2008年12月10日水曜日

海の風と雲と1-7

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 一九四一年十二月二十九日正午、皇居九門の内側を梨枝隊主導の皇宮警察が固め、外側を警視庁選抜隊が警護し、内濠一帯の要所要所をいかなる場合にも天皇ヒロトトに忠誠を新たに誓った新編麻布連隊――二・二六事件を惹き起こした昔日の面影はない――が防備するなか、宮内省最上階の簡易無線局から英・仏・露・中・日、五ヵ国語平文で、天皇ヒロトトの〈和平宣言〉が世界中に打電されつづけ、同時に同所併設の簡易ラジオ局から天皇ヒロトトの肉声で〈和平を願うお言葉〉が、むろん日本放送協会も協力し、日本全国に流れた。

これは同趣旨の極秘文書――天皇ヒロトトから米大統領に宛てた親書――が〈火の玉小僧〉も介在した前述の上海ルートのほかに、極秘の外交ルート、モスクワ・ルートおよびスイス・ルートをも介して、相手方に手交されたことを確認してから、実に五日後のことであった。

世界中は驚愕し、当然、これを黙殺しようとその事実を伏せていた米大統領・米政府に、非難が集中した。

日本国民もびっくりしたが、海外で目下、激しく交戦中の陸海軍将兵はもっと吃驚した。

しかし驚きが過ぎ去ってみれば、異郷で戦う陸海兵士たちの胸中には、じわじわと喜びがこみ上げてくるのだった。

《これで勝ち戦のなか、無事、故国に生還できる!》




 その前夜、密かに武装して、梨枝隊皇宮警備官の手引きで、桔梗門を潜り、皇居に入った奈々隊と愛子隊、それぞれ二十五人――隊長・幹部同志三名・平同志二十一名――の合同部隊五十人および第十一戦闘団三十名は、手早く宮内省を無血占拠した。

相前後して桔梗門を潜った〈シリウス〉秘密結社員十名および「天狼丸」乗組員三名が同省最上階に和平推進=革命小委員会を設けて、奈々、愛子の両隊長もこれに加わり、ヒロトト=粒良グループ=梨枝隊との連携を密にした。

〈十五人小委〉とも呼ばれたこの〈和平小委〉議長には、意外なことに、「天狼丸」コックの松井が選ばれた。物憂い丸顔に終始笑みを絶やさないこの男は、何を考えているのか窺い知れない一面があったけれど、コックという職業柄か、過激なことは人一倍過激であった。たとえば、「天狼丸」での数々の処刑方法を考案、即実行のイニシアチブを、裏で執ったのは彼であった。

占拠中の宮内省最上階で随時開かれた革命小委拡大会議には、非番の実行隊と戦闘団の全員も自由に参加し、活発な討論がなされた。

何よりもアナーキスト革命の大きな流れのなかに、天皇制をも平然と組み込んでゆく事態の推移に違和感を覚え、不満を表明する隊員が多かった。奈々、愛子の両隊長も、口にこそ出さね、その思いは同じであった。

しかし、コックの松井議長は個別具体的・即物的な議論から始めて、次々に相手を論破し、納得させて会議の流れを主導した。そんな松井の政治力を両隊長も認めざるを得なかった。こと、政治力では、松井は粒良と良い勝負であった。




 同じく前夜、ひそかに武装して梨枝隊皇宮警備官の手引きで皇居に入った葉子隊と圭子隊、それぞれ三十三人――隊長・幹部同志四名・平同志二十八名――の合同部隊六十六人と第十三戦闘団三十名、それに秘密結社員十名は、近衛師団司令部の占拠に向かったけれど、こちらはいかに不意を衝いたとはいえ、手早く無血占拠というわけにはゆかなかった。

歩哨と衛兵十数名を倒して建物内に突入したが、各階ごと、廊下ごと、部屋ごとに立てこもる司令部要員を排除してゆかねばならなかった。

宮内省を無血占拠後に、応援に駆けつけた愛子隊と奈々隊の三十名および第十一戦闘団二十八名も、たちまち乱戦に捲きこまれてしまった。戦闘団と実行隊員は海軍陸戦隊流れのベルクマン短機関銃と手榴弾を、秘密結社員はナイフと拳銃を効果的に使用して、ようやく全館を制圧したのは、早や夜明けも間近のことだった。

ヒロトトの玉音放送の開始される正午寸前まで、葉子、圭子の両隊長は後始末に忙殺されていた。梨枝隊は正確な情報をその都度伝えて、激しい銃声や爆発音を聞きつけた宮城内外の警官・兵士などの動揺を抑えねばならなかった。

放送終了直後にヒロトト自らが、同胞相撃つ戦場となった近衛師団司令部を慰問に訪れると、負傷して簡単な応急手当を施されただけで、血染めの廊下に横たわったままの若い司令部要員たちは、感極まって泣きだす者が多かった。

そのあまりのたわいなさに、《もっと下まで根回しをしておけば、不必要な犠牲は避けられただろうに》と、護衛を兼ねて随行した梨枝隊長は一瞬、粒良を恨めしく思ったけれども、機密の洩れる惧れは常にあったし、一歩間違えばいまごろ捕捉殲滅されていたのは戦闘団と実行隊の葉子・圭子・愛子・奈々の各隊と、ヒロトトはともかく、梨枝隊と粒良一派であったろうし、その場合には全員の命がなかったことなのだ。

土壇場で衛兵中隊が敵に回ったならば、それは確実なことであった。しかし、梨枝の口を衝いて出たのは、まったく別の言葉だった。

「他の師団の動向が気になるところね」

「そのとおりだ」粒良の返事も素っ気なかった。「いまだに、出方を窺っているのなら、こちらにも分があるのだが」

その夜、近衛師団長室で〈革命軍事小委〉が秘密結社員十名と葉子・圭子両隊長の十二名で結成され、議長には例のないことながら、葉子隊長が選出されて兼務することになった。ただちに革命軍事小委拡大会議が開かれ、非番の実行隊員と戦闘団員は全員参加して、活発に討論がなされた。

「いまこそアナーキスト革命の旗幟を内外に鮮明にすべきだ」

との議論が続出したが、そのたびに

「時期尚早というか、無謀ね」

と、葉子隊長兼議長にやんわりと窘められて黙りこむのだった。

それでもその夜から、先の麻布連隊に加えて、近衛師団の命令系統が完全に掌握され、翌朝から師団の中隊、小隊に至るまで、市中の秘密結社員が〈政治委員〉として送りこまれて、隊全体および個々の兵たちの政治意識向上に努めたのであった。

急速な言論・報道の自由化のなかで社会的・政治的知識に飢えていた兵たちは、青い水が砂に滲みこむような吸収力を示し、近衛師団は急速に革命軍団に変貌を遂げていった。貧しい郷里にある父母たちの生活の実態を知る彼らこそは、現在の社会の仕組みを根底から変えてゆく原動力ともなりうるのだった。

しかし全国的にみるならば、粒良や梨枝の危惧したとおり、結社および結社以外のアナーキストたちの働きかけがあっても、地方の連隊に捗々しい成果は得られなかったし、むしろ共産系勢力の地道な浸透が功を奏して、東北と信州に〈赤い連隊〉が輩出した。一方、九州の久留米には「赤匪・黒匪を討つ」と標榜する極右連隊まで登場した。こうして戦勝のうちにも政府は動揺し、内地で和平の機運が盛り上がるなかで、内戦の危機が孕まれてゆくことになった。

都内各所の秘密アジトに残った愛子隊と奈々隊の幹部同志八名・平同志五十六名は武装待機し、他の秘密結社員たちは反和平派の情報収集に努めた。

軍の一部に和平実力阻止の動きを察知するや、ただちに首謀者の大佐と中佐、それに中尉三名、右翼国粋主義者二名を拉致・抹殺して、制圧部隊の動員を未然に防いだ。

むろん「天狼丸」に残った葉子隊残留組、関西に暗躍する圭子隊残留組も、各幹部同志の指揮下で臨戦態勢にあった。残りの戦闘団主力も、全くの水面下ながら、臨戦態勢にある。第十五~三十八戦闘団は、陰ながら各実行隊の支援に回る傍ら、相変わらず根気よく秘密裏に〈玄洋社〉〈黒竜会〉残党の割り出しと殲滅に当たりつつ、待機していた。

ハルビンの蘭子隊は、関東軍に多い和平反対派将校のうち危険分子の監視を強め、具体的行動をとる寸前に拉致・抹殺した。

上海の弥生隊は、各国諜報機関の動きに乗じて、日本特務機関の残存勢力を、かの地から一掃した。

しかし、このときの日本側からの和平攻勢は、結果から言えば、すぐには実らなかった。

皮肉なことに、日本軍の連戦連勝が和平を妨げていた、とも言える。

米大統領ルーズベルトとしては、内外の世論はどうであれ、どこかで主要な一戦に勝利しなければ、開戦早々、やられっぱなしで和平交渉のテーブルに着くことなどは、論外であったからだった。




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 捗らぬ沈船(米戦艦「アリゾナ」)最後の浮揚と、港湾施設の復旧・整備、慌しく動き回る水兵、民間人、そんな雑然とした光景を尻目に、「大和」が悠然とパールハーバー、改め「真珠港」に入港して来たのは、年の改まった一九四二年一月十五日のことであった。

傍らには随伴空母「祥鳳」ほか、軽巡「天龍」・駆逐艦九隻が従っていた。

ともに入港した砲艦八隻・大型輸送船二十六隻――初めての実質的な補給船団であった。

うち十四隻には補充の量産新型零戦百機、艦攻二十一機、艦爆二十八機、それに対艦用と陸用の爆弾・航空魚雷・各種銃砲弾・航空燃料、平射砲、糧食などが積み込まれていた。

残り十二隻の輸送船には試作型重戦車十五輌・中戦車三十五輌・軽戦車二十五輌・装甲車二十五輌の戦車隊、野砲・重砲・榴弾砲の砲兵隊と弾薬、それに陸軍の戦闘機隼七十五機、重爆五機と一〇一司偵二十五機が積まれていた。

特筆すべきは陸軍の増援二個師団ほか、四万二千五百人が各艦船に分乗してやってきたことだった。陸海軍の補充パイロット三百名は「大和」に便乗してきたが、同艦にはなお余裕があったことから、陸海軍の航空整備兵七百名も「大和」への便乗を許されて、みな小躍りしたことだった。

なお、横須賀を発した「大和」艦隊が途中、旭日島へ寄港した際に、島に残置されていた零戦八・艦爆三・艦攻三は、「祥鳳」に収容され、オアフ島に着き次第、「鳳翔」に復帰することになった――むろん、川名少尉と大河原整備兵もこの中に含まれていた。かわりに新編の零戦十六・艦爆六・艦攻六が、在地の「旭日ワイルド隊」と協働して、旭日島防衛の任に当たることになった。

陸続と桟橋を渡って上陸してくる陸軍将兵を見て驚いたことに、彼らは陸軍の精華・近衛二個師団であった。これで東京は空っぽになった。文字通り陸軍もこのオアフ島を決戦場と捉えているのであった。あるいは陸軍上層部には、

「左傾化著しい近衛師団をこの際、戦地に追っ払ってしまえ!」

との、思惑が働いたのかも知れない。実際、内地では、陸軍の動向をめぐって、粒良や松井や葉子たち、各実行隊、各戦闘団が極度の緊張状態にあって、息を潜め、また、ある意味では、てぐすねを引いて機を窺ってもいたのだった。

ともあれ、さっそく各飛行場に展開し終えた歴戦の隼七十五機・重爆五機・一〇一司偵二十五機は早々と慣熟飛行を済まし、戦闘準備は整った。

前線中央で米軍本隊と対峙する陸軍三個師と新手の近衛二個師団が入れ替わるなか、前線両翼では戦車隊、後方では砲兵隊が展開を終えていた。西のワイアナエ山地と東のコオラウ山地に両脇を限られた東西二十キロ、南北三十キロにも満たない狭い平地、その中央のワヒアワ沼沢地に、敵の暫定司令部はある。




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 朝靄煙る一月十七日午前六時、砲兵隊の攻勢準備射撃に送られて、近衛第一師団は西の七五〇号線沿いに、近衛第二師団は東の九九号線とH2号線沿いに、静かに前進を開始した。

散開して何事もなく七百メートルは進んだであろうか。突如火蓋を切った敵の機銃陣。ばたばたと薙ぎ倒される日本兵。兵はたちまち匍匐し、戦車隊が動き出す。集中砲火を浴びやすい道路上を避けて、兵とともにパイナップル畑や野っ原を前進する。砲兵隊もいちだんと砲撃密度を上げた。機関銃中隊は手ごろな場所に重機を据えて、猛然と撃ちだす。

しかし前方の最良の凸地にはみな敵の堅固な機銃座があって、盛んに撃ち返してくる。山砲、曲射砲の出番だった。迫撃砲を撃ちあい、手榴弾を投げあって、なおも匍匐前進をつづける。泥まみれ、血まみれ、糞まみれの敵味方の死体が重なりあっている。不意に訪れた晴れ間から、隼編隊が突っこんでくる。弾け跳ぶ敵の機銃座。すかさず飛びこむ兵を薙ぎ倒す、さらに奥の敵機銃座。味方の中戦車が敵の機銃座を米兵ごと轢き潰したとたんに、敵速射砲の直撃を喰らって、擱坐する。轟然と突進してくる敵戦車隊。眼前の敵戦車は、折り良く艦爆が急降下して、あっさりと屠ってくれた。しかし、残りの敵戦車は、味方後方まで食い入ってゆく。地上には敵戦車の蹂躙を、正面から阻む手立てはない。

戦闘開始から小一時間も経っただろうか? 大気を揺るがす急行列車の轟きとともに、「大和」の主砲弾が敵陣深くつぎつぎに炸裂して、後方の敵大隊ごと敵司令部を跡形もなく吹き飛ばす。日本軍のいまや重戦車九・中戦車二十七・軽戦車十九・装甲車十七と撃ち減らされた各戦車隊はこのとき、全面展開・突撃を開始した。兵たちも着剣し、遅れじと突撃を敢行した。

近衛二個師の兵たちは、このとき実に千五百メートル近くを、ほとんど一気に駆け抜けている。後続三個師の兵たちは、あいだに取り残された米兵を始末するのに手間取ったことだった。

各所で日米双方入り乱れての白兵戦が始まると、体格的には劣るものの、この日の日本兵は強かった。二人三人がかりでつぎつぎと米兵の大男を屠っていった。あとには、雲の破れ目から射す午後の無慈悲な太陽の光線のもと、血まみれ、泥まみれ、糞まみれの敵味方の死体が重なりあっていた。




 日本軍はこの日、米軍の稠密な縦深陣地を一気に抜き去り、「大和」主砲弾で壊滅した米軍司令部跡地を背に、東西の山地に逃げこむ敵敗残兵を追って、日没が迫ると、東西の山裾づたいに、広く薄く布陣した。

なかでも中戦車の背に鈴生りに兵を乗せた戦車一個中隊は、ひたすら敵を追って、あるいは敵を追い越してひたすら北進して、とうとう北海岸の断崖にまで到達した。

目のまえに砕け散る荒波の飛沫を浴びながら、北天の空に耀きをます星ぼしを見あげて、一挙に緊張のほぐれた兵士たちは、みなおいおいと泣いた。生きていたのが嬉しかったのか、戦友を死なせておのれだけ生き残ったのが悲しかったのか、故郷が恋しかったのか、誰が知ろう? ただ、この瞬間、時は歩みを止めて、死すべき者である人間たちの個々の素顔を、星屑の薄明かりが仄かに照らし出したことだった。

《人間はなぜ戦をするのだろう?》

《人間はなぜ愛し憎みあうのだろう?》

《人間はなぜひとを蔑み、自惚れるのだろう?》

《人間はなぜひとを出し抜いてまで、おのれが栄えようとするのだろう?》

《国家は果たして人間にとって必要なものだろうか?》

《戦争を命ずる国家、人殺しを強要する国家、人間らしく生きる自由を束縛する国家などはいらない》

《縛りつけるだけならば、国も家もいらない》

《ひとを縛らない、おのれも縛られない土が空が海が欲しい》

《ひとを縛らない、おのれも縛られない、愛するひとが欲しい》

《憎しみを消してくれる涙が欲しい》

《苦しみを忘れさせてくれる泉の水を飲みたい》

《死すべきおのれを心から笑わせてくれる無垢なる者に、いつかめぐり逢いたい》

これらの希いを冷たく瞬く星ぼしに祈った兵たちのうち、無事故郷に帰還できた者はごく僅かだった。

バクーニンいわく――どんな人も、みなが人間らしく生きられるよう、協力しなければ、自分も人間らしく生きられない。どんな人も、周りの人たちと一緒に解放されなければ、解放されない。わたしの自由は、みなの自由である。なぜなら、わたしの自由と権利は、みんな平等な人びとの自由と権利のなかで、みなから同意を得ないかぎり、保障されないからだ。つまり理念的な自由ではなく、実体としての自由は、まわりのみなとの関係においてでなければ、存在しないからだ。







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 西のワイアナエ山地の山裾に広く薄く展開した近衛第一師団、東のコオラウ山地の山すそに広く薄く展開した近衛第二師団、その背後に野砲・榴弾砲の砲兵隊と、数こそ半減したものの、山麓から山頂にいたる峠道に砲口を向けた重戦車・中戦車・軽戦車・装甲車の各戦車隊が展開して盛んに撃ちまくるなか、陸軍三個師団は北上をつづけて、平野部中央のワヒアワ沼沢地にあった敵司令部址を中心に、南北に各大隊を巧みに配置した。

今夜半にも敵の大規模な逆襲があると睨んだからであった。事実、十八日未明までは何事もなかったが、兵たちが疲弊しきった身体で深い眠りを貪る暁闇の午前四時半、突如、全戦線にわたって小火器の爆ぜる音と迫撃砲のくぐもった音が轟いて「わぁー」という喊声とともに、いきなり闇夜の白兵戦の真っ只中に投げこまれた兵士たち。

両近衛師団の薄い布陣は随処で断ち切られて、中央南北軸線上に配置された陸軍三個師の各大隊・中隊が、各個に立ち向かう。敵味方の銃弾、手榴弾、照明弾が飛び交うなか、銃剣とナイフと日本刀が煌めき、鮮血が血飛沫となって飛び散った。

東から空が白むころ、敵兵は潮が引くように引き揚げていった。あとには累々たる屍。呆然と立ち竦む新庄少尉。その頭上を鋭い金属音を残して隼機が擦過していった。

だらりと下げた右掌からは血糊で貼りついてしまったかのように古刀〈櫂扇〉が剥がれ落ちない。弾丸を撃ちつくした左手の南部拳銃はまだ銃身が焼けるように熱い。ズボンのバックルに引っ掛けて、まず左手の小指から指を一本ずつ銃把から引き剥がす。やっと拳銃をサックに収めて〈櫂扇〉を一閃、一振りしてから敵兵の上着の裾で血糊を拭ってそろりと鞘に収める。

ついで左手を使ってまず右手の小指から指を一本ずつ柄頭から引き剥がしてゆく。気がつけばおのれは敵兵七、八体の骸の真ん中に立ち尽くしていた。斜めに照りつける朝日の酸っぱい光線のなかで、全身に血を浴びながら、おのれ独り無疵であることが疎ましい。

《こんなことがいつまで続くのか! いっそ尻を高く掲げて、黒く湿った菊座から干からびた喉もとまで、白熱の光線に貫かれたなら、》新庄少尉はおのが眼を焼くかのように、太陽を直視した。《あたり一面の夥しい殺戮を贖うことが出来るのか? 赦されるならば、人類の贖いのために、おれはむしろそうしたい!》




 ホノルル市長との新たな協定に基づいて、近衛歩兵第三連隊のみが市内に入って、市中の警備に当たることになった。これに伴い海軍陸戦隊三千名は市内重要施設の警備に形ばかりの兵五百名弱を残して、あとはみな真珠港内に撤収した。新たな作戦の発動時期が迫っていたからである。

米国人は無論のこと、市内外に多い日本移民たちにしても、日系一世はいざ知らず二世、三世の多くの意識はアメリカ市民であった。彼らにとっては、奇襲上陸してきた日本軍は紛れもなく侵略軍であった。このころからホノルル市民の間で、ひそかに武器を携えて市外へ脱し、山岳地帯へ向かい、敗残米軍と合流、あるいは独自のパルチザン組織をなす者が増えてきた。散発的にではあるが、市内でも日本軍を狙ったテロ事件・ゲリラ活動が発生し始めたのである。日系二世・三世の間にも、パルチザンに加わる者が少なくなかった。




 そのころ、新庄少尉の中隊は、ワヒアワ沼沢地にあった敵司令部址にほど近い湖畔に設営して、東西両山地での掃蕩戦は主に近衛二個師が当たっていたから、この四、五日は戦闘らしい戦闘もなく、やや無聊の夜風に吹かれていた。そんな折、兵たちの世間話から妙な噂を、新庄少尉はふと耳にした。

「ルーポ・ネーロ(黒い狼)と自称する神出鬼没の少年パルチザンがいて、つい昨日も、海軍の航空整備兵たちが米機の残骸のうち使えるものだけを寄せ集めて苦心して仕上げて塗装も終え、日の丸を入れたばかりの旧米機=新日本機を、四機も爆破してしまった!」

「それだけではねえぞ、つい今朝方にゃ、やつは近衛部隊の行く手の山峡に架かる唯一の鉄橋を、その目前で爆破してしまった。おかげで常日頃、身奇麗なあの近衛兵どもが泥だらけになって川を渡った、ワッハッハ」

新庄少尉は宿舎に戻り、川上従兵を呼ぶと尋ねた。

「あのジュゼッペとかいう少年捕虜はどうしているか?」

「そういえば、かの少年は、移動の折に監視兵の金的を蹴り上げるなり、川に身を躍らせ、そのまま夕闇に紛れて、行方知れずになってから久しいですなぁ」

操六は首を捻るばかりだ。新庄少尉は確信した。

《やはり〈ルーポ・ネーロ〉こそは、ジュゼッペ少年なのだ! 果たしてあの少年とまた会う日があるのだろうか? その日に、互いに銃口を向けあわずに済めばよいのだが》

新庄少尉は知らなかった、奇しき運命の悪戯か、遥か僻遠の地で、やがて二人はともに銃を取って、人類の共通の敵と戦うのだ、とは。




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 そのころ東京はいまだ宙ぶらりんの状況にあった。

昨年十二月二十九日正午に、天皇ヒロトトの肉声で〈和平を願うお言葉〉がラジオから全国に流れた際、内濠一帯を防備した麻布連隊も、その後一両日が過ぎると、何事もなかったかのように配備を解除して、また兵営に戻ってしまった。

一時は、「すわ戒厳令か」と、緊張した東京全市であったが、何事もなく武装兵士の姿が路上から消えてしまえば、「あれは不測の事態に備えたものだったのか」と、なんとなく納得されるのであった。皇居九門の外側を警護していた警視庁選抜隊も、除夜の鐘とともに解散してしまった。

ただ、お濠の内側では、梨枝隊主導の皇宮警察が相変わらず厳戒態勢をとるなか、奈々と愛子の実行隊員十名ずつが〈和平小委・予備隊〉の腕章をつけて時計回りに、葉子と圭子の実行隊員十名ずつが〈軍事小委・予備隊〉の腕章をつけて逆時計回りに、完全武装で随時パトロールを続けていた。

第十一と第十三の戦闘団二十五名ずつは、交替で宮城内の要所を固めていた。

奥まった中庭で、武闘訓練に励む非番の団員や隊員たちに混じって、体技の習得に汗を流すヒロトトの姿が垣間見える日もあった。気まぐれに加わったものが、思わぬ気晴らしとなることを見出して以来、病みつきになったらしい。

葉子隊長までが笑いながらそれを眺めていた。報告を受けた粒良はひそかに微苦笑を漏らしたことだった。

〈予備隊〉の腕章をちらと平服のポケットから覗かせるだけで、戦闘団員・実行隊員および秘密結社員は、皇居の出入りは事実上フリーパスであった。

こうして宮城内は〈シリウス〉結社員にとって、意外な〈サンクチュアリ〉となった。

 玉音放送前夜、近衛師団司令部制圧時の戦闘で斃れた司令部要員・衛兵・歩哨および戦闘団員・実行隊員はみな、お濠内側の松の根元に、その日の明け方までに密かに葬られた。

片手拝みにせよ毎朝、まだ暗いうちに回向を欠かさぬ団員・隊員も多かった。

遺族には三月も半ばになって「ハワイ方面で戦死」との公報が届けられただけだった。

いまも春ともなれば、何の変哲もないお濠の土手内側の一画に、梨枝隊長手ずから植えたクロッカスとフリージアが、咲き乱れることだった。白と黒の蝶の群れが、乱れ飛ぶ昼下がりもあった。




 近衛二個師団は元旦早々の非常呼集を受けて、横須賀から「大和」艦隊とともにハワイ戦線へ出撃していった。同時に東北と信州の〈赤い連隊〉、「赤匪・黒匪を討つ」と標榜していた九州久留米の連隊も南方戦線へと出撃したことだった。

しかし、国内の世論は、つい二ヵ月前の開戦前夜とは一変していた。

思想統制と言論抑圧の箍が外れてみると、即時休戦論と早期和平論が一挙に噴きだし、東条更迭の直後に、大政翼賛会は空中分解し、すべて翼賛的なものは学会から婦人会、隣組にいたるまで、あからさまな揶揄の対象となった。

そうしたなか、ヒロトトは勅令をもって神祇省を廃止し、法律上は明治神宮も街角の氷川神社も、靖国神社も深川のお不動さんも同格とした。とはいえ、喝采を叫ぶ者よりも、戸惑う老若男女のほうがまだまだ多かった。

《来年の初詣は、さてどこへ行ったものだろう?》

「なんで、何もかも、こんなにギクシャクしているのかしら?」

「うーん、牧子よ。たとえば、生れながらに両足を鎖で縛られたまま歩いている人間のことを想ってごらん」と、晃一。「彼は両足が縛られているからこそ自分は歩けるのだと思い込んでいる」

「彼だけじゃない。村中の人間はみな、両足を縛られて暮しているのだ」と、竜次も口を挟む。「村人はそれをごく当り前のことだと思っているし、医者や学者も人間は両足を縛られていなければ歩けぬとのたまう」

「そこへみずから鎖を断ち切ったよそ者が一人二人来て」と、民子が話の穂をつなぐ。「彼や村人たちの足の鎖を断ち切ろうとしたら?」

「村長や駐在の巡査は阻止しようとするだろうし」と、牧子が首をかしげる。「彼や村人たちだって、よそ者のことを敵だと思うでしょうね」

「だろ」「だろ」「だろ」「うん」

「マラテスタいわく、アナーキーとは支配のないこと、民が上からの権威や権力なしに、自分たちを治めることなんだからね」

大揺れの内地の人心と較べ、外地で戦う兵士たちの戦闘のない日々の兵営での日常は、出征前とさして変わらなかった。ただ内地と同様、朝ごとの宮城遥拝が廃止され、ご真影なるものが取り除かれたくらいだった。「ヒロトト自身の強い要請があってのことだ」とだけ聞かされた。おかげで、海軍の若手将校は撃沈された艦から、ご真影の包みを背負って、鮫の群がる海を泳がずともよくなった。戦闘のない日々に、艦内神社はすべて兵員娯楽室に模様替えされた。

 気になる陸軍上層部、あるいは若手将校の動向であるが、戦時下にあからさまに逆賊の汚名を纏ってもクーデターを敢行するほどの覚悟を見せた者は稀であった。いまや連隊規模以上の叛乱でなければ、結社の実行隊・戦闘団のレベルで、個別に対処しうる。逆に言えば、そうした叛乱がなかなか起こらない以上、現時点では戦闘団の一斉蜂起、秘密結社による政権奪取はありえなかった。相変わらず、水面下での暗闘が続いたのであった。




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一月二十五日午前七時、ハワイ島北西岸カワイハエ沖から、やや内陸のワイメア基地めがけて「大和」の主砲弾が撃ちこまれた。

同時に、西岸カイルア基地へは「長門」「陸奥」、東岸ヒロ基地一帯へは「霧島」「金剛」「榛名」の主砲弾がそそぎこまれた。

当然、山本五十六はママラ湾沖を遊弋する「赤城」「加賀」とともにあり、旗艦「翔鶴」から動かないと思われたが、右目に眼帯をした五十六はこのとき、「大和」艦橋から「祥鳳」の飛行甲板上の動きを、朝日を浴びて逆光となるそのシルエットを、片目を細めて眺めていた。

《つねに主戦場に身をおく》という態度を、頑ななくらいに今度も貫いていたわけだった。

「祥鳳」が左舷前方へ航過し終えるや、「大和」の天水を揺るがす主砲の斉射が再開された。コハラ山麓を削り取るような着弾ぶりに、航空一本槍の山本も、このときばかりは「大和」主砲の威力を認めざるを得なかった。

「瑞鶴」「飛龍」「蒼龍」「龍驤」「祥鳳」を発した独立零戦・艦戦・艦爆・艦攻、いくつもの小編隊が朝焼けのハワイ島上空を乱舞して銃爆撃をくり返すなか、海面では大中小、無数の上陸用舟艇が浜辺を目ざして殺到していた。

陸戦隊千百名、陸軍二万五千名、いまや歴戦の精鋭たちだった。

北西岸カワイハエ、西岸カイルア、東岸ヒロの主要三方面、および北東岸ホノカア、東岸ホノムウ、南岸ナアアレフ正面から同時上陸した陸海の兵士たちは、激戦のすえに正午過ぎにはカイルアの基地を、夕刻までかかってヒロの基地と町を占領し、やや内陸のワイメア基地は、ホノカアとカワイハエの東西両方向から挟撃して、翌日夕刻までに抜き、新庄少尉の中隊を含む部隊が、残敵を南のパーカー牧場方面へと追い払った。




 モロカイ、ラナイ、マウイの三島攻略部隊が、同じく一月二十五日午前七時、三島の沖合いに迫り、旗艦「伊勢」と「川内」から水偵二機ずつ、水上機母艦二隻からは水戦六機が飛びたち、「鳳翔」からも川名少尉率いる独立零戦十二機が舞いあがって、制空を兼ねながらしきりと偵察をくり返したけれど、どうにも敵の気配がしない。

島島の上空を飛び回っても、一向に対空砲火が撃ちあがってこないばかりか、地表に敵の影ひとつ見えない。上陸準備のため形ばかりの主砲の斉射を済ませたのち、大中小無数の上陸用舟艇に分乗して、陸海の兵士たちは敵の浜辺に殺到した。

敵前上陸とはいえ、敵弾一発飛んでくるわけではない、無血上陸となった。

紺碧の青空の下、渺渺たる海の碧を背に、濡れそぼった軍靴でマウイ島浜辺の黒砂を踏みしめながら、陸戦隊員林純一はなおも信じられない面持ちだった。

悪夢のようなミッドウェイ上陸戦、苦しかったオアフ上陸戦を思い出すにつけ、昨晩も思えてならなかった。

《こんどばかりは、渚に骸となって漂うのは、このおれだ》

しかし、モロカイ、ラナイ、マウイ、三島の平定は、上陸時の予想を裏切り、そう容易くは進まなかった。

ひとたび内陸部に足を踏み入れると、平坦地はいざ知らず、谷間の複雑な地形を巧みに利用した米海兵隊および米陸兵の頑強な抵抗に遭遇した。結局、マウイ、モロカイの二島になけなしの予備兵力、残りの砲艦六隻に便乗していた陸兵七百五十人ずつ、をも投入して、多大の出血を強いられた末に、三島の攻略が完了したのは翌月、七日のことだった。




 カウアイ島の攻略は、隣の小島ニイハウがすでに確保されていたから、これを活用する形で比較的スムーズに行われた。「瑞鳳」艦載機の搭乗員はすでに拡張・整備されていたニイハウ避難飛行場を補助飛行場として利用できたし、水上機母艦二隻はブウアイ沖に仮泊して、水戦隊はここを仮基地とした。残存敵機七、八機を零戦が追い散らすと、あとにはカウアイ島上空に敵の機影は見あたらなかった。

 同じく一月二十五日午前七時、「日向」の主砲弾が、水偵二機の着弾観測に基づいてカウアイ島米軍の小基地と海岸陣地に正確に炸裂するなか、「夕張」を先頭に「如月」ほか七隻の駆逐艦が、コロア=ハナペペ=マナ間の南西海岸に三千五百メートルまで急接近して。銃砲火を浴びせる。

七時三十分、砲声が一瞬途絶えると、すかさず「瑞鳳」艦載機と水戦が海岸線に舞い降りて、銃爆撃を加える。各種艦船の両舷側からジャコブが垂らされて、陸戦隊員と陸兵が上陸用舟艇に乗り移り、波打ち際に殺到した。

浜辺一帯の蛸壺陣地と機銃陣地に拠る米兵の抵抗は熾烈を極めたが、友軍機の適宜な対地攻撃と有効な艦砲射撃に助けられて、優勢な上陸日本軍は昼過ぎまでにコロア、ハナペペ、マナの三つの町と基地を制圧し、約二時間の大休止ののち、三つの町と基地の守備・警護にそれぞれ三百人と負傷者と捕虜だけを残して、カワイキニ山麓の鬱蒼とした森を右手にマナからハナレイの町目ざして陸兵四百五十人が北西海岸づたいに、森を左手にコロアからカパアの町目ざして陸兵五百十人が南東海岸づたいにそれぞれ進発した。

残りの征西隊八百三十人はマナから再び上陸用舟艇に乗船して翌朝ハナレイに、東征隊八百十人はコロアから再び上陸用舟艇に乗船して翌朝カパアに再上陸する。

戦艦・軽巡・駆逐艦八隻は島の全周にわたって徹宵、海岸線近くを遊弋、照明弾を撃ちあげ、適宜発砲して敵の動きを牽制し、封じこめた。

カワイキニ山頂付近を残して米軍の組織的な抵抗が止み、カウアイ全島を日本軍が制圧したのは、一月二十九日夕刻のことだった。




抜けるような空の青がしだいにコバルト色を深め、黒い島影の西空にぽっかり浮かんだ白い雲三つが、並んで棚引いて川の字をなしてゆく。雲の裾の薄い外縁だけが沈む夕陽を浴びて黄金色に耀いていた。

「如月」の舷側手摺りにもたれて無数の小さな波頭だけが黄金色に煌めく暗い波間に、火のついたままのタバコを弾き飛ばしたあとも、竹山少尉はいつまでも三本川の雲を眺めていた。艦隊乗組員にとって戦闘らしい戦闘のなかったこの日、葉子のことが思い出されてならなかった。ふとした偶然から、葉子が実は秘密結社の実行隊〈葉子隊〉の隊長その人であることを悟ったのは、つい昨日のことであった。

《葉子はそのことをおれに一言も漏らさなかった。別に隠していたわけではないのに、そのことに気がつかなかったおれが、結社に入ってまだ日が浅いうちに出撃したとはいえ、迂闊だったのだ。内地で闘う葉子はこのおれの十倍も神経を磨り減らしているに違いない。

外地で戦うおれたちは、この無用の戦争に空しく戦死してゆく。内地に戻って革命の大義のために共に闘う日が、果たしてくるのだろうか? 葉子の手の者でないとしたら、果たして何者が、奈々の兄、七郎をあの日、殺したのだろう?》




76




 ハワイ王国の誕生、もしくは復活。

その秘策を練って実現にこぎつけたのは意外なことに、政治や謀略とは一見どこまでも無縁な南雲=草鹿のコンビであった。

カイウラニ王女の孫と称する同名の少女が年配の侍女に付添われて、真珠港総督府に南雲代行を訪ねてきたのが、そもそもの発端だった。東郷平八郎も登場するハワイ王国滅亡秘史・悲恋物語の顛末を聞かされた南雲は、ただただ感激するばかりだったが、脇で聞いていた草鹿がはたと膝を打ったのだった。

話はとんとん拍子に進み、ハワイ諸島全島の平定を待たずに一九四一年十二月二十五日、カイウラニ新女王がイオラニ宮殿で即位し、ここに新生ハワイ王国は独立を宣言した。

カイウラニ新女王はイオラニ宮殿に起居し、健気にも単純明快なハワイ式新憲法を発布し、ハワイ人・日系人・欧米人ほか全住民による普通選挙で国会議員を選出し、ハワイ国会を召集し、与党が内閣を構成した。こうして新生ハワイ王国の行政は王宮・内閣・総督府の三者が協調して司ることとなり、総督府は二年後に廃止されることになった。




この間に、南方戦線では航空撃滅戦が戦われ、バリ島沖、スラバヤ沖、バタビヤ沖などの海戦でも、日本の水雷戦隊や「鳥海」「摩耶」などの重巡部隊が快勝し、蘭印方面の連合国艦隊は壊滅している。

この航空撃滅戦では、緒戦の勝利こそ少数零戦の活躍に負っていたが、やがて海軍の基地航空隊に充分な数の量産型零戦が配備されると、度重なる空戦の割に損失機数は低めに抑えられるを得た。練達の操縦士の損耗もかなり抑えられ、中攻爆撃隊に独立零戦隊の直衛機が必ず随伴するようになってからは、爆撃隊の損失はかなり減少した。

陸軍航空隊も輸送船輸送だけに頼ることなく、指揮官機には航法に熟練した海軍士官が必ず同乗して、島伝いに飛行、南方戦線に速やかに展開した。

快進撃を続けた陸軍部隊は、ビルマ戦線でイラワジ河に到達すると、渡河することなく一転、防備を固めた。すでに中国大陸からは一方的に撤退し、日中の和平合意待ちで大陸海岸線の拠点を防備するだけで、蒋介石とは戦線の一部を除き事実上の休戦状態にあったから、何もしゃにむに援蒋ルートを叩く必要はなかった。

インパール攻略などは論外。軍としても兵站・補給の面からすでに限界だった。

インドシナ三国ヴェトナム・ラオス・カンボジア及びマレーシア・インドネシア・フィリピン・ビルマは独立し、日本の陸海軍は基地周辺および戦略地点の防備のみに止まって、新たに選出された各国の議会および新政府の方針に介入することはなかった。

インドの独立支援は、特務機関の工作などには任さずに、貫太郎日本政府の方針として堂々とやった。結局、それが自らも帝国主義の陥穽から脱する早道だった。

独立フィリピン政府は日本軍の速やかな撤退を求めてきた。これに対しても、二年後もしくは日米の休戦合意、いずれか早い時点での完全撤退を日本政府は確約した。むろんそんな「確約」だけで抗日派を宥められるわけもなく、抗日ゲリラ戦は激化した。現に抑圧的占領軍がいる以上、それは当然だった。




77




 ハワイ諸島の攻略がほぼ概成した一九四二年一月三十日、山本五十六は海軍暗号の全面的変更を指示した。

三月には予定されていた変更を「ひと月繰り上げて二月十五日付で完全実施せよ」というのであった。

「膨大な手間のかかる暗号変更を、いまこの時期にする必要があるのでしょうか、敵はまだ解読の糸口さえ掴めていませんでしょうに?」

と、指摘する担当参謀への山本の答えは短かった。

「いまは戦時である」

 同じ一月三十日までに、全艦、対空機銃を増配備し、まだ余裕のあった燃料・弾薬・水・食料を再度補給し終えた山本直率の戦艦部隊は、翌三十一日深夜、厳重な無線封止のもとに、ハワイ近海を後にした。さらに二月三日未明には、山口多聞指揮下の機動部隊が、やはり全艦、対空機銃を増配備し、再補給を終えて厳重な無線封止のもと、ハワイ近海を後にしている。両艦隊の行方は杳として知れなかった。




 その間にも南方戦線では一月二十三日には、量産型零戦を軸に大幅に増強された基地航空隊と「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」など重巡主力の日本艦隊が、旧式戦艦「山城」「扶桑」に分乗した陸戦隊および陸軍部隊と協働して、ラバウル攻略を果たしている。陸軍が山本に約束した航空部隊の大半も、先にハワイへ進出した部隊を除いて、海軍機の先導で渡洋飛来、あるいは現地に陸海軍の輸送船で送り込まれて、早くも同月中には同地に展開を終えた。




米海軍は日本軍の攻勢意図を掴みかねていた――

「やはり、資源確保の南方進出が、主眼だったのか?」

「それとも米=豪の連絡を遮断しようとしているのか?」

「ハワイ攻略を足がかりに、わが西海岸を脅かすに違いない!」

「いずれにしても、ハワイ奪還が急務だ。ラバウルは、ポートモレスビーを起点とした大規模な航空攻勢で、無力化できる」

「東方と南方の二正面作戦を企てているかに見える日本軍には、いずれ中部太平洋で手痛い反撃を喰らわして、強力な楔を打ち込んでやるばかりだ。身のほど知らずの戦を始めた日本は瓦解するほかはない」

「西海岸の三都市シスコ、ロス、ディエゴ近郊には陸軍十四万人、海兵隊六万人がすでに集結している!」

「新型高速戦艦七隻も無事パナマ運河を通過して、いまはサンディエゴ軍港に集結中だ」「そうとも港内は大小の輸送船・巡洋艦・駆逐艦であふれ返っているぞ。あとは大型空母十隻・護衛空母二十隻の大機動部隊が揃うのを待つばかりさ」

「とはいえ実態は、数次にわたるハワイ沖海戦と日本のハワイ占領を踏まえて、大西洋から急遽配置変えされた「ワスプ」「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」の四隻と、輸送船を急改造したトラック空母五隻だろうが」

アメリカのハワイ奪回作戦は、いままさに発動されようとしていた。




78




 そんな矢先の二月四日夕刻、北太平洋を一路東進中の日本の戦艦部隊を、カタリナが発見、通報してきた。

「敵戦艦部隊、ロス西方千五百キロ、マーレー断裂帯上を東進中!」

米軍総司令部は俄然、色めきたった――

「西海岸の各基地に移動、出撃待機せよ」

即座に米東部、中部の長距離爆撃機部隊に命令が下った。

「西海岸まで七百五十ないし二百五十キロの洋上で、敵戦艦部隊を捕捉、必ず殲滅せよ」

戦艦部隊にも即刻、出撃命令が下った。

「敵機動部隊を発見、捕捉、必ず殲滅せよ。敵戦艦部隊付近の海域にいるに違いない」

と、「ワスプ」「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」の四隻と、目下、出撃可能なトラック空母五にも出撃命令が下った。

翌五日早朝、長距離爆撃隊B17二百四十機が、四群に分かれて、一斉に飛び立った。

先行させた偵察爆撃中隊からはまだ敵機動部隊発見の報はない。

午前八時七分、「敵戦艦部隊、発見。戦艦八ないし九」との報告が偵察爆撃機一からあるも、発見位置を知らせて、「引き続き敵機動部隊を索敵中」との無電を最後に、連絡が途絶えてしまった。




北太平洋の薄青い闇を衝いて、「祥鳳」「龍驤」「瑞鳳」の飛行甲板を飛び立った独立零戦隊四十八機は、母艦より東へ百キロ、米西海岸まで八百キロの洋上、高度四千五百メートルで哨戒任務についていた。

東の空は白みかかり、北西の風強く雲量やや多かったが、視界は良好だった――「祥鳳」隊十六機は東南東へ南北百キロの空域、「龍驤」隊十六機は隣接する真東・南北百キロの空域、「瑞鳳」隊十六機はそれと隣接する東北東へ南北百キロの空域が受け持ち範囲だった。

何事もなく二時間あまりが経過した午前八時二十七分、「祥鳳」隊第四飛行小隊の進藤小隊長機が、前方の高空、高度六千メートルの雲間に、きらりきらりと白く煌めきながら西進する無数の輝点を発見した。

直ちに増槽を落としてバンクし、上昇に転ずる。進藤小隊の動きを視野の隅に捉えた他の小隊機もすかさず追随して上昇に転じた。

敵は長距離爆撃機B17が六十機の大編隊だった。まだこちらに気がつかないのか、進路を些かも変えずに、大空を悠然と翔けてゆく。

後方下方の死角に回り込んで照準に捉えようとするのだが、なかなか追いつかない。かなりのスピードだ。ようやくこちらに気がついたのか、敵機尾部の機銃が射弾を送ってくる。死角の少ない〈空の要塞〉だった。

しかし敵弾も、これに応射した必中のはずの味方機の弾も、いずれも横に逸れてしまった。まだ距離がありすぎたのだ。的が大きすぎるのだ。

敵一番機の尾翼が愛機の風防に覆いかぶさると見えたところで、進藤機の十四ミリ機銃四銃が火を噴いた。敵機尾部の機銃座が砕け飛ぶのを見たときには、進藤機は敵機上空へとすり抜けていた。尾翼にも相当の損害を与えたに違いない。

続く列機三機も敵機の胴体、翼の付け根、エンジン部に射弾を撃ちこみ、上空にすり抜けてきた。これで一機撃墜のはず。ところが、敵機は相変わらず悠然と西進を続けている。

「なんと頑丈な機体か、敵機は!」

ただ大きいだけではなかったのだ。それどころか、機体上部の機銃座からも、他の敵機からも、執拗な火線が送られてくる。進藤小隊は一旦さらに高空へ、避退せざるを得なかった。

反転急降下し、ふたたび敵一番機を照準に捉えた。こんどは進藤機が操縦席に、列機はエンジン部に、射弾を集中した。敵パイロットに命中したのか、ぐらりと機位を乱し、四発エンジンのうち二つから火を噴いて、しぶとかった敵機がようやく蒼い海原へと堕ちてゆく。真っ白な落下傘が四つ五つと咲いたことだった。

この間に味方二番機が敵機銃の餌食となり、三番機も被弾、負傷した模様。

「祥鳳」零戦隊十四機と、〈空の要塞エラ群〉五十九機との死闘が、こうして開始された。

「龍驤」零戦隊十六機と〈空の要塞サラ群〉六十機、「瑞鳳」零戦隊十六機と〈空の要塞ビリー群〉六十機との戦闘も、概ね似た展開を辿らざるを得なかった。

強力な敵爆撃編隊の行く手をむざむざと、東進してくるわが戦艦部隊の運命は、窮まったかに見えた。




 これより先、「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」六艦を発した独立零戦隊百二十機は、茜射す北太平洋上を東進、小一時間後に「大和」以下の戦艦群を眼下に捉えて、なおも進撃を続けていた――「翔鶴」「瑞鶴」隊は高度六千メートル、「赤城」「加賀」隊は高度五千五百メートル、「飛龍」「蒼龍」隊は高度五千メートルを維持していた。

一瞬、視野の隅に煌めくものを感じ、「瑞鶴」隊第四飛行小隊の山際三郎は、前方上空の一点に眼を凝らした。

《いた!》

「敵、発見!」と、機上電話に呶鳴ったときには、すでにバンクして増槽を捨て、急上昇に転じていた。

すかさず列機三機、次いで「瑞鶴」隊の残り十六機、さらに「翔鶴」隊、一瞬遅れて「赤城」「加賀」隊、さらに遅れて「飛龍」「蒼龍」隊までが、急上昇して追随してくる。

無数の胡麻粒ほどに見えたものが、わずか五百メートル急上昇する間に、もう蜻蛉の大群ほどに見えて迫ってくる。

《速い!》

さらに五百メートル上昇する。高度七千メートル。このあたりから、量産新型零戦の運動性能は極端に落ちてくる。眼下の敵機〈空の要塞〉六十機はすでに仔猫ほどの大きさだ。盛んに機銃弾を撃ちあげてくる。

「ままよ」

山際機は、逆落としにダイブした。続いて列機三機、次いで「瑞鶴」隊残り十六機、さらに「翔鶴」隊二十機が、逆落としにダイブした。

〈空の要塞〉一番機が視野全体を覆うかに見えたとき、山際は必殺の銃弾を送り込んだ。あっという間に、敵機の翼端をすり抜けて下方へ出た。

列機三番機はかわす暇もなく、敵二番機に激突、自爆してしまった。

この初っ端の激突で、「翔鶴」「瑞鶴」隊は七機を失い、敵大型爆撃機二機を撃墜した。

「赤城」「加賀」隊四十機は、高度六千メートルのほぼ同高度で反航、〈空の要塞〉五十八機の編隊に真正面から突っ込んだ。八機を失い、敵四機を撃墜した。

一拍遅れて、「飛龍」「蒼龍」隊四十機が、敵爆撃編隊の後方下方から襲いかかった。敵五機を屠り、味方三機を失った。

いまや零戦百二機、〈空の要塞〉四十九機の死闘がここに始まった。

無限に続くかと思われた大空の乱戦十数分間ののち、鉛色の空には、傷つきながらも依然として西進し続ける〈空の要塞〉二十三機、全弾を撃ち尽し、何れも損傷した零戦八十七機だけが残った。

傷ついた零戦隊は高度を四千五百まで落とし、帰投にかかった。

損傷著しい二十七機は、なおも東進を続ける戦艦部隊の随伴軽空母「祥鳳」「龍驤」「瑞鳳」に、それぞれ九機ずつ着艦したから、はるか後方の母艦に、満身創痍ながら、帰還した独立零戦機は、第一次増援出撃機数のちょうど半分、六十機にも満たなかった。

硝煙煙る空戦場の下方には、敵味方の落下傘数十個が、寂しげに風に流されていた。

このとき、遥か東方高空には、後続の敵爆撃編隊百二十九機が姿を現していたが、これに対処する術は最早なかった。




79




北太平洋の鉛色の海を、頑ななまでに東進しつづける戦艦部隊は、アメリカ西海岸まであと七百八十キロに迫っていた。

いまは差し迫った対空戦闘をまえに、旗艦「大和」を中心に、「祥鳳」「瑞鳳」を間に挟んで、左右を「陸奥」「長門」で固め、後続「日向」「伊勢」の間に「龍驤」と水上機母艦六および輸送船三を挟んで、「比叡」「霧島」を殿とし、「金剛」「榛名」を前衛として、「夕張」を先頭に駆逐艦二十一隻がその周りを固める堅固な輪形陣をなしていた――艦隊上空は「祥鳳」「瑞鳳」「龍驤」の艦戦五十四機が高度五千メートルで警戒に当たり、うち三十六機は増槽をつけて、長時間滞空警戒の構えだった。

各軽空母の飛行甲板上には、なお艦戦六機ずつが発艦待機していた。水戦三十機が高度三千メートル付近で上空待機し、残りの水戦三十機が対潜哨戒に当たっていた。

午前八時三十分、「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」から、第二次増援の独立零戦隊百二十機が艦隊上空に飛来し、高度六千五百メートルに翔け昇って、敵長距離爆撃編隊の襲来に備えた。甲板待機していた艦戦十八機も、高度六千メートルまで翔け昇ってきた。

三々五々帰投してきた損傷零戦の収容もまだ片付かぬ午前八時五十四分、東空の一角に、ふつふつと黒い点が湧き出て、四群の合同した敵爆撃編隊が来襲した。

敵爆撃隊の先頭集団十四機が突如、紅蓮の炎に包まれた。「大和」主砲、榴散弾の斉射に捉えられたのだった。ついで「長門」「陸奥」以下の各戦艦主砲も火蓋を切った――しかし、そうした主砲弾の弾幕に翻弄されても、実際に捉えられる敵機はわずかだった。

その間に、独立零戦隊百二十機は敵爆撃編隊百三十八機の上空間近に迫り、逆落としに急降下した。艦戦十八機は爆撃隊の真下から、五十四機は下後方から爆撃隊に迫った。

独立零戦隊はこの最初の一撃で、敵三十八機を撃破している。艦戦二十ミリ機銃はやはり近間で威力を発揮し、軽空母艦戦隊だけで、このとき実に敵二十九機を撃墜してしまった。味方は早くも二十一機を失った。

それからは残る敵七十一機と、零戦百七十一機、大空狭しの大乱戦となった。この乱戦で敵は三十七機、味方は四十三機を失っている。

 零戦の執拗な包囲網を辛うじて脱した〈空の要塞〉三十四機は、このとき二手に分かれて、十七機はそのまま降下して艦隊上空へ、残る十七機は艦隊上空を避けて高度そのまま、なおも西方へ向かった。後者は、行方も分からぬ日本機動部隊を捉えて爆撃する当初の意図を、なお捨てていなかったらしい。

激しい対空砲火のなか、先の十七機は戦艦部隊の上空に達してパラパラと投弾した――しかし三千メートルを越える高空からの水平爆撃では、めぼしい戦果は挙げられる筈も無いと見えたのに、何しろ投下された爆弾の数が夥しかった。瞬く間に「長門」が直撃弾五発、至近弾十数発、「大和」と「陸奥」が直撃弾三発ずつ、至近弾多数を浴びてしまった。

この間、対空砲火で三機が撃墜された。投弾後、避退する間もなく残る十四機も、必死の追撃にかかった零戦によって、次々に撃ち落された。

午前九時三十五分、なおも西進した〈空の要塞〉最後の十七機は、西空遥かにふつふつと湧きあがる無数の黒点を発見した。六隻の空母を発した第三次増援、しんがりの独立零戦隊百二十機だった。

とうに敵爆撃隊を発見していた零戦隊は、六隊に分かれたまま、上下左右前後から、敵を包み込む態勢をとった。寡勢の敵を相手に、零戦隊はこんどばかりは余裕のある戦いを挑んだ。

敵の正副操縦士を標的とする小隊、四発のエンジンに射弾を集中する小隊、全機銃座を潰すことを優先する小隊と、さまざまだった。

こうして全機を血祭りに挙げるのに、ものの三十分とかからなかった。それでも被弾機は三十数機を数え、味方の損失は十七機に及んだ。

即座に編隊を組み直すと、「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」零戦隊は、母艦上空に取って返し、損傷機も遅れがちに帰投した。

それでも「飛龍」「蒼龍」零戦隊は、何事もなかったかのように、戦艦群の直掩へと、なおも東進した。増槽はたったいまの空戦時にみな捨ててしまったが、燃料・弾薬の補給は戦艦群の随伴軽空母上でも出来るからだった。




 米軍総司令部は困惑の度を深めていた――

「どうして敵機動部隊の所在が掴めないんだ?」

「先行させた偵察爆撃中隊からも、追加投入した偵察爆撃二個中隊からも、発見の報告はまだない!」

「敵戦艦部隊は、北緯三五度、西経一三〇度付近の海域を、依然として東進中!」

「戦艦八ないし九隻のほかに、小型空母三、四隻などを随伴させている模様!」

《しかし主たる脅威は、敵戦艦部隊ではない。あくまで敵機動部隊なのだ》

「敵艦載戦闘機と遭遇、目下交戦中!」

早朝発進したB17爆撃隊四群からの報告が、午前八時半前後から相次いだ――

「敵艦隊撃破の報告はまだか?」

「敵戦闘機の大群と遭遇、交戦中!」

との〈サラ群〉からの一報で、幕僚たちは緊張した。

「やはり敵機動部隊は戦艦部隊の近くに潜んでいたのだ!」

「だが、付近の海域に投入した偵察爆撃隊からは、なぜ発見の報告がないんだ?」

九時を過ぎると、偵察爆撃隊からの連絡は、ぷつりと途絶えてしまった――

「敵戦艦部隊はすでに所在を確認、どころか目下、交戦・爆撃中だというのに、なぜ敵機動部隊の行方ばかりが、杳として掴めないのか?」

日本機動部隊が、戦艦部隊の遥か西方五百キロあまりの洋上から、戦艦直掩の戦闘機隊だけを多数送っていようとは、到底想像もつかなかったのだ――

「米戦はおろか、世界中の戦闘機にも、そんなに長駆、交戦して帰投できる機はない。ましてや艦載機なのだ!」

「しかし……?」

ことここに至って、ようやく開戦以来のジーク、零戦の特異な行動パターンに米軍総司令部の幕僚たちは思い至ったのだった。

「北緯三五度、西経一三〇度の一点を中心に、半径八百キロの海域を隈なく捜索せよ」

との、索敵範囲としてはいささか広大に過ぎ、やや遅きに逸した命令を、動員可能なすべての長距離哨戒機七十六機に対して出したのは、午前十時を少し回った頃のことだった。

米哨戒機の多くは、ひとまず西経一三〇度線を越えてから、北緯三五度線の南北二百キロの海域を、西へ向かって分担索敵した。偵察爆撃隊が零戦隊と遭遇して、空戦のすえ撃墜された空域も、多くはその洋上にあった。




 午後も一時を大きく回った頃から、西海岸の各航空基地に、惨憺たる姿の〈空の要塞〉が二機、三機と、帰還して来た。

早朝出撃組であった。

四発のエンジンが正常に稼動している機は一機もなく、甚だしい機にいたっては、一発のエンジンが、白煙を吐きながら、間歇的に稼動しているのみで、それも滑走路上空まで着て、止まってしまった。

満足に脚の出た機はまだよいほうで、片脚で胴体着陸同然、着陸と同時に大破した機が続出した。

無事着陸した機も駆け寄ってみれば、翼と胴体は大小の弾痕だらけ、千切れなかったのが不思議なくらいで、風防のガラスは砕け飛び、朱に染まっていた。

機内は生存者よりも戦死者が多く、血溜りのなか、生還したものの、重傷を負っている者が多かった。

しかし、何よりも基地関係者を震撼させたのは、異常なまでの帰還機の少なさであった。

早朝、大挙出撃した四群二百四十機のうち、曲がりなりにも帰還した機は、合わせて二十機にも満たなかった。

基地手前で不時着した機、海岸線近くまでたどり着きながら、不時着水した機、力尽きて海中に没した機も、数機に及んだ。

全滅と呼んで良い、壊滅的な打撃を、米軍の誇る〈空の要塞〉爆撃隊は、蒙ったのだった。こんなことは、ドイツ軍相手のヨーロッパ戦線でも、いまだかつてないことであった。

なおも信じきれない思いで、西空にまだ見えぬ機影を待ち侘びながら、人びとは夕闇迫る飛行場に、茫然と立ち尽くしていた。

敵機動部隊発見との報告はその日、夕刻に至るもまだなかった。あるのは「敵機と遭遇、避退中!」との悲鳴にも似た哨戒機の通信ばかりであった。

こうして米軍にとっては、何よりも貴重な一日が、空しく空費されてしまった。




80




満天の星屑が冷たく、冴え冴えと瞬く、二月五日午後八時、「大和」を先頭に、「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」、そして「比叡」「霧島」「金剛」「榛名」の戦艦群は、一本棒の単縦陣をなして、相変わらず真東に突き進んでいた。

その前方三千メートルには、「夕張」を中央に駆逐艦六隻ずつが、左右六千メートルに展開し、横一列の対潜警戒序列をなしていた。

アメリカ大陸は艦隊の目前三百キロに横たわっているはずであった。

日没とともに全機を収容した「祥鳳」「龍驤」「瑞鳳」は、水上機母艦六・輸送船三を伴い、駆逐艦九隻に護られて、夕闇迫る西南西の海にすでに避退していた。

突如、「大和」右舷まぢかに巨大な水柱が立ち昇った。

続いて、艦隊の前後左右に巨大な水柱が林立した。新型の米高速戦艦七隻が、レーダー観測に基づいて、放った主砲弾であった。

「大和」艦載の初歩的レーダーも数瞬遅れて敵艦隊の艦影を捉えてはいた。しかし射撃はまだあくまで光学式測距器と方位盤が頼りだった。これに対して米軍のレーダーはすでに実戦試用の域に達していたが、精度的にまだ難があったし、レーダーだけで完全な射撃統制を行う態勢までには至っていなかった。

敵発砲の際の火焔をもとに、ようやく全艦反撃の火蓋を切った。

敵艦隊は左舷十時方向、距離二万五千メートルを、西北西に航行、横一列になって、全主砲を撃ちまくってきた。

「夕張」率いる水雷戦隊、軽巡一・駆逐艦十二に全艦突撃を命じると、山本五十六は片目を光らせて「大和」以下の戦艦群に左回頭、敵艦隊との同航戦を命じた。

このとき、敵艦隊の上空に、眩い光の環がパッパッパッパと四つ点った。この日の夕刻より敵艦隊を警戒、交替で艦隊外縁を周回させていた水偵十八機のうちの四機が、暗夜の海上に敵艦隊を辛うじて発見、急行、ようやく敵艦隊の上空に達し、即座に吊光弾を点したのだった。米艦隊も負けじと照明弾を打ち上げてくる。




星明りだけの闇夜の大海原で、日米両艦隊の周囲の海だけが、昼とも紛うばかりに明るく浮き上がり沸騰し、そのなかを双方の主砲弾が飛び交った。

日本軍は着色弾を使用していたから、米戦艦の周囲に五色の巨大な水柱が立ち昇った。

と、「大和」の放った一弾が、敵一番艦の艦橋に命中、つづいて第二、第三弾が直撃弾となって艦中央、艦尾を襲った。「長門」「陸奥」の斉射した主砲弾が敵二番、三番艦を直撃した。

敵一番艦は弾薬庫が誘爆、大爆発を起こして二本に折れて、たちまち轟沈。二番、三番艦も大火災を生じて、射撃の統制が取れなくなった。

「大和」一艦に集中するかに見えた敵砲弾の一弾が、このとき「長門」艦首に命中、菊の紋章もろとも艦首部を剥ぎ取り、至近弾が予備の水偵まで根こそぎ薙ぎ払った。艦尾付近に浴びた至近弾のゆえか、「長門」は戦闘・航行に著しく支障を来たしてしまった。

「伊勢」「日向」も至近弾をたてつづけに浴び、ついに直撃弾数発に及んだけれど、なおも敵四番、五番艦と盛んに撃ちあっていた。

「比叡」「霧島」「金剛」「榛名」は敵六番、七番艦と撃ちあっていたが、その優速を活かして、旗艦を無くして戸惑う敵艦隊後部の鼻先を押さえようとしていた。

日本艦隊の全砲弾がなお健在な米四、五、六、七番艦に集中した。

「夕張」率いる水雷戦隊は、距離七千五百メートルで、優勢な米軽巡二・駆逐艦十六と、砲撃戦を開始、七艦まで被弾したが、敵四艦を撃破、そのまま距離三千五百で、水雷戦に突入した。

「夕張」戦隊の放った酸素魚雷四十八本が、米軽巡二・駆逐艦十を捉え、撃沈破、残る米駆逐艦六は魚雷発射もそこそこに、米戦艦方向に避退した。米駆逐艦を追って、米戦艦まぢかに殺到した「夕張」戦隊の七隻は、目標を被弾炎上中の米戦艦四に変えて、酸素魚雷三十二本を発射、米戦艦三までが被雷大破して、傾斜を深めていった。

この間、米艦隊の前面に全艦姿を晒しながら、探照灯で照射砲撃を敢行し、被害担当艦となった「比叡」に敵弾が集中、命中弾多数を浴びて、惜しくも歴戦の「比叡」は、艦尾から徐々に海中に没してしまった。

また、「日向」艦央部に直撃弾、大破炎上し、「長門」も大破、「伊勢」「霧島」は中破、火災を生じ、「大和」「陸奥」も小破した。奇しくも損傷のなかったのは、「金剛」「榛名」の二艦のみであった。

砲撃戦を続行しながら消火と復元作業に苦闘を続ける米戦艦四隻に、日本軍の全砲火が集中、なかでも「大和」主砲の威力は凄まじく、緩急の差はあるものの、米二戦艦はやがていずれも北太平洋、米西海岸三百七十キロの沖に、敢え無く沈んでしまった。

奇しくも轟沈を免れた残る米戦艦二隻は、集中連打に艦上構造物を悉く原形を留めぬまでに破壊されて大傾斜のまま、低速で避退していった。損傷米駆逐艦六隻が、あたり一面に、頻りに煙幕を展張して脱出させたのだった。




これで、「大和」「長門」「陸奥」「夕張」駆逐艦四の大和隊、「伊勢」「日向」駆逐艦四の伊勢隊、「比叡」「霧島」「金剛」「榛名」駆逐艦四の比叡隊という三艦隊編成で、これから深夜の作戦に、同時に三方向に赴くことは、もはや不可能となってしまった。

なお致命的だったのは、この海戦による二時間のロス、戦闘時の咄嗟の判断とはいえ、西北西に一斉回頭、同航戦を演じた遅れを取り戻すことを考えれば、なお二時間のロス、計四時間のロスだった。

深夜に米本土を砲撃して、明け方までに米制空圏を脱出することなど、もはや不可能となってしまった。

この時点で、比叡隊によるサンフランシスコ砲撃、伊勢隊によるロサンジェルス砲撃は、放棄せざるをえなかった。

「米高速戦艦七隻は、自らを犠牲にして、母国西海岸の二大都市を、日本戦艦による艦砲射撃の憂き目から救った」、とも言えようか。

ただちに、大破した「長門」を旗艦に、中破した「伊勢」「霧島」「夕張」に護衛の損傷駆逐艦二隻を付けて、ハワイ真珠港へと帰還させた。重傷を追った兵頭大尉は「霧島」艦内医務室で、生死の境を彷徨っていた。この期に至るも、先に行方不明となった下士官・古参兵の行方は知れなかった。とうに捜索は打ち切られていたが、調査の過程で明らかになったのは、当該の下士官・古参兵の何れもが上官に阿るばかりで新兵虐めが甚だしかった事実だけであった。

大破した「日向」は、一部消火には成功したものの、航行速力が出ずに、単艦で遅れ遅れに、先の避退艦隊に続航させざるをえなかった。しかしやはり危惧したとおり、速力の出ない「日向」は翌朝、ようやく追いついた米潜水艦によって撃沈されてしまった。




けれども、片目の海将、二枚腰の五十六は、黒島参謀の発案したこの無謀な計画を完全に諦めたわけではなかった。

「大和」「陸奥」駆逐艦四の大和隊、「金剛」「榛名」駆逐艦三の金剛隊と、残存戦艦を二分して、ふたたび真東に向けて増速した「大和」艦橋で、辛い潮風に吹かれながら山本は、この編成で、二方面に戦うことを、しばし真剣に熟慮したが、結局、「大和」「陸奥」「金剛」「榛名」駆逐艦七という決戦部隊で、翌六日未明に、米太平洋艦隊司令部のある軍港サンディエゴを、強襲することに決したのだった。

それでも、みすみす死の罠に、自らと艦隊を投ずるにも似た危うさは、いささかも減じてはいなかった。




81




 一九四二年二月六日未明、アメリカ西海岸まであと七百五十キロの海域に進出した山口多聞率いる機動部隊は、「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」、そして「飛龍」「蒼龍」から、独立零戦隊二百四十機を制空隊として発進させ、あと八十機を艦隊上空直掩の機位に就かせた。

 ――午前五時三十分、夜明けまえの青い闇を衝いて航空魚雷を抱えた艦攻四十五機、陸用爆弾を抱えた艦攻四十五機、徹甲爆弾を抱えた艦爆四十五機、陸用爆弾を抱えた艦爆四十五機、艦戦九十機の第一次攻撃隊が発艦した。

次いで休む間もなく、艦攻十八機、艦爆十八機の索敵爆撃隊が、敵機動部隊を求めて六〇度の索敵線に沿って。まだ暗い上空に消えていった。

さらに艦戦十八機を艦隊上空の直掩隊に追加投入し、艦攻三機、艦爆三機を艦隊外縁で対潜哨戒に当たらせた。「鳳翔」隊はまったくの予備兵力として温存されていた。

東の空が白んできた六時半を回ったころには、制式空母六艦の飛行甲板には航空魚雷を抱えた艦攻七十二機、徹甲爆弾を抱えた艦爆七十二機、艦戦七十二機の第二次攻撃隊が、翼を震わせながら待機していた。

しかし、敵空母発見の知らせは、重巡「利根」「筑摩」を発した水偵六機からも、各空母を発した索敵爆撃機三十六機からも、いまだなかった。山口機動部隊は、米西海岸から八百キロの海上を、西南西に避退しつつあった。




 独立零戦隊二百四十機の制空隊は、米西海岸まであと五百キロの洋上で、八十機ずつ三方向に分かたれ、第一隊は東北東サンフランシスコへ、第二隊は真東ロサンジェルスへ、第三隊は東南東サンディエゴへ向かった。

艦攻九十機、艦爆九十機、艦戦九十機の第一次攻撃隊も、米西海岸まで四百五十キロの洋上で三方向に分かたれ、それぞれ三十機ずつがサンフランシスコ、ロサンジェルス、そしてサンディエゴへと向かった。

 ――サンフランシスコへ向かった第一次攻撃隊(艦攻・艦爆・直衛艦戦、各三十、計九十機)は、午前七時三十分にはサンフランシスコ湾上空に達したが、すでに湾上空ところせましと、独立零戦第一隊八十機と米戦百二十機あまりが、熾烈な空戦を展開中であった。

米戦はアラメダ海軍航空基地を飛び立ち、早くも高空で待ち構えていた海軍機が主力であった。そのアラメダ基地からは、いまも続々と後続機が飛び立ち、滑走路には、迎撃準備を終えた機がまだ多数並んでいた。

真っ先に艦戦十五機が、基地を飛び立ったばかりの米戦二十機に襲いかかり、あっという間に十数機を撃墜した。残る艦戦十五機は、一斉に激烈な対空銃砲火を掻い潜って滑走路を機銃掃射、米軍機多数を地上で撃破した。

航空魚雷を抱えた艦攻十五機は、湾内の主要艦船を狙って肉迫、必中の魚雷を投下した。陸用爆弾を抱えた艦攻十五機は、アラメダ基地、トレジャー島飛行場、オークランド市空港を主目標に、熾烈な対空砲火の弾幕のなか、高度八百五十メートルで、整然と水平爆撃を敢行、効果的な投弾後、一斉に帰途に就いた。

その艦攻隊を追う米戦七機を辛うじて撃ち落した艦戦十二機は、そのまま直衛の機位に戻った。帰路、少なくともあと百キロくらいは、直衛の任を果たさねばならないだろう。残弾・燃料にまだ余裕のある七、八機はそのあと、また空戦の現場へ取って返す肚だった。

艦爆隊三十機は、湾内の主要艦船、陸海空軍各飛行基地、海軍造船所を主目標に、高度二千メートルから、一斉にダイヴして襲いかかった。

目標が多すぎて、瞬時に決めるのに戸惑ったほどだ。なかでも、滑走路上に整然と並ぶ米長距離爆撃機多数を発見した一隊は、一斉に急降下、悉く命中弾を得て、激しい誘爆を誘発、最大の戦果を得た。いち早く空中避退した長距離爆撃機十数機だけが、この惨禍を免れたのだった。

最後の三機はゴールデンゲイト間近に迫って投弾、有名な金門橋を、見事爆砕してしまったことだった。効果抜群の投弾後、艦爆隊はいっせいに帰途に就いた。

そのころには激しい空中戦もようやくその帰趨が明らかになりつつあった。

優勢な敵百数機を撃ち落した独立零戦隊は、サンフランシスコ湾上空の一時的制空権を握りつつあった。上空にめぼしい敵が見当たらなくなると、独立零戦、艦戦ともに、湾内・陸上の夥しい目標に、各個に銃撃を加え始めた。

そのときだった、夥しい米軍機が上空に出現したのは。

米陸軍戦闘機二百機あまりだった。二十数機に及ぶ犠牲を出しながらもさらに米戦五十機弱を撃破した零戦は、早々に敵地上空での戦闘を切り上げて、引き揚げにかかった。母艦までの長い帰途に比して、すでに残弾・燃料ともに僅かであったから。引き揚げの過程で、なお数機を撃墜したものの、味方もなお数機の犠牲を強いられたことだった。




――ロサンジェルスへ向かった第一次攻撃隊は、午前七時二十分、サンタモニカ湾上空に達したが、その南東ロサンジェルス湾ロングビーチ上空では、すでに独立零戦第二隊八十機と、高空で待ち構えていた陸海の米戦百四十機が熾烈な空戦を展開中だった。

付近の各基地からは、いまも続々と後続の戦闘機が飛び立ち、隣接する滑走路には迎撃準備を終えかけた機がまだ多数並んでいた。

基地を飛び立って上昇中の米戦四十機に艦戦三十機が襲いかかり、たちまち二十数機を撃墜した。それから艦戦二十五機が一斉に激烈な対空銃砲火を掻い潜り、滑走路を機銃掃射、米軍機多数を地上で撃破した。

航空魚雷を抱えた艦攻十五機は、湾内の主要艦船を狙って肉迫、魚雷を投下した。

陸用爆弾を抱えた艦攻十五機は、サンタモニカ、ロサンジェルス、ホーソン、トランス、モンテベッロ、ロングビーチ、と六つもある空港を主目標に、熾烈な対空砲火の弾幕のなか、高度七百五十メートルで水平爆撃を敢行、効果的な投弾後、一斉に帰途に就いた。

艦爆隊三十機は、湾内の主要艦船、陸海空軍各飛行基地、造船所を主目標に高度千七百メートルから、一斉にダイヴして襲いかかった。

滑走路上に並ぶ米長距離爆撃機多数を発見した一隊は急降下、悉く命中弾を得て激しい誘爆を誘発させた。この惨禍を免れたのは、いち早く空中避退した長距離爆撃機三十数機だけだった。投弾後、艦爆隊は一斉に帰途に就いた。

その頃には激しい空中戦もようやくその帰趨が明らかになりつつあった。優勢な敵百数機をたちまち撃ち落した独立零戦は、ロサンジェルス湾上空の制空権を一時的とはいえ握りつつあった。

湾内外・陸上の夥しい目標に各個に銃撃を加え始めたそのときだった、夥しい米軍機が上空に出現したのは。米陸海軍戦闘機三百機あまりだった。二十数機の犠牲を出しながらも、さらに米戦六十機弱を撃破した零戦は、早々に敵地上空での戦闘を切り上げて、引き揚げにかかった。




――サンディエゴへ向かった第一次攻撃隊は、午前七時四十五分、サンディエゴ軍港上空に達したが、東太平洋随一の米海軍誇るこの軍港は、同日未明に突如襲った惨劇の余燼いまだ冷めやらぬありさまだった。

港内の到るところに、大小の艦艇が大破してぱくりと空に向けて口を開け、まだ炎上中の艦船や、小爆発をくり返している艦艇も少なくなかった。浸水、すでに沈没してしまった艦船は、もっと多数に上ったことだろう。

港内の各施設も、正視に耐えない惨状を呈して、いまだ燻ぶっていた。

激しく炎上中の貯油タンク群からは膨大な黒煙が噴き上がり、軍港上空の半ばを覆わんばかり。「大和」「陸奥」「金剛」「榛名」の主砲弾の齎した惨禍だった。

米海軍航空基地も甚大な被害を蒙っていた。

それでも砲弾の穴だらけの滑走路から、破壊を辛うじて免れた急降下爆撃機、雷撃機、戦闘機が、復讐の瞋恚の炎に燃えて三々五々、薄青い闇を衝いて舞い上がっていった。

サンディエゴ軍港の遥か手前の洋上で、独立零戦第三隊がまず次々に遭遇したのはそうした米軍機の群れだった。歴戦の零戦機はこれらの米機と空戦、撃破、所定の時刻に遅れること十数分で、目標の軍港上空に達したのだった。

と、高空で待ち構えていた陸海の米戦二百機あまりとの熾烈な空戦に、いきなり捲きこまれてしまった。

第一次攻撃隊が到着したのは、その空中戦の真っ最中だった。零戦隊は、倍以上の敵機を相手に、苦戦を強いられていた。付近の敵基地からは、いまも続々と後続の戦闘機が飛び立ち、隣接する滑走路には迎撃準備を終えかけた機がまだ多数並んでいた。

基地を飛び立って上昇中の米戦五十余機に、艦戦三十機が真っ先に襲いかかり、忽ち二十数機を撃墜した。それからはその艦戦も激しい空戦の渦に捲きこまれてしまった。

艦攻雷撃隊十五機は、湾内になお健在な主要艦船を狙って肉迫、魚雷を投下。艦攻爆撃隊十五機は、サンディエゴ軍港内外の主目標に、熾烈な対空砲火の弾幕のなか、高度六百五十メートルで整然と水平爆撃を敢行、効果的な投弾後、一目散に帰途に就いた。

艦爆隊三十機は、軍港内外の主要艦船、工廠、そして米太平洋艦隊司令部を主目標に、高度千メートルから一斉にダイヴして襲いかかった。

吹き上がる黒煙に見え隠れする目標が多すぎて、瞬時に決めるのに戸惑ったほどだった。滑走路上にいままさに出撃準備中の米長距離爆撃機多数を発見した一隊は、一斉に急降下、悉く命中弾を得て、激しい誘爆を誘発させた。いち早く空中避退した長距離爆撃機四十数機だけが、この惨禍を免れたのだった。効果抜群の投弾後、艦爆隊も一斉に帰途に就いた。

その頃になっても、激しい空中戦の帰趨は、未だ明らかではなかった。圧倒的多数の敵を相手に善戦していた独立零戦および艦戦は、第一次攻撃隊の攻撃が終了すると、三々五々引き揚げにかかった。




82




 これよりさき「大和」率いる「陸奥」「金剛」「榛名」および駆逐艦七の山本艦隊は、サンディエゴ沖七十キロ、暁闇の洋上で、待ち構えていた重巡二・軽巡三・新旧駆逐艦十六からなる米迎撃艦隊と遭遇した。

最初に砲弾を発射したのは、やはり米艦隊のほうだった。

距離二万三千メートルから、互いに照明弾を打ち上げ、激しく砲戦を交わした。

「大和」「陸奥」の主砲弾が敵重巡二を捉え、「金剛」「榛名」が敵軽巡二を撃破するまでに、味方戦艦群も大小多数の直撃弾、至近弾を浴びざるを得なかった。

五十六は味方駆逐艦の突撃を控えさせ、艦隊前方三千メートルに留めておいた。

数に勝る敵駆逐艦群を、戦艦の砲撃だけで撃破しようと意図したのだった。暗夜の海上での乱戦で、同士討ちを警戒したためもあった。

たちまち五隻を撃ち沈められた米駆逐艦十一および軽巡一は、日本艦隊めざして、各個に突進してきた。距離九千五百まで照射砲撃を実施して、戦艦群はさらに敵軽巡一・駆逐艦七を撃破した。それから初めて、駆逐艦七に突撃を命じた。

味方駆逐艦は、距離三千五百で酸素魚雷を斉射、なおも突進してくる残敵四を、悉く撃沈した。

やがて水雷戦隊を付近に呼び戻すと、五十六は、炎上避退中の敵艦に対する砲撃を、「金剛」「榛名」に命じ、ここに米迎撃艦隊は敢え無く壊滅した。

直撃弾二十数発、至近弾多数を浴び、山本艦隊の損害はとても軽微とはいえなかったが、そのままサンディエゴ軍港に殺到した。

軍港まで四十ないし三十キロの沖で、魚雷艇多数および砲艦数隻と遭遇したけれど、副砲主体の照射砲撃で、撃破、まったく寄せつけなかった。水偵五機の吊るす眩い吊光弾の光に、くっきりと浮かび上がったサンディエゴ軍港。距離二万七千メートルで、緩い逆時計回りの一航過、わずか一時間弱で、「大和」「陸奥」「金剛」「榛名」の主砲弾千五百六十発が、軍港内外の主要目標に、的確に降り注いだ。

米海岸重砲、数多の沿岸砲の反撃も、その効果を発揮する暇もなく沈黙させられていった。炎上する敵軍港を背にさらに増速、山本艦隊は死地からの離脱を図った。間一髪、米潜の放った魚雷の雷跡数条が、「大和」艦尾、「陸奥」艦首を掠めたことだった。




 東の水平線ちかくに、重く幾重にも横に棚引く鼠色の層雲。

眼をめぐらせば、意外なくらい南方の雲の下縁が、金色に縁取られて輝いている。白く透けて見える薄い雲の裳裾もピンクに染まっている。あちらから日が昇るのだ。

ひと連なりの重い雲の層と見えた最初のひと帯が、近づくにつれて明暗無数の雲塊に分かれて、いくつもの千切れ雲となって機の上方、下方を飛び去ってゆく。

烈風に、ときおり機がガタビシ揺れる。気がつけば、空はいつしか淡いブルーに変わり、薔薇色の指先の女神が夜明けを告げている。

《空はいつもこの瞬間の空が、いちばんやさしく美しい。日は昇らんとして、いつまでも昇らぬが良い》

だが、そんな川名少尉の思いも知らぬげに、南方の水平線が赤く割れて、黄色く輝く真冬の太陽が、眩い大きな顔を覗かせる。

と、たちまちあたりは燦然と耀き、圧倒的な美しさが天水にあふれて、川名少尉の愛してやまぬ先刻の空のやさしい美しさは、微塵と砕けてもう跡形もない。

南空から押し寄せる圧倒的な燦然たる美に打ちひしがれつつ、川名機はなおも真東へ飛ぶ。猛将山口の直命を受け、「鳳翔」独立零戦隊十五機を率いて、山本長官救援に飛ぶいまこのときに、おのれ独りの感傷に溺れて、母なる大海原の波間に機を突っ込んでしまうような、そんな暇はない。

いつのまにか空はすっかり明るくなった。

高度三千五百メートルを維持しながら、なおも急進する。

やがて前方遥かに、全速避退中の戦艦部隊が見えてきた。

「大和」を中心に、左右に「金剛」「榛名」、殿に「陸奥」、駆逐艦七を周囲に配する輪形陣を組んで、盛んに対空砲火を打ちあげながら、ジグザグに、おおむね西進中であった。

その上空では、先に「祥鳳」「龍驤」「瑞鳳」を発した独立零戦隊三十六機が、敵二百機あまりとすでに空戦の真っ最中であった。

状況全般を把握すると、「鳳翔」零戦隊は急上昇して、空戦域の遥か手前で高度六千五百メートルの高空に翔け昇った。そして圧倒的な数の優位に油断していた米編隊めがけて、逆落としにダイヴしながら、全機銃の火を噴いた。

それからは四倍弱の敵機と、寡勢ながら阿修羅のごとく勇戦する零戦との、乱戦に継ぐ乱戦であった。やがて少数の零戦の執拗な妨害と、熾烈な対空銃砲火にもかかわらず、投弾を終えた米爆撃機、雷撃機が引き揚げにかかると、米戦も三々五々引き揚げにかかった。「大和」一艦に命中魚雷三発、直撃弾十数発を数えた。「陸奥」も甚大な被害を蒙っていた。奮闘した「金剛」「榛名」、駆逐艦も全艦が被弾していた。




 北東太平洋の大海原に黄昏迫るころ、合同を果たした戦艦群と軽空母群は、一路ハワイへと帰還の途に就いた。隻眼の山本は「大和」艦橋中央に独り佇立し、口を「へ」の字に結んで、艦首に砕ける波濤を、遠くのもののように眺めていた。

《秘策といっても、時間がすべての要素を占める、いま、このときを除けば、米本土を標的とする凡庸・無謀な作戦ではあった。

これで一時的に、米軍のハワイ奪回作戦の発動を阻んだとしても、これだけでは戦局の維持、ましてや休戦・和平への動きには繋がらない。予期したことながら、戦艦群の損傷で、秘策後半の成否は、山口多聞の機動部隊に託さざるを得なくなった》

癒しがたい徒労感とともに、暗い予感が、黒い触手を長く伸ばして、五十六の胸底にしのび寄る。

《こうしていくら勝利を積み重ねたとて、アメリカは決して交渉に応じようとしないのではあるまいか? しかもその間にも、わが軍は損耗を重ねてゆく》

望外の大戦果を挙げたとはいえ、満身創痍の艦影は、西の水平線に沈む夕陽の残照に、なぜか寂しげに照り映えたことだった。




83




 待ちに待った敵機動部隊発見の第一報を入れたのは、艦攻索敵隊の雨宮機であった。

二月六日午前九時五十分のことだった。

「敵空母、大型四、小型五ないし六が、北緯三三度、西経一二七度の海域を、北上中!」

すでに第一次攻撃隊はロス、シスコ、ディエゴ爆撃を終えて、まなしに三々五々帰投してくるであろう――山口多聞は直ちに第二次攻撃隊に出撃を命じた。

航空魚雷を抱えて待ち草臥れた艦攻、徹甲爆弾を抱えて待ちくたびれた艦爆、待つ身の辛さをしっかりと味わわされた艦戦、各七十二機の第二次攻撃隊二百十六機が、「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」、そして「飛龍」「蒼龍」から続々と発艦していった。

次いで、艦隊上空直掩に就いていた独立零戦の半数、四十機が呼び戻されて、燃料急速補給ののち、第二次攻撃隊のあとを追わされた。この間にも敵艦隊の動向を知らせる第二報、第三報が、索敵中の各機から続々と寄せられた。

なかでも「敵攻撃隊が発艦中!」との情報は重要だった、ついに敵もこちらの艦隊位置を突き止めたのだ。時に十時三十五分。待機させられていた「鳳翔」艦攻・艦爆各九、艦戦十五、計三十三機にも出撃命令が下った。「鳳翔」が全機発艦を終える頃、上空には着艦待ちの第一次攻撃隊先着組が周回し始めていた。零戦の収容を優先して、損傷の軽い機は搭乗員を交替させ、応急修理、急速給弾・給油ののち、直ちに艦隊上空に上げて直掩に当たらせた、その数、百五十機。ほどなく艦隊上空は帰還機で溢れて、収容に全力を注がざるをえなくなった。




午前十時三十分、米軍総司令部に、ついに敵機動部隊発見の第一報が入った――味方機動部隊からの続報も、それを確認している。

未明の敵艦砲射撃と早朝の敵艦載機による爆撃に、飛行場自体がやや内陸部にあって発見を免れた、あるいは空中退避中であったなど、辛くも生き残って待機中の長距離爆撃機数隊に、直ちに出撃命令が下った。その七十機あまりが離陸を完了したのは十一時七分過ぎのことだった。




 第二次攻撃隊のあとを追った独立零戦四十機は、ようやく本隊に追いつき追い越し、前方高度五千五百メートルまで上昇して制空隊の機位に就いたとたん、前進守備に就いていた敵艦隊直衛機二百機あまりの大群と遭遇、いきなり烈しい空中戦に捲きこまれてしまった。

艦攻・艦爆・艦戦各七十二機の本隊はそのまま直進、堅固な円形陣を組み盛んに対空砲火を撃ち上げてくる敵空母大型四・小型五、巡洋艦、駆逐艦多数を眼下に捉えたけれど、敵艦隊の直上には、なお敵戦八十あまりが控えていて、艦戦三十六がそれに立ち向かうなか、艦爆隊は高度二五〇〇で爆撃態勢に、艦攻隊は高度一〇〇〇で雷撃態勢に入り、残りの直衛艦戦十八ずつが敵戦を味方攻撃機に寄せつけまいと善戦した。

敵大型空母四隻(「ワスプ」「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」)だけを目標に、艦攻・艦爆六十機は四隊に分かれて、それぞれ十五機ずつが敵空母一隻に、ほぼ同時に襲いかかった。残りの艦攻・艦爆十二機も四隊に分かれて、それぞれ三機ずつが敵小型空母一隻にほぼ同時に襲いかかった。結果は恐るべきものだった。

急降下した艦爆によって、「ワスプ」「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」はいずれも飛行甲板・艦橋に直撃弾数発・至近弾多数を浴びた直後に、両舷もしくは片舷に、艦攻の放った航空魚雷一ないし三、四発を喰らった。四隻とも大火災を生じ、「ワスプ」などは大浸水に早くも傾きだした。

敵小型空母は、一隻が大爆発を起こして瞬時に轟沈、二隻が大中破した。

一方、この時点で、味方の損失は艦攻十七・艦爆十五・艦戦十九に及んでいた。さしもの零戦も、群がる多数の敵機相手に、次第に苦戦に陥っていった。

このとき「鳳翔」隊の艦攻・艦爆各九、艦戦十五が海空戦場に飛来、真っ先に艦戦がひと塊となって、雲霞のごとき敵戦の渦のなかに飛び込んでいった。艦攻・艦爆は、無疵の敵小型空母二隻を狙って、三手に分かれて一斉に突入した(「鳳翔」隊は善戦、よく敵小型空母一隻を撃沈、残る一隻を中破させている)。




84




 敵機動部隊を発した米攻撃隊(ドーントレス百六十・デヴァステーター九十六・ワイルドキャット百四十四)が、山口艦隊の上空間近に接近したのは、二月六日午前十一時五十五分のことだった。

この間ようやく第一次攻撃隊、最後の帰還機(損傷艦攻七・損傷零戦五)を、「蒼龍」に収容し終え、他の空母五艦から上空直掩追加、最後の零戦三十三機を発進させたばかりの山口多聞は、早々と第三次攻撃隊を組むのを断念、艦攻・艦爆を甲板下に格納、給弾・燃料補給もさせずに、弾薬庫の扉も閉じさせてしまったことを、内心いささか悔いていた。

《艦爆隊だけでも、発進させる間があったのではあるまいか?》

そんな矢先の敵攻撃隊来襲だった。直ちに全艦に対空戦闘を命じた。




最初に敵編隊を発見したのは、高度六千五百メートルという高空の冷気に耐えながら、前方下方の空域に、眼を凝らすともなく凝らしていた「瑞鶴」独立零戦の山際三郎機ほか、三機だった。

敵発見を報じると同時に、増槽を落とし、バンクして、逆落としに敵編隊めがけて突っこんでいった。

こうして米ドーントレス百六十機と独立零戦四十機の死闘が始まった。艦戦十八機も下方から米爆撃機の下腹を突き上げた。米戦七十二機も遅ればせながら、この空中戦に介入してきた。

さらに零戦八十機がこれに加わり、たちまち大空狭しとばかりに飛び交いながら互いに機銃を乱射する大空中戦に発展した。

残り七十機の零戦が米デヴァステーター九十六機に襲いかかると、これを阻もうと残り七十二機の米戦が殺到してきた。

空戦十数分、結局、この乱戦の渦を掻い潜って艦隊上空に達した敵ドーントレス三十七機は、追いすがる零戦を振り切って、激しい対空砲火をものともせずに、ダイブにかかろうとした。

刹那、艦隊直上に待ち構えていた最後の零戦隊三十三機が、一塊になって突っこんだ。

米爆撃隊はそのままダイブしたが、零戦の弾雨を浴びてほぼ全機が被弾、七機が瞬時に撃墜され、十三機が戦闘不能に陥り、残る十七機のみが投弾に成功した。うち一機は投弾中に、二機は投弾直後に、あと四機は避退中に、対空射撃によって撃墜された。

山口坐乗の「翔鶴」は直撃弾二発、至近弾数発、「瑞鶴」は無疵だったが至近弾多数、「赤城」「加賀」は飛行甲板に直撃弾四、五発を受け、「飛龍」は至近弾数発、「蒼龍」は至近弾多数を浴びたが、これも無疵であった。

対空砲火を逃れた十機も、追いついた零戦によって撃墜された。こうして、さしもの米急降下爆撃隊が、日本空母二隻を大破、一隻を中破して壊滅してしまった。

他方、混戦を辛うじて脱け出た米デヴァステーター二十八機は高度を落とし、十七機が追いすがる零戦に撃ち落され、五機までが対空砲火に撃破されたが、残る六機は駆逐艦、重巡を飛び越えて、波頭からしぶきを翼端に舞い上げるほどの超低空で、それぞれ一空母目ざして肉迫した。

頭部に負傷した樋口三等水兵は言う――中でも敵デヴァステーターは「翔鶴」舷側にぴたりと照準を合わせて突っ込んできて、間に飛び込んだわが艦戦が体当たりしたけれど、敵は衝突寸前に魚雷を放ってさえいた。しかし、魚雷は艦尾を僅かに逸れた。左舷真一文字に肉迫してくる敵デヴァステーターを発見、おれたち機銃陣が弾幕を張るなか、艦は取り舵一杯に切り急増速、デヴァステーターと零戦激突の紅蓮の焔を目撃、その直下の波間から現れた真っ白い雷跡を、蒼白な面持ちで追っていたおれたちだったが、南無三、ようやく巨艦の舵が利き始めたのだった。

このときの対デヴァステーター戦闘で、「赤城」「加賀」が被雷して、それぞれ艦首、舷側を中破、航行にさして支障はないものの、浸水をなんとか止めねばならなかった。

魚雷投下後、避退中のデヴァステーターはすべて艦戦の餌食となり、残る敵は米戦七、八十機あまりとなった。これをもなんとか撃破した零戦に、追撃に移る余力はもう残っていない。被弾し、力尽きて母艦に次々と舞い降りる零戦。




山口艦隊はなおも敵の攻撃に晒されざるをえなかった。

十四時十七分、ついに〈空の要塞〉七十機あまりが日本機動部隊を捉えた。高度二千五百メートルで二十機が、二千メートルで三十機が、千七百メートルで残る二十数機が、爆弾を投下した。

むろん、激しい対空砲火のなか、多数の零戦が米爆撃機に襲いかかって、照準を付けるのを妨害した。結局、このときの海空戦で米爆撃機三十数機を撃墜したものの、味方は零戦四十二機を失い、被弾機多数を出した。

回避運動中の「翔鶴」「赤城」「加賀」になお数弾が命中したほか、「利根」「筑摩」も至近弾を浴びた。二百五十キロ西方に避退していた高速輸送船団七隻に被害がなかったのがまだしもであった。




ようやく第三次攻撃隊(艦爆四十八・艦戦五十四)が、早や陽も西空に傾いた十五時三十五分、「瑞鶴」「飛龍」「蒼龍」の飛行甲板を飛び立った。

他の損傷空母は、損傷箇所の復旧と、帰還してきて上空に待機し続ける第二次攻撃隊の収容に追われていた。被弾したうえ、燃料切れで着水、駆逐艦に搭乗員が救い上げられる機が続出した。

 東方に避退中の「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」――「ワスプ」は大きく傾き、十キロも後方に取り残されている――を発見したときには、敵戦百数十機が襲いかかってきた。

艦戦五十四機が必死に応戦するなか、艦爆三十六機は「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネットに殺到した。この三隻は大火災をほぼ消し止め、早くも復旧作業を終えようとしていた。

後方に取り残されてなおも盛んに炎上中の「ワスプ」には、残りの艦爆三機が、中破した小型空母一隻にも、残りの艦爆九機が、襲いかかった。

執拗な米戦の妨害と熾烈な対空砲火のなか、艦爆隊は善く、「ヨークタウン」「レンジャー」「ホーネット」を燃える鉄棺となし、すでに大傾斜の「ワスプ」を轟沈し、残る小型空母も屠ってしまった。

こうして現時点では、健在の米大型空母は、北太平洋上に一艦も存在しない事態とはなった。

なお、このときの空中戦で、艦戦隊は実に七十余機の米戦を撃墜破している。

味方の損失は艦爆十九、艦戦二十二、損傷機多数に及んだ。

疲弊しきった第三次攻撃隊が三々五々、帰投してきたときには、すでに陽もとっぷりと暮れ、水平線上に僅かに赤い闇、そのうえに白い闇の帯、あとはただ青黒い闇が中天ほど濃く広がるばかりだった。途切れ途切れの爆音のみで、機影の確認もままならなかった。

「瑞鶴」「飛龍」「蒼龍」はみずからの危険も顧みず、直上の夜空に向けて煌々とサーチライトの燈を点し、全機の無事収容を図ったのだった。被弾、負傷して、力尽き、暗夜の海上に着水した搭乗員の多くが行方不明となった。




85




 明けて二月七日の正午、山口艦隊はアメリカ西海岸はるか西方の洋上で、困難な機動部隊再編の試みを、辛くも終えようとしていた。

無疵、もしくは損傷の少なかった艦攻・艦爆・艦戦・独立零戦機を、比較的に損害軽微だった「瑞鶴」「飛龍」「蒼龍」、無疵の「鳳翔」に集約して、旗艦を幸運艦「瑞鶴」に移し、山口多聞が移乗、損害の大きかった「翔鶴」「赤城」「加賀」は、損傷駆逐艦六をつけて、真珠港に帰還させた。

そしてその夕刻には、山本五十六率いる戦艦・軽空母部隊との最終的な合同を果たしている。

一旦は、一路ハワイへと、帰還の途に就いた戦艦群と支援の軽空母群であったが、ここでも二枚腰の隻眼海将五十六、突如の変心で、急遽、当初の予定通り、機動部隊との更なる合同を果たしたのであった。

今次の海空戦の戦訓に鑑みて、五十六は、空母自体の増強されはしたもののなお不十分な対空戦力を補うために、各空母には必ず戦艦もしくは巡洋艦を随伴させることにした。

そのうえで対潜哨戒序列なり、堅固な対空戦輪形陣なりを適宜、組めばよいのである。すなわち、「瑞鶴」には「大和」、「飛龍」「蒼龍」には「金剛」「榛名」、「祥鳳」「龍驤」には「利根」「筑摩」、「瑞鳳」には「川内」で、終始ペアを組ませることにした。巡航速度の関係で、「鳳翔」には、なんと「陸奥」が割り当てられてしまった。

迫りくる殺意を秘めた赤い闇にも似て、どこか禍々しい美しさ溢れる夕映えのなか、黒みを帯びた濃い群青色の大海原を、傷ついたとはいえ悠然と南下する大艦隊、その後尾の「鳳翔」飛行甲板で、肩を組んだ背中に真冬の太陽の残照を浴びながら、川名少尉と大河原少年整備兵は、左舷七百メートルを併進する「陸奥」を指さしては笑いあったものだった。

「まさに蚤の夫婦だな」

「あんなにでかい艦が、おれたちに随伴しているとは、到底思えない」

その「陸奥」甲板では、水兵たちが早朝から忙しげに立ち働いていた。

直撃弾を受けて中破した二番砲塔に、応急修理と補強を施して、主砲としての機能は回復できなかったものの、破れた装甲を防盾に見立てて、砲塔内に対空機銃五を増設したのだった。激戦のさなか、軽傷を負った梶木中尉は戦闘後、俄かにひいた風邪で高熱を発したうえにひどい下痢で、いまは「陸奥」医務室で呻いていた。

「瑞鶴」と並び艦隊中央を悠然と進む「大和」でも、被雷箇所の排水・修理がようやく終わり、大破した副砲付近の修理・補強が進んでいたが、まず副砲直下の小弾薬庫の弾丸すべてを移動、同弾薬庫に水を満たして封鎖することから始めねばならなかったから、作業は並大抵ではなかった。この副砲でも破れた装甲を防盾に見立てて、砲塔内に対空機銃五を増設した。作業を指揮した折原大尉が嘯いたものだった。

「上空から被弾孔を見つけて、『しめた!』とばかり急降下した敵機め、破れ目から機銃弾を浴びて、さぞかし仰天することだろう」

「いやぁ、仰天する間もなく、敵さん、おれたちの弾をしこたま腹に喰らう破目になるでしょうよ!」

 汗まみれの兵たちが口々に言って、笑い返す。

しかし、さらに重要だったのは、狂いの生じた測距器・方位盤に、航行中でも修理の目途が立ったことであった。

「時間さえいただければ、九分どおり直せます」

との報告を受けた山本の返事は、

「二日間で完璧に直せ、これは戦闘と心得よ」

であった。実際には、九分どおりの修理になお五日間を要したが、これで主砲の射撃に、まず問題は無くなった。むろん他の艦と同様、多くの死傷者を出した対空射撃班はただちに補充され、猛訓練を開始した。

その右舷七百五十メートルを併進する「瑞鶴」では、大きくめくれ上がった左舷飛行甲板前部の修復作業が夜を徹して行われた。山際三郎は夕食まえのひと眠りに、轟々と高鼾をかいていた。

続航する「蒼龍」の士官室では、ひとり取り残された雨宮中尉が、奈々に手紙を書いていた。

艦隊右端を哨戒する「陽炎」の舷側では、西の水平線下に沈みゆく夕陽と下縁が黄金色に耀く茜色の夕雲たちを眺めながら、一色少尉が物思いに沈んでいた。

艦隊左端を哨戒する「如月」の艦尾から、無数の小さな黄色い波頭の煌めく暗い波間に火のついたタバコを弾き飛ばしながら、竹山少尉は東京での葉子たちの闘いに思いを走らせていた。

艦隊最後尾を警戒する駆逐艦、その八百メートル前方をゆく殿の高速輸送船「旭日丸」の船員食堂では物静かな安東実が独り、早くも休戦後の闘争計画を練っていた。

五十六にとっては、潮風に吹かれながら南北太平洋を海流に乗って一巡することは、少年の日の見果てぬ夢の実現にも似て、戦のさなか帆船ならぬ武装厳めしい「大和」艦上とはいえ、やはり心躍るのであった。

こうして厳重な無線封止のなか、一路南下をつづける大艦隊の行方は、アメリカ海軍の必死の探索にもかかわらず、杳として知れなかった。

むしろ、三々五々ハワイへ帰還した「翔鶴」「赤城」「加賀」および「長門」「伊勢」「霧島」など、大中破した損傷艦の動向のほうが、いち早くアメリカ側に伝わった。大破浸水、単艦で遅れ遅れに続航していた「日向」が、惜しくも米潜に撃沈されてしまったことはすでに触れた。




86




「山本艦隊、パナマ沖に見ゆ!」

との衝撃的な通報が、米軍総司令部を震撼させたのは、二月二十一日午後五時のことだった。

実際、山本艦隊の行方は太平洋全域にわたって執拗かつ入念に探索され続けていた。それでも、杳としてその行方は掴めなかった。それがパナマ沖とは! 

そのころ隻眼の海将山本率いる戦艦群は、「大和」を先頭に「陸奥」「金剛」「榛名」と続く一本棒の単縦陣をなして、パナマ湾目ざして急進撃を開始していた。

二十二日未明、うっすらと青みを帯びてまだ星屑の瞬く空を衝いて、独立零戦百八十機が、「瑞鶴」「飛龍」「蒼龍」の飛行甲板を飛び立った。パナマ上空制空隊九十機と、小型爆弾を抱えた対地攻撃隊六十機、それに戦艦群直掩の三十機である。

次いで、「祥鳳」「龍驤」「瑞鳳」「鳳翔」から、軽空母直掩の零戦六十四機が飛び立った。

午前五時四十五分、第一次攻撃隊(艦攻雷撃機・艦爆・艦戦各四十五)が発艦した。

同時に、軽空母四艦からは、索敵爆撃隊(艦攻・艦爆各二十四・艦戦四十八)が敵艦隊を求めて四方八方に、まだ暗い上空に消えていった。

東の空が白んできた六時半を回ったころには、第二次攻撃隊(艦攻水平爆撃機・艦爆・艦戦各四十五)も、制式三空母から発艦を開始した。

軽空母四艦の飛行甲板上には、なお艦攻・艦爆各二十四、艦戦四十八が、不時の会敵に備えて、翼を震わせながら待機していた。

山口機動部隊は、パナマ西方八百キロの洋上を、フンボルト寒流に乗って西南西に避退しつつあった。行く手左方遥かには、ガラパゴス諸島が横たわっていた。




 パナマ湾上空にさしかかると、まだ日の出まえの高空に、やはり敵七、八十機が待ち構えていた。すかさず先頭の零戦三十六機が敵機の大群のなかに突入し、あと二十機の零戦がその戦いの渦に加わると、たちまち大空狭しと大空中戦が激発したけれど、制空隊の残り三十四機と対地攻撃隊六十機の零戦は、それを尻目にいくつもの群れに分かれて、数箇所の敵飛行基地で離陸途中あるいは上昇中、もしくは出撃準備中の敵機群に襲いかかった。空中戦で撃墜した機よりも、未明の地上で撃破・炎上させた機のほうが、遥かに多かった。

空中に舞う敵機が何処ともなく四散すると、すべての零戦が対地攻撃に加わり、爆撃を免れた地上の列機、空港施設、燃料備蓄タンク、対空砲・機銃陣地などに、銃撃を集中させた。

やがて零戦の残弾が残り少なになった午前七時五十分、第一次攻撃隊の艦攻雷撃機・艦爆・艦戦各四十五機が、西空に現れた。激しい対空砲火のなか、艦攻十五機がミラフロレス閘門、次の十五機がペドロミゲル閘門、最後の十五機が、五十キロあまり離れた北大西洋側のガツン閘門に殺到した。

雷撃目標としては、閉じている閘門の鉄扉ほど大きくて狙いやすいものはない。

一番手前のミラフロレス閘門、最後の扉は閉じられていたから、先頭の一機がすかさず魚雷を発射、巨大な鉄扉を跡形もなく大破、次の二機は閘門左右の基部に魚雷を命中させて、閘門そのものを大破させた。

溢れ出る水に水路から押し出される瞬間の戦艦艦首を捉えて、四機目が魚雷を投下、自らは躱す間もなく機銃弾を浴びて、艦橋左端に激突した。真っ向から魚雷を受けて艦首部を大破した米戦艦は、水路から押し出されると同時に、盛んに発砲しながら、頭から前のめりに、敢え無く北太平洋目前の水路に着底した。五機目から十五機目の艦攻は、水路中心線上を猛スピードで一直線に飛んで、つぎつぎに魚雷を投下せざるをえなかった。うち七機まで、水路両岸からの対空砲火に撃墜されたが、実に六隻の敵艦船を轟沈、水路中に沈座させてしまった。

ペドロミゲル閘門とガツン閘門は、とっつきの鉄扉が開いていたから、それぞれ先頭の二機が閘門左右の基部に魚雷を命中させて閘門そのものを大破させると、あとの十三機ずつは水路中心線上を猛スピードで一直線に飛んでつぎつぎに魚雷を投下、うち九機までが水路両岸からの対空砲火に撃墜されたけれど、合わせて実に十七隻の敵艦船を撃沈破、各水路中に沈座させた。

 艦爆四十五機は、パナマ湾、ゲイラード水路、ガツン湖、リモン湾、マッデン湖上の敵艦船に襲いかかり、八機が撃墜されたものの、実に三十三隻を撃沈破している。

艦戦四十五機は艦攻隊直衛の二十四機と艦爆隊直衛の二十一機に分かれて奮戦、被弾機多数に及ぶも、全機ぶじ帰投した。

艦攻水平爆撃機・艦爆・艦戦各四十五機の第二次攻撃隊も、午前八時半を回ったころには飛来し、艦戦十二機がゲイラード水路両岸を機銃掃射するなか、艦攻二十一機が水路中心線上空を一直線に飛んでつぎつぎに大型徹甲爆弾を投下、うち五機が水路両岸からの対空砲火に撃墜されたが、実に十三隻の敵艦船を轟沈、水路中に沈座させた。

残る艦攻二十四機と艦戦十二機は、艦攻六・艦戦三ずつの四手に分かれて、パナマ湾、ガツン湖、リモン湾、マッデン湖上の敵艦船を銃爆撃し、艦攻八機が撃墜されたものの、実に十六隻を撃沈破している。

陸用爆弾を抱えた艦爆四十五機と艦戦二十一機は、パナマ運河の諸施設と飛行場を主目標に、銃爆撃を繰り返し、所期の目的を達成するや爆煙けむるパナマ運河一帯をあとに、被弾機多数に及ぶも、ほぼ全機ぶじ帰投した。被撃墜は艦爆の二機だけだった。




 破壊された閘門をまえに、運河関係者が強い陽射しのなか虚脱して立ち尽くし、米軍の将兵たちが負傷者の救出に躍起になっていたそのとき、急行列車の轟音とともに巨弾がどこからとも知れず降ってきて、人も車も建物も、眼前のものすべてを空中に放り上げた。

「大和」の主砲弾であった。「陸奥」「金剛」「榛名」の放つ砲弾の雨がそれに続いた。

パナマやバルボアの街角や広場では、日本軍上陸の噂が真顔で囁かれ、米兵相手の店四、五軒が暴徒に襲撃・略奪されたという。生い茂る熱帯雨林に難を逃れた人びとも多かった。

海岸線沿いに急遽構築した機銃座側面数百メートルの砂地に、いくつも蛸壺を掘った米海兵隊員たちはなお数夜を、海水の染み出る蛸壺の底で尻を濡らし、天を仰ぎながら過ごしたことだった。




〔この日、相次いで生起したパナマ沖海空戦の模様は、紙幅の関係で割愛せざるを得ない。ただ、敵陸上機および艦載機多数、敵迎撃艦隊の大型空母一・小型空母三、戦艦二、重巡・軽巡各一および駆逐艦七を撃破、味方は「瑞鶴」中破、「龍驤」「陸奥」大破、「大和」「利根」「筑摩」小破、損失・損傷機多数の痛手を蒙った、とだけ記しておく。〕




全艦隊の合同後、被害の大きかった「瑞鶴」から健在機を「飛龍」「蒼龍」に移し、大破した「龍驤」「陸奥」、それに水上機母艦一と、補給後、空になった輸送船三に、負傷者と損傷機を満載、損傷駆逐艦七を付け、「瑞鶴」を旗艦として、一路、ハワイへ帰還させた。

山口機動部隊の旗艦は、こうして久方ぶりに、歴戦の「飛龍」となった。




山本・山口艦隊の強運はなおしばらくは続きそうだった。そのまた翌日の正午、避退する艦隊の西北西遥かの洋上に、補給船団を護衛した「独立ハワイ艦隊」の一部がまさに忽然と姿を現したのだ。やがてこれと合同、待望の新鋭機ほかの補給を果たした山本・山口艦隊は、赤道直下の西進を再開し、その行方は杳として知れなかった。




87




 折からアメリカの特命全権使節ファックとアス両上院議員を乗せた特別機ブッシュ号が、出迎えた零戦二機に両脇を護衛されて真珠湾上空に飛来して、湾上空を二度も旋回したあげくにホノルル空港に着陸した。

機内ではCIA要員たちが真珠港内外の主要軍事目標の写真撮影に大童であった。

両上院議員は港内を埋め尽くす夥しい日本艦船に目を剥いたけれど、とりわけワイキキ沖で激しい着発艦・飛行訓練をくり返す新鋭大型空母――上空からは「南天」と「東天」の二艦がそう映ったのだ――に目を惹かれていた。

「いつのまに、日本はあんな名も知れぬ新鋭空母を建造していたのだ?」

「しかも、二隻も!」

渋って見せてはいるものの、実はアメリカとしては、この時期の休戦合意に大乗り気であった。

「何よりも時間が欲しい」

「サンフランシスコとロサンジェルス、そしてサンディエゴの甚大な被害は、三ヵ月も経ずに、必ずや復旧させて見せる!」

「しかし、手酷くやられたパナマ運河の運行再開には、優に半年以上を要するぞ」

「何よりも壊滅した太平洋艦隊再建の目途が容易には立ち難いいま、アメリカにとって必要なのは、何よりも時間だ」

これはルーズベルト大統領が両議員にくどいほど念を押したことでもあった。

「休戦後の適切な時期を捉えて、適当な口実を構えて戦端をふたたび開くことは、いつでも可能だし、こんどは米国側から奇襲・奪回作戦を、このハワイに仕掛けてもよい」

「もともと米国領であったものを取り戻すのに、何の遠慮がある?」

彼らワスプ一流の論理であった。

時間稼ぎのついでに、将来のハワイ奪回作戦に備えて、ハワイの実情をこの目で確かめておくことも有意義ではあった。その意味でも、

「休戦交渉の会場を、それではハワイにしては?」

との日本側逆提案には、一も二も無く飛びついてしまったのだった。

「どうせ、宿舎となった空港内ホテルは厳重に警備されて、外部との接触は遮断されているだろうが、どこのホテルにも抗日レジスタンス関係者ぐらいはいるさ」

「彼らの齎す情報のほうが、いま盛んに写真を取りまくっているこのCIAのばかどもが集める情報よりも、よほど貴重なものであることは疑うまでもない」

両議員はとりあえず、三ヵ月間の休戦を提案して、もし合意に達すれば、その間に現地で和平条件を煮詰める肚だった。とはいえ、休戦合意を見るまでは、一切の言質を与えるつもりはまったく無かった。

「戦況はどうあれ、日米両国の国力の差は、いまも歴然としているのだ。力のあるものが結局は勝つ」

「勝ったものがつねに正しいことは、歴史が証明している」




 日本側が休戦交渉の場をイオラニ宮殿内に設定したために、米使節団は不本意ながら、礼儀上、カイウラニ新女王に拝謁しないわけにはゆかなくなった。

ファックとアス両上院議員さえも、好奇心に負けて、この新女王のまえに浅く跪かざるを得なかった。そのため、ハワイ新王国の成立をひとまず認める形とはなってしまった。

新女王の美しさよりも、まだ幼さの残るその若さに圧倒された二人は、その事実にしまいまで気がつかず、

《米日和平後に、ひとたび日本軍が撤退したならば、最悪の場合でも、日本側に取って代わって米国が、これを操ることはさして難しくはない》

などと、思案を巡らすのであった。

交渉の場に現れた吉田茂全権は、ファックとアス両上院議員に負けず劣らずの悪党であった。貫太郎首相にしては存外の人選であったわけだった。

カイウラニ新女王に恭しく拝謁したのち、米国側代表とともに別室に閉じこもるやいなや、開口一番、

「オアフ全島は即時、無条件で米国に返還いたしましょう」

と、吉田が言い放ったものだった。意表を衝かれて黙りこむファックとアスの両議員に、さらに畳みかけるように、

「ただし、真珠港=パールハーバーは、休戦の実を見定めるために、いましばらく日本軍の占領下に置かざるをえません」

そして早くも締め括るのだった。

「そして和平合意後、日米講和条約の批准をもって、日本兵の最後の一兵が、ここオアフ島を発する最後の日本軍艦に乗って、撤退することになります。これが日本側の譲ることの出来るぎりぎりの線です」

 あまりにも容易く眼前に開けたオアフ全島の平和的奪回の見込みに、米国側の両人は、口にすべき言葉を失っていた。

いや、何も言う必要がなかった。必要があったのかも知れないが、それが何か、両人とも思い浮かばなかった。

そこで内心の動揺は露ほども見せず、あくまでこの場は「ただ聞き置く」という態度を持して、イオラニ宮殿を後にしたのであった。

それゆえ、第一回日米休戦交渉の第一日目は、実際の交渉時間は実質、ものの十五分にも満たなかった。やがて最後に吉田茂が恭しく礼を述べてやっと退出すると、ついにこらえかねていたカイウラニ新女王の笑いが爆発した。

「まあ、ファックとアスだなんて、まあ、なんて下卑た名前でしょう!」

と、侍女頭の乳母としばらくは無邪気に笑い転げるのだった。

「おまけに特別機ブッシュ(茂み)号で、Yシゲルに逢いにくるなんて!」

と、一番年下の侍女までが調子を合わせたことだった。

とはいえ、小鳥のさえずりにも似た明るい笑い声のその翳で、列強の駆け引きに弄ばれる誕生間もないハワイ独自の民主的小王国に訪れる暗い運命を予感しては、彼女らも心ひそかに戦いているのであった。




88




 赤道直下の太平洋を海流に乗っておおむね一路西進し、途中、パルミラ島、ジャービス島、ベーカー島の米軍各基地に、艦載機による痛撃を通り魔にも似て加えてきた山本艦隊が、ポートモレスビーを北遥かに望む珊瑚海に忽然と姿を現したのは、三月十日早朝のことだった。

すでに同月一日からいちだんと激化した航空撃滅戦で、ラバウルおよびラエの基地航空隊は、東部パプアニューギニアの制空権をほぼ完全に掌握しかけていた。

両基地航空隊の連日の猛攻にもかかわらず、しぶとく頑強に抵抗を続けていたのが、このポートモレスビーであった。

「山城」「扶桑」ほかに分乗した陸戦隊七百五十名および陸軍部隊七千五百名が、待機していたラバウルを「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」など重巡艦隊に護られて発したのが、三日前の夕刻。本日正午には山本艦隊との合同を果たすことだろう。

「大和」「金剛」「榛名」の三戦艦は砲口を連ねて、深夜零時から夥しい数の主砲弾を、ここポートモレスビーに撃ちこんでいた。

さらに夜明けとともに、「飛龍」「蒼龍」および「祥鳳」「瑞鳳」を発した零戦隊がポートモレスビー上空を制圧すると、艦爆・艦攻隊がくり返し猛爆を加えた。ラバウルおよびラエの基地航空隊も飛来して、敵に更なる痛撃を加えた。「鳳翔」の飛行隊だけは不時の会敵に備えて終始待機させられていた。

正午の艦隊合同もそこそこに、「山城」「扶桑」ほかが敵海岸線の前面に出て、主砲斉射の合い間あいまに、陸戦隊および陸軍兵士をつぎつぎに大発、その他の上陸用舟艇に移乗させた。激しい反撃の銃砲火のなか、全兵士の敵前上陸が完了したのは十五時近くのことだった。

ハワイから参戦した「カイウラニ」「マカハ」「カウコナフア」「アナフル」、駆逐艦八がさらに前面に出て、上陸中の将兵を直接支援したのはこのときのことだった。

翌日深夜までかかってのポートモレスビー周辺掃討作戦の終了も待たずに、山本艦隊はふたたび忽然と姿を消していた。

「カイウラニ」率いる「マカハ」「カウコナフア」「アナフル」、駆逐艦十二は、行きがけの駄賃とばかりに、ニューギニア東南端ミルンベイの基地ラビに、盛んに砲弾を浴びせていったことだった。

ポートモレスビー沖には、「山城」「扶桑」ほかが停泊するばかりで、あたりを旧型駆逐艦四、五隻が警戒・遊弋していた。

「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」など重巡艦隊は、便乗させていた陸戦隊百七十五名および陸軍部隊二千五百名をミルンベイに敵前上陸させて、ラビ基地占領を果たすと、ひとまずラバウルに帰っていった。




ポートモレスビー占領を果たした陸軍部隊のうち三千五百名は、翌々日早朝から、敗退するオーストラリア部隊を追って猛烈な追撃戦に移ったが、オーエンスタンリー山脈の主峰ヴィクトリア山四千七十三メートル、その麓二千メートル余の高地まで、敗残兵を追い上げると、そこで停止、一転、持久の構えに移った。

山脈の反対北側から、ポートモレスビー目ざして、難渋しながら進撃を続けていた陸軍南海支隊も、ジャングルのなかをやはり麓二千メートルあまりの高地まで攻め上って一転、持久の構えに移っていた。

先頭小隊の兵たちは不満顔だったが、そこで止まってよかったのだ。

補給隊が追いつかず、あとの三日間というもの、何も口にすることが出来なかったから。

一挙に山脈越えの南北打通を図らなかった作戦の意図は、やがて明らかとなった。現地人を味方に付けて、日本軍の補給隊を襲うなど善戦したオーストラリア守備隊であったが、頼りのポートモレスビーが占領されて補給がつかず、そこに夥しい敗残兵も加わると、たちまち弾薬・糧食が尽きて、四月も半ばに入るころには日本側の投降の呼びかけに応じて、憔悴しきった姿で三々五々、南北麓の日本軍前哨陣地に投降しだしたからだった。

高地やジャングルに潜み、なおも頑強に抵抗を続ける少数のオーストラリア兵たちもいたが、すでに戦力的には無視できる存在であった。

基地零戦先遣隊九機が占領直後のポートモレスビー基地に進出したのは、早くも三月十二日のことで、それから三日後の十五日には、零戦四十五機・中攻十五機が相次いで進出を果たしている。

山本はニューギニア東部沿岸の補給活動支援に、ハワイ艦隊から駆逐艦三・輸送船三を割いて、ポートモレスビーに残置したことだった。苦しい補給状況を見るに見かねてのことだった。兵站の軽視は程度の差こそあれ、陸海軍に共通の、いまだ克服されざる通弊であった。

ラバウル、その前衛としてのポートモレスビー、このあたりが制空・制海権確立の限界線と見極めた五十六は、折から海軍偵察機の齎した「ガダルカナル島に飛行場適地発見」との情報にも、食指を動かさなかった。

珊瑚海、フィジー、サモアの海域はむしろ、小規模複数の機動部隊によるヒットエンドランの戦域、と捉えるほうが望ましかった。

補給を必要とする海軍根拠地のこれ以上の増設は望ましくなかった。陸軍上陸部隊の派遣などは論外であった。

仮に米軍がガダルカナル島に上陸して飛行場を建設し、一大反攻の足懸かりにしようと図るなら、そのときこそ、その後背地を大機動部隊をもって殲滅、補給を杜絶させ数箇月、徹底的に叩いたそのうえで、ガダルカナル島を占領、完成した敵大飛行場を奪取すべきなのだ。

なおそのうえに、主戦場はあくまでもハワイ海域なのであった。

錬成なったハワイ基地航空隊と歴戦の精鋭機動部隊とで、米軍の大規模な反攻部隊を迎え撃ち、壊滅させる――しぶといアメリカの戦意を、多数の米兵を殺傷することで力尽くで捩じ伏せて、和平を勝ちとる肚を、すでに五十六は固めていた。

戦況次第ではハワイ島もしくはオアフ島、いずれか一島に米軍の逆上陸を許してもよい。

構築したての堅固な地下要塞に拠り、豊富な弾薬と糧食に支えられた日本陸軍は、必要な時を充分に持ちこたえてくれることだろう。

そのときには潜水艦隊が全力で、アメリカ=ハワイ間の兵站線を徹底的に叩く。そして上陸作戦に集中した米軍の大部隊と大艦隊を、虎の子の機動部隊と連合艦隊の総力を挙げて一挙に殲滅するまでだ。




89




 赤道を越えて、北太平洋を一路北上した山本艦隊は、三月十八日夕刻、トラック環礁に到着した。

落日に赤く、かつ黄金色に染まる美しいラグーンを背景に、彼を待つ新鋭大型空母「武蔵」を見出した山本五十六は、「ほう」と溜め息をつく間もあらばこそ、さっそく連合艦隊旗艦を「武蔵」に移してしまった。こうなると現金なもので、損傷著しい「大和」は護衛の駆逐艦二をつけて翌朝、内地へ帰すことになった。

ところがその晩、「大和」艦長以下十数名の陳情団が「武蔵」艦上の五十六を訪ねて、そのなかにはコックや少年兵まで混じっていたが、直訴に及んだ。で、結局「大和」は最後まで長官と行を共にすることになった。

その翌々日には、改造空母「南天」に坐乗した南雲が、「東天」および軽巡二・駆逐艦七を引き連れて、トラック環礁に姿を見せた。ハワイ防衛は草鹿に託してきたのだった。

山本はこの南雲に珊瑚海・フィジー・サモアの海域でのヒットエンドラン作戦を展開させる肚づもりだった。同じく旧米戦艦を急速改造した「青海」「青天」「北天」「北洋」「南洋」の空母五艦もいずれ、同じく南雲指揮下に、この戦線に投入するつもりであった。

二十三日には、山本、南雲、山口、三名の海将は「武蔵」の広大な飛行甲板にうち揃って、意気だけは軒昂な新米搭乗員たちの技量のほどを検分した。なお七日間を費やして、搭乗員たちの練成に当たった。

非番の水兵たちは夏島、春島など思い思いの島に上陸して、椰子林に寝そべりながら、上空を飛び交う零戦隊を眺めたり、礁湖上に張り出した独特のトイレに一驚したりした。

なにしろパチャパチャという水音に下を見ると、色鮮やかな熱帯魚たちが、落ちてきたばかりのご馳走を争ってパクついているのだった。

「今夜の長官の食卓にも、この魚たちが並ぶのか」

と思うと、なにかしら愉快であった。

ある日、試してみると、「武蔵」は「瑞鶴」ほど速くはないが、必要時には「大和」よりも確実に速い艦に仕上がっていた。

同夜、「南天」艦上にトラック島守備隊長森少佐を密かに呼びつけると、南雲は戦時下としては甘い同島の早期防空体制と礁湖内側の無防備を具体的に事細かく叱咤した。震え上がった森少佐が翌朝からさっそく改善に奔走したことは言うまでもない。これが南雲がトラック島に残した何よりの置き土産であった。

翌二十七日早朝、南雲艦隊は南太平洋に向けて出撃していった。そんな南雲のために山本は「祥鳳」・水上機母艦二・「カイウラニ」「アナフル」・駆逐艦五・輸送船八を、さらに付け加えてやったことだった。

山口多聞率いる「飛龍」「蒼龍」「瑞鳳」・水上機母艦二・「利根」「筑摩」・軽巡二・駆逐艦十五などをこのトラック環礁に残して、中部太平洋に睨みを利かせると、ここでの防衛体制が不備であったことに鑑みて、マーシャル群島、マキン・タラワ両島などの各守備隊長宛に「早期防空体制を十二分に確立し、礁湖内側の防備を外海側と同様に万全に固めるよう」指令を発した。潮流を利用して内側に急速接岸すれば、敵はこちらの柔らかな内懐を充分に蹂躙できるからであった。

このトラック環礁で、久々にしばしの休暇を満喫した山本五十六は、連合艦隊旗艦たる新鋭大型空母「武蔵」に坐乗して、「大和」「金剛」「榛名」、それに「鳳翔」「阿武隈」「川内」「神通」、水上機母艦一・駆逐艦十六・高速輸送船七を率いて、ようやく一路ハワイへ向けて帰還した。




90




 こうしてオアフ島真珠港に二箇月あまりの長征から帰還してみれば、大中破、途中帰還を余儀なくされていた「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」および「龍驤」は、すでに大掛かりな補修・対空陣の更なる強化を終えて、あとは補充搭乗員の練成完了を待つばかりであった。

一方、同じく大中破した「長門」「陸奥」「伊勢」「霧島」のほうは、つい先日やっとドック入りしたばかりだった。「大和」を「武蔵」に随伴させてきて、むしろよかったのである。

それでも陸軍主導の全島要塞化工事は、急ピッチで進み、陸海基地航空隊の充実ぶりにも目を瞠るものがあった。ただ、いかに優秀であろうと、実戦経験のない搭乗員ばかりが大幅に増えたことは気がかりではあった。

帰港翌日の夕刻、ハワイ総督川田順七が単身気さくに「武蔵」艦上に連合艦隊司令長官山本を訪ねて、恐縮する五十六に、吉田茂全権の硬軟取り混ぜた折衝にもかかわらず、難航する日米休戦・和平交渉の一部始終をつぶさに説明した。

その翌々日の正午、米側全権のファックとアス両上院議員および吉田茂全権を「武蔵」に呼びつけると、不承不承とはいえ興味津々でこの新鋭大空母の艦上の人となった三者を司令長官室に招きいれるなり、片目の海将五十六は一喝したものだった。

「休戦交渉は、即時休戦か否か、だ。この場での即答したまえ!」

「即時休戦に応じる」

との両全権の確答を機に、日本側がすでに用意していた休戦文書にさっそく双方が署名・交換すると、ここに一九四二年四月三日午後四時、双方待ちに待った日米の休戦が成立した。

即時休戦であるから、むろん現状維持での即時停戦の合意文書が日米で取り交わされたわけだった。

この日米停戦合意が各戦線にゆき渡り、確認され、発効する四月七日正午までには、英・豪・蘭・中、各国との停戦も、順次合意に漕ぎつけた。

「日本は、その歴史始まって以来、初めて外交的にも勝利したわけね?」

「いや、まだ日米和平条約の諸条件の詰めが残されている以上、とてもそうは言えない」

「和平となれば、たとえばこのハワイ諸島の処遇はどうなるの?」

「すでにハワイ新王国が誕生している以上、仮に日本側がアメリカへの全面返還を望んだとしても、そこには矛盾が生じてくる」

「自国のものでもない領土をアメリカへ返還するの?」

「およそ喧嘩相手のものを奪って、その本来の持ち主たる弱者に返してやったからには、喧嘩相手と仲直りしたからといって、こんどはおのれが弱者からそれを取り上げて、喧嘩相手に返してしまって良い法はない!」

ところが吉田全権は、こういう矛盾をむしろ、独り密かに愉しんでいた節がある。

先に吉田茂が開口一番、

「オアフ全島は即時、無条件で米国に返還いたしましょう」

と、ファックとアス両全権に大見得を切って見せたのは、どうやら、衷心からの平和を願う思いが半分、あとの半分は英国暮らしの長い悪党吉田が単純な米国人相手に仕掛けた罠であるらしかった。

アメリカとしては、オアフ一島を返還されても、あとのハワイ諸島が還ってこなければどうにもならない。しかし、オアフ一島がすんなりと返還された場合の実を、生真面目に検討しては見た。すると、オアフ一島の返還は、ハワイ諸島の全面返還とほぼ同等の経済的・戦略的価値を、当時としては持っているのであった。

《和平がひとたび成立すれば、あとの島々は、弱小の新生ハワイ王国を相手に、ゆっくりと落とす手もある》

これでは敗戦続きのルーズベルト大統領が、夜毎に悩ましくて、あまり眠れないのも無理はなかった。そこで夜毎のファックとアス両上院議員との封印電話による長談義となる。

当然、和平条約の諸条件の詰めに入ってからの日米交渉は、暗礁に乗り上げた。

堪忍袋の緒を切った米大統領が、両全権に一時帰国を命じ、翌朝、思い直して、前言を翻したことさえあった。




91




 日米停戦合意のニュースは、たちまち号外・ラジオ・新聞・口コミによって、日本の津々浦々、朝鮮、台湾、万衆国にも広まり、人びとの素直な歓迎を受けた。

《これで父や夫、兄弟や子どもに、生きて再びめぐり逢える》

このことだった。前線の将兵たちも、静かな熱狂に捉えられた。

《これで生きて再び祖国の土を踏める。母や父、妻や子ども、兄弟姉妹、友人たちに、また会える》

ひとたび兵士たちの胸底に入り込んだこの想いは、命令よりも銃弾よりも強かった。

しかし、和平交渉難航の情報が逐一報じられるにつれて、和平諸条件のうちのいくつかは、極秘にもかかわらず、巷に流れざるをえなかった。

ハワイ返還の是非もそのひとつだった。

「事実上の戦勝国であるにもかかわらず、賠償金はおろか、絶海の孤島のほかは、何ひとつ見返りがありそうにない」

という真相が洩れるに及んで、大衆は激昂した。つい先日、戦勝祝賀の大パレードが練り歩いた銀座の目抜き通りに、自然発生的な大小の抗議デモが連日発生した。

「貫太郎内閣は無能、吉田全権はブルドックならぬ豚」

と、謗られたが、両人とも、どこ吹く風であった。

「戦争に利得を期待する内地の風潮のほうがよほどおかしい」

それはそのとおりだった。

「薩長政府以来の腐った思考が大衆の脳裏に深く根ざしてしまった結果がこれだ!」

「貫太郎がヒロトトの言うなりの凡人なのか、それとも鉄血宰相なのか、分かったものじゃない」

「とはいえ、このもたもた内閣が、戦後日本の未曾有の大混乱を乗り切るために、結果的に最も多くの選択肢を、民衆のために用意することになった」

「いったいどこに源泉があるのか、あるいはどこに淵源を求めているのか、次々に発せられる、あまりに革新的な、つい社会の実態と遊離しかねないヒロトトの勅令ではあるし」

「そのひとつひとつを現行の法令・行政のレールに乗せようと、当初は真面目に意図しながら、実施上の困難に逢着するたびに、つい辻褄合わせに終始せざるをえない愚直な貫太郎政府! いったい、代わりはないものなの?」

それは旧来の価値観が大きく揺らいで右往左往する一般大衆の姿そのものを如実に反映していた。

「果たしてこの政府に日米休戦、和平成立後の難局を乗り切る手腕があるのかどうか?」

誰しも疑問とするところであった。

「良識があるのなら気づいて欲しい、いまは一人ひとりの思想が、行動が問われている!」

 一方、アメリカの国民大多数にしてみれば、「戦争の推移はどうであれ、ハワイの返還はあたりまえのこと!」だし、「必要とあれば大統領の首を挿げ替えてでも、決定的な勝利ののちに戦争の終結を見たいもの」であった。

太平洋における数々の悲惨な敗退の実態を直視する者、反戦的言動に走る者は、まだまだ少数派だった。

それゆえ、いったんは休戦に漕ぎつけたとはいえ、恒久的な講和条約の締結・批准にいたる道程は遥かに険しかった。それには「決定的な勝利か、あるいはいっそ決定的な敗北」が、必要とされていた。

このことは、開戦前の山本五十六の目論見を遥かに越えていた。

大方の楽観論者と些か異なり、五十六は、

《開戦劈頭、ハワイを単に叩くだけでは、アメリカの戦意を挫くことは到底無理だとしても、これを占領、太平洋艦隊を壊滅に追い込めば、アメリカは必ず屈服する》

と、読んでいたのだった。だからこそ

《ハワイの無償返還が休戦の切り札となり、それは他方、日本国内においては必ずや革命の下地を創るはず》

と、思案を重ねていたのであった。ところが

《いざハワイを占領し、米太平洋艦隊を撃滅してみれば……あまつさえ米西海岸を爆撃・艦砲射撃し、パナマ運河をも破壊したというのに、アメリカは一向に屈服しようとしない。それどころか、いっそう激しい戦意を燃やして、立ち向かってこようとしている》

その矢先の案外な即時停戦である。強硬に迫った山本さえも、そこには何か裏があると感じ取らずにはいられなかった。

翻って内地はといえば、革命前夜どころか、ヒロトト独りが独走して、次第に現実と遊離しつつある。これは結社にとっても非常に危険な兆候であった。山本はおのれの浅慮に、「武蔵」艦内の一室で、独り密かに臍を噛むのであった。

ともあれ、政治は政治家に任せて、こうなれば、海軍としては、休戦の実を挙げて、実質的な講和に一歩でも近づけねばならなかった。

それは陸軍にしても、一部の頑冥固陋派を除けば、同じであった。

即時停戦の発効する四月七日正午を期して、ハワイ諸島および南太平洋全域の陸海軍傷病兵を最優先に、まず帰還させる手段を講じた。

それには、真珠港で就役したばかりの「青海」「青天」「北天」、次いで「北洋」「南洋」の大型即席空母五艦が、非常に役に立った。

艦載機を載せなければ、一艦あたり五千名余の復員兵を楽に乗せて、帰国の途に就けたからである。

内地からは動員しうる限りの輸送船団が、軍需品以外の補給物資を満載して出航しては、太平洋の各戦域から復員兵を満載して帰国した。

太平洋全域に散らばっていた伊号潜隊もいっせいに帰国の途に就いた。

次いで捕虜交換の細目が日米で合意に達するや、アメリカ側は厳しい通商破壊戦の後遺症で投入すべき船舶が払底していたから、日本側が全力を挙げて夥しい米軍捕虜をどしどしと、これも傷病兵を最優先に、米本国に送り届けた。

そして帰りには少数の日本人捕虜、ハワイの日系人一世で米本国の収容所に移送の憂き目に遭っていた気の毒な人びとを乗せて帰還し、拘留以前の財産を取り戻すことに手を貸し、あまつさえ在ハワイ海軍独自の判断で、手厚く手当てを弾んだことだった。

しかし、いくら和平交渉継続中とはいえ、あくまで現状維持の一時的停戦が建前だから、戦略地点・根拠地防衛の兵は、冗員を除いて一兵たりとも動かすことは出来なかった。

一朝事あるときにはすかさず動員すべき攻撃力を有する艦隊空母「武蔵」「翔鶴」「瑞鶴」「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」および「鳳翔」ほかや、「大和」「金剛」「榛名」など、また大幅に充実したばかりの基地航空兵力を動かすことも叶わなかった。

休戦中とはいえ、「長門」「陸奥」「伊勢」「霧島」の修理は、昼夜兼行で、このときとばかり遠慮なく進められた。米軍も同じことをしていただろう。

なお、満身創痍の「大和」は、被雷箇所を修復したばかりか、この際、大破した副砲基底および周辺の装甲を大幅に強化し、装甲四連装の対空機銃五基を副砲址に据えつけ、折から内地から到着したばかりの新式レーダーを艦橋に取りつけて、測距器・方位盤なども完全に直してしまったことだった。これなどは「和戦両様の構え」と受け取られても致し方ないことであった。




92




南雲忠一にとっては、ラバウルに全艦隊を率いて到着した矢先の停戦発効であった。

これで、彼も賛同していた珊瑚海・フィジー・サモア海域でのヒットエンドラン作戦は、発動が不可能となってしまった。

「愛宕」「高雄」「鳥海」「摩耶」など重巡艦隊をシンガポールに帰し、とりあえず「南天」「東天」の全艦載機と搭乗員・整備兵を装備とともに陸上の航空隊基地に移すと、この二艦を輸送船八と共に、まず陸海軍傷病兵を最優先に、あまたの復員兵の内地への輸送に当たらせた。

臨時の旗艦とした「祥鳳」だけは「カイウラニ」・軽巡三・駆逐艦十二とともに、厳しい臨戦態勢を解かずに、ラバウル港に待機させた。

南雲とても、大局的にはたとえ望ましいことであろうと、いやそれだけに、不意の停戦発効に、一抹の懸念を抱かずにはおられなかったのである。

けれども水上機母艦二隻の水戦隊は、そのすべての機能をラバウル港内に移して、母艦は復員兵の内地輸送に当てざるをえなかった。

まだある。捕虜交換の細目が日豪で合意に達するや、夥しい数のオーストラリアおよびニュージーランド将兵を、その本国へ送り届け、帰りには少数の日本人捕虜を乗せて還って来ねばならなかった。

山口多聞は一向に今回の停戦発効を信じてはいなかった。

それでも海軍軍人の常として、長官の停戦命令には従い、このトラック環礁から中部太平洋に睨みを利かせ続けていた。

幸い、輸送船全十二隻を動員しただけで、陸海軍傷病兵を最優先に、多数の復員兵を内地に送り帰すことが出来た。

しかし、マーシャル群島、マキン・タラワ両島などからも、少なからぬ米軍捕虜(二隻の米潜に分乗して奇襲攻撃をかけてきた米軍特殊部隊の生き残り兵など)をかき集めては、本国へ移送するために、水戦隊の全機能をマキン・タラワ両島に移したうえで、水上機母艦二隻を使用せざるを得なかった。

とはいえ、「飛龍」「蒼龍」および「瑞鳳」、「利根」「筑摩」・軽巡二・駆逐艦十五は、不時の敵襲に備えて、相変わらず厳重な臨戦態勢にあったし、このトラック環礁を始めマーシャル群島、マキン・タラワ両島などの早期防空体制をこの際、十二分に確立させ、かつ、それぞれ礁湖内側の防備をも外海側と同様に万全に固めさせた。

大規模な敵上陸部隊がとは言わないまでも、敵潜に便乗した特殊部隊が潮流を利用して、礁湖内側に急速接岸すれば、敵はこちらの柔らかな内懐を充分に蹂躙できるからであった。

ともあれ、陸海軍は各戦線で疲弊しすぎた部隊の撤収には意欲的であった。

ビルマ・ニューギニア・インドシナの奥地から疲れきった将兵たちが「青海」「青天」「北天」および利用しうる限りの船舶に便乗して、続々と内地に帰還した。米英豪軍にも同様の様子が見て取れた。

この不意に訪れた停戦期間を。日米両軍とも拡大しすぎた戦線の整理・縮小のために、最大限利用していた、それが実態であった。

すでに内地に移送、抑留中であった多数の米英蘭豪軍捕虜および各戦線後方の捕虜収容所に取り残されていた捕虜たちも掻き集めて一旦、ハワイおよびシンガポールに集結後、そこから「北洋」および「南洋」に乗せて、それぞれの本国に送還せねばならなかった。

憔悴しきった捕虜たちの虚ろな表情、その眸にときおり宿る喜びと希望の煌めき、まさにそこにだけ、不意に訪れた平和の尊さが実感されるのであった。




 さまざまな紆余曲折を経た日米和平交渉であったが、一九四二年四月二十五日正午、イオラニ宮殿においてカイウラニ新女王臨席のもと、左右に居流れる米国使節団、ハワイ新王国政府閣僚たち、ハワイ総督川田順七、山本五十六ほか陸海軍の将星たち、各国報道陣、注視のもとに、ファックとアス両米全権特使と吉田茂日本全権大使が、恭しく文書を取り交わして署名、ここに日米講和条約が締結された。

とりあえず、ハワイ方面に関連することだけを記せば、真珠港(パールハーバー)と各基地周辺を除くオアフ全島の施政権は二年後にアメリカに返還されるものとし、オアフ島を除くハワイ諸島――ハワイ島、マウイ島、モロカイ島、ラナイ島、カウアイ島など――は新ハワイ王国固有の領土であると明記された。むろん、旭日島(ミッドウェイ)、大鳥島(ウェーキ)は日本の新領土であった。

 真珠港に祝砲が鳴り渡り、平和を祝うホノルル全市の鐘という鐘が鳴り響いた。

紙吹雪の舞うなか、刑務所からは全政治犯とパルチザンが釈放されて、英雄として市民の歓迎を受けた。そのなかにはあのルーポ・ネーロ(黒い狼)、ウゼッペことジュゼッペ少年の元気な姿もあった。むろん、新庄博少尉も、ホノルル市街に繰り出して、市民とともに祝杯を挙げる陸軍将兵たちの一人であった。

昨日までの敵味方が肩を組んで酒を酌み交わす姿が、市内のいたるところで見られた。日系市民たちは実に幸せそうに微笑みをかわしていた――ようやく父祖の国と母国が憎みあい戦いあう、心の苦しみから解放されたのだった。

 翌早朝から、陸軍将兵は陸続と、真珠港在泊の客船・貨客船・輸送船に整然と乗組み、帰国の途に就いた。講和条約批准の日までは、各拠点の防衛・基地警備に必要最小限の兵力を残しての撤収だったけれど、それにしても夥しい数の陸軍将兵であった。

 ようやく山本艦隊にも帰国の日が訪れた。空母「武蔵」「翔鶴」「瑞鶴」・軽空母「鳳翔」・水上機母艦一・戦艦「大和」「金剛」「榛名」・軽巡「阿武隈」「川内」「神通」・駆逐艦十六・高速輸送船七、各艦の艦上には便乗の陸戦隊員たちが溢れ、みな帽を打ち振って、旗艦「武蔵」を除けばみな満身創痍の修理跡の目立つ艦体ながら、堂々たる凱旋出港であった。

「赤城」「加賀」「龍驤」、「長門」「陸奥」「伊勢」「霧島」、「夕張」、駆逐艦・補給艦・輸送船多数などは帰国第二陣となり、翌々日早朝の出港予定であった。

陸上の各基地航空隊は帰国最終組となり、条約批准の日を経過してから大型空母「青海」「青天」「北天」「北洋」「南洋」の五艦に積載、乗艦しての帰還となる。

そのころ南雲忠一は、臨時の旗艦とした「祥鳳」に坐乗、「カイウラニ」・軽巡二・駆逐艦八を引き連れて一路、母国へ帰還の途上にあった。

講和条約批准も間近となり、ようやく山口多聞も腰を上げてトラック環礁を後にし、一路、横須賀へと向かった。旗艦「飛龍」「蒼龍」「瑞鳳」、「利根」「筑摩」、軽巡一・駆逐艦十の凱旋艦隊であった。




 大海原に早や初夏の陽光燦燦と降りしきるなか、帰国艦隊各艦の風薫る甲板上には、非番の将兵たちが犇めき合い、明け番集会が連日開かれていた。いかに凱旋途上とはいえ、ひときわ軍律厳しい連合艦隊艦上での将兵による自発的な集会は前代未聞のことであった。不測の事態がいつ生じても不思議はなかった、ここに連合艦隊司令長官山本五十六が全艦長宛に発した一本の奇妙な電文がなかったならば。

「帝国海軍全艦船において非番の将兵による集会を許可する」

 南雲忠一は首を捻ったし、山口多聞は顔を真っ赤にして猛然と怒った。しかし、そのときにはすでに「武蔵」「大和」ばかりか、「祥鳳」甲板上でも、「飛龍」甲板上でも、将兵による自然発生的な集会が始まっていた。いくら多聞でも、いまさら全員を営倉にぶち込むわけにはゆかなかった、艦自体を営倉にするか、戦場にする覚悟がなければ。

 当初は山口や南雲が危惧したように、それは赤化した将兵による集会でも、アナーキーな集会でもなかった。むしろ意外に秩序だった討論のなかで、海軍伝統の制裁・糧食・給与・昇進などの問題が一連の議題となった。むろん、内地での言論自由化を反映して、和平の是非や政治も話題となりはしたけれど。

もとより艦隊外にあって、多数の陸軍将兵の乗り込む、船足の遅い復員船上では、議論はいっそう沸騰した。激昂した兵たちに追い回されたあげく、洋上に投げ出されて、そのまま行方不明になった将校、下士官数十名に達した。復員船は恰好の革命学校となった。

 艦隊が日本近海に近づくにつれて、各艦船上では将兵の枠を超えた評議会が組織され、「陸奥」では梶木中尉、「鳳翔」では川名少尉、「霧島」では兵頭大尉、「旭日丸」では安東実が評議会議長に選ばれ、「瑞鶴」「如月」「陽炎」「蒼龍」「伊一五」の各評議会書記長には、それぞれ山際飛曹、竹山少尉、一色少尉、雨宮中尉、春山大尉が選ばれた。他の艦船では、評議会議長および書記長に、特定の思想的背景を持たぬ者が多く選ばれたとはいえ、秘密結社《シリウス》のメンバーを除けば、水兵出身者たちの中ではアナーキストよりもコムニストのほうが僅かながら多かった。

各艦船の評議会議長および書記長には、これも山本五十六の鶴の一声で、非戦闘時には、階級は別として、艦長に次ぐ副長と並ぶ権限が認められた。もとよりこれほどのことが、なんの蹉跌もなしに全艦隊に行き渡るはずがない。なかでも「神通」副長大貫中佐は躊躇う艦長を押し切って、着剣した衛兵を差し向け、首謀者を逮捕しようとしたから、激昂した水兵たちに艦内を追い回されたあげく、殴殺されてしまった。ほかにも十数人の死傷者が出た。

これらの事実を伝え聞いた内地の軍令部、参謀本部が騒然となったことは言うまでもないが、親しく訪れたヒロトトが一喝、叱咤すると、何れも悄然となって、表立っては、敢えて異議を唱える者は一人もいなかった。




93




 一九四二年五月十日午前、皇居前広場において大元帥服姿で白馬に跨って、戦勝記念の陸軍大閲兵式をこなした天皇ヒロトトは、下馬すると、そのまま深紫色の御用車に乗り込み、菊の御紋のついた飴色の車列を連ねて海岸通りを疾駆し、竹芝桟橋からは出迎えのランチに乗り換えて、沖合いに停泊するいまは連合艦隊旗艦の「武蔵」艦上の人となった。

これから東京湾沖で行われる戦勝記念の海軍大観艦式に、親しく臨場するためであった。

陸海軍航空隊の大飛行をも織り込んだその一大ページェントに、終始、疲れも見せずに立ち会ったヒロトトは、陸海軍将官たちの居流れる大晩餐会後に、貴賓室で軽く一眠りすると、こんどは打って変わって、海軍シャツに海軍将校服を羽織っただけの破格の軽装で、「武蔵」水兵大食堂の扉を押した。

そこは床はおろかテーブル上にも水兵たちが群がり、紫煙もうもうとして、喧騒耳を衝くばかりであった。目敏くヒロトトを見つけた安東実が手招きするので、そこまで縫うように進んで、やっとひと一人分を空けたスペースに尻を落ち着けた。どうやらこの場の議長役は、この安東実であるらしかった。

将兵たちに混じって秘密結社〈シリウス〉幹部たちの顔もちらほらと見えたし、眼を凝らすと、水兵たちの塊のなかに、実行隊七人の女隊長たちの姿も確認できた。

みな海軍将校服を着用していて、それがまた実にさまになっていた。奈々などは豊満な乳房を隠すかのように、深緑の海軍陸戦隊将校服を肩に羽織っていた。実際、シャツ姿でちょうどよいほどに、大食堂は人いきれで暑かった。

その隣に坐っているのは、ミッドウェイ上陸戦で九死に一生を得た陸戦隊員林純一だろう。戦闘団員と実行隊員、水兵たちの見分けはまるでつかなかった。

《あれも生きていたか》

と、かつて密かに見知った顔顔を見出すだけでも心弾むのであった。

一色、山際、春山、梶木、雨宮、兵頭、川名、池間、竹山…… 将兵に混じって陸軍の新庄もいる…… さまざまな経緯があったが、いまとなってはみな懐かしい男たちであった。壁際には、片目の五十六、〈火の玉小僧〉、粒良らも立っていた。〈柳〉とかいう凄腕の殺し屋も、壁に凭れてタバコを燻らしていた。

「なるほど、日本はこの太平洋戦争に辛勝した。しかし片目の五十六以下がいなかったなら、勝利も休戦もなかっただろう。また同様に、現時点では、日本の国民および陸海軍は、天皇ヒロトトに忠誠を誓っているのであって、わが革命評議会にではない」

「きみたちは、国民の大多数と陸海軍の大半を敵に回して、内戦に踏み切る覚悟があるのか? あまたの民衆を殺戮したすえに達成された革命だけが、革命の名に値するのだろうか?」

 白熱する議論の、肝心の行方については、皆目、見当がつかなかった。ヒロトトはおのれも床にじかに尻を下ろして、熱っぽく議論を戦わせる群衆の一人であること自体に酔っていた。そうして二、三時間は過ぎただろうか? 不意に背後の男が立ち上がって、見ればコックの松井だったが、彼を指さしながら言い切った。

「そういう状況だから、議長にはこの男ヒロトトを、おれは指名する」

「異議なし!」

「異議あり!」

 呆然と立ち尽くすヒロトトを囲む人垣ににじり寄って、彼を殴り倒そうとする男たちよりも、彼を庇い、肩を叩き、握手を求める男たちのほうがはるかに多かった。




 翌十一日正午、《日本アナーキスト革命宣言》が、全世界に向けて、「武蔵」から発信された。

同時に、麻布連隊が警護する愛宕山の日本放送協会からは、録音盤による天皇ヒロトトの玉音放送が全国津々浦々に流れた。その声明の骨子は次のとおり。




革命的日本民衆は大日本帝国の帝国主義を放棄し、国名を単に「革命日本」と改める。革命日本は周辺諸国への侵略の意図を全く有さない。嘗て勢力圏内にあり、現在は独立を達成、もしくは達成中の国々とは、今後対等な立場で友好関係を保持する。

革命的日本民衆は国際法を遵守し、現行の諸条約・協定を尊重する。植民地主義に反対し、自らの植民地主義を清算、若しくは清算中であるに止まらず、世界中の非抑圧民族の独立を、平和的に支援する。

革命的日本民衆はあらゆる全体主義に反対し、殊にナチ・ファッショの独伊枢軸とは厳しく対立する。独伊が現在の政策を続行し、戦争を継続するならば、革命日本は激しく敵対することとなろう。

革命的日本民衆は今後百年間に亘って、緩やか且つ着実に、アナーキスト革命を継続し、国内はむろん、世界中のアナーキズム運動を平和的に支援、最終的にはあらゆる国家を廃絶し、あらゆる特権階級を消滅させて、数多のコムーネ(共同体)の緩やかな結合に基づく、平和な人類社会の構築を目指す。

革命日本の政体は、概ね現行のままで発足する。但し、現行政府及び各省の全官僚はアナーキスト革命評議会の決定する諸施策の最良の実施機関及びその構成員たるべく、努力せねばならない。

革命評議会議長にはヒロトトが選出された。天皇ヒロトトには、今や革命家としての新たな責務が生じたわけである。

陸・海・空(海軍航空隊と陸軍航空隊をその基幹とする)三軍と海兵軍(海軍陸戦隊と陸軍の島嶼戦専門部隊をその基幹とする)は、革命評議会に直属する。


 ――これに続く解説番組の冒頭には、「腕と思考の労働者」エッリコ・マラテスタによる〈ナポリ労働者連合〉の綱領(一八七二・二・一八)がいみじくも紹介されている[翻訳は戸田三三冬に負う]。

「ナポリ労働者連合は、次の諸原則を認め、宣言する。

1 人間の顔をしたすべての生命ある者は、平等である。そして万人が同一の権利と同一の義務をもつゆえに、義務なきところに権利なく、権利なきところに義務はない。

2 労働は人間にとって必要であるゆえに、万人は労働する義務をもち、また万人は、自分の労働の全成果を享受する権利をもつ。

3 まさにこのゆえに、労働手段と原料は人類に属する。そして万人は、自分の活動領域において、それを利用する権利をもつ。

4 すべての誕生する個人は、育てられ、養われ、技術的、全面的かつ平等に、その個人に結合している集団によって教育される権利をもつ。またこの集団は、知識の全領域において、その個人の自由な選択を保障し、擁護する義務をもつ。

5 個人また集団の結合、結社および連合は、下から上へと自発的に生まれるものでなければならない。

6 これらすべてが実現することは、われわれにとっては、プロレタリアートの真の解放が実現することである。それは、そこにわれわれのすべての努力を傾けねばならない、偉大な唯一の目的である。それゆえにこそ、この努力は、新しい特権をつくり出すためではなく、権利と義務との世界的平等を築くために向けられるものである。

7 労働の大義は国境を知らない故に、世界以外に祖国をもたない。また、世界の働く者すべての満場一致の同意なしには、勝利することはできない。ナポリ労働者連合は、どのような地点の上であれ、同一の目的を定めそれに従って設立された、すべてのグループならびに労働組合と団結する。但し、その際、後者は、その最も完全な自由と自治を放棄することはない」




 ――興味深いことに、二昼夜にわたる長いこの解説番組の末尾もまた、マラテスタの言葉で締めくくられた。

「われわれはインタナショナリストである。われわれは、祖国を全世界に広げるのだ。われわれは、すべての人間がみな兄弟姉妹だと感じ、すべての個人と人間集団に対して、快適な生活、自由、自治を望むのだ。」「われわれにとって、全ての圧迫された者、人類の解放のために闘うすべての人は兄弟である。そして、すべての圧迫者は、つまり、彼らがどこに生れ、どんな言葉を話していようとも、他人を苦しめて自分がよい思いをするものは、敵である」




 世界中は驚愕した。日本はひっくり返った。

大衆は不安を覚えていた。有力者たちは沈黙した。陸海空・海兵の四軍は、革命評議会がほぼ握っていることが明らかになったから。

それでも、霞ヶ浦と厚木の航空隊の一部に、不穏な動きが見られたし、宇都宮と久留米の連隊は「黒匪を討つ」決起寸前を阻止されて、連隊長が責任を取って、それぞれピストル自殺と割腹自殺を遂げた。

割腹といえばこの日、宮城まえの濠端で、陸軍将校七名と民間人三名が抗議の割腹自殺を遂げたが、その中に右翼の大物は含まれていなかった。

また、何の連絡もなしに、霞ヶ浦と厚木から飛来した零戦練習機七機が、東京湾中の艦隊外縁を周回したけれど、「武蔵」上空に接近するに及んで、直掩機の威嚇射撃を浴びて逃走した。

革命日本の誕生を祝う「大和」ほかの祝砲が終日、雷鳴にも似て、東京湾上に轟いた。

夕闇迫るなか、隅田川上空に眩いばかりいくつも大輪の花火が打ち上げられて、時ならぬ川開きとなった。

東京・大阪・京都・名古屋を始め、各地方都市の市街には、銃口に思い思いの花を翳した連隊が繰り出して行進し、革命日本への忠誠を口々に叫ぶと、提灯や小旗を手にした無数の市民がそれに加わって、平和と無血革命を祝う大きな流れとなって、市中を練り歩いた。

自然発生的な盆踊りの大輪の環が、都会の河岸通りや田舎の村村にいくつも咲いたことだった。

全国の辻辻には、

「アナキスト天子、ええじゃないか!」

「えんやらやぁの、えんやらやぁ、革命万歳!」

と唄って、深夜まで踊り狂う若い男女や年齢職業不詳の一団さえ現れた。

こうして毎年五月十日・十一日・十二日は、日本アナーキスト革命を記念する三連休の祝日となった。




94




 しっかりと閉じた目蓋をとおして、明るく白い世界が見える。

何かが動きまわっている。肌を撫でる湿った羽のような感触が過ぎてゆくにつれて、生死の境の緊張にこわばった身体の筋の一本一本が、ほぐれてゆくのがわかる。ヒロトトは薄目を開けた。

全裸の梨枝がおれの左手を持ち上げて、指を一本一本しゃぶり、愛しげに指の股を舐めあげる。全裸の弥生が長い黒髪をふり乱しながら、おれの右足を高く掲げもって、足指を一本一本しゃぶりながら、愛しげに足指の股を舐めあげる。一糸まとわぬ薄い肩の愛子がしゃがみこんで、おれの右の耳朶を悪戯っぽく軽く噛む。一糸まとわぬアナーキスト芸者の圭子がおれの尻肉を両手で分けて、おれの菊座に長い舌を挿しこむ。一糸まとわぬ娼婦の蘭子が神々しい尻を振りながら近づくなり、おれの口をふさいで強く吸いつつ舌を差しいれてくる。一糸まとわぬ妖艶な大柄の美少女、葉子が半勃起したおれの分身を口に含んで、舌を遊ばせながら啜る。さくら色に上気した全裸の奈々が、おれの右わき腹のまだ生々しい傷痕に、薄桃色の唇をひたと圧しつけて、強く吸う。

 刹那、記憶がまざまざと甦った。「武蔵」艦橋下の薄暗い狭い廊下で、雨宮中尉と並んで歩いてきた凛凛しい少尉服姿の奈々と擦れ違った瞬間、くるりと向き直った奈々が、

「ヒロヒト、死ね!」

と、叫ぶなり、幅広の短刀をおれの右脇腹に打ち込んだのだった。おれに何ができただろう? 小脇に抱えこんでいた分厚い生物学の原書で、おれの愛しい脇腹を咄嗟に庇ったくらいのことだった。

恋人の突然の凶行に呆然と立ち尽くす雨宮中尉。おのれがたったいま為したことに愕然としたかのように、黒い眸を大きく瞠ったままの奈々。「ズン」と脳天まで響いた重い衝撃に、分厚い原書を断ち割り、海軍元帥服を切り裂き、下着、皮膚、皮下脂肪、薄い筋肉層をいっきに突きぬけた幅広の刃が、横隔膜をも切り裂いたことをおれは知った。鋭い刃先は内臓にまで達したことだろう。小刻みに震え続ける短刀の柄頭を握ったまま、おれは薄暗い廊下の床に仰のけに斃れこみ、夥しいおのれの血潮がほぼ半分に断ち割られた分厚い原書のページを赤く染め、元帥服を朱に染めて、鉄の廊下に溢れだすのを見た。遠くから駆け寄ってくる水兵たちの靴音が鋼鉄の天井に響く。拡がるおれの血潮のなかに崩れ折れて、おれを覗きこむ奈々の白茶けた顔。それを最後におれの意識はふつりと途切れた。




おまえはおれの心の内を覗きこんだ

  臓腑の闇の底まで――

  誰もおれほどの絶望を抱いてはいない、

  おのれの心の中に。

    (クァジーモド)




 麻酔から醒めたおれの虚ろな眼が厳しい表情の戸張軍医の髭面に焦点を結んだのは、それから一日半経ったころのことだった。侍医の粒良の心配げな顔も並んで見える。おれは「武蔵」の手術室から移されて、同じ艦内の狭いが個室の病室にいた。五十六海軍大将が、聞きもしないおれに、その後の措置を語ってくれた。

共犯の疑いの晴れた雨宮中尉は拘禁を解かれて自室で謹慎中であること。下手人の奈々はいまも厳しく拘禁中であること。その後、海軍将校服に身を固めた葉子、圭子、蘭子、弥生、愛子、梨枝の六人が連れだって、「武蔵」艦橋直下の連合艦隊司令長官室を訪れて、奈々に下されるのと同じ処分を願ってきたこと。

「それで、奈々は?」

「銃殺ですな」

と、こともなげに片目の五十六が言い放った。

「ほかの六人の少女たちも、願いどおりに三日後に銃殺です。それから私山本五十六は一士官に降格していただきたい。アナーキズム原理主義の梶木洋介一派の蠢動に目を光らすばかりで――なにしろ、やつは天皇ヒロヒトの即刻、公開処刑を強く求めていますのでな――奈々を始めとするアナーキスト少女隊長たちの胸の底に秘められた固い決意を見落とした全責任は、一にこの私にあるのですから」

 おまえの降格など問題外と首を振ってから、おれは「銃殺はいかん」と山本に強く言い、七人の少女、こと実行隊七隊のうら若き隊長たちの処分は、侍医の粒良に一任した。そこまでで、おれはまた気を失ってしまった。粒良の粋なはからいに期待したわけだったが、彼がしばしばやりすぎることを、おれとしたことがつい失念してしまっていた。




95




気がつけば、おれは手術三日後にして、すでに個室病棟からも移されて、この「武蔵」貴賓室に寝かされていた。侍医の粒良に呼び出されて、刑の宣告を受けた七人の少女は、唖然とするばかりであったという。ヒロヒト暗殺未遂の罰として、密室でのこのおれ「ヒロトトへの献身的な看護七日間」を言い渡されたのだった。

密室に入れられた蘭子の反応は素早かった。与えられた看護服を脱ぎ捨てるなり、黒い絹の下着もかなぐり捨てて、たちまち一糸まとわぬ生まれたままの姿になった。葉子が微笑みながらそれに倣うと、ほかの少女たちもそれに倣った。まるで「孤独な帝王の成り損ないを癒すにはこれしかない」と諒解したかのような素早さであった。寝台に横たわるこのおれも、夢現のまま、たちまち素っ裸に剥かれてしまったことはいうまでもない。

それからは先に述べたとおりであった。やがて葉子の口中で石のように固く重くなったおれの分身を左手の指二本で扼して引き抜くと、葉子はおれに跨り、おのれの火照った秘密の花園へと導いた。奈々が右手の中指と薬指を重ねておれの菊座を貫いた途端、おれは葉子のなかに長々と精を放っていた。それから休む間もなく、愛子がおれの顔に跨っておのれの潤った秘所をおれの鼻先にこすりつけ、圭子と蘭子がおれの左右の睾丸をそれぞれ口に含んで転がした。柔らかなおれの分身は弥生の口中にしっかと扼されて、早くも半ば勃起していた。やがて弥生の口中で石のように固く重くなったおれの分身を左手の指二本で扼して引き抜くと、弥生はおれに跨り、おのれの火照った秘密の花園のさらに奥の菊座へと導いた。圭子と蘭子がおれの左右の睾丸をそれぞれ力いっぱい握り締め、梨枝が右手の中指と薬指を重ねておれの菊座を貫いた途端、おれは弥生のなかに長々と射精した。

しあげに弥生がおれの生白い下腹に血が滲むまで強く接吻した。あとには赤い星がひとつ、くっきりと徴されていた。

以上が、「武蔵」貴賓室で、第一日目の午前に起きた出来事であった。




 第二日目の午前中は何事もなかった。

おれは回復途中の身体が要求するままに、うとうとと惰眠を貪っていた。この貴賓室の外で、この「武蔵」の外の世界で何が起こっていようと、まるで知ったことではなかった。

正午には、うぶな従兵たちが顔を真っ赤にしながら食卓にところせましと並べていった洋食のフルコースを、あまさず平らげる健啖ぶりを彼女たちは示した。むろん、全裸のままである。あたかも時の主力艦にして連合艦隊旗艦たるこの「武蔵」のいかめしい艦橋直下に、突如としてヌーディスト村が現出したかのようであった。そしてこのおれヒロトトには、全裸の梨枝が薄い粥をスプーンで掬って呑ませてくれただけだった。

食後の一服も終えようかというころ、彼女ら全裸の天使たちがまたもおれを襲ってきた。

全裸の葉子が左手を持ち上げて指をしゃぶり、愛しげに指の股を舐めあげる。愛子が右足を高く掲げもって足指をしゃぶり、愛しげに足指の股を舐めあげる。梨枝がしゃがみこんで耳朶を悪戯っぽく軽く噛む。蘭子が尻肉を両手で分けて菊座に舌を挿しこむ。弥生が尻を振りながら近づくなり、おれの口をふさいで強く吸いながら舌を差しいれてくる。奈々が半勃起したおれの分身を口に含んで舌を遊ばせながら啜る。圭子がおれの右脇腹のまだ生々しい傷痕に唇をひたと圧しつけて強く吸う。やがて奈々の口中で固く重くなったおれの分身を左手の指で扼して引き抜くと奈々はおれに跨り、火照った秘密の花園へと導いた。圭子が右手の中指と薬指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは奈々のなかに長々と精を放っていた。

それから休む間もなく、梨枝が顔に跨って、潤った秘所を鼻先にこすりつけ、蘭子と弥生が左右の睾丸をそれぞれ口に含んで転がした。柔らかなおれの分身は、愛子の口中にしっかと扼されて、早くも半ば勃起していた。やがて口中で固くなったおれの分身を左手で扼して引き抜くと愛子はおれに跨り、火照った秘密の花園のさらに奥の菊座へと導いた。蘭子と弥生がおれの左右の睾丸をそれぞれ力いっぱい握り締め、葉子が右手の中指と薬指を重ねておれの菊座を貫いた途端、おれは愛子のなかに長々と精を放っていた。

しあげに愛子がおれの生白い下腹に、菫色に変色した一つ星の隣に、血が滲むまで強く接吻した。あとには赤い星が一つ、くっきりと徴されていた。

以上が「武蔵」貴賓室で第二日目の午後に起きた出来事であった。




96




 第三日目も夕方までは何事もなかった。

葉子が薄い粥をスプーンで掬って呑ませてくれながらおれに語ったことによると、奈々の銃殺が瀕死のヒロトトの一言で取り止めになったと知った途端、あの原理主義の梶木までが、希少型のおれへの献血の列に加わったそうだ。

「きみの深い人類愛には敬服するね」

と、髭をしごきながら軍医の戸張大佐が揶揄すると、

「あいつにいま死なれては、公開処刑もままならぬからな」

と、いかにも片意地な梶木らしい返事が返ってきたそうだ。

それゆえ、いまこのおれの体内には、皇統二千年の貴種の血に加えて、アナーキスト最強硬派梶木の血までが、流れていることになる。いかにもヒロヒトならぬヒロトトらしくはなってきたものだ。

食後の一服も終えようかというころ、彼女ら全裸の天使たちがまたもおれを襲ってきた。奈々が指をしゃぶり指の股を舐めあげる。梨枝が足指をしゃぶり足指の股を舐めあげる。葉子が耳朶を軽く噛む。弥生が尻肉を両手で分けて菊座に舌を挿しこむ。愛子が口を塞いで強く吸いながら舌を差し入れてくる。圭子が半勃起した分身を口に含んで舌を遊ばせながら啜る。蘭子が右脇腹の生々しい傷痕に唇をひたと圧しつけて強く吸う。口中で硬くなった分身を左手で扼して引き抜くと圭子はおれに跨り花園へと導いた。蘭子が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは圭子のなかに精を放っていた。

それから休む間もなく葉子が顔に跨って秘所を鼻先にこすりつけ、弥生と愛子が左右の睾丸を口に含んで転がした。柔らかなおれの分身は梨枝の口中にしっかと扼されて早くも半ば勃起していた。やがて口中で硬くなった分身を左手で扼して引き抜くと、梨枝はおれに跨り、花園のさらに奥の菊座へと導いた。弥生と愛子が左右の睾丸を力いっぱい握り締め、奈々が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは梨枝のなかに精を放っていた。

しあげに梨枝がおれの生白い下腹に、菫色に変色した二つ星の隣に、血が滲むまで強く接吻した。あとには赤い星が一つ、くっきりと徴されていた。以上が「武蔵」貴賓室で第三日目の夕方に起きた出来事であった。




おれは独りっきりの男、そして

ただ独りだけの地獄だ。

         (クァジーモド)

97




 第四日目も深夜までは何事もなかった。

昼ごろ、発艦する零戦隊の轟音が、鋼鉄の壁越しにひときわ耳を衝いたくらいのことであった。

就寝まえの一服も終えようかというころ、彼女らがまたもおれを襲ってきた。

圭子が手指をしゃぶり指の股を舐めあげる。葉子が足指をしゃぶり足指の股を舐めあげる。奈々が耳朶を噛む。愛子が尻肉を分けて菊座に舌を挿しこむ。梨枝がおれの口を塞いで吸いながら舌を差し入れてくる。蘭子が半勃起した分身を口に含んで舌を遊ばせながら啜る。弥生が右脇腹の生々しい傷痕に唇をひたと圧しつけて強く吸う。やがて口中で硬くなった分身を扼して引き抜くと蘭子はおれに跨り花園へと導いた。弥生が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは蘭子のなかに精を放っていた。

それから休む間もなく奈々が顔に跨って秘所を鼻先にこすりつけ、愛子と梨枝が睾丸を口に含んで転がした。柔らかなおれの分身は葉子の口中にしっかと扼されて、早くも半ば勃起していた。やがて口中で硬くなった分身を扼して引き抜くと葉子はおれに跨り菊座へと導いた。愛子と梨枝が睾丸を力いっぱい握り締め、圭子が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは葉子のなかに精を放っていた。

しあげに葉子がおれの生白い下腹に、菫色に変色した三つ星の隣に血が滲むまで強く接吻した。あとには赤い星が一つ、くっきりと徴されていた。以上が「武蔵」貴賓室で第四日目の深夜に起きた出来事であった。

 第五日目はまる一日、何事もなかった。

ただ昼ごろ、対空砲の連続発射音が鋼鉄の壁越しにけたたましく鳴り響いたくらいのことであった。おれは眠りに眠った。

 第六日目は、まだおれが深い眠りから覚めやらぬ夜明け前に、彼女らが襲ってきた。

蘭子が手指をしゃぶり股を舐めあげる。奈々が足指をしゃぶり股を舐めあげる。圭子が耳朶を噛む。梨枝が尻肉を分けて菊座に舌を挿しこむ。葉子が口を吸いながら舌を差し入れてくる。弥生が半勃起したおれを口に含んで舌を遊ばせ啜る。愛子が右脇腹の傷痕に唇を圧しつけて強く吸う。口中で硬くなったおれを引き抜くと弥生はおれに跨り花園へと導いた。愛子が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは弥生のなかに精を放った。

それから休む間もなく圭子が顔に跨って秘所を鼻先にこすりつけ、梨枝と葉子が睾丸を口に含んで転がした。柔らかなおれは奈々の口中にしっかと扼されて、早くも半ば勃起していた。やがて口中で硬くなったおれを引き抜くと奈々はおれに跨り菊座へと導いた。梨枝と葉子が睾丸を握り締め、蘭子が指を重ねて菊座を貫いた途端、おれは奈々のなかに精を漏らしていた。

しあげに、奈々がおれの生白い下腹に、菫色に変色した四つ星の隣に、血が滲むまで強く接吻した。あとには赤い星が一つ、くっきりと徴されていた。以上が「武蔵」貴賓室で第六日目の夜明け前に起きた出来事であった。

 第七日目の午前中に何が起きたかはもう書かぬ。

七人の全裸の天使たちが七人の小悪魔と魔女にいきなり変身したかのような凄絶な性の嵐の正餐とはなった。

ただこの日を境に、おれは天皇ヒロヒトと完全に決別し、全人格的に革命家ヒロトトとなって復活した。右脇腹にはいまだ血を滴らせる傷口を抱え、下腹には新たに菫色の七つ星が、奈々ら七人のアナーキーな天使たちの執拗な接吻によって徴された。

「これは《聖痕》よ」

と、呟く葉子の眸には、初代アナーキスト革命評議会議長への信頼が溢れていた。




おまえの光に難破しておれは生まれ出る、

澄みきった水の夕べだ。

  (クァジーモド)

98




 さて、「旭日丸」に戻った安東実はただ独り、だだっ広い船員食堂の片隅で深夜、緑色のランプのほの暗い光をこけた片頬に浴びながら、沈思し続けていた。

長く伸びた彼の影が船員食堂の薄い闇を、揺れながら七分の一ほども、長三角形の濃い闇で切り取っていた。

――進行中の革命の過程において、政体の暫定的な形態は、いくどもその姿かたちを変えながら、あと十年、二十年は続くことだろう、突発的な何事も起こらなければ。しかし予期に反した突発的な何事かは必ず起こり、革命は激化し、その速度を速めることだろう。

――革命評議会議長の任期は四年、再選はない。四年後の一九四六年には、ヒロトトはただの天皇となる。そのときには政治的権限は一切ない。ヒロトトが死ねば、天皇家の世襲・存続は許されるだろうが、一切の政治的・宗教的権限は認められない。かわりに天皇一家は国税だけは免除される。それは特権と呼べば呼べるだろうが、参政権の放棄と引き換えの免税であるから、むしろ差別に等しい。こうした差別が解消されるためには、日本人一般に対する天皇家特有の喚起力一切が無に等しくなる日を待たねばならない。

 ――四年後の革命評議会議長選任、あるいはヒロトトの死を待たずに、日本は大揺れに揺れることだろう。いまは元首が突如「おのれはアナーキストである」と表明した変事への対応に大童なだけだが。彼が初代議長となった革命評議会が一切の政策を決定してゆくことに、資本家を始めさまざまな勢力がどのように反応するのか、これは見ものだ。

 ――革命評議会が直轄する陸海空海兵四軍の統率に乱れは生じないだろうか? 今回の勝利で、あの片目の五十六は早や軍神並みの人気を集めている。海軍は五十六の統率の下にまず大丈夫だろう。陸軍はいずれ佐官以上の総入れ替えが必要だ。必ずや叛乱・抵抗が起きるだろう。そのときが好機だ。完全な革命軍に変身させねばならない。新生の空軍は若手の源田などに任せて五十六の気が知れないが、思想的に問題のある男も使いようではある。思想的な偏向を衝けばいつでも革命空軍からおっ放り出せる。新編の海兵軍はこの革命評議会と誕生の歴史を同じくする直属軍だ。島嶼戦を得意とするこの軍の存在が、内乱の防止と米ソの重圧を撥ね退けるのに、多少とも役立つことだろう。

 ――秘密結社《シリウス》は厳に秘密結社として存続する。外部との接触を保たざるをえない外縁部はともかく、その核心部は今後百年間続く継続革命の白熱したダイナモたり続けねばならない。第一~四十七戦闘団はもとより国内外の各界・各層に散在・潜伏する秘密結社員の多くに、継続するアナーキスト世界革命の大義のために、更なる自己犠牲が求められることになる。           

――密かに戦闘団を束ねる和平小委のコック松井、結社外の同伴者・ブレーンを統括する粒良、海軍の片目の五十六、旧体制すべてを一気に敵対化させてしまわないための鎹ヒロトト、革命軍の戦略・育成を担う軍事小委の葉子、闇の戦闘団(第四十八~五十戦闘団)を掌握する永続革命小委の白浜昴、そして結社員すべてを把握している書記のおれ、この七名が持ち回り集団指導部の現メンバーだ。果たしてこのメンバーであと何年間続くことか。

――奈々の兄、陸軍大尉佐々木七郎はダブルスパイだった。七郎が黒竜会に流した数多の情報は、正確だが、結局は瑣末なものだった。これに対して、土壇場で七郎が《シリウス》に齎した唯一の情報は、東条英機爆殺・一斉蜂起目前の戦闘団の死活を握る決定的な極秘情報だった。これに気づいた黒竜会側が刺客を放ったのだ。いや、それとも?

 ――この間に半ば公然化してしまった《シリウス》実行隊七隊は拡大・改組して〈革命防衛隊〉として革命評議会〈幹部会〉の直属部隊となし、揺籃期の革命を揺るぎないものとする一助にせねばなるまい。あと三隊の影の実行隊は、このまま相変わらずおれの直接指導下に置いて、革命の風化・堕落に眼を光らせるほかはない。このおれが風化・堕落すれば、おのれ自身を処断するまで。革命のさなかにあって、心を開いて誰とも語り合えない、権力の孤独とはそうしたものか。




99




まだまだ先のことではあったが、ようやく休戦なって陸海の将兵が内地に帰還してみれば、故郷の山河に変わりないものの、人心、風潮は一変し、まるで異郷を彷徨うがごとくであり、激烈なインフレのなか、現人神はすでになく、人間天皇ヒロトトをめぐって、政変の危機が続発していた。

《いったいおのれは何のために戦ったのか? 戦友たちは何のために死んでいったのか?》

と、復員兵たちは問い、時の為政者たちへの怒りを露わにするのだった。




 いまのところ内地では、戦時下とは到底思えぬような変革を、天皇ヒロトトは勅令によって次々に明示、政府はその実施と対応、つまりは旧来の現行法との辻褄合わせに追われていた。

一部、強硬な反対派は力で押さえつけるしかなかった。「青紙」の発行は「赤紙」と拮抗し、左右政治テロルの嵐が国内に荒れ狂った。警察力は低下し、治安は悪化した。それでも貫太郎内閣は、たとえば、先にも触れたかも知れないが華族制度を廃止し、日本から貴族を消滅させた。

ただし、これまで付随した特権が皆無となったことさえ諒解できるなら、本人が望めば公侯伯子男の称号を用い続けることは一向に差し支えないし、かつての賎民・乞食がおのれは伯爵、男爵だと公言しても、明白な詐欺行為の無い限り、まったく自由とされた。こんなことも国内の混乱にいっそう拍車をかけていた。社会の深層で、確かに何かが変わりつつあった。

当然、枢密院・貴族院は廃止され、衆議院のみの一院制にするのか、二院制を存続するのなら、貴族院に代わるものは何か、論議が喧しくなった。




そんななか、鈴木貫太郎首相は初めて実効を伴う和平策の第一歩を現実のものとした。

親英家の生意気な吉田茂を特命全権大使として抜擢してハワイへ派遣したのだった。

むろん、米政府とも困難な状況下、それだけは何とか話を付けて、米側からはアス上院議員とファック上院議員の両名が、同じく特命全権の使命を帯びて、ハワイへ飛来することになった。激しく交戦中の日米両国が、ひとまずは休戦成立の成否を賭けて、和平の条件交渉にホノルルで火花を散らす異例の事態とはなった。




 突然、連絡を受けた南雲総督代行は慣れぬことゆえ慌てたが、とりあえず、

「米使節団を乗せた特別機の安全通過を厳守するよう」

在ハワイの陸海空三軍に命じたのであった。

吉田茂の名前を聞いたとたんに苦虫を噛み潰したような顔つきになった南雲忠一であったけれど、そんな南雲にも嬉しい知らせが待っていた。

「川田順七がハワイ総督として赴任、吉田一行と同道して明十五時に二式大艇で飛来する」

幼馴染みの順七に、電光石火で引継ぎを済ませた南雲は、翌早朝にはふたたび艦上の人となっていた。

速成空母一号艦「南天」(旧米戦艦「カリフォルニア」)の吹き曝しの飛行甲板で、二箇月あまりに及んだ陸暮らしで鈍った身体を叱咤するかのように背筋を伸ばした忠一は、隣の僚艦「東天」(旧「メリーランド」)を眺めやっては、ともに着発艦・飛行訓練に励む零戦隊の若者たちに目を細めていた。

三号艦「青海」(旧「オクラホマ」)、四号艦「青天」(旧「ウエストバージニア」)の改装工事完了は遅れて、今月末にずれ込みそうであった。五号艦「北天」(旧「ネヴァダ」)の完成はさらに遅れて三月半ば、内地に回航した六号艦「北洋」(旧「テネシー」)、七号艦「南洋」(旧「ペンシルバニア」)などに至っては、再回航されてくるのは四月半ばだという。

そんなには待っていられない。飛行隊員の練成が済み次第、この「南天」と「東天」の二艦を率いて、南雲としては南太平洋に打って出る肚だった。

大型ながら旧戦艦並みの低速で、攻撃型空母としては使えず、作戦・運用上に制約はあったが、護衛・運搬・中継ぎ空母としては申し分なかった。速成空母全七隻が南雲艦隊として編成・実戦配備が成るのは、早くて六月半ばのこととなろうが、それはそれで構わなかった。

「南天」と「東天」、それに「青海」がつい先ごろまで入っていた三基の急造ドックには、アメリカ西海岸沖の海空戦で大損傷を受け、本隊よりも一足早く帰還した「翔鶴」「赤城」「加賀」がいまは入っている。

損傷空母と中小破した「夕張」や駆逐艦など小型・高速艦の補修・整備が優先されて、同じく中破、帰還した「長門」「伊勢」「霧島」の補修・整備は後回しにされて、ドックの空き待ちで、いまは真珠港内に停泊している。

それでも、内地に回航、補修・整備後に再回航されてくるよりは、まだ早いのだという。戦況次第では「伊勢」一艦は空母への大改装のために内地へ回送してもよいのだが、いまはその時期ではない。




100




 奈々はまどろんでいた。

暑いくらいの陽射しのなか、海岸近くの公園のベンチに腰を下ろして、潮風に吹かれながら、若い父親が幼い子どもと芝生でボール遊びに興ずるのを、見るともなしに眺めていた。

ふと逸れたボールはそのままに、子どもが父親に向かって突進し、その股座に頭を突っ込んだ。父親は子どもの両足首を握って、高々と天に差し上げた。子どもの嬌声が湧き上がる。

あたしにもあんなときがあった。近所のおじさんに何度もせがんだものだった。不思議なのは、あのころ感じた強烈な喜びを意識する意識と、ベンチで所在無くいま坐っているこの自分を意識する意識とが、何の切れ目もなしにまったく連なっていることだ。

いまは大人なのに、身体を苛む疲労や、やがて訪れる老いさえも、意識は蒙ることがない。疲労や老いをこの意識が蒙るとしても、それを意識する意識は、疲れても老いてもいない。

世間のひとは、そうした意識を精神と呼び、魂と呼ぶのだろうか? 

ならば、あたしの意識、精神、魂は疲れず、老いもせず、永遠に若く、不滅だ! 

上空に雲が吹き寄せられ、柳の葉がそよいで、ふと陽射しが翳る。

まどろみのなかで奈々は、このまどろみが束の間ではなく、永遠に続くことを、いつしか願っていた。




あたしたちアナーキストの村では、お金は要らない。土地はみんなのもので、みんなで一緒に耕して、収穫物を分かち合う。働くことは、休むにも似て、友愛のお祭りだ。そして愛とは、あらゆる所有欲を免れて、身も心も投げ出すことだ。そうした愛から生まれた子どもたちはみな、村ではみんなの子供だ。家族はない。家族こそは既成社会というペテンの最初の結び目なのだ…… 国家どころか、あらゆる権威、あらゆる権力が、あたしたちアナーキストの敵なのだ。




七郎兄を殺したのは、このあたしではない――と、奈々はおのれに言い聞かせていた――あれは五十六に使嗾された殺し屋〈柳〉の仕業だったのだ。どうしてこのあたしが、懐かしい七郎兄を殺すことなど、出来ようか。懐かしい七郎兄さん、まもなくあたしもあなたのおそばへまいります。




数多の殺戮、その波また波のなかに、個々の人間の営為は溺れさり、いまは陸軍大尉佐々木七郎の不可解な死の謎もまた、埋もれようとしていた。




101




 「陸奥」へ帰ったその夕べ、梶木中尉は風邪を引いて、寝込んでしまった。

高熱を発したものの、下痢でないだけ、まだしもだった。熱に浮かされながら、明け方近くに、中尉は立て続けにいくつか、不思議な夢を見た。

――天皇であると同時にアナーキスト革命評議会議長となったヒロトトは、皇居へ取って返し、ただちに声明を発した。

「内閣政府メンバーは、とりあえず現行のままでよい。ただし、行政府は、革命評議会の打ち出すもろもろの施策の、単なる実行機関である。今日ただいまより、陸海空・海兵四軍は、革命評議会直属の軍隊である」

革命評議会のメンバー百二十五名は皇居でヒロトトと起居を共にし、濛濛とたちこめるタバコの煙のなか、徹夜で議論を戦わせた。あの「武蔵」水兵大食堂での場面の再来であった。白熱した議論に疲れると、みな冗談口を叩くのだった。

「かつて古代に、天皇が神道から仏教に鞍替えしたように、現代にいたって、天皇が国家神道からアナーキズムに鞍替えしたって、なんの不思議のあるものか。民衆も、軍隊も、ついてゆくぜ!」

「おいおい、そのうちに国家仏教ならぬ国家アナーキズムが誕生して、アナーキズムの変質が始まるのじゃないか? 原始キリスト教が公認されて、ローマ・カトリシズムへと変質していったように!」

「いや、アナーキズムの変質ならば、とっくに始まっている。そもそもおれたちは、この戦争阻止のために、とっくにおのれを擲って、斃れていなければならなかったのだ。それを結社の方針で、いまのいままで隠忍自重してしまった。だからこそ、おれたちはいま、アナーキズム変容の現場に立ち会わざるを得ないのさ!」

やがて粒良の統括するブレーン十四名・同伴者五十六名が会議に加わると、いくつもの分科会に分かれて、議論はより具体的、実地に即したものとなっていった。

「そうさな、とりあえず早急に、男女同権・普通選挙の即時実施、明治憲法の廃棄と新憲法の制定……」

「まず何よりも、農地解放、徴兵制の廃止、寄生地主・山林地主・網元制の解体、財閥解体、労働組合・工場評議会・自治体の育成……」

「それから、全国の鉄道・道路網・上下水道の整備、教科書の無料化、無料学校給食の完全実施、電化と電話の普及…… やるべきことは、まだまだあるわ!」

革命評議会が次々に打ち出す施策の数々に、愚直に実施に奔命した貫太郎内閣はやがて瓦解し、代わって老獪な吉田茂が三度も組閣した。

「根っからブルジョア気質の、あの吉田茂を、あたしたち革命集団が行政に旨く使いこなせたら、それこそ奇術師も顔負けよ!」

「しかし、それはもう、革命とは、関係ないんじゃなかろうか?」




 大きなくしゃみをして、洋介は「陸奥」艦内の一室で、目を覚ました。

戦闘艦の中ではなく、まるで白い繭の中にいるかのように、あたりに薄い白い闇が立ち込めていた――

「ともあれ、こちらの世界では、一九四二年三月半ばまでに、日本は、太平洋戦争に勝利したんだ」

「なるほど、東京ほか一部の地方都市で、反動勢力による小規模な反乱こそあったけれど、米ソに必ずやつけ込まれる全面的な内戦だけは、なんとか避けられたじゃない!」

「天皇ヒロトトを議長とする革命評議会主導で、緩やかにアナーキスト革命が進行し、広島・長崎に原爆は落ちず、財閥がすっかり解体され、農地はくまなく解放されたわ!」

「それにあの万衆国だが、中ソの重圧に耐えつつ、ユダヤ人活躍の成果もおいおいと上がって、経済発展も著しいぞ。しかもヴェトナム・朝鮮は、南北に分割されることなく、革命日本の影響圏にあって、比較的血も流さずに独立を達成した。それゆえ、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、カンボジア内戦の悲劇は生まれなかったんだ」

「大量のユダヤ難民を万衆国が受け入れ、優遇しつづけたからこそ、万衆国内にイスラエルが建国されたも同然となり、彼らが中東でパレスティナ人の土地を奪うには至らなかったのね。むしろ、彼らは満州でアジア人と共存したように、中東でもアラブ人と共存する道を選んでいるわ!」

「そうよ、だから、鬼っ子の軍事国家イスラエルが中東に誕生し、米帝と結託して、暴虐無惨を恣にすることはなかった! むろん、二代目ブッシュがバクダッド爆撃の愚挙に出ることも、その尻馬に乗って小泉何某が、自衛隊を中東に派遣するようなこともなかったわけね?」

「あいにくと中国は、いまだに華北・華中の中華人民共和国、東北の万衆国、華南の中華民国と三分立の形だけれども、それなりに安定を見たというところか?」

「インドはいち早く独立を達成して、大英帝国主義の分割統治の後遺症から脱しようと苦闘している。ビルマ、ラオス、インドネシア、台湾は独立し、フィリピンは独立後の対米関係を模索中。ハワイ新王国はね、米帝国主義者たちの誘惑を撥ね退けて、いまは多民族による独自の文化圏を構築中よ!」

《おれはおれの知らないことを知っている。目を覚ました夢を見ただけのことだった》

梶木中尉は高熱に浮かされながら、朝方の夢のなかで呟いていた。

「陸奥」の小さな丸い舷窓の外では、カモメが飛び交い、上空の強い風に白い雲が次々に吹き飛ばされていった。




102




 熱に浮かされながら「陸奥」の一室で、梶木中尉が次に見た夢は、短かったが、めまぐるしく、さらに荒唐無稽であった。

白い繭の塒のなかで、蛹となったおのれを、中尉は感じていた――

「太平洋戦争と呼ばれたこの一戦は、一九四二年四月二十五日の日米講和条約の締結をもって終了せず、さらに三年余りも続いて、その間にわが軍はミッドウェイ、ガダルカナルで苦杯を舐め、インパール作戦は大失敗に終わり、サイパン、マリアナと敗退を重ね、硫黄島を失い、レイテ戦、沖縄戦に突入し、多くの将兵が玉砕するなか、数多の島民が犠牲となり、特攻機の勇戦も空しく、しまいには広島・長崎に原爆を落とされて、日本は無条件降伏を余儀なくされてしまった!」

「その間、東京下町は四方を天を衝く焔の壁で囲まれて、その中にB29から降り注ぐ焼夷弾で、逃げ惑う数万の市民が、まったく意図的に焼き殺されたわ」

「焔に捲かれて濠端まで辿りついた数多の臣民を、宮城の門戸を鎖して、あたら見殺しにした外道が、〈朕〉とその輩だった」

「勤労奉仕に狩り出されて、やつらの防空壕を宮城内に掘った女学生の多くも、その濠端で焼け死んだわ」

「次には山の手が狙われて、倍する市民、老若男女が焼死している。東北沿岸は米艦隊の艦砲射撃に曝された。結局、日本は米軍に占領されて、現人神は一転、人間天皇となって生き恥を晒し、あの臆病で尊大なマッカサーが日本に君臨するのよ!」

「連合艦隊はどうしたのだ?」

「とうに壊滅しているさ」

「『陸奥』は?」

「とうに謎の爆沈を遂げているわ」

「このおれは?」

「おまえなんぞ、いもしなかったんだ」




 とうに朝だというのに、冷たい汗にまみれて何度も寝返りを打ちながら、「陸奥」の一室で、梶木洋介はまたも夢を見ていた。

しかし、最前までの意識の白い繭は、内側からなんとか喰い破れたかのようであった。まだ唇に喰い破った繭の欠片が貼りついているかのように、洋介は口をもごもごと動かし続けている。

――天皇ヒロヒトを宮城前広場で公開処刑したのは、三日前のことだった。銃殺隊の指揮はこのおれが執った。ヒロヒトは胸をはだけて、

「おれはアナーキスト・ヒロトトだ! さあ、撃て!」

と、叫んだ。

銃殺隊の兵士たちにとっては、天皇よりは一アナーキストを撃つほうがまだ容易かったのだろうか? ヒロヒトはたちまち蜂の巣となってどうと倒れた。

「撃て!」と命じたこのおれは、天皇ヒロヒトだけを屠りたかったのに、現実にヒロヒト処刑を果たしてみれば、それは同志ヒロトトをも倒すことになって、愕然としていた。

《シリウス》第七戦闘団三十名と実行隊中七十七人を中核とする同志七百五十名を結集して、革命評議会〈幹部会〉を急襲、全員を逮捕し、革命評議会のヘゲモニーを握ったのは、ヒロヒト処刑のつい前日のことだった。〈幹部会〉を支持する仲間たちは去っていった。それは仕方がない。

誤算だったのは、麻布連隊の動向だった。全国初のアナーキスト連隊となった麻布連隊は、天皇にして革命家ヒロトトに忠誠を誓っていたのであって、真正アナーキストのおれたちにではなかった。

おれたちだけでは広すぎる皇居を相変わらず占拠していたおれたちは、昨夜来の麻布連隊の猛攻に、ひとたまりもなかった。激戦のすえに、皇居は炎上し、生き残ったおれたちは凌辱の限りを尽くされて、そしていまは焼け残った濠端の松の木の一本一本にぶら下がっている。

飛び出たこの眼も、やがて上空を群れ飛ぶ烏たちが、啄ばんでゆくことだろう。

濠を渡って石垣を吹き上げてくる一陣の風に、おれの身体はぐらりと揺れた。太いロープの喰い入った首は、不自然に右肩にくっついて捩れたままだ。

こうしておれはやっとアナーキスト革命の大義を貫くことが出来た。断じて天皇制を容認できようはずがない、おれたちは。

傍らの松の木にぶら下がるか細い奈々の身体が、「そのとおりだわ」と言うかのように、風にそよぐ。おれの心は安らぎ、青い風と一体となって、海へと流れていった。




そこにひとりの死者が置いてゆく、

ありとある事物の中心に、

晴れた空と、海の風と雲とを。

    (クァジーモド)




103)




 ほぼ二年後、ジュゼッペ少年と新庄青年は、イタリア北東部フリウーリ地方で、不思議な邂逅を遂げた。

「これがイゾンンツォ川/ここでぼくは/思い知ったおのれが/この宇宙の撓めやすい/一本の繊維にすぎぬことを」

と、詩人ウンガレッティが激戦のなかで歌ったあのイゾンツォ川を遡り、アルプスに列なるカールニア山系に分け入った日本人アナーキスト九名は、共産党系ユーゴ派パルチザンの騙し討に遭って斃れる寸前の行動党系パルチザン少年グィードを、その生き残りの仲間七人ともども助ける羽目になった。

その際、ユーゴ派数名をやむをえず死傷させてしまっていたから、こんどは日本人アナーキスト九名と行動党系パルチザン八名が、ユーゴ派数十名に三日間にわたって包囲されてしまった。銃を手に、雪穴のなかで、夜を明かした最後の夜のことだった、グィードの兄が青年詩人パゾリーニであることを新庄が知ったのは。おのれが斃れた場合のことを考えて、グィード少年は兄ピエール・パーオロへの伝言を新庄に託したのだった。

三日目に血路を開こうと、眦を決して新庄以下十七名が雪を払って立ち上がったそのとき、谷間に銃声が鳴り響き、ユーゴ派はあっけなく撤退していった。少数ながら尾根尾根に巧みに身を隠して配置に就き、ユーゴ派を追い払った部隊があったのだった。

どうやら始めから一部始終を観察していたらしいその小部隊の隊長に、感謝の手を伸ばした新庄が心底驚いたことに、悪戯っぽく笑っている目のまえの男こそルーポ・ネーロ(黒い狼)、あのジュゼッペ少年であった。少年ながら力量に秀でて、ハワイでは思うさま日本兵を翻弄して見せたあの少年が、イタリア系米国人アナーキスト二十九名を率いて、いまここまで転戦して来ていたのだった。

深夜密かにサンレモ近くの浜に上陸して、一時はルーポ・ロッソ(赤い狼)率いるガリバルディ旅団の一支隊とともに、フランス国境付近の峠で、ドイツ軍の車列を襲ったこともあったという。

しかし待伏せ攻撃そのものには成功したものの、その後、支隊のキム政治委員と基本的な政治路線で悉く対立し――それはそうだろう――共産党系の部隊とは袂を分かったのだという。やはり黒い狼と赤い狼では、反りが合わなかったのかも知れない。

以来、彼らはランゲの丘という丘では、ドイツ・ファシスト兵相手に、パルチザン〈ジョニー〉ことベッペ・フェノッリオの属する〈青〉部隊とともに戦い、パヴェーゼの生まれ故郷サント・ステーファノ・ディ・ベルボを経て、アオスタ渓谷、チェルビーノ(マッターホルン)南麓と、ナチ・ファシスト軍相手にクルーシャル・ポイント(正念場)では一歩も退かずに、一年余りも勇戦してきている。

いま彼らは、朝日を浴びて氷河が薔薇色に耀くモンテローザ(薔薇色の山)山麓を迂回して、スイス国境付近に向かうところだという。

新庄は即座に決断した。日本人アナーキスト九名と行動党系パルチザン八名、それにイタリア系米国人アナーキスト三十名は合同して、ナチ・ファッショ軍相手に戦うべきなのだ。

ここに隊長ルーポ・ネーロ、副長新庄博、以下四十七名のアナーキスト国際部隊〈ルーポ・ドーロ〉(黄金狼)が誕生した。

神出鬼没の彼らは、アルプス南麓の峠という峠で、ドイツ軍補給隊の車列に甚大な被害を与えながら移動、やがてスイス国境近くで、ひっそりとした周辺一帯の町々や村々を繋げて〈アナーキスト共和国〉を建設する運動に深く共鳴、軍事的側面からの援護を惜しまなかったが、戦後はおのおの気に入った町や村に定住して、こんどはおのれも住民の一人として、国際アナーキスト町・村の実現に尽力することになるのだった。

いまも彼らはそこここで、ひっそりと幸せに暮らしているとのことである。

いや、彼らのうち何人かは、人類の未来のために、更なる闘いの場を求めて、あるいは単に世界を流浪彷徨するために、ふたたび旅立っていったという。ルーポ・ネーロも、新庄も、そうした一人だった。




104




 一九四四年九月三日、革命日本政府はヒットラーのドイツとその傀儡であるムッソリーニのサロ共和国に突如、宣戦を布告して、小艦隊をヨーロッパ戦線に送った。

「鳳翔」を旗艦に、「夕張」率いる「如月」「陽炎」など駆逐艦十隻からなる水雷戦隊、それに補給艦三隻が随伴する、小ぢんまりした艦隊であった。

「鳳翔」には零戦隊の名物飛曹、山際三郎やあの川名少尉と大河原少年整備兵、「如月」「陽炎」の二艦には竹山と一色の両少尉などが乗組んでおり、こんどこそはアナーキズムの大義に適うこの一戦に、それぞれ勇戦したことは言うまでもない。

それにもましてこの小艦隊の各艦には、志願した旧陸戦隊と陸軍のアナーキスト正規兵七百五十名が分乗していた。

この〈アナーキスト義勇軍団〉七百五十名は、一隊七十五名ずつの十隊に分かれて、洋上の合同地点にあらかじめ待機していた伊号潜隊十隻に移乗して、水上艦隊とは別行動をとって地中海へ入り、サルデーニャ島、コルシカ島を右舷に見てリグリア海を北上、パルマーリア島の間歇的に煌めく灯台の光に導かれて、ラ・スペツィアからジェーノヴァにかけて深く海に落ちこむ狭間に築かれた町々レ・チンクェ・テッレ(五つの土地)、その五つの灯の塊りを頼りに、闇のなかにもなお黒ぐろと蟠る五つの岬に、深夜、土地の漁師たちの手引きで二隊ずつ極秘に上陸したのだった。

砂に埋もれた青白い美神にも似て仄かに光る烏賊の骨を踏みしめながら、彼らは上陸した。深い眠りに静まり返る町々の脇を〈ルーポ・ドーロ〉隊員の案内ですり抜けた彼ら革命兵士たちは、アルプス南側の支脈に連なり海岸線に迫る険しい丘陵地帯に即座に分け入り、翌朝から現地の各イタリア・パルチザン部隊と連帯して、ナチ・ファシスト軍相手に苛烈なパルチザン戦を展開した。

〈モンテロッソ〉(赤い山)を後にした陸戦隊員林純一の一隊と〈ルーポ・ドーロ〉隊は山中で他の隊と合流すると、地元のパルチザン代表もまじえて、さっそく作戦会議を開いた。

〈ラ・チカーラ〉(蝉の家)で、敬愛する詩人モンターレと邂逅したグィード少年が、カールニア山中の苦しいパルチザン戦でも肌身離さなかった一冊を取り出すと、おのれの詩集を懐かしげに手にとって開いた詩人は、思わず唸り声を発した。

なんと、中身が拳銃形に刳り貫かれていた! 

開かれたそのページの詩篇を、すかさずグィード少年が涼やかな声で暗唱して見せると、詩人は目を瞬かせた。グィードが単身、拳銃一挺だけを詩集に忍ばせて、兄パーオロに見送られて北のアルプス山岳地帯に向かい、パルチザン戦に身を投じてから、すでに半年近くが経過していた。

「ドイツ軍の装甲列車が、今朝方トリーノに向かう沿線で、先発の軍用列車を襲撃中のパルチザン部隊を捕捉、大打撃を与えた。明日には、またこちらへ向かって来るらしい」

と、その場で、たまたま隣に居合わせたラヨロが口を挟んだ。みなが顔を見合わせると、ダヴィデが続けた。

「装甲列車の備砲はむろんのこと、連結した無蓋車から降りて線路沿いの道路に展開した重戦車三輌まで、砲口を揃えて、崖上のパルチザンを猛撃した」

「ならば、その手強いドイツ軍装甲列車を、まず屠ることにしようじゃないか」

衆議は一決した。

リオマッジョーレ、マナローラ、コルニッリア、ヴェルナッツァ、そしてモンテロッソの各トンネル上に、一隊七十五名の五隊を配し、〈五つの土地〉を見下ろす山中に、残りの五隊三百七十五名を本隊として置いて、予備兵力とした。

〈ルーポ・ドーロ〉隊四十七名はむろん、遊撃隊である。

トンネル内に地雷を埋めれば、事は簡単だが、それでは一般市民を満載した列車を爆破してしまう惧れがある。そこで、砂漠のロレンス式の、ダイナマイトを導火線でつないで、装甲列車を確認、点火する、単純だが確実な方法を、各隊十名の工兵班が担当した。

 翌日、赤々と夕陽に照り映える〈モンテロッソ〉めがけて、迫りくる夕闇のなかを、ドイツ軍装甲列車が驀進してきた。

だが、双眼鏡をあてた林は愕然とした。

先頭の機関車前部には、夕闇のために男女の別までは定かでなかったが、人質の市民十数名が鈴生りに縛りつけられていた。

「やれ!」

一瞬、一拍遅れて、爆破の号令を発した。

備砲ごと装甲車輌が宙に浮き、重戦車を載せた無蓋車が脱線して横倒しとなった。

奇蹟としか言いようがないけれど、先頭の機関車と炭水車だけは無疵で走り続けて、すぐにトンネルの闇の中に消えてしまった。

直後に沸き起こった激しい銃撃戦に、山側からは本隊三隊二百二十五名が散開して加わり(残り二隊百五十名は不測の事態に備えて待機している)、狭い海側からは〈ルーポ・ドーロ〉隊四十七名および地元のパルチザン多数が加わって、ドイツ兵七十余名、ファシスト兵百二十余名を包囲・殲滅している。

辛うじて逃亡しえたファシスト兵は、五十名にも満たなかった。

なお、この夕暮れの戦いで、ドイツ軍大佐を始め、将校八名を捕虜として、山中に引き連れた。あとには、捕虜交換の用意があること、無関係な市民たちに報復が加えられるなら、捕虜の将校は即刻処刑されることをドイツ語・イタリア語で明記した通告文数枚が残されていた。署名は〈日本アナーキスト革命軍・林純一〉とあった。

翌朝、ラ・スペツィアとジェーノヴァの二方向から来援したドイツ・ファッショ軍を、地元のパルチザン部隊とともに巧みに待ち伏せて撃破、撃退した〈アナーキスト義勇軍団〉七百三十七名は、〈ルーポ・ドーロ〉隊と途中でわかれて、アルプスに連なるプレ・アルピの山々を転戦、烈しい戦いに斃れる者も少なくなかったが、戦いを重ねるごとに彼らに加わるイタリア人のパルチザン少年もおいおいと増えていった。

一時は〈モンテビアンコ〉(白い山・モンブラン)の懐に抱かれた、アルプスの氷河を軒端に臨む町クールマイユール、〈イタリア最後の微笑み〉を、その拠点としたこともあった。

彼ら十隊は、合わせても千名に満たない小部隊とはいえ、現地の山岳パルチザン部隊としては有数の兵力であり、一隊ずつそれぞれが絶えず移動する、その装備にも無駄がなかった。

歴戦の志願兵ばかりの彼らは、さすがに強かった。ファッショ軍の巡邏隊をいくつも捕捉、殲滅しているし、あるときなどは、二手に分かれて峠道を攻め登ってきたドイツ軍掃蕩部隊の一方を撃破、ノルド率いるパルチザン〈青〉部隊の危急を救ってさえいる。

何よりもこの時期に、この戦域に予想もしていなかった日本人アナーキスト部隊三千名が――ファシスト兵は心底、そう思い込んでいた――忽然と現れたことが、ナチ・ファッショ政権を動揺させ、その崩壊をいっそう早めた。

トリーノ解放の日には、市民の歓呼のなかを凱旋するパルチザンたちのなかにあって、東方の遠国からやってきて、自由と正義のために戦ったこれら革命兵士たちに、ひときわ高い拍手が送られた。生死を共に分かった者たちへの共感がそこには籠められていた。

なるほど、革命日本政府がこのときヨーロッパ戦線に送りこみえた艦隊・兵員は、大戦の行方を左右するには悲しいほどに小戦力でしかなかったけれど、その政治的意義は大きかった。

英米中ソ、連合国側の消極的な反対を押し切っての参戦・出兵であり、パルチザン側に立って人類の未来のために戦う革命日本を、大きく世界に印象づけることになった。

こうして日本は、一時は枢軸国に名を連ねた汚辱を遅ればせながら、ささやかに拭うことが出来たのであった。

このときのパルチザン戦にわが身を擲った日本人アナーキスト兵士たちにとっては、一兵でも多くの敵ナチ・ファシスト兵を殺せば、それだけナチ・ファッショ政権の崩壊が早まり、その日が一日でも早まれば、アウシュヴィッツほか各地の絶滅収容所に囚われたユダヤ人を始めとする数多の人びとを、一人でも多く救い出すことができるのだった。

おのれの擲った生命が人類の明日に繋がることを、彼らは片時も疑いはしなかった。彼らが斃れた岩棚の赤く凍った雪のあたりに、アルプスの短い夏が訪れれば、薄く白い大きな翅に黒い縁取りの赤い星を染め抜いたアポロン蝶が今年も舞うことだろう。



                                            了

ラベル:

海の風と雲と1-6

51




 東京に拠点をもつ奈々隊と愛子隊もまた、その活動を一気に活発化させていた。

奈々と愛子の両隊は、それぞれ独自の判定基準に基づくブラックリストを作成していて、社会に有害な反動分子を、たとえば軍閥・閥族・華族・貴族院議員・財閥・政治家・検事・裁判官・県知事・警察署長・国粋主義者・高利貸・不在地主・肥料商人・地上げ屋・闇金融業者・暴力団などを慎重に吟味して、最も悪辣な者から優先順位の高い順に、処刑していった。

「これじゃあ、『青紙』が舞い込んで、いち早く内南洋送りとなった者が、一概に不運とは言えないなあ」

「そりゃあ、外地における国家による大規模な人殺し=戦争に対比すべくもないけれど、人を殺すという意味では、これも内地における一種の戦争なのは確かなんだし」

「ただし、死ぬのは戦場となった国々の無辜の女子供ではなく、『赤紙』で招集され送り出されて、異国で人殺しを余儀なくさせられている庶民の兵士たちでもないわ!」

「死ぬのは、熱心な戦争推進者なのに、自分たちだけは特権に護られて内地でぬくぬくと暮らし、戦争特需の利潤を吸い上げながら、口では聖体護持だの滅私奉公だのと抜かす肥え太った輩ばかりよ。そこが違っているわね!」

おおむね処刑は深夜ひそかに行われて、朝方発見された冷たい骸の傍らには、死者の罪状を記した紙片が一枚、そよ風に翻っているのが常だった。文面の末尾には必ず黒い桜花もしくは黒薔薇のフレームに囲まれた〈奈〉あるいは〈愛〉の一文字が添えられていた。

むろん白昼、野外での狙撃や街頭での刺殺による処刑もしばしば行われた。その場合にも必ずどこかにあの〈奈〉もしくは〈愛〉の一文字が添えられた、死者の罪状を記した紙片が一枚ないし数枚発見されるのが常だった。

「これは人類への愛を表明するひとつの形なのかも」

「だけど、検閲がなくなって、好戦的論調から早期の和平を願う論調にいち早く転換したブルジョワ大新聞はむろんのこと、政党結社の自由が認められて、復活した日本共産党機関紙『赤旗』までも、おれたちのそうした裁判なしの処刑〈直接的暴力〉には批判的だよなあ」

「畜生め、口先だけではなく、山岳パルチザン闘争を開始する動きも一部にはあるのに!」

「一般大衆は、外地での国家による人殺し=戦争のためには平気で『万歳!』までして身内の者を送り出すくせに一見、平和な内地で、自宅や妾宅で処刑された死者と一枚の紙片が発見されると、その理由など問わずに、もうそれだけでおぞ気をふるうんだから」

「ただ日々の搾取に喘ぐ下積みの者たちだけが、悪辣な高利貸、強欲な不在地主を襲った突然の死に、ひそかに喝采を送ってくれているわけさ」

「まず手始めにリスト高位者のうち、治安維持法の復活を図る輩から、抹殺していきましょう。それから特高や憲兵隊の復活をもくろむ輩をも一掃して、おまけに軍事クーデターの芽をも摘まねばならないし、やることはいっぱいあるわ」

実行隊員以外のアナーキスト秘密結社員の多くが、奈々隊に協力・支援していた。

恋人雨宮のことを想わぬ日とてなかったが、忘我の折、ともすると奈々の脳裏に甦るのは梶木の毛深い太腿であった。結社内の議論では、梶木の主張により深く共鳴していたことが、あんな過ちの下地を作ってしまったのだろうか?

しかも兄、七郎殺害犯に結びつく手がかりは、依然として攫めなかった。典型的な帝国陸軍軍人ではあったけれど、幼い日に手ずから富田流小太刀の手ほどきを奈々にしてくれたのは、あの七郎兄だった。

七郎暗躍の実態が露見すれば、奈々の採りうる選択の幅は狭まり、苦渋に満ちたものとならざるをえなかっただろうに、七郎の唐突な死が、奈々を窮地から救ったのもまた事実であった。

アナーキスト秘密結社《シリウス》本体の活動は、依然として謎に包まれていたが一時、結社はその貴重な戦力である高度に訓練・組織された戦闘員の半ば、第十五~三十八戦闘団までを割いて、極右〈玄洋社〉〈黒竜会〉の殲滅に当たらざるをえなかった。

それほどに軍・政財界の暗部に食い入った〈黒竜会〉の根を抉り取ることは容易ではなかった。歴史の闇の中で戦われた、この間の熾烈な戦いを仔細に記すならば、優に別の一書となるだろう(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・東京/大阪篇』)。戦闘団の戦いは、それほど激しく苛酷であったにもかかわらず、能う限り一切の痕跡を残さなかった。




「あたしたちはひたすら巷の情報を集めて、窮民の怨嗟の集まる輩が、自隊の作成リストと一致したとき、初めて処刑を決行するよ」と、愛子隊長が言う。「悪辣な高利貸を処刑したときなんか、借用書の束は必ず焼却し、現金はすべて困窮した長屋・借家の家々に投げ込んでおくことね」

「うん、義賊の再来、復活か。わかりやすいおれたちの活動が、庶民の暗黙の支持を集めているのも当然だな」と、古参の山岸同志が膝を掻きながら応ずる。

片時も気の抜けない闘いの合い間に、愛子とて川名との果たさなかった結婚を思わないではなかったけれど、弘人には何かそれを躊躇わせるものがあった。

いま川名少尉が洋上で戦い、おのれが内地で闘うことに、愛子は安らぎに似たものを覚えていた。

アナーキスト各隊の活動が活発になれば、当然、警察以外にもその探索・接近・尾行・張込みを試みる輩が出てくる。特高・憲兵隊崩れ、右翼勢力、公安関係者などである。

各隊が細心の注意を払っていたのは言うまでもないが、それらの輩の拉致・抹殺は影の実行隊一~三が担当していた。それでも手に余る相手には闇の戦闘団(第四十八~五十戦闘団)が出撃するのが常であった。

影の実行隊、闇の戦闘団の存在を知る者は、結社内でもごくわずかに限られていた。むろん七人から成る持ち回りの結社指導部ではみな心得ていたことではあったが。

やがて秘密結社《シリウス》とは関係のないアナーキスト・グループが続々と登場し、思い思いに奸悪な搾取者を襲撃しては、現場にさまざまな意匠を遺していった。いわく、〈牙〉〈大地〉〈虹〉〈風〉〈鯱〉〈鷹〉〈嵐〉など。自らが標的となる意想外の展開に、好戦的資本家たちは動揺を深めていた。




52




 朝日に煌めくハワイ島は、上空から見てこそ本当にビッグアイランドだと実感できる。

標高四千百七十メートルの長い楯状火山マウナロア、その真北には標高四千二百五メートルの宇宙に一番近い山マウナケア。マウナロアの東には噴煙棚引く活火山キラウェア――今朝も海に流れこむ真っ赤な溶岩流。

《この神秘の大島のいったいどこに敵が潜むというのか?》

「いた!」

東のヒロ方向に敵の邀撃機七、八機、西のカイルア方向に五、六機、パーカー牧場の北ワイメア方向に十二、三機。

いずれも高高度をとって、日本機の来襲を待ち構えていた手だれの米戦だった。すかさず制空隊艦戦十八機が果敢に立ち向かっていく。残る艦戦十五機は艦攻・艦爆隊直衛の構えを崩さずに飛びつづけている。

 マウナロア山頂をまぢかに眼下に見て通り過ぎたあたりで、攻撃隊は山間を真東に抜けてヒロ攻撃に向かう艦爆十二・艦攻十二・艦戦五の〈東隊〉、マウナケア山を右手に見てパーカー牧場を越えてワイメア攻撃に向かう艦爆十二・艦攻十二・艦戦五の〈北隊〉、フアラライ山手前を左に折れて西海岸のカイルア攻撃に向かう艦爆九・艦攻九・艦戦五の〈西隊〉の三隊に分かれた。

分かれて一、二分もしたろうか、〈西隊〉隊長雨宮機は、不意に右後方上空から銃撃を見舞われた。小野旋回機銃手が必死に応戦する。

機を横滑りさせて火線を逃れた雨宮機の目のまえで、敵機が反転急上昇する。すかさず機首の十四ミリ弾を送るがスピードに乗った敵ワイルドキャットには届かない。制空隊零戦の急追をすり抜けて、艦攻隊を追尾してきた敵機があったのだ。歯がみする雨宮中尉の右目の隅で突如、敵機が紅蓮の焔を噴き出し、錐もみ落下した。直衛の零戦一機が辛うじて間に合ったのだった。

 すでに艦攻隊はフアラライ山麓上空から西海岸に臨み、カイルア基地上空にさしかかっていた。雨宮率いる艦攻九機はまばゆい朝日を背に三機ずつの小編隊三個からなる綺麗な三角形をなして、敵の対空砲弾がまぢかに炸裂するなか、整然と水平爆撃した。その直後に艦爆九機がいっせいにダイブして敵基地にさらなる痛撃を喰らわせる。艦戦五機も地上ちかくに舞い降りて、発進まぎわの敵機と機銃陣地を掃射する。

爆弾を投下しおえた艦攻と艦爆はなおも銃撃を続ける艦戦を尻目に、早くも母艦へと帰投にかかった。雨宮中尉ら第一次攻撃隊が敵空母発見の報に接したのは、すでに前方はるか西方に母艦群を望む、帰艦もまぢかのときのことだった。

敵艦隊をめざす第二次攻撃隊、艦戦三十六、艦爆三十九とすれちがって五分後、母艦上空に達してみれば、魚雷を抱えた艦攻三十機発進の真っ最中だった。「飛龍」「蒼龍」および「瑞鶴」の上空には艦戦七機ずつ、計二十一機の直衛機しかいない。これには万事周到、慎重な雨宮ならずとも一抹の不安を覚えたことだろう。

結局、あとから三々五々帰投してきた零戦の着艦、急速給油・給弾、再発艦をも残燃料を気にしながら待ちに待って、彼ら第一次攻撃隊艦爆・艦攻機が着艦を許されたのは、それから小一時間余り経ってのことだった。




 空母「サラトガ」を発したスプルーアンス艦隊の全力出撃六十四機、ワイルドキャット十六・ドーントレス二十四・デヴァステーター二十四は、日本空母群の虚を衝いて、第一次攻撃隊の帰艦時もしくは第二次攻撃隊の発艦時に殺到し、敵を混乱に陥れて一空母撃沈、あわよくば残る二空母も撃破の一撃離脱をもくろんでいた。

またそうなる可能性が大であった。ここに独立零戦隊の必死の介入がなかったならば。

先に母艦と敵編隊をむすぶ直線上の推定会合点めざして各方位から集結しつつあった索敵零戦八十四機は四機、五機と集まるごとに、五月雨式にではあったが敵編隊に空戦を強いてきた。

個々の空戦時には当然、寡兵である零戦側の支払う犠牲は大きかったが、絶えず空戦を強いられる米攻撃隊も、その対応に貴重な時間を空費せざるをえなかったし、絶えざる出血を免れなかった。

そして零戦隊がわが身をへずって稼ぎ出したこの貴重な時間が、母艦群を避けられぬ窮地から救ったのであった。

米攻撃隊の後尾をゆく雷撃隊を最初に攻撃したのは、敵編隊との遭遇を報じたあの零戦をふくむ五機の零戦であった。米雷撃隊二十四機の左後方上空七百メートルから逆落としに肉迫した零戦五機は、至近距離で十四ミリ機銃の火蓋を切った。またたくまにデヴァステーター三機を撃墜したけれど、敵被弾機もふくめてデヴァステーター二十数機の後部座席旋回銃からの集中射撃を浴びて三機が被弾、うち二機が紅蓮の焔を発して墜落、一機は白煙を吐きながら荒波逆巻く海面に不時着水したが、操縦士は行方不明となった。

残る二機の零戦はなおも追尾をつづけ、反転してきた敵ワイルドキャット五機との空中戦になったけれど、敵三機を撃墜したところで二機とも被弾、一機は錐もみ状態で海中に没し、最後の一機は海面に着水したものの、操縦士はやはり行方不明、波間を漂う帰らぬ人となった。

 この空戦の模様を遠く望見した零戦十一機は、急接近しながら即席の三機編隊一、四機編隊二を組み、三機編隊は敵ワイルドキャット九と、左の四機編隊は敵急降下爆撃隊二十四と、右の四機編隊は敵雷撃隊二十一と激しい空中戦に突入した。

敵戦九との混戦にもちこんだ零戦三は、三倍の敵を引きずりまわし、五機まで撃墜したが、みな被弾し、一機が空中爆発、一機は避退中に撃墜され、残る一機は敵を振り切って不時着水した。

敵急降下爆撃隊に挑んだ零戦四は、編隊を崩さずに集中弾を浴びせてくる敵編隊にてこずり、敵一機を撃墜し、数機に有効弾を浴びせたものの、みな被弾し、残弾を撃ちつくしたところで帰投にかかった。

敵雷撃隊二十一を襲った零戦四は四方から敵編隊を攪乱し、敵七機を撃墜し、あと数機に有効弾を浴びせたが、やがてみな被弾し、残弾を撃ちつくしたところで帰投していった。

こうした模様をさらに遠くから望見しつつ、空戦域に集まりだした零戦各機は手近の機と四機編隊を組みながら接近していった。いずれもまだ増槽はつけたままだった。

「できるかぎり味方機の集合を待って増槽を落として空戦」との、山口の指令がここでようやく活きてきた。味方艦隊上空までにはまだ二百キロ弱あるし、増槽の燃料にも余裕がある。

何も死に急ぐ必要はない。撃ち減らされ被弾機も相当ある模様の敵編隊四十一機、ワイルドキャット四・ドーントレス二十三・デヴァステーター十四を、狼の群れにも似て遠巻きにしながら飛行をつづける零戦の数は増すばかりであった。

結局、零戦五十二機、十三の小編隊が敵を遠巻きにした時点でいっせいに増槽を捨て、戦闘の火蓋が切って落とされた。瞬く間に敵戦四が血祭りにあげられた。敵デヴァステーターはみるみるその数を減らしていった。

やはり手強いのは敵ドーントレス編隊だった。明らかに苦戦に陥り、犠牲機も続出しているのに、いっこうに編隊隊形を崩そうとしない。編隊が崩されたときが最期だと承知しているのだ。この間に残り十六機の零戦も翔けつけてきた。

ついには味方艦隊に向けて飛行をつづける敵編隊は、ドーントレスばかり十二機を残すのみとなった。

ふたたび零戦隊は敵編隊を遠巻きにして飛行をつづけた。残弾が尽きたのだった。被撃墜機十一・被弾機三十一――独立零戦隊が一回の出撃でこれほどの犠牲を払ったことはなかった。しかし、この一連の索敵・邀撃戦で、米攻撃隊のワイルドキャット十六・ドーントレス十二・デヴァステーター二十四を屠り、母艦への最大の脅威を取り除いた功績は大きい。

この海空戦中、最大の功績と称えられるべきものであった。

北太平洋ハワイ島沖の大空に散華した敵味方六十余の若い命の悲劇も知らぬげに、一時の硝煙のあと、大気はますます澄みわたり、太陽は中天高く昇って、目路のかぎり碧の渺渺たる大海原を無慈悲に照りつけていた。

53




 米攻撃隊長ラミス少佐は苛ついていた――予測海域に日本機動部隊が見当らない。発見できなければ攻撃隊は全員が無駄死にだ。

すでに直衛ワイルドキャットは全機撃ち落され、雷撃隊も壊滅した。自機を含めて残るドーントレス十二機はいずれも被弾し、パイロットは負傷して、機体が急降下に耐えられるかどうかも分からない。被弾損傷した愛機の爆弾投下装置が正常に働くかどうか、それさえ心もとない。

敵空母を発見次第、爆弾もろとも突っこむ覚悟を、ラミス少佐は決めていた。飛行甲板に激突寸前に、投下ボタンを押して機体を引き起こすかどうかは、とっくに神の御手に委ねていた。しかし発見できなければどうにもならない。

《それにしても五月蝿いジークどもめ!》と、少佐はあたりの空を遠巻きにして飛ぶ零戦七十機弱をねめつけた。

《まるでやつらがおれたちを護衛しているみたいじゃないか。一発も撃ってこないことから、零戦に残弾がないことは分かっていたが、それならなぜさっさと帰投しないのか? なぜ?―少佐は「はっ」とした―さっきいきなり突撃の構えを見せた小編隊は?》

振り返ったラミス少佐の左目の隅が、南方の海上に伸びる白い航跡ひと筋を辛うじて捉えた。すかさず左旋回する。列機も左旋回した。

すると果たせるかな、零戦数機が往く手を妨害するかのように躍りだす。やはり零戦の動きに一瞬、惑わされて、見落としていたのだ。機首の機銃を数連射して、かまわず突進する。

すると、《いた!》

眼下に幾筋もの白い航跡が見え、その先に南方に避退する敵機動部隊をついに捉えた。

執拗に遠巻きに飛んでいた零戦が不意に大きく左右に開いた。眼前には、早くも新手の敵艦戦、数十機。日本の艦隊直掩機が迫ってきていた。

新手の艦戦、数十機は、三機ずつの小編隊が、まるで一機のようになって、ラミス隊の上下、左右、前後を乱舞し、銃撃を加えてきた。七ミリ機銃の細い火線がたちまち米機を包みこむ。パイロットが死傷して編隊から脱落する機がラミス隊に続出した。下方からの銃撃にラミス機はぐらりと揺れた。

苦闘する米急降下爆撃隊に止めを刺したのは、このとき高空から矢のように降ってきた艦戦十数機が近間で放った二十ミリ機銃弾であった。「ああっ!」という間に紅蓮の焔を噴き出し、空中に四散する米機また米機。パラシュートで脱出する間も有らばこそ、さしもの勇猛な爆撃隊も、ここで呆気なく壊滅してしまった。

海は彼らを呑みこみ、何事もなかったかのように、無数の波頭を白じらと煌めかせて、無慈悲な太陽への敵意をふたたび剥き出しにしているばかりだった。




54




 そのころ大阪に拠点をもつ圭子隊五十七人は、京阪神を中心に、独自の活動を展開していた。圭子隊長以下隊員みなが熱心な死刑反対論者である圭子隊は、好戦的な大学教授・経済人・在郷軍人・神官・やくざなどを懲らしめるために、独特の様式を編み出していた。

ブラックリストに載せられた優先順位の高い者順に追跡し、待ち伏せしては、その右膝を撃ち砕くのだった。

《愛人五十六が敵空母を求めて血眼のそのときに、おのれは帝国主義者たちの右膝を次々に撃ち砕いている。いま、アナーキズムの実践者はあたしたちだ!》

そのことに圭子はひそかな喜びを覚えさえした。殺されることよりも肉体的な苦痛に、より恐怖を覚える人間が少なからずいることを、承知していたのかも知れない。

関西地区では松葉杖姿で登庁する役人・検事が増えたことだった。とはいえ、むろん圭子隊も、戦闘の場で敵対する者は容赦なく撃ち殺した。その点では、他の隊に引けをとるものではなかった。

圭子隊は九州・中国方面に大挙出動することもあれば、標的を追って、東京に単身出張してくることもあった。

なかでも〈柳〉隊員は(中国人の彼はまるで日本人と変わらなかった、ただ一つ、顔を洗うときに手ではなく、顔を動かすことを除けば)なんと白昼、銀座柳通りの人ごみのなか、軍と結託した青年実業家と擦れ違いざまに、柄も金属製の細身の金鎚を三尺帯から抜き出すやいなや、舶来の高価なズボンに包まれた相手の右膝の皿を真っ二つに打ち割ったことだった。

青年実業家の崩れ伏した柳の木の根元には、むろん一枚の紙片が舞っていた。その罪状を克明に記した文面の末尾には、桂の葉の黒枠に閉じ込められて〈圭〉の一文字が踊っていた。かねてからこの大阪出の青年実業家のあざとい女漁りに密かに眉を顰めていた銀座のマダムたちはこぞって喝采したことだった。

しかし奈々、愛子、圭子の三隊は、翌年三月一日にはそれぞれの処刑活動をぴたりと収束した。

リスト高位者の処刑をあらかた完了したのと、革命前夜の本格的な活動に入るために、雌伏期に入ったのである。

すでに先に述べた〈牙〉〈大地〉〈虹〉〈風〉〈鯱〉〈鷹〉〈嵐〉など、結社外アナーキスト・グループの活躍が、奈々、愛子、圭子三隊の活動を、質量ともに凌駕しつつあった。三隊は内地においてすでに先駆的な役割を全うしたといえる。




けれども、朝鮮人・中国人・台湾人労働者を強制徴用した職場では、この限りではなかった。

徴用制の中枢から現場の会社側手先にいたるまで標的に捉えて、奈々、愛子、圭子三隊の活動は継続していた。

処刑と同時に罪状を克明に記した紙片が多数撒かれた。徴用制そのものが廃止されて関係者が処罰され、朝鮮人・中国人・台湾人労働者に賠償がなされるまでに、実になお半年を要したのであった。

戦争継続の矛盾点がここに集約されていた。いわゆる大東亜戦争なるものの実態が、国内ではここに象徴されていた。ようやくマスコミの眼もこうした事実に注がれるようになって来た。

こうしたなか、日本各地の工場、鉱山、職場にはアナーキスト労働者評議会が組織され、労働者みずからが生産を管理・運営する試みが活発になされて、会社側のロックアウトに抗して、工場・鉱山・職場の占拠・自主運営も各地で多発した。

生活に根ざした改革を進める評議会の多くでは、理由のいかんを問わず、あらゆる政治テロルに反対であった。しかし悪質企業と結託した右翼・暴力団の排除を結社の第十・十二戦闘団が密かに進めていなかったなら、大きな犠牲は避けられないところだった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・国内篇』)。

戦時下とはいえ言論・表現の自由が確保され、平和運動が高揚してみれば、良心的徴兵忌避者・脱走兵も増えざるをえない。徴兵忌避者・脱走兵を匿い、支援する民間組織も続々と生まれた。

「捕えた徴兵忌避者・脱走兵をみだりに銃殺してはならぬ」とするヒロトトの勅命が下ってからは、外地では前線・後方から逃亡する兵士が増えたことだった。敵前逃亡者も必ずしも即座に銃殺に処せられなくなったし、「捕虜となることは恥とは無縁である」と明言された。

緩慢にではあるけれど、戦闘中の兵士たちの意識も徐々に変化しつつあるようであった。検閲の廃止・通信の自由が齎した変化は、日本の軍隊をも、内部から変えようとしていた。

そうして内地では、まず何よりも即時停戦を求める声が圧倒的に強まり、社会運動は熱を帯びていった。

男女同権・普通選挙の即時実施、明治憲法の廃棄と新憲法の制定、農地解放、徴兵制の廃止と、早急になすべき社会的課題は山積していた。なかでも小作争議は、日本全国に多発し、いっこうに進まぬ農地改革に、各地の小作組合はますます尖鋭化していった。

自主的な農地占拠、小作の自作農化の試みも散発的になされたが、政府・地主側との度重なる流血の事態を避けるためには、農地解放・農地改革の法制化が早急に必要であった。結社の第八・十四戦闘団が、政府・地主側の強硬策の出端を捉えて、随処に先制攻撃を加えはしていたのだが、これとて指導部の方針で、公然たる蜂起に結びつくものではなく、徹底さを欠く憾みがあった。




55




 スプルーアンス艦隊をめざす第二次攻撃隊、艦戦三十六・艦爆三十九、少し遅れて艦攻三十機が、ひたすら洋上を飛びつづけ、敵艦隊上空に達したのは、正午を少し回ったころのことだった。

被弾して重傷を負い、辛うじて帰艦したものの、内地に後送された艦爆隊の皆川飛曹は重い口を開き、いったん口を開くと、堰を切ったかのように話してくれた――

敵空母の所在については、落下増槽をつけたままの零戦四機が追尾を継続して逐一報告してきたから、迷う筈もなかった。独立零戦隊九十余機のために上空直掩機を悉く撃ち落され、あまつさえくり返し銃撃を受けた、いわば丸裸の敵艦隊は頻繁に転針するものの、概ね東進し、ひたすら避退し続けていた。それでも艦隊上空には予備機を飛ばしたのだろうか、ワイルドキャット八機が直掩の位置についていた、間髪をいれずに襲いかかった制空隊零戦十八機に、やがて何れも撃ち落されてしまったけれど。

上空直掩機を欠く空母「サラトガ」・重巡一・軽巡二・駆逐艦七のスプルーアンス艦隊は、盛んに対空砲火を撃ち上げてはくるものの、おれたち第二次攻撃隊にとっては恰好の獲物にほかならなかった。

零戦三十六機が敵艦の対空砲・機銃陣を撹乱する中、わが艦爆隊は二十四機が「サラトガ」、四機が重巡、二機ずつ四機が軽巡二に、残る七機が単機でそれぞれ駆逐艦七に襲いかかった。

「サラトガ」上空三千メートルで左右二手に分かれた艦爆二十四機は、右舷方向から十二機、左舷方向からも十二機が、互いに衝突するのも辞さない烈しさで、一気に急降下した。

右舷方向から殺到した十二機は、二機が対空砲火の直撃を喰らって爆発四散し、一機が被弾して爆弾投下に失敗したが、おれの機も含めて残る九機で飛行甲板に三発、艦橋付近に二発の直撃弾と四発の至近弾を得た。投下後の急上昇中に二機が被弾、一機が白煙を吐きながら不時着水した。

左舷方向から殺到した十二機は一機が直撃を喰らって四散し、三機が被弾して投下に失敗したが、残る八機で飛行甲板、艦橋と煙突付近にそれぞれ二発の直撃弾と二発の至近弾を得た。投下後の急上昇中に三機が被弾、一機が白煙を吐きながら不時着水した。

合せて六発もの直撃弾を喰らった「サラトガ」は、爆発炎上し、瞬時に戦闘能力を失い、いくつも大爆発をくり返しながら航行不能となって、紅蓮の焔と黒煙を宙天高く噴き上げつつ、海原を漂う灼熱の鉄棺と化した。

重巡を攻撃した艦爆四機は一番砲塔と艦橋付近に直撃弾、至近弾二発を浴びせた。軽巡二を攻撃した艦爆四機は軽巡一を大破炎上、残る一を小破させた。駆逐艦七を攻撃した艦爆七機は駆逐艦一を轟沈、二を大破、残る四艦をも中小破させた。

戦闘の束の間の小休止、その虚を衝くかのように低空を飛来した艦攻三十機が、海面すれすれで航空魚雷三十本を放った。

炎上しながら漂う「サラトガ」を狙った艦攻十五機は魚雷七本を命中させて、敵旗艦空母を一瞬のうちに完全に葬りさった。重巡は右舷に二発、左舷に一発の魚雷を喰らって、轟沈した。炎上中の軽巡一は必死の消火活動の甲斐あって大火災に小康をえた途端、艦尾に魚雷を喰らって敢え無く沈没してしまった。残る軽巡一も必死の回避運動も空しく弾庫近くに命中した航空魚雷一本で誘爆、二つに折れて海底に沈んだ。駆逐艦は、中小破しただけで健在の四艦がまず狙われて、果敢な抵抗も空しくいずれも撃沈されてしまった。

魔の数十分が過ぎ去ってみれば、スプルーアンス艦隊で洋上に残っているのは、大破した駆逐艦二隻だけだった。後で聞けば、スプルーアンス本人も艦爆の攻撃の際に重傷を負い、大火災の最中に移された救命艇の中で落命したという。

低速で避退しながらも救助活動を続ける大破駆逐艦二隻の甲板上には、鎮火し切れない小火災の間に、救助された将兵が重油と黒煙で真っ黒になって犇いていた。海面では、漂う戦死者と浮遊物の間に、救助し切れない負傷者があちらこちらで環になって波任せに漂っていた。

猛攻した日本機の支払った犠牲も大きく、艦攻の被撃墜七、被弾機は二十三を数えた。二機は白煙を吐きながら海面に不時着水した。やがて艦爆二十九・艦攻二十一・艦戦三十一は硝煙漂うこの海空戦の戦場上空を一周して編隊を組み直し、帰投した。被弾機のうち損傷著しいものはどうしても遅れがちとなり、一機また一機と落伍して母艦に無事帰艦したものは艦爆二十七・艦攻十九・艦戦二十九機だった。

着艦後、落命した者八名、重軽傷者四十七名を数えた。収容後に整備兵が点検してみると、着艦時に無疵と思われた機体にも、どこかしらに弾痕が残っていた。勝ちはしたが稀にみる激戦だった。

「おれが負傷したのは、か?」

「ばかな話さ。投弾後さっさと帰投すればよいものを、敵艦隊の最期を見届けようと空域に居残って、沈没間際の敵駆逐艦が放った砲弾の破片を喰らっちまったんだ。

まったく帰艦できたのも、命があったのも、いまだに不思議でならない。帰投中のことは無我夢中で、まるで何も憶えていないのだよ。おまけに旋回銃手の村越友美を戦死させてしまった、このおれは!」

56




 敵艦隊発見と同時に急遽、同海域への偵察進出を山口多聞に命じられた「陽炎」以下五隻は、ハワイ島とマウイ島のあいだに横たわるアレヌイハハ海峡を高速で抜けて、十五日深夜、ようやくこの日の戦場に達した。

速度を落とすと、暗い波間のそこかしこから助けを求める声ごえが、幽鬼の声のように聞こえてくる。いっせいに探照灯を照らすと、夥しい浮遊物と重油に塗れて黒ぐろとした海坊主の群れが、波間に浮かび上がった。敵味方いずれとも知れぬ漂流者たちだった。不意にともった眩い明かりに勇気づけられたのか、聴きなれぬ軍歌を歌いだすグループもあった。

低速で抜けながら無人の艇を幾艘かと浮き輪多数を投げ落とす間ももどかしく、五隻の駆逐艦は再び速度を上げて、さらに東北東へ二時間半、索敵航行すると、左端の駆逐艦が照らした探照灯、その光の環のなかに大破し負傷者を満載した米駆逐艦が偶然、浮かび上がった。戦意乏しく低速で辛うじて避退し続けるその艦の付近を照らすと、同様のありさまのもう一艦が浮かび上がった。

高速を活かして「陽炎」ほか三隻が前方に回りこみ、砲口を向けて降伏を勧告したが、応答がないばかりか、停止さえしない。やむなく魚雷発射を命じようとした刹那、大破した米艦の艦橋付近に白旗が翻った。残る一艦もそれに倣った。探照灯の光の環、そのなかにやがて停止した米艦二隻。

「陽炎」から内火艇二艘を発し、敵の艦長以下主だった将校の収容をはかった。ところが乗ってきたのは機関少佐と副長、あとは重傷者ばかりだった。いずれの艦も艦長は戦死していた。

付近に他の敵艦のないことを確かめ、後続の二隻の駆逐艦による米艦二の曳航に目途がつくと、「陽炎」ほか三隻は海戦場にとって返し、いずこからともなく鮫の群がり始めた荒海で、漂流者の救助に明け方まで全力を尽くしたのだった。

むろん戦時のことゆえ日本人パイロットの救出が優先されたのだが、深夜の荒海で黒ぐろとした漂流者を見分けること自体、むりだった。やがて夜明けの光とともに米艦を曳航する二隻の僚艦が現れた。そこで漂流者を満載した日米七隻の駆逐艦は低速で主戦場を抜けようとした。

「瑞鶴」独立零戦隊パイロット山際三郎がはしなくも「陽炎」に救助されて、同志一色と邂逅したのはその折のことだった。

再びアレヌイハハ海峡をこんどは並みの巡航速度よりもやや低速で、西南西に脱け出た水雷戦隊の五隻の駆逐艦は、折から遭遇した鯨の大群に、米潜かと肝を冷やしたり、眼を愉しませたりしながら十七日昼までには原隊に復帰したが、米艦二を曳航する二隻の僚艦はそのままニイハウ島へ向かうこととなった。

救助された日本人パイロット数名はそれぞれの母艦に帰還し、多数の米軍捕虜は「瑞鶴」に収容されたのだった。

これでひとまず第二回ハワイ沖海空戦の決着がついた形となった。山口艦隊は同日夕刻には、ママラ湾沖を遊弋する「翔鶴」「赤城」「加賀」「龍驤」の機動部隊主力と合同した。




57




アメリカ西海岸沖に展開した日本の潜水艦部隊は、北からシアトル、シスコ、ロス、ディエゴ、各方面隊十五隻ずつの六十隻に、遊撃隊十三隻の全七十三隻で、あとははるか南方にパナマ方面分隊七隻、サモア方面分隊八隻が展開するばかり。

これとても、開戦まえの駆け込み急造艦、旧式の予備艦をも動員しての総数で、まさに全力出撃であって、あとはなかった。

あとは通商破壊戦用の量産型小型潜水艦百二十一隻の艦隊が実戦配備につくまでの半年、ないし一年間を待たねばならなかった。

西海岸沖に展開した各方面隊十五隻は五隻ずつの三小隊に分かたれ、小隊の五隻は、

「おおむね単独行動、事に応じて緊密な共同作戦をとるべし」

と、されていた。むろん各小隊、遊撃隊もまじえて方面隊間の連係プレイも想定されてはいた。しかし無事帰投後まで位置報告はおろか戦果の報告すら義務づけられてはおらず、

「各艦は交信を控えて隠密行動に徹し、連合国の商船をひたすら沈めまくれ」

これが、新任の高橋提督が伊号潜の各艦長に訓示した命令だった。十一月三十日までに配置についた各艦は、沿岸航路、国際航路を行き交う商船の観察に努め、独自のスケジュールを練った。

十二月八日の開戦と同時に通商破壊戦の火蓋を切り、開戦三日後には「一隻当り十万総トン撃沈」という過大な目標を、早くもクリアする艦が続出した。

たった三日間で、連合国側の商船七百五十万総トン近くが海の藻屑と消えてしまった。

これにはアメリカ国民は恐慌をきたしたし、アメリカ経済に与えた影響ははるかに大きかった。




西海岸のいくつもの大工場で生産がストップし、石油不足が深刻となった。

パールハーバーの奇襲攻撃で横っ面にパンチを食らったアメリカ国民が、いままた目のまえの海で自国の商船を次つぎに沈められて、強烈なボディブローを喰らった。アメリカ国民は憤激し、その鉾先は敵国となった日本はむろんのこと、無策な自国の大統領と政府、そして無力な自国の軍隊にも向かった。そんな折、

「日本の宣戦布告を、新聞の売り子でさえ開戦二時間まえに知っていたというのに、米政府は、ハワイに最初の爆弾が投下されるまで、自国の軍隊にさえ、その事実を知らせていなかった」

という驚くべき事実が明るみに出て、アメリカ国民の憤激に拍車をかけたのだった。

真相はこうだった――万事そつがなく用意周到な野村駐米大使は、ハワイでの初弾の投下三十分まえの七日午後一時に、ハル米国務長官に宣戦布告の対米覚書を直接手交すべく面談の約束を取り付けていたが、出先で故意に待たされることを恐れて「ニューヨークタイムズ」「ワシントンポスト」「ウォールストリートジャーナル」三紙の記者を、正午に大使館ロビーに呼びつけて、

「きっかり午後一時に開封したまえ」

と、対米覚書の要旨コピーを、出がけに手渡しておいたのだった。

むろん、競争激しい新聞記者のこと、みながみな、そんな約束を守るとは限らない。

事実、WSJ女性記者ジェーンは野村大使の車を見送るなり、脱兎のごとく近くの電話ボックスに走りこみ、デスクに直通のダイヤルを回しながら、厳重な封を頑丈な前歯で喰いちぎり、クラーク編集長が電話口に出るなり要約をそのまま読み上げて、まんまと世紀の特ダネをものにしたのだった。

それゆえ、午後一時を回るころには、午前中の暖かい陽射しが嘘のように冷えこんできたニューヨークの巷に、時ならぬ号外の鈴が鳴り響き、路往く人びとは誰もが、日本の対米英蘭豪宣戦布告という衝撃的な事実を知ったのだった。

一方、野村大使のほうは果たせるかな、米国務省の冷たい廊下で一時間以上も待たされたあげく、やっとハル長官の執務室に招じ入れられたときには、時計の針は午後二時二十分を回っていた。

挨拶を交わすのももどかしく、執務机のうえに叩きつけられるように置かれた分厚い対米覚書の束を見やりもせずに、ハル長官は冷たくのたまわった。

「いま、パールハーバーは日本軍の爆撃を受けている。これは汚い騙まし討ちだ!」

当然、米国務省は手交直後に、この覚書の要旨を、国内はもとより各国駐留の米軍にも通報した。しかし、そのころにはマニラのWSJ子会社の輪転機はフル回転し、日本の宣戦布告の号外を吐き出しつつあった。それゆえ、マッカーサーは例によって、事実をおのれに都合よくいささか誇張して、言ったものだった。

「余はマニラの号外売りよりも遅く、開戦を知った!」




 しかし、開戦四日目に入ると、米西海岸の沿岸航路・国際航路、共に商船の行き来がぱたりと途絶えてしまった。

米政府と米軍が有効な対潜手段を講じないかぎり、米海員組合が出港を拒否したのだった。かわりに対潜哨戒のヴォランティアが輩出し、軍供出の原始的な小型爆雷を積んで、農薬散布用の複葉機までが沿岸を飛びまわる始末だった。

もとより米海軍・海兵隊・沿岸警備隊の哨戒機・哨戒艇は総出動し、かなり有効な対潜哨戒網を構築し始めたし、米海軍は旧式ながらありったけの駆逐艦・砲艦・護衛艦を総動員して、主要航路からの日本潜水艦の締め出しを図ったのであった。

むろん伊号潜もそのことは充分に予期していたから、二、三隻の犠牲を蒙るや、作戦海域をはるか沖に移して戦機を窺うのだった。

するとこんどは空荷のままの老朽大型貨物船が囮となって出没し、船底を魚雷が通過するやいなや転針、爆雷投下を開始し、爆雷搭載の哨戒機を無線で呼び出すのだった。

こうして米商船を雷撃することははるかに難しくなったけれど、むしろこの時点から、本当の意味で、日米による通商破壊戦が開始されたと言ってよいのかも知れない。




58




 春山繁樹大尉の乗組んだ伊一五はこの日までに十七隻、十四万八千総トンの商船を撃沈し、残りの魚雷は高性能であるが装填に手間のかかる酸素魚雷三本を数えるのみとなった。

いつ帰途についてもおかしくない数字である。

どうもおれはこのところ数字だけで物事を考える病にとりつかれてしまったようだ――春山大尉はふと首を振る――戦果、戦果! 十七隻撃沈! この十七隻に、いったい何人の船員が乗組み、何人が死んだのか?

敵船とはいえ、戦闘艦ではない。心の痛むことだ。

二千トン級の潜水艦が十四万八千総トンの敵船を沈める。〈屯効率〉七四だ。

七万トン級の「大和」が倍する敵艦を撃沈する。〈屯効率〉二に過ぎない。

〈屯効率〉一〇〇の潜水艦が百隻稼動すれば、二千万総トンの敵船を沈められる。いやでも戦には勝つだろう。ここにはひとの命などはかかわりがない。数字だけの世界だ。数字だけの世界にひとは住めない。

だが、こんどの戦には数字だけが独り歩きし、数字だけがものをいう部分が確かにあるのだ。これが総力戦というものの実態だろうか? おぞましいことだ。数字がひとを呑みこむのが近代戦というものならば、愛する者のためには、ひとは決して戦をしてはならないのだ。

おれみたいにやや粗雑な頭でも〈屯効率〉などというわけの分からぬ関数を紡ぎだす。これは長年の潜水艦暮らしのせいなのか? それともこの戦のせいなのか? もっと精緻な頭脳が戦にかかわったなら、いったい何を紡ぎだすことか? 空恐ろしい気がする。

おれたちの真の敵は、そうした精緻な頭脳を駆使して、戦争を演出している者たちではないのだろうか?




「考えてもみろ、おれたちアメリカ人にとって本当に奇襲だったのは、パールハーバーじゃないな。パールハーバーが火の海になろうと、多くの人間にとっちゃ、しょせん対岸の火事じゃないか!」

「だが、開戦三日目に、おれやおまえの通う工場が操業を停止、欠かせぬ足である車のガソリンが配給制となるかも知れないなんて、いったい誰が予想したろう?」

「西海岸にだって油田はある。運ぶのには、パイプラインもタンクローリーも鉄道もある」「けれど、シスコやロスへは、大部分をタンカーで運んでいたわけさ。一万トンクラス以上のタンカーで、運航中だったものは、この三日間であらかたジャップに沈められてしまった」

「心配ないって? でも現にひどい地区では十ドル札で頬を張ってもガソリンを売らないスタンドばかりだぞ」

「原油を止められたジャップが大砲をぶっ放したのも、わかる気がするね。おれたちだって売らないやつには、ショットガンくらいぶっ放しかねないからな!」

「原料が入らない。製品を運び出せない。工場が停止したままレイオフにでもなったなら、アーミーでもネイビーでもマリーンでも志願するほかはないな」




春山大尉が物憂く首を振る――どうやら束の間まどろんでしまったらしい、夢まで見て。

しかもこのおれがアメリカの労働者になった夢を見るなんて、よほどこたえているのだ、商船ばかり撃沈することが。

春山大尉の乗った伊一五号は西方への避退を中止し、ふたたびロス方面の作戦海域に入った。敵哨戒機の哨戒圏ぎりぎりのあたりだった。

十二月十二日、開戦五日目にあたるこの朝、冷たい小雨にけぶる鉛色の海と空を潜望鏡ごしに眺めていた小太りの瀬川艦長が「おい、先任」と呼ぶなり、潜望鏡を譲る。

春山が覗きこむと、「いた!」

七、八千トンはあるタンカーばかり、五、六隻、船団を組んでやってくる。だが厄介なことに旧式駆逐艦を先頭に、三、四隻の大型哨戒艇が脇を固めている。ここは見送ったほうが賢明かもしれない。

駆逐艦もだが、哨戒艇ほど潜水艦にとって厄介なものはない。せっかく魚雷を放っても、呆気なく船底を通過してしまうだけなのだ。そのくせ、爆雷は駆逐艦なみに素早く投下してくる。

「あの老い耄れ駆逐艦からやろう。それから一番、二番タンカーだ」

瀬川艦長が決断した。

「距離二〇〇〇……一八〇〇……一七五〇……」

「てえーっ」

すかさず潜望鏡を収めて、おれたちは後も見ずに全速で避退した。

どんどん深度を取りながら脳裡に描く――するすると、真っ白く、美しい雷跡を幽かに後に曳きながら、駆逐艦とタンカーの左舷に吸いこまれてゆく、最後の三本の酸素魚雷。

「ぐあん……ぐぐあん……ぐぐあん……がん……がん……がん」

《ん? 命中、爆発音が、多いぞ! あとの三つは余計だ》

長く思案するまでもなかった。艦長も春山も知らなかったが、僚艦の伊一七が近間からすかさず普通魚雷を放ったのだ。スクリュー音が錯綜する。哨戒艇だ。どんどん遠ざかるおれたちを爆雷の轟きと衝撃波が追いかけてくる。

「が、が、ぐぐぐわあん」

異質の轟きと衝撃波が後方からおれたちを揺さぶったとき、みなは納得せざるを得なかった。伊一七が米哨戒艇に屠られたのだった。

「スクリュー音、近い!」

哨戒艇だ。両舷停止してさらに深度を取る。

「深度七五」

「爆雷!」艦内灯が消えて数瞬の闇の後、赤い非常灯がともる。

「深度八五……爆雷!」強烈な衝撃にバルブが吹き飛び、海水が噴き出す。

「爆雷!」艦は左三度傾き、前傾姿勢のままさらに沈下を続ける。

「爆雷!」

「左舷微速前進!」

「爆雷!」

「停止!」

「深度一一五……爆雷!」

「深度一二五……」

「息が苦しい!」膨大な水圧が艦の外殻の鋼鉄を撓め、軋ませる。

「爆雷!」配管バルブが次々に吹き飛び、高圧の海水が艦内至るところに噴出する。

「艦首魚雷管から廃棄物を射出! 同時に艦首ブロー!」前部タンク内の海水を圧し出して浮力を取り戻す。

「深度一一四……九七……」艦は艦首を擡げて、静かに上昇を続ける。「……八一……」

「両舷微速前進!」

「停止!」

「前進!」

「全速前進!」

「助かった!」間一髪で、いつしか危機を脱していた。




59




 列強諜報機関が鎬を削る国際都市上海で、しかも中国内陸部での長年の侵略戦争に倦んだ陸軍将兵が内地へと陸続と通過、帰還してゆくなかで、弥生隊はまたも難題を押しつけられてしまった。

「早期和平を模索する政府関係の要人を、影ながら実質的に護衛せよ」というのだった。

《いったいアナーキスト秘密結社の実行隊員が、いかなる理由にせよ、政府関係者を護衛するものだろうか?》

 その能力ならば確かにあった。上海の裏社会にぴたりと貼りついて、しかも正体を悟られずに暗躍を続ける弥生隊ならば、いかなる狙撃者・暗殺者も見逃すはずはなかった。

合気道の達人の娘である弥生隊長は、現地入りしてからカンフウの技もめきめきと上達した。隊員みなも流派こそ違え、実戦的な体術の練達者ぞろいだし、射撃の腕前はみな一流だ。何よりも魔都上海での諜報戦を潜り抜けてきた経験と勘の冴えがある。

問題は新たな任務が納得のゆくものかどうかだけだ。敵は早期和平の動きを潰そうとする日本の軍部・諜報機関だという。

「ならば、やろう」と決するまでに実に半日の白熱した議論を要した。

しかし、約束の十二月二十日二十時、黄浦は和平飯店のロビーにそれらしき人物は現れなかった。かわりに「日本の密偵二人があたりをうろついていた」との報告を受けた弥生隊長は、こともなげに言い放った。

「消しておしまい」

 脇で聞いていた逆井幹部同志は密かに舌打ちをした。こういうときは《ほうっておおき》とでも応えるべきときなのだ。なまじ殺せば、かえって敵の警戒心を高めてしまう。

事実、その後数日間、黄浦一帯を日本の密偵五、六人がしきりに徘徊していた。先に姿を消した二人を捜索している模様だったが、死体が発見されれば本隊が乗り込んでくる可能性があった。このことを半ば予期していたのか、報告を受けた弥生隊長の返事はさらに短かった。

「消せ!」

このときから上海を舞台に日本の諜報機関と弥生隊の死闘が開始された。

アジア侵略の暗部を担った諜報機関を、どうやら弥生隊長は始めから標的の一つとして捉えていた節があった。

一時、葉子隊から応援を得た局面があったものの、弥生隊はこの死闘をほぼ独力で乗り切った。弱体化し、お門違いの報復まで試みた日本の諜報機関に、各国諜報機関のさまざまな攻撃が相次ぎ、正月を待たずに上海における日本の諜報機関は、いまだ日本軍の占領下にもかかわらず一旦、壊滅してしまったのだった。むろん、暗闘が一段と激化した局面では、第四十一および四十二戦闘団による大規模な側面・後方支援があった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・上海篇』)。

弥生がいくら振り払おうとしても懐かしい春山大尉の笑顔が眼前に浮かぶのは、そんな苦しい闘いの小休止の折だった。

それはさておき、政府関係の要人が現れなかった十二月二十日の深夜、黄浦場末の秘密アジトをひそかに訪れる者があった。合図の特殊なノックの仕方に、ドアを細めに開けると、〈火の玉小僧〉水田一心が立っていた。

食堂地下の隠し扉を潜ってきた一心を見るなり、弥生隊長は目を細めた。この男があまり好きではなかったのだ。しかし彼の携えてきたものは重要であった。懐から無造作に掴み出して、テーブルの上に抛った。

「なんだそれは?」

「見たとおり、ごく小振りの経文一巻よ」

「ふん」

「軸のなかに、天皇ヒロトトが米大統領に宛てた親書が隠されている」

「それをどうする?」

「おれは明日、これを静安のとある店にある鼻煙壺〈葉愛平〉の中に投げ込む」

「それで?」

「店を張っている日本の密偵四、五名をひそかに排除して欲しい」

「店の名は?」

「〈古玩古〉」

「わかった」

「では、あばよ」と、言う間も惜しげに〈火の玉小僧〉は姿を消していた。




60




 いま艦は満天の星屑の光を浴びながら、舳先を西南西に向けて浮上、充電航走している。

艦橋に降りかかる凍るような波飛沫も冷たい夜風も刺すような星屑の光も、昨日までの激闘の悪夢を完全には拭いさってくれない。

「旭日島で、補給。三日間の休養ののち、再度、作戦海域に戻れ、というわけですか?」と、当直明けの塩島が珍しく問いかけてくる。

「ああ、ミッドウェイ島、改め旭日島に、早くも潜水隊司令部が進出したのか、それとも補給先遣隊が着くのかは、分からないがな」と、春山大尉もタバコに火をつける。「本艦を含め、ロス方面隊三小隊十四隻に、旭日島での補給・再出撃が命じられた模様だ」

「そうですか、果たしてそのうちの何隻と無事、顔を合せることになるんでしょう。すれ違いに終わる艦も多いことでしょうね」

春山大尉は知らなかったけれど、潜水母艦「迅鯨」率いる輸送船三、哨戒艇五の補給先遣隊が、十五日に旭日島へ急遽、立ち寄ることになっていた。この「迅鯨」には潜水艦乗組員の休養・娯楽施設も整っていたが、一昨年の大幅改装の結果、水戦五機までの水上機母艦の機能も兼ね備えていた。

水戦と哨戒艇が警戒するなか、北東太平洋での危険な洋上補給を慌ただしく済ませることを想定していたのだが、旭日島での補給ばかりか、パールハーバー攻略戦の決着次第では、真珠湾に入港して補給作業に当たる可能性も見えてきた。潜水隊司令部のパールハーバーへの推進も早まることとなろう。

もともと伊号潜は、艦隊決戦を想定して建造されていたから、通商破壊戦には向かない面が多々あった。しかし、大型で静粛性には欠けるものの、航続力と凌波性にすぐれ、強力な攻撃力を持っていたから、太平洋において、集中的な用い方次第では、敵の意表を衝く大きな効果が得られる。

その意味では、米西海岸の沿岸航路および主要航路への開戦前夜の全力出撃と開戦後三日間の奮闘は、まさに奇襲の絶大な効果を発揮したといえる。

なにしろ、敵の有効な対潜哨戒網が構築されるまえに、七百五十万総トンもの商船を海底に沈めてしまったのだから。

これでアメリカは事前にまったく予想もしなかった局面に立たされてしまった。

自国の経済面から、たかが日本を相手に戦争の継続が危ぶまれる事態に直面したのである。米大統領は苦境に立たされていた。しかも太平洋の全戦線での敗北は、なおも続くのであった。

小太りの瀬川艦長も、珍しく妙な夢を見た――




「日本は日独伊三国同盟を解消したばかりか、独伊と国交断絶した。中国からは一方的に撤退しつつある。東条は辞職した。これ以上、日本と戦う、どんな理由があるんです、大統領?」と、ファック上院議員が詰め寄る。「日本とは即、休戦すべきです」

「もう、パールハーバーを忘れたのか?」と、ルーズベルト大統領が切り返す。

「ざっくばらんに言って、大統領、あなたはアメリカ国民を、対独戦に引き込みたかった。そのために、日本を追いつめて、真珠湾攻撃に踏み切らせた。

ドイツと戦端を開いて目的を達したからには、もう日本はほっといたらどうです。何も、こんなふうに、二正面作戦で出血を強いられつづけることはない。対日交渉の余地はまだありますね」と、アス上院議員は涼しい顔だ。

「むむむむ、む」と、ルーズベルト大統領。「仮にそうだとしても、挑発に、ただ乗ってくるほど愚かな国か、日本は? 少なくともヤマモトは、のっけに通商破壊戦を挑んできた、それも全力投球でだ。おかげで西海岸側の七百五十万総トンの商船が、開戦三日たらずで壊滅し、石油は高騰し、遠からず戦時統制を余儀なくされる勢いだし、工場はストップ、株は上がったと思ったら、大暴落だ。まさに遠くの戦争(欧州・ハワイ)は買い、近くの戦争(西海岸の通商破壊戦)は売りだ。経済への悪影響はこのほうが大きい。」

「今朝も続落してますよ」と、ファック上院議員が口を尖らして見せる。

「心配ない。週明けには飛行機・空母・高速戦艦の大増産政策を発表する。それに駆逐艦と潜水艦、むろん輸送船もだ。株価は持ち直すだろう」

と、早くも立ち直ってルーズベルト大統領が請け合う。すると一転、ファック上院議員はそわそわしだす。

「どてん買いで、あざとく買い方に鞍がえ、なんてするなよ」と、アス上院議員がファック上院議員に釘を刺す。「またぞろ、インサイダー取引スキャンダルなんてのは、ご免だからな」

「戦線での敗北つづきのこのときに、醜聞でも立てば、とても政権維持は覚つかない。一度でも大きく勝てば、対日交渉再考の余地も出てこようが……それにしても日本潜水艦の跳梁跋扈を何とかしなければ」と、三人とも思案投げ首の様子だ。




《まったく、可笑しな夢を見るものだ》

と、波間に揺れる艦長室の狭苦しいベッドのなかで冷や汗を拭ったところで、瀬川艦長はハッと目が覚めた。あますところあと三日で旭日島に到着する日の昼下がり、仮眠中のことで、艦の総指揮は先任の春山大尉に任せていたときのことだった。




61




 潮風の吹き抜けるアカシアと煉瓦の街、大連港から蘭子はいま戻ったばかりだった。

戦争はあいにく勝ちつづけていた。

内地は政治の嵐と、〈奈〉〈愛〉〈圭〉三隊らの捲き起こす旋風が吹き荒れている。

それは良い。問題は成ったばかりの万衆国の現実だった。

関東軍の圧倒的な軍事力と、満鉄を梃子とする日本の経済力に押し潰されて、皇帝溥儀の独自路線は風前の灯だった。だが、どんなかたちであれ、国家の存続に手を貸すようなまねは、主義者としては出来ない。

日本帝国の軍事と経済の結節点を、標的として、蘭子は狙い撃つことにした。満鉄上層部と関東軍首脳陣、それに諜報機関、これら三者と深く関わる者たちを、抹殺リストの上位からマークした。そして上位者三十名の抹殺をただちに指令した。三人の幹部同志の指揮下で、二十一人の平同志がこれに当たる。

さしあたり、ほかにもなすべきことは山積していた。開戦翌日の九日に解体されたばかりの七三一部隊のうち、積極的に「丸太」の虐殺に関わった者たち、これら人類の敵をどうして赦すことが出来ようか? 七三一部隊関係者抹殺リストの上位から五十名をマークし、「他の実戦部隊への編入時の混乱に乗じて、即刻抹殺せよ」と命じた。別の三人の幹部同志が指揮を執り、二十一人の平同志がこれに当たる。

氷都ハルビンの魔窟の秘密アジトで、芥子入りタバコを燻らしながら、蘭子は想を練った。

隊はほぼ全力出動に近い。残る戦力――幹部同志一人、平同志七人、それに自分の九人――で、いったい何が出来るのか?

最も危険な、難敵に当たるべきだろう。折よく、葉子隊の手だれ五人が助っ人として、大連から分散同行してきていた。これで戦力は十四人だ。

蘭子は即座に決断した。

日本の諜報機関と正面対決することにしたのだった。目障りな日本の密偵五人を始末すると、ハルビンの魔窟の秘密アジトを即刻引き払い、第二アジトに移動した。即日、日本の諜報機関員一名を血祭りに挙げた。同日、夕刻にまた二人、深夜に四人、翌日未明に五人と、相手の反撃態勢の整わぬうちに、致命的な打撃を敵機関中枢に与えていった。

何ひとつ痕跡を残さなかった。諜報員相手に、死の執行人に結びつく手がかりを遺すことなどは、論外だからだった。

だが、数知れぬ修羅場を潜り抜けてきた老練の諜報員、通称〈死に神〉はさすがに手強く、捕捉することも困難で、死闘の過程で思わぬ反撃を喰らって、蘭子自身も軽傷を負ったし、蘭子を庇った猪狩幹部同志は重傷を負ってしまった。幸い、葉子隊から助っ人に参じた五人に怪我はなかった。

むろん、何度となく蘭子隊は危機に陥り、そのたびに第四十三・四十四戦闘団の側面・後方からの支援があった(『幻のアナーキスト戦闘団秘史・大陸篇』)。

治りの遅い傷の手当てをしながら、蘭子は新庄少尉のことを想った。

《すでに戦死しているかも知れない。しかし彼が還ってくれば、国内戦を共に闘うことが出来るのだ》




 満鉄上層部と関東軍首脳陣を狙った三班は、すでに二十六名を処刑していた。

七三一部隊関係者抹殺に当たった他の三班は、早くも四十三名を処刑している。

辛くも処刑を逃れた満鉄の四名と関東軍の七名、計十一名は梨枝・葉子隊合同の「青紙」召集に処刑の寸前に応召して、内南洋に去ってしまった。

逆に「青紙」召集の対象者であったにもかかわらず、蘭子隊によって、渡航寸前に大連で消されてしまった者が、十七名も出た。

現場の者たちは、一方が「してやったり」と溜飲を下げるかと思えば、他方は「出し抜かれた」と憤激した。

確かに、事前の調整がなされてしかるべきだったかも知れないが、到底そんな時間的余裕はなかったし、いずれにしても葉子、蘭子、両隊長はともに気にしてはいなかった。

結果は結果だし、実行隊の《他隊の方針には干渉しない》、が結社の鉄則だったから。

蘭子隊六班による処刑者、計六十九名、それぞれの骸の傍らには、これら奸悪な植民地主義者の罪状を、克明に記した紙片が翻り、その文面の末尾には、署名代わりに、蘭の墨絵のうえに〈蘭〉の一文字が墨痕鮮やか且つ軽やかに踊っていたことだった。

これらの紙片を拾い見たハルビンや大連の人びとは、日本語のわかる同胞から内容を確かめて、木枯らし吹きすさぶ広い街路の薄い夕陽に、久びさの笑顔を漏らしたことだった。




62




 そのころ伊号潜シアトル方面隊十三隻は、北東太平洋海盆に向けて、厳冬の荒海を続々と帰投しつつあった。海盆上の一点で、シアトル補給先遣隊と会合するためである。

最北の作戦海域、東部アリューシャン列島からアラスカの太平洋岸を受け持った小隊五隻は、「一隻当り十万総トン撃沈」の目標をクリアする艦こそさすがにまだなかったものの、この海域で出合った敵の大型船を悉く撃ち沈め、魚雷を使い果たして、戦争景気に沸き立つかに見えたアラスカ経済を一気に沈滞化させた。

美しい森の島クイーンシャーロット諸島からバンクーバー島まで、カナダの太平洋岸を受け持った小隊五隻は、目標をクリアした艦は二隻に止まったが、この海域で出合った敵の大型船を悉く撃ち沈め、カナダ西海岸の経済に冷水を浴びせた。

オリンパス山二千四百二十四メートルを見晴るかすフラタリ岬からブランコ岬までの米西海岸沖を受け持った本隊五隻と遊撃隊三隻は、目標をクリアした艦は早くも六隻に及び、魚雷を撃ち尽して、戦争景気に沸き立つかに見えたアメリカ西海岸のこの地域一帯の経済を一時的にせよ冷え込ませた。

シスコ方面隊十二隻はそのころ、マーレー断裂帯洋上での補給のために、三々五々帰投しつつあった。水戦と哨戒艇が警戒するなか、北東太平洋での危険な洋上補給を慌ただしく済ますことを命じられたのだった。シスコ方面の戦局は重大で寸刻が惜しまれた。

最後の一艦がようやく補給を済ませて再度出撃する段になって、米長距離哨戒飛行艇カタリナ一機が夕陽を浴びて飛来したが、警戒中の水戦三機が執拗に攻撃、ついに撃墜してしまった。しかし米機に発見されて補給位置を通報された以上、この断裂帯上での補給作業はきわめて危険なものとなった。シスコ補給先遣隊は直ちに左一八〇度回頭、占領直後のパールハーバーへと回航した。

シスコ方面隊の開戦後三日間にわたる戦果は、撃沈商船二百万総トンを軽く超え、ほかに米軽巡・米駆逐艦・米潜各一を屠ったうえ、米補給艦三を撃破している。中でも一艦は暮れ方、回航中の「ホーネット」型空母一を望見、追跡したが、惜しくも夕闇降りる波間に見失ってしまった。味方は米駆逐艦と、米哨戒艇、米哨戒機の爆雷攻撃によって、それぞれ一艦ずつが沈められている。

米マスコミは日本潜水艦の撃沈を連日、大々的に報じていたけれど、通商破壊戦の緒戦において日本側が圧倒的な優位に立ってしまったことは、日米両国民にとって自明のことであった。

ロス方面隊の活躍については、春山大尉乗組みの伊一五の項で、先に述べたとおり。ただ、この方面の潜水隊が最大の戦果を挙げた、とだけ付言しておこう。




63




 いままた米太平洋艦隊司令部所在地に返り咲いたサンディエゴは、俄かに召集された新旧、大小の艦で犇いていた(幸か不幸かキンメル大将は開戦二日目にハワイで、日本艦爆による急降下爆撃で戦死を遂げ、従って敗北の責任を問われる不名誉な査問にかけられることもなかった)。新任のニミッツ提督は、まずこれらの艦を整理・統合することから始めねばならなかった。

 そのころディエゴ方面隊十三隻は、モロカイ断裂帯に向けて、茜色差す北太平洋の海原を三々五々帰投しつつあった。断裂上の一点で、ディエゴ補給先遣隊と会合し、危険な洋上補給を慌ただしく済ませるためである。

しかし、この引き揚げ途中、ディエゴ方面隊最後尾の一艦、つまり十三隻目の伊号潜には、送り狼がついていた。

パルミラ島から単艦で母港サンディエゴに帰還途中の米旧型駆逐艦「クッシング」が、夕闇せまるモロカイ断裂帯にさしかかったころ、遥かかなたに反航する伊号潜の特徴あるシルエットを捉えたのだった。伊号潜からは逆光ゆえか、このとき「クッシング」を発見することが出来なかった。

老獪な米駆逐艦艦長マリガンは、咄嗟に右回頭、ついで左回頭して、伊号潜の遥か背後に回った。

《近ごろしきりにサンディエゴ近海に出没して、したい放題の日本潜水艦の片割れに違いない、どのように料理してくれようか》と、マリガン艦長は舌なめずりした。《とはいえ、手早くやらないと、夕闇に紛れて波間に見失いそうだし、残燃料も心もとない》

ここでマリガン艦長は、はたと手を打った。

《残燃料が心もとないのはどうやら、帰投中の伊号潜も同じことなのだ。行く手に補給艦が待ち構えているに違いない。そいつもろとも料理してやるにかぎる》

マリガン艦長の推測どおり、補給地点は行く手まぢかにあった。ただ少し勝手が違ったのは、待ち構えていたのが、ただの補給艦一隻だけではなかったことである。水戦の飛ばぬ夜闇にそなえて、幸いなことに、日本哨戒艇五隻は警戒を強めていた。

夕映えの残滓も消えかかる東の海上に、最後の伊号潜を認め、注視のなか、その遥か後方に続航する不審艦一隻を発見した哨戒艇が間髪をおかず照明弾を打ち上げた。眩い光のなかに日本艦が米駆逐艦を認めるのと、「クッシング」がひときわ大きな潜水母艦「長鯨」の艦影を認めて、まっしぐらに殺到しながら主砲を撃ちだすのがほとんど同時であった。応戦、避退する間もなく「長鯨」は至近弾の噴き上げる水柱に包まれてしまった。

「長鯨」の十四センチ砲四門に加えて、哨戒艇三、付近に浮上中の伊号潜七の各砲が、しきりに直撃弾、至近弾を浴びせまくったが、「長鯨」めがけて発砲しながら突撃してくる「クッシング」を止めるすべはなかった。このとき、最寄りの哨戒艇一隻がわが身を犠牲にして「クッシング」の艦尾付近に突っ込まなかったならば。

激突した哨戒艇「島風」はやがて沈没してしまったが、哨戒艇とはいえ、この初代「島風」は就役当時は最速の駆逐艦であった。衝突された「クッシング」のほうも無事であろうはずがない。艦尾を大破し、衝撃でくるりと右回頭し、急激な浸水に往き足が止まったところに集中砲火を浴びて、火だるまとなりながら千切れた艦尾のほうから海中に没していった。負傷したマリガン艦長は助け出されて、ボートに乗ったところを他の哨戒艇に拿捕され、部下数十名とともに日本海軍の捕虜となった。沈没した「島風」乗組員の多くが素早く救助されたことはいうまでもない。




64




 皇居前広場で、白馬に跨って大元帥服姿で陸海軍兵士を閲兵した。

思えば、あのころが凡庸な昭和天皇の仮面のもとに、猜疑心強く倣岸なヒロヒトが発現した絶頂期であった。

あの日を境にひろひとは――侍医の粒良だけが知っていた――絶えず出血していた。いわゆる下血である。到底たんなる痔疾とは思われず、当時最新の、いまからすればかなり太めの内視鏡をむりやり肛門から押しこんで診た粒良の眼を射たものは、大腸内に巣くう禍々しい珊瑚色のポリープの群れであった。

《これは切除しなければ……しかし玉体に人工肛門とは! ミシンとこうもり傘の手術台の上での出会いよりも唐突で、畏れ多いことだ》

幼少のころからストレス過多のひろひとの人生を間近に知る粒良としては、高名無能な帝大教授陣立会いの下に開腹された挙句、救われもせぬ天皇ひろひとの最期が目に見えて、耐えがたい思いに襲われるのであった。

「もともと草木が慈しまれるのと同じように、ほんらい民百姓に慕われるべき天皇なのに、歴史的にみればまたしても突然変異的に」と、古女房にこぼしてみる。「明治維新からこの方、急速な日本の近代化と資本主義化に奉仕させられているばかりか、絶対主義・軍国主義・官僚主義の走狗と化している。国内の破綻の帳尻を朝鮮・台湾・中国で付けようとした伊藤博文一派の責任は重い。現に、アジアの民衆は日本の侵略・搾取に塗炭の苦しみに喘いでいるじゃないか!」

「だったら個人としての天皇が精神・健康に変調を来たすのはむしろ正常なことね。その意味では伊藤一派の期待に応えて大室寅之助なる若者はよく明治天皇を演じきったといえるんじゃない? なにしろ生来、虚弱怠惰な真帝に倣うどころか、この偽帝は皇居の中庭で陸軍将兵と相撲に打ち興じたんでしょ?」と古女房め、すかさず言ってくれるものだ。

「裕仁、ヒロヒト、ひろひと、皇統二千年の重圧のもとにたまさか発現した無垢でアナーキーな寛人=ヒロトト少年、あの少年の無辜の魂を伸ばしてやりたいと苦心惨憺したおのれの半生はいったいなんだったのか? 少年の飽くなき好奇心に負けて、生物学の原書に紛れこませてアナーキズム文献を幾たび運んだことか!」

「皇族・貴族の子弟が〈革命〉に心惹かれるのは何もいまに始まった話じゃないでしょ?」

「ただ、ヒロトト少年の寄せる関心の深さには、どこか切羽詰まったひたむきなものがあって、それがおれの冷えた心の琴線に強く響いたのだ」

幽愁の思いに屈したまま、平河町の自宅に久方ぶりに帰った粒良であったが、その眼がふと書斎の飾り棚の奥に釘づけになった。

《あれを試してみる時期が来たのかも知れぬ。直径二十センチほどの黒ぐろとした硬い瘤の塊チャーガ、要するに白樺の癌みたいな茸なのだが、万人の万病、ことに癌に効くという》(ロシアの作家ソルジェニーツィンが自らの癌を克服したのも、このチャーガによってであった――『癌病棟』)。

白ロシア出身の駐在武官ステプシ何某が、夫人の病快癒の礼にと、押しつけるように置いていった厳寒の白樺林からの贈り物――

ステプシ夫人の白くほっそりした長く美しい右脚、その膝裏に巣くった肉腫を大きめに切除することは、場数を踏んだ執刀医粒良にとって、さして難しい手術ではなかった。

ただ、血管をとりこんだ肉腫を血管づたいにメスを入れて血管を傷つけずに取り除くのと、再発を防ぐために血管の外壁を薄く削ぐ、その手間がかかっただけのことだった。

「脂肪肉腫ではあるけれど、かなり悪性のもので、神経や血管が犯されて手遅れになれば、右脚を切断するほかなかったし、再発は……、転移すれば命が脅かされ……」

と、術後に他の医師から聞かされて、ステプシ夫人は安堵と感謝の涙を流したことだった。

整形外科と協同した形成外科で二度やり直した皮膚移植の手術も終えて、ようやく迎えた退院の折には、退屈な病院暮らしのつれづれに看護婦の奈々から習い覚えた日本語で、たどたどしさは残るものの、与謝野晶子ばりの短歌を、粒良医師に贈ったことだった。




  肉腫去りて膝裏に咲いた創の花きみ吾が生命救いたまいし

 エレーナ・ステプシ




《ニヒルで凄腕の異邦の青年医師!》

束の間の恋の炎が一瞬、夫人の白い胸に燃えあがったかのようであった。




――厳寒の白樺林からの贈り物。粒良は小刀の鞘を払って、黒い塊を両断し、片方を元の場所に収めると、もう片方をさらに二つに割って、そのまた半分を細かく砕いて、薬研で粉末にした。これを黒麹仕込みの芋焼酎に溶かしこんだ。

ひとくち口に含むとなかなか、いける。何のことはない。出来上がったチャーガ焼酎の薬湯十本のうち一本分は、おのれがその場で飲んでしまった。

日ごろの肩こりが和らぐのを覚えて、これを半月ほども続けると、身体になんの不調も現れないばかりか、高めだった血糖値と血圧が目に見えて下がったし、年来のアレルギー症状はいつしか消えていた。

そこでやっと侍医粒良としては、天皇ひろひとに服用させる決心がついた。その間、ひろひとは人知れず衰弱し続けていた。だが、これをひろひとに毎食前に服用させると、食欲も回復するようであった。

二月後にふたたび、内視鏡をむりやり肛門に押し入れると、ポリープはすっかり消えて、粒良の眼に映ったのは、初々しいピンク色の腸管内壁ばかりであった。

「この腸ならば、二百歳までもちますよ」

粒良がひろひとに請け合ったことだった。




65




 重い波をかきわけて乳色の海をすすむ伊一九艦橋で見張りに立ちながら、ただ耳だけを欹てて、肌にまとわりつく潮まじりの霧に、榊原三等水兵はむしろ心地よさを感じていた。

立哨当番になっていそいそと艦橋ラッタルを駆けあがるのは、潜水艦乗りくらいのものだろう――狭苦しい艦内に淀んだ空気から解放されて、新鮮な大気を肺の底まで吸いこみ、やがておのれを取り巻く大海原の真っ只中で、ただ独りであると感じる。

しかしハッチを開けたとたん、榊原毅はあっけに取られてしまった。

見張りに就こうにも、目のまえの手摺りすら見えない。あたり一面、乳色の世界だった。

ただ艦体にぶちあたる波の衝撃とエンジンの振動から、艦が全速に近い速度をいささかも落としていないことだけはわかる。赤道を越えた南太平洋で、こんな濃霧に出くわすとは想ってもみないことだった。濡れそぼった頬に突き刺すような涼気、これもやはりフンボルト寒流の影響だろうか? 一四二〇年代には鄭和の宝船艦隊の一支隊が、この冷たい海流に乗ってこのあたりまで帆走して来て、向きを変えたのかも知れない。

つい百年ほどまえにはダーウィンの乗組んだビーグル号もこのあたりの海域を航海したのだろうか? 読み止しにしたまま内地に置き忘れてきてしまった『ビーグル号航海記』――あの本を、果たして自分は手ずから梨枝に返すことが出来るだろうか? 憧れにも近い気持ちを抱きつづけていたこのおれに、自ら身体を開いてくれた梨枝。あの一夜の思い出だけを胸に秘めておれは海底に沈むことだろう。ついにおのれの闘う場を得なかった第九戦闘団アナーキストの一戦士として、パナマ湾底に瞑るのだ。




しかしパナマ湾口に潜入する危険を冒すまでもなく、パナマ方面分隊七隻はむしろ獲物の選定に苦労した。

それほどパナマ運河を出入りする商船の数は夥しかった。

とはいえ開戦四日目に入ると、太平洋側ではパナマ運河を出入りする商船がぱたりと途絶えてしまった。無理してパナマ湾を出ても、みすみす日本潜水艦の餌食となることが目に見えていたから。

遥か昔、南太平洋から中国人たちが持ち込んだココ椰子の生い茂るココス島=大鮫の群れ遊ぶマルペロ島=赤道直下のガラパゴス群島を結ぶ、やや扁平だが広大な三角形の海域に移動したパナマ方面分隊七隻は、ここでも撃ち漏らした商船を追跡し、待ち伏せして三十万総トン近くを撃沈破している。パナマ方面への補給先遣隊は、遠路はるばるクリッパートン断裂帯まで進出して、一見のどかな眠気を誘う海原で、そこまで北上してきた分隊相手に、危険な洋上補給を大過なく完了した

他方、内南洋から南西太平洋へ進出したサモア方面分隊八隻は、さらに東へ分かれた小隊三隻がタヒチ島の周辺海域へ、西へ分かれた小隊五隻がフィジー島の周辺海域へと分派されていた。

そして海水のあまりの透明度ゆえに、潜航していても真上の上空からは艦体が丸見えの海域さえある戦い難い南海の戦場で、開戦直後から米豪間の通商破壊戦を活発に展開し、三日間で撃沈した商船は七十万総トンに及んだ。

対潜哨戒策立ち上げの遅れが目立つオーストラリア、ニュージーランド両海軍の虚を衝いて、この両小隊は望外の大戦果を上げたのだった。




66




 強烈な南洋の陽射しのもと、荒波を蹴立ててすすむ「第八京丸」の舳先にどっかと胡坐をかいて、赤銅色の肌に波飛沫を浴びながら、胡麻白頭の秋蔵は憮然とした表情を崩そうともしなかった。

腹が煮えてならなかった――いくら帝国海軍が艦艇不足だからといって、何も捕鯨船まで使って敵の貨物船を追い回さなくても、よかりそうなものだ。

「敵船を見つけ次第、手当たり次第に拿捕・拘引する」というのだから、これではまるで海賊だ。敵とはいえ、相手も同じ船乗りなのに、銃を突きつけて「大人しく言うことを聞けばよし、聞かなければその場で撃ち殺す」のだ。これは鯨を殺すのとはわけが違う。人間相手の戦争だ。戦争なら戦争らしいやり方で、どこかよそでやってくれ。おれの、おれらの「第八京丸」に土足で踏み込んできた軍人ども。

重い重機関銃を抱えた、まだ童顔の兵も混じる陸戦隊員が、秋蔵の脇をすり抜けて、捕鯨砲の後ろの船首と船尾にあっという間に一銃ずつを据えつけた。

これで戦闘準備完了というわけだ。あんなもので敵船を威嚇しようというのか? 船腹に穴でも開けようというのか? あんなものをぶっ放したなら死人、怪我人が続出する。

腕のいい砲手で、すでに何百頭もの鯨を屠ってきた秋蔵だが、鯨一頭一頭の命をおろそかに思ったことは一度もなかった。それがこれを限りに陸に上ろうという五十六歳のいまになって、おのれの船で人殺しの惨劇を目の当たりにしなければならなくなるとは!

 モウビィディック! 〈白鯨〉と人間たちの壮絶な戦いがくり広げられたその同じ海で、いまは人間同士の愚かしい戦がくり広げられようとしている。

「てきせーん」と、見張りマストに貼りついた鉄男が頓狂な潮嗄れ声を張り上げる。

《ふん、鯨と違って、貨物船は海に潜りもしなければ、気まぐれにあちらこちらと泳ぎ回りもしない。ただ一直線におのれの航路を進むだけだ。呼吸のときだけ海面に浮上して、潮を噴き上げたかと思えばまるで別方向の海面に顔を出す鯨と違って、貨物船はばかでかい煙突から四六時中煙を吐き出している。そんなでかい図体ならば、あの鉄男にだって発見は容易だろうて》

そんな秋蔵の思いをよそに、「第八京丸」は面舵いっぱい急回頭、急進撃して、大波が舳先にもろにぶち当たり、みな腰にまわした命綱のロープ一本がなかったなら、陸戦隊員もろとも秋蔵も船外に投げ出されて、泡だつ海にたちまち呑まれてしまったことだろう。

急迫する「第八京丸」と僚船「第九鬼丸」の前方五千メートルに、七、八千トンはある貨物船がくっきりと見えてきた。追いすがる小船二隻を尻目に悠然とおのれの進路を保ちつづけている。さすがの秋蔵も思わず立ち上がらざるをえなかった。

敵大型貨物船の右舷前方に回りこんだ「第八京丸」の対空機銃三銃が、敵の船首付近を一斉に威嚇射撃する。舳先に据えた重機もすかさず射撃を開始する。しかし敵船は停止するどころか速度を上げてしゃにむに離脱しようとする。そればかりか無線室からは

《SOS、メーデー、メーデー、本船は日本の武装キャッチャーボートに襲われている。位置は南緯…東経…》

と、打電の真っ最中であった。困惑した西岡少尉は実効射撃を命じ、対空機銃三の銃弾が敵船の船橋付近に集中し、舳先の重機が舷側から身を乗り出した敵の船員たちを薙ぎ倒す。敵船の左舷船尾から迫る「第九鬼丸」も船員居住区の舷窓めがけて実弾を送りこむ。

《これではいたずらに死傷者が増えるばかりだ》

歯がみした秋蔵が「京丸」の舳先にすっくと仁王立ちになる。左手をさっと上げると、ぴたりと息の合った抜群のタイミングで、船長の松尾が舵輪を左に切る。全速で飛ぶように波間を翔ける「京丸」。

《さて、どこに当ててくれよう?》

捕鯨砲の砲尾に立って、はったと獲物を見据える秋蔵の眼が、海鷲の眼にも似て、黄色く耀く。距離七〇〇…五五〇…三五〇…一七〇…九〇……

巨船の舷側が黒ぐろと眼前にのしかかるように迫ってくる。

《そこだ!》

「タン!」

と、鈍い砲声が轟いて、見事な放物線を描きながら宙を飛ぶ銛。するすると伸びてゆく捕鯨索。息を呑む間もなく、秋蔵の放った銛は巨船の錨穴に吸い込まれていった。

くぐもった爆発音が轟いて錨鎖庫で炸裂した銛が、鉄の鍵爪を突き立てる。

秋蔵が右手を振り上げ、振り下ろす。とたんに衝突寸前の「京丸」が全速後進して、捕鯨索が空中にぴんと張る。ほぼ同時に巨船の反対側で「鬼丸」の放った銛が巨船の左舷船尾の舷窓を突き破って炸裂した。「鬼丸」も全速後進をかけて捕鯨索がぴんと張った。

船首を右へ、船尾を左へ、正反対の方向に強烈に曳く二つの異常な力をいきなり受けた巨船は梃子の原理で、船橋を軸に、右舷に大きく傾きながら右旋回した。貨物を満載した大型輸送船が転覆を免れるためには、操舵手ジェームズが本能的にしたように、咄嗟に面舵を切るほかはなかった。

さすがの巨船も汽笛の悲鳴を長々とあげて、はるかに小振りな日本の二隻のキャッチャーボートに降伏せざるをえなかった。

 巨船の左舷後方で「鬼丸」がすべての銃口を向けて警戒するなか、巨船の横腹にぴたりと横付けした「京丸」の甲板からは射出機でジャコブ・ラダーが打ち出され、西岡少尉以下、十四名の陸戦隊員が、猿のように素早く攀じ登っていった。

《ふん、基礎的な訓練だけはやってきたと見える》

と、京丸の舳先にまたもどっかりと胡坐をかいて、のしかかる黒ぐろとした巨船の舷側を見上げながら呟く秋蔵を尻目に、早くもジャコブを登りつめて敵船の甲板に降りたった陸戦隊員十一名が手早く甲板、船首、船尾、通信室、機関室を制圧する。

一方、西岡少尉以下三名の陸戦隊員は、船橋脇のラッタルを駆け登り、操舵室を占拠した。敵船長に銃口を向ける隊員を制して、西岡少尉が冷ややかに宣した。

「ナウ、ユア・シップ・イズ・アンダー・アワ・インペリアル・ネイヴィズ・コントロール」(いまや貴船はわが帝国海軍の指揮下にある。)

「ワット・ナンセンス!」(そんなたわけたことがあるか!)

「ナンセンス・インナ・センス、バット・ユウ・マスト・オベイ・ミー」(たわけていようがいまいが、貴殿は本官の命に服さねばならない。)

「エニウェイ、ユウ・ハヴ・ガンズ、ビッチ!」(どうせ、筒先を向けているのはおまえらだ、くそっ)

「クール・ダウン・フォア・ユア・メンズ・セイク、キャプテン〈ビッチ〉!」(落着いたほうが、貴殿の部下のためだぞ〈ビッチ〉船長!)

 秋蔵が聞いたら目を丸くするような会話を「ビッチ」船長相手に西岡少尉はしてのけていた。「京丸」の松尾船長が、舵輪に片手を預けたまま、頭上にのしかかる巨船の船首を見上げる。

《船名はULYSSES……ユ・リ・シー・ズ……ウリッセス……オデュッセウス、こいつはのっけから大変な英雄を拿捕してしまったものだ!》

 やがて黄昏の水平線上に、連絡を受けた曳鯨船一隻が現れ、「ビッチ」船長以下五十一名の「ユリシーズ」乗組員――うち十八名が重軽傷を負っていたが、幸いにも死者はいなかった――を移乗させ、代替操船の陸戦隊員八名が「ユリシーズ」号に乗り込むと、曳鯨船は獲物の巨船を曳いて、ふたたび母船のもとへ還っていった。むろん二船の間には太い曳き綱が渡されていたが、代替操船員が大過なく動かしたから、「ユリシーズ」号は自力で航行していった。

それより先、西岡少尉以下十四名の陸戦隊員は「第八京丸」に戻っていた。負傷者一名を含む全員が無事に戻るのを見届けると、秋蔵さえもほっと溜息をついたことだった。「京丸」と「鬼丸」はふたたび新たな獲物を求めて、大海原を駆け巡るのであった。

《二度目は、こうは容易くはゆくまいて》

秋蔵のその思いは、松尾船長も同じだった。




67




 戦線の一時的膠着のつづくハワイ、オアフ島東岸カネオヘ湾沖に、「ハワイ方面遊撃部隊」が突如、姿を現したのは、十二月二十三日未明のことだった。

ジョンストン島、改め南亀島から五日間をかけて航海してきたのである。

水偵五機が吊るす吊光弾の眩い光に浮かび上がった海岸線に、「伊勢」「日向」が主砲弾・副砲弾を釣瓶打ちに撃ちこみ、軽巡「川内」「夕張」、駆逐艦十六隻が海岸線に肉迫すると、主砲・副砲から機関砲・各種機銃にいたるまで一斉に火を噴いた。ミッドウェイ島攻略戦あるいはウェーキ島攻略戦、そしてジョンストン島攻略戦を戦い抜いた歴戦の陸戦隊員五十名・陸軍兵士二千四百四十三名が、奇岩の山裾の狭い浜を北端とするカハルウ周辺の浜辺にいっせいに上陸を開始した。

夜明けの光を待たずに「鳳翔」「瑞鳳」から独立零戦隊の零戦が飛来し、銃爆撃をくり返した。夜明けの光とともに少数ながら艦攻・艦爆・艦戦が全機出撃し、カネオヘの湾岸線からコオラウ山地にいたる内陸部の敵陣地を爆撃、掃射した。水戦隊も上陸部隊に貴重な援護射撃を送った。

カハルウ上陸・占拠を果たした上陸部隊は正午の大休止もそこそこに、陸戦隊員四十八名――そのなかにはあの林純一隊員の童顔も混じっていた――を含む千四十八名が海岸線づたいに南下して、ヘエラを経てカネオヘを目指し、カハルウの拠点防衛に四百三十五名だけを残して、残る千名の陸軍将兵はやや内陸を海岸線と並行して走る八三号線を一路南下してカネオヘを目指した。

遊撃艦隊はカネオヘ湾内にとどまり、飲料水・生鮮食料の補給に努めつつ、四方に睨みを利かせた。上陸部隊の支援のほかに、内陸部の偵察を強化して、敵に大きな動きがあればすかさず叩き、周辺海域を偵察・哨戒することも欠かせなかった。ことに、カイウイ海峡を挟んで隣のモロカイ島と密かに連絡を取ろうとする米兵があとを絶たなかったから、なおさらのことであった。

 一方、先にホノルルとダイヤモンドヘッドの連絡を完全に断ち切るために、マノア川沿いに上流域へと深く進出した陸兵二千のうち七百三十名は、プウウ・コナフアヌル山頂下にもうひとつの川の源流を見つけて、渓流づたいに西進、やがて六一号線に出て、ホノルル北面の陣地に帰還したが、新庄少尉を含む将兵千二百四十五名は源流を渡り、さらにプウウ山麓を時計回りに迂回して、六一号線に出て東進、カイルアとカネオヘ方面の分岐点にいたるや、カネオヘ目指して進撃速度を速め、東海岸に上陸した遊撃部隊との打通を図った。

激戦の末にカネオへ基地と町を占領、合同を果たした遊撃部隊二隊と新庄少尉の部隊、計三千名弱はカネオヘの町に二泊、その間にカネオヘ基地に飛来した独立零戦隊八機が基地に常駐、部隊の進撃を直接支援することになった。

陸戦隊員四十七名と陸兵四百五十九名を基地と町の防衛に残して、新庄少尉を含む陸軍将兵二千五百名は一斉にカイルアの敵基地めざして南下した。圧倒的な兵力でカイルア基地と町を制圧すると、北のマカプ岬方面と南のワイマナロ方面の残敵掃蕩にかかった。

カイルア基地には新たに独立零戦隊十二機が飛来し、基地に常駐して掃討作戦に協力することになった。(カネオヘとカイルアの両基地にはおいおい航空整備兵の一団も到着して、零戦の整備・修理のかたわら基地内外に放置された多数の米軍損傷機を集めて、飛行・作戦に堪えうる機を一機でも多く再生しようと努力した。破損した米軍ワイルドキャット計六十五機を整備兵が集めて作りあげた二十一機にも零戦に準じた塗装を施し、予備機として残敵掃蕩戦に活躍、「東オアフ独立戦隊」と呼称した。)

こうして十二月二十八日の時点で、オアフ島の南三分の一は、ほぼ日本軍の制圧するところとなった。




 十二月十四日にホノルル市の条件付降伏を認めた日本海軍は、同日、陸戦隊三千名を市内に入れ、市議会・市庁・準州議会・警察署・消防署・放送局・新聞社・郵便局・銀行など、主だった施設を占拠・接収した。

とはいえ、すべて平常どおりの業務の継続を許可した。ただし、警察署は武装解除したし、銀行・郵便局は米本国への送金と大口の現金引出しを禁止、日系人・米市民・ハワイ人を問わず、一人一日一回千ドル以下の現金引出しに限って認めた。むろん小切手・軍票を用いての取引決済はこの限りではなかった。

行内にあった現金は海軍がすべて没収し、代わりに軍票をこれに当てた。海軍は没収したばかりの米ドルを気前よく使って、まず艦隊の飲料水と生鮮食料を補給し、ついで前線で戦う陸海軍兵士のために新鮮な糧食を購入し、即日、最前線部隊から順に配布した。公用車・自家用車の類をすべて没収し、これに充てた。

 翌十五日朝には背後の陸地から総攻撃を受けていたパールハーバーが一昼夜にわたる激戦の末に無条件降伏をした。パールシティ、改め「真珠市」は陸軍に任せて、海軍はパールハーバー、改め「真珠港」一帯を占拠・接収、直ちにその港湾機能の復旧に努めた。貯油施設の原油タンクは予期に反して、その大半が健在であった。

同日早くも、沈船夥しく危険極まりない港内に、残燃量乏しい艦から順に、駆逐艦が四囲を警戒しながら三々五々入港し、波止場近くの生き残った重油タンクにありあわせの送油管を接続して、急速給油し、港外に警戒・待機中の艦と交替した。

ただし、最初の四艦だけは引き続き港内にとどまって、残敵米軍による小規模なテロ攻撃に対する警戒を厳にしていた。絶望に駆られた米海兵の自爆テロが四、五件見られたのである。

駆逐艦群が終わると、軽巡・重巡と、夜を徹して給油作業がつづいた。空母群への給油が完了するころには、すでに夜は白みかけていた。戦艦群への給油も完了したのは実に昼過ぎのことだった。最後に高速輸送船七隻への給油を済ませると、その日は終わってしまった。

その間にすべての荷揚げを完了し、新旧各種のレーダー機器や米重戦車の見本を積みこみ、再利用される敵味方飛行機の残骸や屑鉄原料たる戦争廃棄物を満載したハワイ攻略部隊の輸送船十八隻と弾薬運搬船二隻が、燃料を満タンにして母国へと帰還していったのは、十二月十八日夕刻のことだった。護衛には旧型駆逐艦わずか四隻が同行しただけだった。それでも水戦隊の直掩機が連日、オアフ、旭日の両島から出ることになってはいたが。




68




 長官山本五十六はママラ湾沖を遊弋する旗艦「翔鶴」から動かなかった。

ただ、南雲忠一を真珠港総督代行として草鹿とともに上陸させ、軍港としての機能再建に当たらせた。「赤城」「加賀」「龍驤」も「翔鶴」に加えて山本直属の空母として、「瑞鶴」は「飛龍」「蒼龍」に加えて山口多聞の指揮下に置いた。

南雲と草鹿のコンビは、俄か造りの真珠港総督府で抜群の働きを発揮した。

まず、海兵を使って基地滑走路を修復したのはむろんだが、航空整備兵の一団を上陸させ、零戦・艦攻・艦爆の整備・修理のかたわら、米基地内外に放置されたままの多数の米軍損傷機を集めさせて飛行・作戦に堪えうる機を一機でも多く再生させた。小中破した各種米軍機、計二百三十六機を整備兵が集めて作りあげた七十五機にも日本機に準じた塗装を施し、予備機として残敵掃蕩戦に活躍させ、「ハワイ独立戦隊」と呼称させた。

ついで、港内に浮かぶ中小破した駆逐艦以下の夥しい米小艦艇を総点検し、わずかな補修で稼動・実戦に耐えうる艦艇から修理に入り、艦隊の予備乗組員を充て、実戦配備して「独立ハワイ艦隊」と呼称した。修理不能の艦艇はただちに地元の解体業者に払い下げられ、屑鉄として再び買い上げることとした。

その間、米軍戦死者の未発見遺体の回収にも意を用い、回収された遺体は米従軍牧師に託して鄭重に埋葬させた。米軽巡・重巡の再稼動、実戦可・不可も慎重に見極めていった。

こうして米太平洋艦隊の残骸のなかから、実に重巡二・軽巡七・駆逐艦二十三・潜水艦二・哨戒艇三十五・魚雷艇十七の「独立ハワイ艦隊」が年内に誕生、ひとまずオアフ島周辺海域の哨戒に威力を発揮し始めた。

しかし大中破して水中に擱坐した旧型米戦艦八艦については、山本の強い意向で、すべて浮揚後、空母に改造せねばならなかった。

「内地に回航する暇はない。すべてオアフ現地の再建工廠でこなせ」と、五十六が言う。「高速空母に改造することは到底無理であろうから、飛行甲板一枚被せただけの、航空機運搬用の低速空母であってもかまわない」

苦慮した挙句、南雲と草鹿はまず、米戦艦の健在な砲塔の撤去から始めた。壊滅した米海岸砲陣地の跡地にこれらの主砲・副砲を据えつけて、他の高角砲・機関砲をも効果的に配置して、港湾防備に少しでも役立てようというわけだった。各種砲弾・爆薬・弾丸だけは、破壊されぬまま遺棄された生き残りの米軍弾薬庫に腐るほどあった。

年の瀬も押し詰まったころ、三交替制の昼夜を分かたぬ突貫工事で、ようやく旧米戦艦一艦に飛行甲板一枚が被されようとしていた。けれども

「浮揚した米戦艦のうち少なくとも一隻は、戦利品として内地に回航せよ」

との指令が軍令部から届いた。これに対し山本は

「仰せのとおり二隻回航するが、突貫工事で二隻とも速成空母に大改装し、明年三月二十日までに、艦載機・補充搭乗員を乗せて、ハワイに再回航されたし」

との、日程的に見てもいささか無理のある強硬な要求を添えて、比較的に損害の軽微な米戦艦二隻を、「独立ハワイ艦隊」の駆逐艦四隻に護衛させて横須賀へ送った。

結局、真珠港で五隻目の速成空母が概成したのは一九四二年三月二十日、内地から艦載機・補充搭乗員を乗せて、先の二隻の速成空母が再回航されてきたのは遅れて四月十五日、速成空母艦隊の編成・実戦配備が成ったのは、さらに遅れて六月十五日のことであった。

こうして旧型米戦艦七隻は日本海軍の改装空母七隻として生まれ変わった。すなわちハワイで苦心の突貫工事のすえに大改装なった「南天」(旧米戦艦「カリフォルニア」)、「東天」(同「メリーランド」)、「青海」(同「オクラホマ」)、「青天」(同「ウエストバージニア」)、「北天」(同「ネヴァダ」)の五艦、それに横須賀から再回航されてきた「北洋」(同「テネシー」)、「南洋」(同「ペンシルバニア」)の二艦である。

大型ながら旧戦艦並みの低速で、攻撃型空母としては使えず、作戦・運用上に制約はあったが、護衛・運搬・中継ぎ空母としては申し分なかった。各艦に新来の零戦四十機、補用八機、計三百三十六機がとりあえず搭載されて、さっそく若手搭乗員たちの錬成・実戦訓練がハワイ沖上空で開始された。




69




 こぬか雨けぶる六月のみどりの夜に、裏木戸をほとほとと叩く音がする。

庭下駄をつっかけて出てみれば、チベット密教の修行僧、大柄禿頭の水田一心、別名〈火の玉小僧〉がぬっと入ってきた。

水田の携えてきた極秘情報の大半は、すでに粒良の知るところではあったが、おかげでその虚実に確信がもてたし、弥生隊、蘭子隊の上海、ハルビンにおける暗躍のさまをじかに彼の口から聴くと心が躍るのであった。

いつしか夜も更けて、裏木戸まで送る粒良の腹に、振り向いた水田が右拳を押しつける。ゆっくりと開いた手のひらのなかで琥珀色の玉が、夜明けまえの青い闇のなか、どこからともなく光をあつめて煌めいていた。

「おまえにくれてやる。秘宝とはいえ、おれには無用の品だ」

懐で温まったその琥珀色の玉を粒良に押しつける水田の指先は、口とは裏腹に、いかにも惜しげに未練に揺れていた。

「いったいなんだ、これは?」

「今際のきわの師匠が、おれに託した伝来の秘宝だ。貴人の夢を三度だけ叶えるという」

「ふん、貴人、だと。ならば、俗人のおれにも無用の品だ」

「うわぁ、はっはっは」

頭頂を突き抜けるような笑い声を残して、暁闇の路地に〈火の玉小僧〉は姿を消していた。

あれから三年、琥珀色の玉はかなり小さくなってしまった。

寝酒にしていた琉球泡盛の古酒に、ふと思いついて、煌めく表面をひと筋、薄く削った琥珀色の玉の小片を浮かべてみたのが、そもそもの始まりだった。細かな泡を吹きながら薄片はたちまち溶けて、琥珀色に染まった杯のなかの古酒が、えもいわれぬほのかな香りを新たに発していた。

《いや、じつに旨い》

ただ、それだけのことだった。飲み干したおのれの精神・肉体には何の変化もなかった。夢さえ見なかった。ただ、仄かに心地よい、それだけだった。

思えばこの十有余年、禁裏に巣くう魑魅魍魎を密かに退治することに明け暮れて、五年前からは梨枝と隊員たちの助力があったとはいえ、粒良とて心の休まるときは、片時もなかったのだ。

そこである日、不眠に苦しむ天皇ひろひとに寝酒として薦めてみた。すると陛下はよく眠れるようになったばかりか、日ごろの奸悪な軍国主義者ヒロヒトの発現が抑えられて、やがてすっかり影を潜め、それとは逆にアナーキーな博愛主義者ヒロトトがよりしばしば発現し、次第に天皇ひろひとのなかでヘゲモニーを握るに至った。

琥珀色の玉に触発された一種の精神転換ではあろうが、いずれにしても歓迎すべきものではあった。

いまにして思えば、それでこそ開戦後、間なしにあの矢継ぎ早の治安維持法廃止の勅令、言論の自由の表明、検閲の全面的禁止、特高警察と憲兵隊の即日解体が成ったのだ。政府は政策の激変と、その辻褄合わせに翻弄されるばかりで、瓦解の瀬戸際に何度も立たされたことだった。

東条の更迭、中国大陸からの撤兵、日独伊三国同盟の解消すらも、こと天皇裕仁に限っては琥珀色の玉の作用がまったく関係なかったとは言い切れない。

なお、粒良は結社外のブレーン十四名、同伴者五十六名をも統括しているけれど、彼自身および彼らも、他のアナーキスト系公然・非公然組織とは一切交渉がない。そのことは《シリウス》の他の秘密結社員、実行隊員および戦闘団員と同様である。

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