒロトトがよりしばしば発現し、次第に天皇ひろひとのなかでヘゲモニーを握るに至った。

琥珀色の玉に触発された一種の精神転換ではあろうが、いずれにしても歓迎すべきものではあった。

いまにして思えば、それでこそ開戦後、間なしにあの矢継ぎ早の治安維持法廃止の勅令、言論の自由の表明、検閲の全面的禁止、特高警察と憲兵隊の即日解体が成ったのだ。政府は政策の激変と、その辻褄合わせに翻弄されるばかりで、瓦解の瀬戸際に何度も立たされたことだった。

東条の更迭、中国大陸からの撤兵、日独伊三国同盟の解消すらも、こと天皇裕仁に限っては琥珀色の玉の作用がまったく関係なかったとは言い切れない。

なお、粒良は結社外のブレーン十四名、同伴者五十六名をも統括しているけれど、彼自身および彼らも、他のアナーキスト系公然・非公然組織とは一切交渉がない。そのことは《シリウス》の他の秘密結社員、実行隊員および戦闘団員と同様である。

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